記録ID: 4587411
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ハイキング
妙高・戸隠・雨飾
歩いて辿る戸隠神社五社巡り+α
2022年08月14日(日) [日帰り]


体力度
2
日帰りが可能
- GPS
- 05:25
- 距離
- 10.3km
- 登り
- 383m
- 下り
- 268m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 3:15
- 休憩
- 2:10
- 合計
- 5:25
距離 10.3km
登り 393m
下り 270m
過去天気図(気象庁) | 2022年08月の天気図 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
バス 自家用車
→戸隠宝光社バス停 帰り:戸隠奥社入口付近駐車場 戸隠奥社入口付近に車を止め、一旦バスで戸隠宝光社まで行き、戸隠宝光社を起点に戸隠奥社までの五社を巡る |
写真
戸隠神社 宝光社(ほうこうしゃ)。 奥社の相殿として創建された。 祭神は天表春命(あめのうわはるのみこと)で、中社の祭神である天八意思兼命の子。 学問や技芸、裁縫、安産や婦女子の神とされる。
戸隠神社 火之御子社(ひのみこしゃ、日之御子社とも書く)。 祭神は天鈿女命(あめのうずめのみこと)。 他に高皇産霊命(たかみむすびのみこと)、その娘である栲幡千々姫命(たくはたちぢひめのみこと)、栲幡千々姫命の夫である天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)を祀る。 天鈿女命は天照大神が隠れた天岩戸の前で面白おかしく踊って天照大神を誘い出すきっかけをつくったとされる女神。 舞楽や芸能、また火防の神とされる。
戸隠神社 中社(ちゅうしゃ)。 奥社と宝光社の中間に位置するこの地に中社を創建したとされる。 現在の祭神は天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)で、天照大神が天岩戸に隠れたとき岩戸神楽(太々神楽)を創案し、岩戸を開くきっかけを作ったとされる神。 知恵の神ともされる。
随神門(山門)
宝永七年(1710)の建立で、三間一戸の入母屋造り、正面の柱は四本だが後ろに八本の控柱がある八脚門で、屋根は茅葺き。
戸隠神社の中で最も古い建造物と云われている。
左右に随身像を備えた随神門は神域に邪気・邪悪なものが入るのを防ぐ門で、お寺の仁王門と同じ働きをする。
ここも元々の神仏習合時代には仁王門であり、かつては仁王像が祀られていた。 現在は明治の神仏分離に伴い、善光寺隣の寛慶寺に移されている。
またこの時は自然に仁王像と随神像が入れ替わった神社が多く、随身像も口を開いた「阿」と、閉じた「吽」の阿吽の像になっているという。
戸隠では左右の像を「櫛石窓神」「豊石窓神」と称する。
宝永七年(1710)の建立で、三間一戸の入母屋造り、正面の柱は四本だが後ろに八本の控柱がある八脚門で、屋根は茅葺き。
戸隠神社の中で最も古い建造物と云われている。
左右に随身像を備えた随神門は神域に邪気・邪悪なものが入るのを防ぐ門で、お寺の仁王門と同じ働きをする。
ここも元々の神仏習合時代には仁王門であり、かつては仁王像が祀られていた。 現在は明治の神仏分離に伴い、善光寺隣の寛慶寺に移されている。
またこの時は自然に仁王像と随神像が入れ替わった神社が多く、随身像も口を開いた「阿」と、閉じた「吽」の阿吽の像になっているという。
戸隠では左右の像を「櫛石窓神」「豊石窓神」と称する。
戸隠神社 九頭龍社(くずりゅうしゃ)。 祭神は九頭龍大神。 奥社のすぐ下にあり、境内社のようになっているが創建は奥社より古くその時期は明らかでない。 地主神として崇められている。 戸隠山には「戸隠三十三窟」といわれる洞窟が点在し、その「龍窟」にあたる。 本殿から本殿右手上の磐座の上まで廊下が続いており、そこが「龍窟」となる。 古くは雨乞い、縁結びの他、虫歯・歯痛にご利益があると言われていた。
戸隠神社 奥社(おくしゃ)。 祭神は天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)で、天照大神が隠れた天岩戸をこじ開けた大力の神。 神話では天手力雄命が投げ飛ばした天岩戸が現在の戸隠山であるとされる。 戸隠三十三窟「本窟」「宝窟」と言われる中心となる窟が奥社本殿内部にある
帰路を振り返ると、まっすぐ続く参道(約2kmの)で、この参道を登りきった場所に奥社がある。 途中に赤い「随神門(山門)」があり、その奥は17世紀に植えられたとされる杉並木になっている。
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