沼原駐車場は満杯状態でしたが、こちらはとても静かでした。
4
10/22 8:31
沼原駐車場は満杯状態でしたが、こちらはとても静かでした。
西ボッチでしょうか。
3
10/22 8:42
西ボッチでしょうか。
周遊路の木道から離れて、三斗小屋宿跡方面へ。
3
10/22 8:47
周遊路の木道から離れて、三斗小屋宿跡方面へ。
沓石観音(白湯山地蔵)というそうです。小首を傾げた愛嬌のある笑顔。
7
10/22 8:55
沓石観音(白湯山地蔵)というそうです。小首を傾げた愛嬌のある笑顔。
「享保(七 壬寅)天 二月・・」(1722)とあります。
4
10/22 8:56
「享保(七 壬寅)天 二月・・」(1722)とあります。
紅葉は終盤のようですが、十分です。
6
10/22 9:07
紅葉は終盤のようですが、十分です。
お馬の取れた馬頭尊でしょうか。「天保庚子/四月□日」(1840)
4
10/22 9:16
お馬の取れた馬頭尊でしょうか。「天保庚子/四月□日」(1840)
「室井金左エ門」、板室本村の室井家は先達さんだったようなので、白湯山信仰由来の観音様ですね。
2
10/22 9:18
「室井金左エ門」、板室本村の室井家は先達さんだったようなので、白湯山信仰由来の観音様ですね。
昭和の遺物?まだ現役のようでした。麦飯坂を下って行きます。
6
10/22 9:24
昭和の遺物?まだ現役のようでした。麦飯坂を下って行きます。
丸太橋で枝沢を渡ります。下に見える流れは湯川。
3
10/22 9:40
丸太橋で枝沢を渡ります。下に見える流れは湯川。
深山ダムからの道に合流、旧い道標があります。「右ハやま 左ハ板室 みち」「寛政丑五年六月吉日」(1793)
4
10/22 9:49
深山ダムからの道に合流、旧い道標があります。「右ハやま 左ハ板室 みち」「寛政丑五年六月吉日」(1793)
集落入り口に墓地があります。 石仏もたくさんあります。
1
10/22 10:07
集落入り口に墓地があります。 石仏もたくさんあります。
一番古いのは享保三年(1718)のものとのことでしたが、「正徳六年申」(1716)とある地蔵尊がありました。
4
10/22 10:14
一番古いのは享保三年(1718)のものとのことでしたが、「正徳六年申」(1716)とある地蔵尊がありました。
こちらの姦し地蔵尊も墓碑と思われますが、笑顔に見えます。
5
10/22 10:14
こちらの姦し地蔵尊も墓碑と思われますが、笑顔に見えます。
逆にこちらは首なしの六地蔵。戊辰戦争か廃仏毀釈か。
3
10/22 10:14
逆にこちらは首なしの六地蔵。戊辰戦争か廃仏毀釈か。
「戊辰戦死若干墓」(明治十三庚辰、1880) 「世話人 大金・・高根澤・・」。当時、凄惨な虐殺があったようです。
3
10/22 10:15
「戊辰戦死若干墓」(明治十三庚辰、1880) 「世話人 大金・・高根澤・・」。当時、凄惨な虐殺があったようです。
流石山に向かって一本道がいい感じ。
5
10/22 10:16
流石山に向かって一本道がいい感じ。
三斗小屋宿跡。この先のベンチに此処を目的にいらしゃったペアの方々が楽しげにコーヒーブレイク?手前の石燈籠の銘は判読できず。
6
10/22 10:19
三斗小屋宿跡。この先のベンチに此処を目的にいらしゃったペアの方々が楽しげにコーヒーブレイク?手前の石燈籠の銘は判読できず。
修復された金燈籠。「常燈 文政六年癸未七月十六日(1823) 百人講中 」
4
10/22 10:22
修復された金燈籠。「常燈 文政六年癸未七月十六日(1823) 百人講中 」
・元禄八年会津藩により会津中街道の宿場として設置 ・江戸末期修験道の白湯山信仰が隆盛 ・戊辰戦争では激しい山岳戦が展開、十四戸焼失 ・明治二十六年銅山開発、精錬。同四十一年大火で全戸焼失 ・昭和32年最後の一戸が転出、無人の地となる。
2
10/22 10:24
・元禄八年会津藩により会津中街道の宿場として設置 ・江戸末期修験道の白湯山信仰が隆盛 ・戊辰戦争では激しい山岳戦が展開、十四戸焼失 ・明治二十六年銅山開発、精錬。同四十一年大火で全戸焼失 ・昭和32年最後の一戸が転出、無人の地となる。
垢離場かな?
2
10/22 10:24
垢離場かな?
「白湯山」石燈籠、「文久三癸亥年四月八日建之」(1863)。その他多数の講人銘あり。
2
10/22 10:27
「白湯山」石燈籠、「文久三癸亥年四月八日建之」(1863)。その他多数の講人銘あり。
5
10/22 10:27
炭焼釜ではないようだし、何かの神事場?それとも精錬関係?
2
10/22 10:30
炭焼釜ではないようだし、何かの神事場?それとも精錬関係?
茶臼岳の上をヘリが旋回、救助があったみたい。山頂にはBさんご夫妻がいらっしゃったそうです。
3
10/22 10:31
茶臼岳の上をヘリが旋回、救助があったみたい。山頂にはBさんご夫妻がいらっしゃったそうです。
石造物群。左はH・11年の白湯山講先達の碑。
2
10/22 10:36
石造物群。左はH・11年の白湯山講先達の碑。
その隣に「白湯山常夜燈」碑。
4
10/22 10:37
その隣に「白湯山常夜燈」碑。
「安永八己亥年(1779)・・・・開田村・・」「七月吉祥日 (尊□院) 當所長兵衛」
2
10/22 10:37
「安永八己亥年(1779)・・・・開田村・・」「七月吉祥日 (尊□院) 當所長兵衛」
もう一つ倒れていた「白湯山常夜燈」碑。
4
10/22 10:42
もう一つ倒れていた「白湯山常夜燈」碑。
「明和五戊子天 七月吉日」(1768)「願主惣村中」
1
10/22 10:42
「明和五戊子天 七月吉日」(1768)「願主惣村中」
最右は「<アーンク(胎蔵界大日如来)> 白湯山百人講中」碑
3
10/22 10:43
最右は「<アーンク(胎蔵界大日如来)> 白湯山百人講中」碑
「文政五午年七月日」(1822)と読みました。
1
10/22 10:43
「文政五午年七月日」(1822)と読みました。
そして会いたかった(金剛界)大日如来坐像。
5
10/22 10:45
そして会いたかった(金剛界)大日如来坐像。
まずはその前にいらした不動明王。背面に銘があり、何とか「西光・・」と確認できました。
3
10/22 10:45
まずはその前にいらした不動明王。背面に銘があり、何とか「西光・・」と確認できました。
元は寛文十二年(1672)に建立されたが火災にあい、後に再建されたものみたいです。
5
10/22 10:46
元は寛文十二年(1672)に建立されたが火災にあい、後に再建されたものみたいです。
「文久三癸亥年八月八日」(1863)発願主は先達の西光院僧侶。
1
10/22 10:48
「文久三癸亥年八月八日」(1863)発願主は先達の西光院僧侶。
立派な石燈籠のものと思われる基礎が残っていました。
1
10/22 10:49
立派な石燈籠のものと思われる基礎が残っていました。
「安永四・七月吉日」(1775)、願主銘他があり、
1
10/22 10:49
「安永四・七月吉日」(1775)、願主銘他があり、
最後に石工銘もがありました。「信州仲伊那郡三日町石工藤八」高遠石工が関わっていたようです。見てみたかったです。
2
10/22 10:54
最後に石工銘もがありました。「信州仲伊那郡三日町石工藤八」高遠石工が関わっていたようです。見てみたかったです。
広場から山側へ行った所にある山之神社。こちらも地元の方による修復整備なされているようです。
2
10/22 10:58
広場から山側へ行った所にある山之神社。こちらも地元の方による修復整備なされているようです。
本殿前に石燈籠と石段、その脇には
2
10/22 10:59
本殿前に石燈籠と石段、その脇には
「妙見尊神碑」。「天保十四卯六月吉日(1843)願主惣村中」
2
10/22 11:00
「妙見尊神碑」。「天保十四卯六月吉日(1843)願主惣村中」
右の石燈籠「奉納常夜燈」は「安永八己亥年七月吉日」(1779)、「願主惣村中 世話人當所高根沢源治」。
1
10/22 11:01
右の石燈籠「奉納常夜燈」は「安永八己亥年七月吉日」(1779)、「願主惣村中 世話人當所高根沢源治」。
左は「奉寄進燈籠」
1
10/22 11:02
左は「奉寄進燈籠」
「安永三甲子歳」(1774)
1
10/22 11:02
「安永三甲子歳」(1774)
「施主 大金善左衛門」とありました。
1
10/22 11:02
「施主 大金善左衛門」とありました。
祭神は大山祇神。木花咲耶姫を山の神、良縁、子授け、安全子育ての神として合祀されているとのこと。
4
10/22 11:04
祭神は大山祇神。木花咲耶姫を山の神、良縁、子授け、安全子育ての神として合祀されているとのこと。
広場に戻って今度は川に向かって行きます。
2
10/22 11:10
広場に戻って今度は川に向かって行きます。
鳥居があるようです。
2
10/22 11:11
鳥居があるようです。
白湯山大権現 表参道一之鳥居
6
10/22 11:12
白湯山大権現 表参道一之鳥居
此方も戊辰戦争で倒壊していたものを近年、修復再建されたようです。工法等を説明した碑があります。
4
10/22 11:14
此方も戊辰戦争で倒壊していたものを近年、修復再建されたようです。工法等を説明した碑があります。
「奉再額」碑(文政六、1823)建立者銘多数。
2
10/22 11:16
「奉再額」碑(文政六、1823)建立者銘多数。
白湯山を遙拝。この先は急斜地でとても降りられそうもなかったので、上流方面に行ってみました。
3
10/22 11:17
白湯山を遙拝。この先は急斜地でとても降りられそうもなかったので、上流方面に行ってみました。
その途中に鳥居と石祠、「白湯山神社」の社号塔。こちらは神社の社務所跡のようです。
2
10/22 11:23
その途中に鳥居と石祠、「白湯山神社」の社号塔。こちらは神社の社務所跡のようです。
近くには如意輪観音。
3
10/22 11:25
近くには如意輪観音。
河床に降りると「那珂川源流」碑。ちなみにこの日KOサンはこの川の中流域をカヌー下りしていたそうです。
4
10/22 11:29
河床に降りると「那珂川源流」碑。ちなみにこの日KOサンはこの川の中流域をカヌー下りしていたそうです。
流石山を望みながら橋を渡ります。
6
10/22 11:30
流石山を望みながら橋を渡ります。
湯川の下流方面の眺め。
2
10/22 11:31
湯川の下流方面の眺め。
左は三斗小屋温泉方面。この辺りから適当に右の笹薮に入りました。
1
10/22 11:33
左は三斗小屋温泉方面。この辺りから適当に右の笹薮に入りました。
ゴミや人の痕跡がありました。堰の跡かな。
2
10/22 11:45
ゴミや人の痕跡がありました。堰の跡かな。
ガレ場のトラバース
1
10/22 11:57
ガレ場のトラバース
湯川の渓相
4
10/22 11:58
湯川の渓相
突然明瞭な道に出ました。
2
10/22 12:03
突然明瞭な道に出ました。
境界見出標がありました。(この道を逆に辿れば?次回の宿題)
とりあえず前方に進むと、
1
10/22 12:04
境界見出標がありました。(この道を逆に辿れば?次回の宿題)
とりあえず前方に進むと、
やたら立派な馬頭観音の石塔があり、此処がシズノ平でした!
4
10/22 12:07
やたら立派な馬頭観音の石塔があり、此処がシズノ平でした!
「寛政五癸丑」(1793)、「六月大吉日」
1
10/22 12:07
「寛政五癸丑」(1793)、「六月大吉日」
お馬さんのレリーフ。メタボ具合は如何でしょう?
4
10/22 12:09
お馬さんのレリーフ。メタボ具合は如何でしょう?
「願主 板室 室井五郎佐衛門 當宿 大金(与)左衛門 同 高根澤藤左衛門・・・・寄進當村中」オールスター揃踏みですね。
1
10/22 12:10
「願主 板室 室井五郎佐衛門 當宿 大金(与)左衛門 同 高根澤藤左衛門・・・・寄進當村中」オールスター揃踏みですね。
中央に二体の石仏、それを取り囲むように半円状に石塔、石仏が並んでいました。
1
10/22 12:12
中央に二体の石仏、それを取り囲むように半円状に石塔、石仏が並んでいました。
どうやらこちらは先達であった西光院僧侶の墓所のようです。
1
10/22 12:12
どうやらこちらは先達であった西光院僧侶の墓所のようです。
お顔は別のお方のようですが、お大師様かな。
3
10/22 12:13
お顔は別のお方のようですが、お大師様かな。
お背中に「享保十□三月吉日・・・」とあるようです。
1
10/22 12:15
お背中に「享保十□三月吉日・・・」とあるようです。
不動尊。「・・・・禅定門」とあるので墓碑ですね。
3
10/22 12:18
不動尊。「・・・・禅定門」とあるので墓碑ですね。
傍らに倒れていた「法印相道海」
1
10/22 12:23
傍らに倒れていた「法印相道海」
右から見ていきます。てっきり白湯山かと思ったら「白山大権現」「天保十己亥年四月八日(1839)願主弥治□郎」
2
10/22 12:23
右から見ていきます。てっきり白湯山かと思ったら「白山大権現」「天保十己亥年四月八日(1839)願主弥治□郎」
享保四己亥(1719)
3
10/22 12:24
享保四己亥(1719)
地蔵尊
2
10/22 12:25
地蔵尊
阿弥陀様かな。
2
10/22 12:25
阿弥陀様かな。
倒れていて気づきませんでしたが、こちらが「白湯山大権現」石塔でした。このザイルは引き起こそうとしたのかな?
1
10/22 12:26
倒れていて気づきませんでしたが、こちらが「白湯山大権現」石塔でした。このザイルは引き起こそうとしたのかな?
「明和六丑七月日」(1769)「惣村中」
1
10/22 12:26
「明和六丑七月日」(1769)「惣村中」
「延享元甲子天七月十三日(1744)/西光院第八世権律師祐(海)」
1
10/22 12:27
「延享元甲子天七月十三日(1744)/西光院第八世権律師祐(海)」
大日如来
2
10/22 12:28
大日如来
こちらも貫禄のある大日如来ですが、お顔が・・。
3
10/22 12:30
こちらも貫禄のある大日如来ですが、お顔が・・。
その隣の地蔵尊のお背中には「寶永六年六月八日」(1709)、今回確認した紀年銘で一番古いものでした。
1
10/22 12:31
その隣の地蔵尊のお背中には「寶永六年六月八日」(1709)、今回確認した紀年銘で一番古いものでした。
こちらの地蔵尊のお背中には「寛政十二申天六月・・(1800)/文化九申天四月十五日(1812)」童子?
3
10/22 12:32
こちらの地蔵尊のお背中には「寛政十二申天六月・・(1800)/文化九申天四月十五日(1812)」童子?
古いテープを辿り御沢の沢筋に向かいましたが、道形を失いました。
1
10/22 12:38
古いテープを辿り御沢の沢筋に向かいましたが、道形を失いました。
御沢の紅葉がキレイでしたが、愛でる余裕はありませんでした。
5
10/22 13:01
御沢の紅葉がキレイでしたが、愛でる余裕はありませんでした。
立派な角を持った鹿さんがいました。
4
10/22 13:12
立派な角を持った鹿さんがいました。
いかにも熊タンがお昼寝していそうな岩屋がたくさんありました。
3
10/22 13:30
いかにも熊タンがお昼寝していそうな岩屋がたくさんありました。
何度が徒渉を繰り返しましたが、概ね右岸を辿りのが正解のようでした。
5
10/22 13:36
何度が徒渉を繰り返しましたが、概ね右岸を辿りのが正解のようでした。
このあたりで猿の軍団に遭遇。ボスが相当大きくてビビりました。
2
10/22 13:48
このあたりで猿の軍団に遭遇。ボスが相当大きくてビビりました。
落石多発箇所のようです。
2
10/22 13:48
落石多発箇所のようです。
やっとのことで大滝が見えました。
6
10/22 13:58
やっとのことで大滝が見えました。
滝に辿り着き少しホッとしました。
8
10/22 13:59
滝に辿り着き少しホッとしました。
左岸を巻きます。思わず「龍田川紅葉乱れて・・・」
7
10/22 14:02
左岸を巻きます。思わず「龍田川紅葉乱れて・・・」
そしてこれが両部ヶ滝ですね。
7
10/22 14:14
そしてこれが両部ヶ滝ですね。
左股の雄滝はスッキリした一条の滝。
8
10/22 14:14
左股の雄滝はスッキリした一条の滝。
一方、右股は雌滝だけにホトばしっているようです。
8
10/22 14:15
一方、右股は雌滝だけにホトばしっているようです。
水しぶきの飛沫を浴びながら昼食休憩。
3
10/22 14:15
水しぶきの飛沫を浴びながら昼食休憩。
あの岩に僧の尊顔があるの?
3
10/22 14:16
あの岩に僧の尊顔があるの?
さて目的地はこの滝の上流部です。
5
10/22 14:25
さて目的地はこの滝の上流部です。
ちょっと怖かった崖と激藪を抜けると、何とも平和な道がありました。
3
10/22 14:47
ちょっと怖かった崖と激藪を抜けると、何とも平和な道がありました。
湯導管の所から、先程の右股の沢を辿ります。テープがありました。
2
10/22 14:49
湯導管の所から、先程の右股の沢を辿ります。テープがありました。
あちこち取水(湯)の施設が点在していました。
7
10/22 15:00
あちこち取水(湯)の施設が点在していました。
そしてここが白湯山大権現御神体の御宝前のようです。
2
10/22 15:05
そしてここが白湯山大権現御神体の御宝前のようです。
「社掌 人見義雄 社務員 伴多三郎 伴湊」ドーハンの所に銘があったのに気づきませんでした。「三斗・・大金・・」
5
10/22 15:07
「社掌 人見義雄 社務員 伴多三郎 伴湊」ドーハンの所に銘があったのに気づきませんでした。「三斗・・大金・・」
「昭和四年旧四月八日 再建」ちなみに四月八日は白湯山の開山日ですね。
2
10/22 15:07
「昭和四年旧四月八日 再建」ちなみに四月八日は白湯山の開山日ですね。
新湯殿山とも呼ばれたみたい。出羽三山を那須の地に勧請し独自の発展をみせたようです。三斗小屋口から御宝前に至るのが白湯山信仰、
2
10/22 15:08
新湯殿山とも呼ばれたみたい。出羽三山を那須の地に勧請し独自の発展をみせたようです。三斗小屋口から御宝前に至るのが白湯山信仰、
一方、那須湯本から月山(茶臼岳)を経てこちら(奥の院)に至るのが高湯山信仰で、それぞれ先達や別当は異なっていたようです。
2
10/22 15:10
一方、那須湯本から月山(茶臼岳)を経てこちら(奥の院)に至るのが高湯山信仰で、それぞれ先達や別当は異なっていたようです。
2
10/22 15:11
赤い祠は崩壊が進んでいるようです。神札もありませんでした。
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10/22 15:13
赤い祠は崩壊が進んでいるようです。神札もありませんでした。
最高点付近の白樺と紅葉
1
10/22 15:15
最高点付近の白樺と紅葉
何とか辿り着けて良かったです。
5
10/22 15:20
何とか辿り着けて良かったです。
ここからはピンクテープが完備
1
10/22 15:21
ここからはピンクテープが完備
枯れ沢を詰めて、案内に従って左斜面を登って行くと、
1
10/22 15:29
枯れ沢を詰めて、案内に従って左斜面を登って行くと、
主要路に出ました。入口の目印テープがあります。
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10/22 15:38
主要路に出ました。入口の目印テープがあります。
あのまま枯れ沢を詰めるとここに出たようです。
2
10/22 15:41
あのまま枯れ沢を詰めるとここに出たようです。
隠居倉から三本槍方面
5
10/22 15:52
隠居倉から三本槍方面
そして月山こと
5
10/22 15:52
そして月山こと
茶臼岳
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10/22 15:52
茶臼岳
主要路もこの時間だと誰も歩いていませんでした。
4
10/22 16:15
主要路もこの時間だと誰も歩いていませんでした。
紅葉の中に湯導管
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10/22 16:24
紅葉の中に湯導管
駐車場ゴールです。端正な黒尾谷岳が見えます。
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10/22 16:44
駐車場ゴールです。端正な黒尾谷岳が見えます。
その左には南月山。
2
10/22 16:45
その左には南月山。
上河内SA。三元豚カツカレー(750円)に宇都宮餃子(400円)。
餃子は多少時間がかかりタイムラグがありました。
9
10/22 18:48
上河内SA。三元豚カツカレー(750円)に宇都宮餃子(400円)。
餃子は多少時間がかかりタイムラグがありました。
栃木に来られたんですね。
お元気そうで何よりです。
また栃木に遊びに来て下さい。
またお会いできればと思います!
久しぶりの那須をじっくり堪能してきました。駐車場は満杯でしたが、自分が歩いたバリコースは鹿さんとお猿さんにあったくらい。幸運にも熊さんには会えませんでした(笑)
これからの時期はちょくちょく栃木の低山にお邪魔する予定です。
hide-sakuさんはいよいよ群百が佳境に入ってきたようですね。岩櫃は最近登りましたが、お手軽かつ楽しいお山でした またお会いしましょう! それでは。 godohan
熊に会わずにすんで良かったです。猿にも、会いたくないですね。猿もとっても怖いです。お馬のレリーフ、とても細かく可愛いく彫ってますね。馬頭観音の文字の力強さとは、アンバランスな気もしますが。若干メタボだけと、可愛いからヨシですね。
あのお馬さんはUさんにメタボ診断していただきたくアップしたので、うれしいです。
ほんと熊に会わなかったのが奇跡ぐらいのコースでした。熊さんも冬眠前に活動的になると思うのお互い気をつけましょう。それでは。 godohan
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