ナンガ・パルバット【南面 シェルルート】
- GPS
- 800:00
- 距離
- 95.5km
- 登り
- 14,420m
- 下り
- 14,420m
コースタイム
6/15 イスラマバード 買い出し、パッキング
6/16 イスラマバード パッキング
6/17 イスラマバード=タキシラ=ラワルピンディ=イスラマバード 観光、買い出し
6/18 イスラマバード=ラワルピンディ=アボッタバード=ダスー=チラス
6/19 チラス=ジャグロッド=アストール=タルシン
6/20 タルシンにステイ ポーター雇用
6/21 タルシン〜ルパル〜ポーリッシュBC〜BC(ラトボー 3500m)
6/22 BC〜4650m〜BC ルート工作
6/23 BC〜C1(4950m)〜BC ルート工作
6/24 BCステイ
6/25 BC〜C1〜BC 荷上げ
6/26 BCステイ
6/27 BC〜C1 荷上げ
6/28 C1ステイ テン場整地
6/29 C1〜ヤマト岩基部〜C1 ルート工作
6/30 C1〜BC
7/ 1 BCステイ
7/ 2 BC周辺トレッキング
7/ 3 BC〜C1 荷上げ
7/ 4 C1沈殿
7/ 5 C1〜デポ地〜C1 荷上げ
7/ 6 C1〜仮C2 キャンプ設営
7/ 7 仮C2〜ナジール壁基部〜仮C2 荷上げ
7/ 8 仮C2〜ナジール壁〜仮C2〜C1 荷上げ
7/ 9 C1〜BC
7/10 BC 休養
7/11 BC ステイ
7/12 BC ステイ
7/13 BCステイ
7/14 BC〜C1 荷上げ
7/15 C1〜仮C2
7/16 仮C2〜ナジール壁〜仮C2
7/17 仮C2〜C1 荷下ろし
7/18 C1〜BC
7/19 BCステイ
7/20 BC〜モレーン上大岩〜BC
7/21 BCステイ
7/22 BC 撤収準備
7/23 BC ポーター雇用
7/24 BC〜ルパル〜タルシン=アストール=チラス
7/25 チラス=イスラマバード
7/26 イスラマバード 荷物パッキング
7/27 イスラマバード
7/28 イスラマバード
7/29 イスラマバード=
7/30 =成田=羽田=福岡
アクセス |
利用交通機関:
バス
飛行機
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コース状況/ 危険箇所等 |
イスラマバード〜ジャグロット:カラコルム・ハイウェイを行く。ハイウェイとは名ばかりで、インダス川岸の断崖を削りとった2車線道路。時々、谷底に落ちて引き上げ作業をしている車を目撃する。コテコテにデコったトラックやバスがいろいろなクラクションを使い分けながら疾走する。 ジャグロット〜タルシン:断崖につけられた恐怖のジープ道。1車線で、対向車が来たら路肩ギリギリですれ違う。落ちたら命はない。全員分の座席はないので、荷台のロープに振り落とされないようにしがみつく。 タルシン〜BC:2つの氷河を越えるキャラバン。ナンガパルバットを仰ぎながら、気持ちのいい草原を行く。トレッキングでは2日かけるらしいが、1日で到着。途中のルパル村には、ラインホルト・メスナーが作った学校があり、子どもも多い。お菓子をねだって追いかけてくる。 BC〜C1:14650mの通称蝶岩までは石がゴロゴロした広く開放的なモレーンの谷(シェル氷河)を登る。落石が多い時は、途中から右岸の草付き(お花畑になっている)に逃げることもできる。蝶岩からは、左のルンゼに入るが落石が多いので岩壁に身を寄せるように進む。そのままルンゼを詰めてもC1に着くが、途中から右の側稜に取り付いたほうが落石や雪崩のリスクは小さい。 C1~仮C2:雪崩の危険が高いので、C1から上はFIXロープを設置した。出だしは1ピッチのトラバース。落石の巣なので素早い行動が必要。次に岩雪ミックスの急斜面を岩稜に登り上がる。 仮C2〜C2:まず、通称ヤマト岩に向かって岩稜を登る。ヤマト岩は基部を右に巻いて上部に出、さらに岩稜を上り詰める。そこから、ナジール壁の基部に向かって雪壁のトラバース。ナジール壁は、2ピッチミックスを登ったあと、バンドを右へトラバース、チムニーを登り上がる。壁の上はナイフリッジ。 |
写真
装備
個人装備 |
長袖シャツ
Tシャツ
長袖インナー
ハードシェル
ズボン
靴下
グローブ
アウター手袋
予備手袋
防寒着
日よけ帽子
毛帽子
着替え
靴
予備靴ひも
ザック
サブザック
アイゼン
ピッケル
食器
ライター
コンパス
ヘッドランプ
予備電池
筆記用具
ファーストエイドキット
常備薬
日焼け止め
ロールペーパー
時計
サングラス
タオル
ナイフ
カメラ
ハーネス
ヘルメット
確保機
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共同装備 |
スコップ
コンロ
コッヘル
テント
テントマット
ロープ
カラビナ
スリング
ロープスリング
ハンマーバイル
アイスアックス
アイススクリュー
|
感想
ヒマラヤ山脈西端に位置し、標高8,125m(世界第9位)を誇るナンガパルバット遠征に参加した時の記録です。標高差4800mの世界最大の壁ルパール壁の西端のシェル・ルートは、1976年オーストリアのハンス・シェル隊によって開拓されたルートで、最初はミックスのリッジを登り、上部でマゼノリッジに合流したあと、ディアミール壁側に回りこみ頂上に至る長いルートだ。
福岡登高会としては、1983年、1985年と2回にわたりこのルートに挑んできたが、跳ね返されてきた。会としては3度めだが、私には初めてのナンガパルバット、心躍らせてイスラマバードに降り立った。
ちょうど役所の休みに引っかかったため手続きに時間がかかり、タキシラ遺跡の観光などで時間調整をしてイスラマバードを出発したのは6月18日だった。屋根に荷物を満載したバスでカラコルム・ハイウェイをひた走り、途中チラスで1泊したあとジープに乗り替えた。
このジープが最初の難関だった。ジープ道は、ガードレールもない断崖の道で、対向車が来たら路肩ギリギリに寄せないけばならないほどの狭さだ。しかもデコボコの悪路で、運チャンは、そこを猛スピードで走りぬける。座席に座っているときはまだいいが、途中で荷崩れを起こさないように荷台でロープにしがみついているときは生きた心地がしなかった。
キャラバンの出発地のタルシン村や氷河を挟んだルパル村は、いかにも寒村で、皆、身なりは汚いが彫りの深い綺麗な顔立ちをしている。子どもたちは「スウィート」「マネー」「ルピー」と遠慮がちに要求してくる。
タルシン村でも雨のため1日足止めとなったため、2日の行程を1日でBCまで急いだ。
登山活動は、全くの力不足だった。高所順応は割りとスムーズにできたが、低酸素でのスピードの無さを通関した。C1建設は早かったが、そこから上は動ける隊員が少なく、ルートが遅々として伸びない。
ネパールなら、シェルパがFIXロープ設置などもやってくれるが、パキスタンでは基本的に隊員が全部やらなくてはいけない。ハイポータ(H.P)を5人雇っていたが、彼らは当初下部キャンプへの荷上げが中心だった。
次第に疲労や体調不良を訴える者も出てきて、BCでの一斉休養やH.Pの上部への投入などを経て、ようやくC2建設予定地に到達しました。そこは、ナジール壁と呼ばれる6ピッチほどの岩場を抜け、さらにナイフリッジを越えたところにある雪田だ。ここまでくれば、C4まではあまり危険な箇所はないはずだった。しかし底にあるはずの雪田は、温暖化の影響かズタズタに切れ落ち、安全にテントを張る場所は見つからなかった。
そして、予定より早くモンスーン期に入り、天気は荒れ始めた。ここでタイムアップ。
撤収が決まってからもFIXの回収、荷下ろしと忙しい。
7月21日、ヒツジの解体を見に行って戻ってくると、隊長のIさんが、脳梗塞らしい、と騒いでいた。ドクターはすでに帰国していたが、Yさんのお父さんが同じような症状だったらしい。前日は久しぶりに日本からのトレッキング隊が手土産に持ってきた酒を飲んだので、最初は二日酔いだろうと寝かせていたら、どうも右半身が麻痺しているらしい。
直ぐに病院に運ぼう、ということになり、Yさんとガイドがジープの手配に走り、近くの村からポーターを集め、柳の枝で担架を作り、タルシンまで交代で運ばせることになった。リエゾンと隊員2人が付き添いでおりたので、BCはガラーンとしてしまった。残ったメンバーで荷物の梱包・計量と、BCの撤収を行い、7/241ヶ月あまりの登山活動に終止符を打った。
Iさんは、その後ジープに担架を括りつけギルギットの病院まで運んだが、そこでは十分な治療が受けられないので、更にイスラマバードまで夜を徹して運び、最高の医療が受けられる病院に入院でき、後遺症は残ったものの後日無事に帰国できた。
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