Mt Oeyama(大江山)
- GPS
- 04:56
- 距離
- 18.6km
- 登り
- 1,083m
- 下り
- 1,082m
コースタイム
過去天気図(気象庁) | 2022年07月の天気図 |
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アクセス |
写真
感想
【 日本海に近い修験の地・大江山 】
登山中の案内板で初めて知ったのですが、大江山は修験の地だったらしくいたるところに行場らしきものがあります。
大江山の「鬼」と呼ばれた酒呑童子ですが、おそらくこの付近の山の地理を知り尽くした地方豪族(≒ 朝廷にすれば「まつろわぬ蛮族」)ではないでしょうか。
修験の地であれば、抜け道や防衛・急襲に適した地形に詳しい人材も豊富だったと推察されます。伊賀や甲賀そして戸隠の忍者が正にこれに当たります。
そうみると葛城修験の地である金剛山地にある千早赤坂城の戦いで楠木正成率いる軍勢が数に勝る鎌倉幕府軍を翻弄したことにもつながるような気がします。
また大江山の立地に注目すると、山頂付近からは天橋立のある宮津の海がみえるほどにすぐ近くです。
この海は入り江になっていて非常に穏やかなため、日本海航路の貿易港として古くから重要視されていました。
水墨画で有名な雪舟には天橋立の湾内の地形を空から眺めたように描いた絵図があります。
雪舟は、山口を拠点として中国大陸・朝鮮半島などとの貿易で大勢力を築いた大内氏の庇護を受けており「大内氏が京へ攻め上る際に船団を宮津へ上陸させる際の上陸地形の把握するために雪舟に絵を描かせた」との説もあるようです。
そうなると酒呑童子は貿易ルートをおさえる要害である大江山を拠点にもつため、朝廷には捨て置けぬ相手だったのかもしれません。
酒呑童子は「鬼退治」を含めた伝説の多い人物ですが、私には楠木正成のように「地の利を活かし、貿易によって財力と人材を蓄えた有力者」のような側面があるように思えてきました。
今回「大江山 生野の道も 遠ければ(京都からかなり遠い)」から「主要貿易ルートの拠点のすぐ近く」へとイメージが変わりました。
*補足*
酒呑童子が拠点とした大江山には京都と亀岡の間にある大枝山であるとする説もあるようです。
ただ大江山に関する鬼退治伝説は酒呑童子の物も含めて3つ存在し、やはりこの地を巡って係争が起こっていたことは、大江山周辺を支配することに交易による利益など何かしら魅力があったことを意味すると思います。
【 オニヤンマ君虫よけ効果実験 】
前回、岩湧山で黄色と黒のコントラストのカラーがはげ落ちたまま出動し、コバエの大軍の猛襲を受けました。
今回、油性マーカーを購入し、再ペイントを施した結果、見事に虫よけ効果が復活しています。
とはいえ大江山に虫があまりいなかっただけというオチもありえるので、今後も継続調査していきます。
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