大学博物館による「大和を掘る」ツアー1)平城京
- GPS
- 03:12
- 距離
- 8.2km
- 登り
- 16m
- 下り
- 13m
コースタイム
- 山行
- 0:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 0:00
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2014年07月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
バス
|
写真
感想
13時、近鉄奈良駅に集合した博物館友の会ツアーの一行は、まず新大宮駅近くのホテルにバスで移動、荷物を名札をつけてホテルに預け、部屋番号札を受け取って、平城京ツアーに出る。古墳歩きのグループもある。酷暑で大変だ。平城京ツアーは最初、奈良バイパス手前にあるイトーヨーカドー前にある「長屋王邸跡」を見学、といっても、巨大なヨーカドーの建物がそれを隠している。ここは以前別のデパートがあったらしいがいずれにせよ、この古代史で藤原氏と争った大皇族の重要な邸宅跡は(発掘はされたが)破壊されてしまったようだ。ここからバイパスの下をくぐり、平城京の左京三条二条庭園を見学する。ここは奈良時代の古代庭園として、その姿がわかる貴重な史跡で国の特別史跡、名勝に指定されている。発掘された遺構と関連文献から復元されている。復元された建物から庭園を見下ろす。池や水路に水が循環して流れていたらしい。次に建部門に出る。長屋王の邸宅のあったヨーカド−もまだ大きく見えている。長屋王邸宅はよほど大きかったらしい。次に東院庭園に向かう。ここは平城京の東の張り出し部分で、皇太子宮殿のある場所という。奈良文化財研究所のHPによれば。「東院庭園は東西60m、南北60mの南から見て逆L字形の池を中心に構成されています。池の西岸には中央建物に付属する露台が水面に張り出し、露台から東岸には橋をかけています。池の北端には築山石組、西南部には中島があって、それぞれ庭園景観の焦点となり、屈曲する出島の先端部には景石が配されています。池底から岸辺にかけてゆるやかな勾配で小石を敷きつめた洲浜が出入りのある汀線をかたちづくっており、奈良時代の優美な庭園の様子がしのばれます。自然の風景を主題とした平安時代以降における庭園の原形ともいえる重要な遺跡なのです。」とある。同じ博物館友の会会員でツアーガイドが、建物の部材の赤と青の色を指して「あおによし」の「青」と「赤=に」とはこの色よ、と教えてくれる。東院エリアから北側の遺構展示館に進む。ここは発掘された遺構が展示されている。またこのエリアには兵部省、式部省などの役所があり、式部省の勤務評定が記された木簡などが出土し、古代の役所の姿が明らかにされつつある。また造酒司の「赤米」「酒米」などの荷札の木簡も見つかっている。また酒造りにも使ったと思われる井戸などの遺構もある。
次に内裏から大極殿方面を目指して歩く。太政官のいた大膳式では一番最初に発見された木簡が出たという。ここでは掘立穴遺構や巨大な柱の遺物が展示されている。大極殿の復元は第一次大極殿で、復元建物の下には、発掘遺物、遺構の展示解説、第二次大極殿に関するもの、想像復元された天皇の寝室(詳しい資料がないため大正天皇の寝室から想像して復元)などがみられる。また瓦や木工、金工など、平城京、大極殿建設に使われた当時の技術に関する解説展示もある。また儀式の行われた内庭などでの儀式の様子の想定図など、なかなか見どころが多い。最後に平城宮跡資料館で、旧跡の様々な遺構、遺物の展示解説を見る。食事や寝室、役所の仕事で使われた硯や様々な遺物、大量の木簡や土器などの常設展と「平城京で一番」という大きな土器や瓦などの企画展を見て今日のツアーは終了。元気な人たち数人はさらに古墳歩きをしてホテルに徒歩で戻るが、私はすでに疲れ切っているのでバスでホテルに戻って休憩し、夜の講演会に備えるも、やはり疲れて居眠りが出てしまうのはやむを得ない。講演は明日の藤原京に関する最近の発掘の解説・報告だった。
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