記録ID: 46728
全員に公開
ハイキング
九州・沖縄
トホレコ(日本縦断徒歩旅行の記録)52・長崎、のち諫早。
2006年12月10日(日) 〜
2006年12月13日(水)


- GPS
- 80:00
- 距離
- 48.1km
- 登り
- 651m
- 下り
- 665m
コースタイム
12/10 原爆祈念館など。
12/11 大浦天主堂など。
12/12 さらば、長崎。
12/13 諫早湾へ。
12/11 大浦天主堂など。
12/12 さらば、長崎。
12/13 諫早湾へ。
過去天気図(気象庁) | 2006年12月の天気図 |
---|---|
アクセス | |
コース状況/ 危険箇所等 |
12/10 ここ数日グズついた空が綺麗に晴れ上がった。丸々と美しい陽気だ。今日は昨日素通りしてきた原爆祈念館などを詣でてみるつもり。出発前に宿の屋上の有様など激写してみる。いとおかし。しかる後、おもむろに路上に降り立ってみる。宿の傍の公園には早くもキャッチボールに興じている親子の姿など見える。そう、今日は日曜だからね。出遅れてはいけない。休日の町はまだ目を覚ましていない。さはやかな朝の風景。 カメラを首から下げて、街角をスナップしながら歩いてみる。あえて市電は使わない。鍛冶屋横丁から公会堂の前を抜けて、ちょっとした丘を越えていくと駅前通りに出る。駅前のよし牛でエネルギーを充填しておいて、本格的に坂道を縫って路地裏を攻めてみる。急斜面にはビッシリと民家が軒を連ねている。軒先を掠めるように怪しげな小路が続いている。ひじょーに狭い。階段には白いペンキなど塗られている。振り向けば長崎の町を一望できる。楽しい。「空き部屋アリ」などと書かれた張り紙がボロアパートの窓に貼られていたりする。住んでみたい気もするが、大変だろうな、こう坂が多いと。ご老人などはどうしておられるのだらう。この有り様では、うかうか足腰が弱っている暇もあるまい。よそ者の気安さで、風景として眺めているのが良いのかもしれない。浦上あたりまで、路地をぬう様にして適当に歩いていく。佐世保の坂も楽しかったが、ここはそれ以上だ。 丘を降っていくと、一本柱の鳥居が忽然と目の前に現れる。なんのこっちゃ?と思いつつ、案内板の説明書きを読んでみると、これは原爆の焼け残りなんだそうで。戦争の遺品としてこうして保存してあるのだ。これをみてはたと思い当たる。そうなのだ、この町は一度跡形もなく吹き飛んだのだ。現在のこの愉快な景色からはおよそ想像も出来ないことだが。一本柱は麗らかな小春日和の日差しを受けて、静かに立っている。完全に不意を突かれた。ちょっと浮かれ気分で歩いていた背中に、冷たいものを浴びせられたやうな気分。ここから原爆祈念館はすぐそこである。 日曜ということもあって、祈念館には結構沢山の人たちが訪れている。小学生や中学生と覚しき子供の姿も多い。高校生くらいになると神妙な顔をしているが、実際どの程度のことを考えているのだろうか。僕も修学旅行かなんかで原爆ドームを訪問した記憶があるが、そこには「反省させられてる」という感覚がつきまとっていたように思う。こういう場所には「歴史は一つではない」という意識を持って、自分の意志で来るとまた違った感銘があるものである。別館の追悼館にも足を運んでみる。くゎんこうの方達は殆ど来ない場所のようで、極度に静謐な雰囲気が保たれている。シビアな認識を持たない僕の如き人間は、気圧されてしてしまいそうだ。ここでは被爆体験者の方達のインタビューテープなどが聞ける。壁のやや高いところに穿たれた窓は爆心地の空を射抜いているのだという。視覚情報に頼らない想像力を働かせてみる。町が一個消えてしまうってどういうことだろう。そんな惨事が起こった場所は日本をおいて他にはない。ジャンボジェットがビルに突っ込んだ位じゃ町は消えない。 さて、そんなこんなで3時ころ、祈念館をあとにする。久しぶりに真面目な事を考えてみたりして、すっかり腹が減ってしまった。しかし日曜のせいか、付近の食堂は何処も休みである。住吉あたりまで歩いて行ってみる。平和公園を抜けて、市電通りに沿ってしばらく行くと、アーケードの商店街になる。この辺も賑やかで楽しいところだ。住吉で市電通りを右手へ折れて、山の手の急斜面のどん詰まりまで行くと急な石段がある。はるか頭上に神社があるのだ。登ってみると、境内には何故か猫が沢山いる。神主さんが飼っているんだろうか。賽銭箱の鈴の綱にジャレたりして、いとおかし。しばらくジャレて遊ぶ。神様には世界平和をお祈りした。 石段を降りたところにあるお店で皿うどんを食す。皿うどんというと、パリパリに揚げた麺の上にあんかけがかかっているやうなものだと思っていたが、出てきたのはとろみの付いた焼きうどん風の食べ物である。「太麺」というのを頼んだせいだろうか?あるいは中国人がやっているから、日本の皿うどんとは違うんだろうか?何にしても、味の方は美味。これはこれで良しとしておく。本場長崎では皿うどんというのはこういう食べ物なのかもしれない。少なくともジャジャ麺よりはイケてる。 市電に乗って長崎駅前まで戻ってくる。ここから先は経路が三つに分かれていてちょってややこしい。思案橋まで歩いて帰ることにする。せいぜい15分くらいなものだ。北海道から歩いて来たことを考えれば随分近い。 宿に戻ると、建物全体が真っ暗で不気味に静まり返っている。日曜は下の居酒屋は定休日なのだ。今夜は泊まり客も僕一人のやうで。じゃ、どうやって中に入るのかというと、居酒屋の入り口に実は鍵が掛かっていないのである。不用心な話だ。その気になれば厨房の食材食べ放題である。何とも変わった宿だことで。廊下の電気のスイッチが何処にあるのか分からないので、手探りで部屋まで戻る。 ホルモンと白菜で鍋を作る。食材は帰りがけに仕入れてきた。そいつをつつきながら、芋焼酎のお湯割など舐めてみる。ナベもストーブもいつも使ってる汚い奴である。なんで俺は部屋の中で鍋なんてやってたんだらう。今となってはその気持ちがわからん。 12/11 今日は出島、大浦天主堂あたりを見物してみることにする。誰もいない宿から居酒屋を通ってそっと抜け出す。ほんと不用心なことだよ。取りあえず海辺へ出てみる。出島って地名に引かれて行ってみたが、何のリサーチもなく行ったので何のことやら分からない。徳川時代の名残りなど何もない。ただのベイエリアって感じ。そのまましばらく海沿いを歩いてみる。湾が狭いので対岸がすぐ傍に見える。あちゃら側も楽しそうだ。この当時はまだ軍艦島は公開されておらず、くゎんこう船は出ていたが上陸は出来ず周囲を回るだけとのことだった。半年ぐらい後に上陸できるようになったというニュースを沖縄で聞いた。まったく残念なことだよ。 いい加減海沿いに飽きた頃合いから、また山側の斜面をうろついて遊ぶ。どんどん坂というのをどんどん登っていく。昨日と同じように素敵な坂道が続いている。いとおかし。 とくにあてもなくうろうろしていたらそのうち「グラバー園」というのに出る。なんだかよく分からないが、とにかく有名なくゎんこう地のやうである。折角なんで入ってみやうとするも、入園料がなんと600円もすることが発覚。歴史的建造物が見れるらしいが、ひとんちを見るのに600円も払うほど風流な趣味は持ち合わせがない。というわけで更に路地裏を彷徨っていると大浦天主堂に出る。ここも入館料を取られる。200円って何よ?只じゃねえのか。もっと隣人を愛してもらいたいものよ。という訳でここも素通り。 なんかこの界隈はくゎんこう化が著しいエリアのやうだ。石畳など綺麗に整備されているし、案内表示もあちこちに立っている。なんだかなーと思いつつ、むしろ標識の立っていない方へ歩いて行ってみる。そうこうするうちに日暮れ。振り向けば昼飯を喰ってない僕がいる。道理で腹が減るわけだ。 中華街でチャンポンを食す。さすが、古くからの貿易港とあって、長崎には仲々立派な中華街がある。きらびやかな外装の店に入ってみたが、値段はリーズナブル。そして美味。あの真っ白なスープは豚骨ベースなんだろうか?添加物カラーなのかな。何にしても旨い。博多のラーメンなんかよりよっぽど僕の口にはあうやうだ。などと言ってると博多の人に怒られそうだな。なんか、九州の人って地元のラーメンに対して過剰なプライドを持ってる気がする。 中町の外れにあった豚まん屋で豚まんを三つ買って、齧りながら夜の町を歩いてみる。長崎には豚まん屋が多い。一口サイズのかわいらしい豚まんが一個50円くらい。これが良いのよ。美味いのよ。 12/12 長崎を後にする。何だかもの凄い寝不足。都会では熟睡など出来ないのだよ、キミ。蛍茶屋あたりまで来ると、道は郊外の装いと化す。さらば、長崎の町よ。ひたすら東へと進路をとって緩やかな峠を越えていく。諫早湾に目をくれて、島原あたりを冷やかして歩こうかというプランである。しかし、何かっつーと坂道だね、長崎は。平地が極端に少ないと思うよ。こんな土地柄だから、お百姓さんは苦労してキリシタンに走ったんじゃなかろうかね。 峠を越えて平地に出た所でおもむろに食事を採ることにする。「ほ亭」という惚けた名前のお店は、日替わりランチが700円でライスおかわり自由だとのこと。折角そう言ってくれていることだし、ここで自由におかわりしてみるかね。まだ出来たばかりなのか綺麗な店である。入ってみると、入り口で靴を脱いで上がる方式である。こういうのはちょっと困る。靴下は穴が開いてるし、あまつさえ臭せえ。デカい荷物を背負ってるので旅行者丸出しである。店の女の子が興味津々って感じでこっちを見ている。あれは完全に若手芸人を見る目だ。違う、そんなんじゃないんだ。企画モノじゃないんだよ。などと思いつつ隅っこの方で縮こまっていると、 「徒歩旅行ですか?」 とかって訊かれた。徒歩だってなんでバレたんだ?やっぱ、足が臭いからか・・・。こういう時、如才なく受け答える才覚は僕にはない。「え、あぁ、うー。」などとはっきりしないことを口走ってみる。なんかこうなってくると、バカみたいにおかわりするのも気が引ける。「やれやれ、卑しい旅行者だよ」などと思われても恥ずかしいからね。二杯で止めておいた。 この先幾つかの峠を越えて有喜という漁港まで。砂浜は小さいが、ちゃんと整備された公園になっていて、ログポーチなんていう洒落たものもある。今夜はここで野営とする。しかしやたらと眠い。テントにシケ込むや否や、飯も喰わずに眠ってしまった。 12/13 明け方、雨だったようで、ザァザァと凄い音がしていた。しかしそれどころではない程に眠い。起き出して様子を見てみるのもダルい。まあ、丁度良いから寝ていよう。そんなぐらい眠かった。昨日屋根のある所にテント張っておいて良かった。 昼前漸く起き出す。結構人がうろつておるなあ。雨はまだ時折パラついているが、概ね上がったやうだ。日差しも出てきやがった。仕方ねえな、歩くとするか。朝昼兼用で、マヨ正油ラーメンというケッタイな食べ物を胃袋に流し込む。簡単に言えば、マヨネーズで具材を炒めてからラーメンを作るという代物だ。佐世保の怪しいオバサンにご馳走になったいけす割烹のチャンポンがこんな風に作ってるんじゃないのかなぁ、と想像して作ってみた訳なのだよ。雰囲気的には近いものがあると思うよ。あえて勧めはしないがな。 唐比という所から北へ進路をとって諫早湾に出てみる。干拓事業で名高い例のアソコである。埋立地と覚しき所をうろついてみるが、なんとも寒々しいところである。水辺は汚いし、陰気な雰囲気なのは天気のせいばかりではないハズよ?真っ平らな埋立地に続く無愛想な道に沿って、電信柱の列が延々と続いている。これはこれで風情だと言えなくもないか。「どっててどっててどっててど。」などと歌いながら歩いて行く。電信柱の兵隊は〜。 島原街道を島原方面へと辿っていく。別にこれといって盛り上がりもしない。やがて日が暮れる頃、瑞穂という所に運動公園を見付けて、その裏手の海辺で野営。夜になると対岸に夜景が見える。佐賀、柳川あたりだろうか。 |
写真
お気に入りした人
人
拍手で応援
拍手した人
拍手
訪問者数:940人
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する