比良山地のササ峠道 朽木側から高島側へ辿る


- GPS
- 07:01
- 距離
- 11.9km
- 登り
- 1,197m
- 下り
- 1,183m
コースタイム
- 山行
- 5:41
- 休憩
- 1:15
- 合計
- 6:56
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2022年11月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
・ササ峠道の朽木側は現状では入口の標識にも書いてあるように、崩壊していますので通行止めになっています。熟達者が通過できる様に最小限の策は施されてされていますが、慎重に通過する必要が有ります。 ・高島側は危険な個所は有りません。古道が所々に残っていますが尾根は広くテ−プ類は無いので、地図で方向を決めてGPSで確認しながら下る必要が有ります ・栗木田林道からイクワタ峠までの登りはテープも有り、古道も残っていて高い方に登って行けば稜線の登山道に登り着けます。 |
写真
装備
個人装備 |
雨具
昼ご飯
非常食
地図(地形図)
コンパス
笛
計画書
ヘッドランプ
予備電池
GPS
筆記用具
ファーストエイドキット
保険証
携帯
時計
ツェルト
カメラ
|
---|---|
共同装備 |
無し
|
感想
今回は、以前から辿ってみたいと思っていた比良山地の古道の一つササ峠道を朽木側から高島側に抜けるのが目的です。
朽木側はyoutoushaさんが斜面の掘削、ロープの設置等で整備され、記録も多く有るのですが、朽木側は草川啓三氏の著書には記載されていますが、記録が殆ど無いので探索が目的です。
何時もの通り栃生の水地蔵の道路脇に駐車して出発。今日はいい天気です。P723を過ぎて少し登るとササ峠出合。トラロ-プを潜ってササ峠道に入ります。初めははっきりした道が続き、2番目の沢手前に「レスキュ-ポイント笹峠1」の標識があり沢横断手前にはロープが張られ安全に通過できるようになっていて有難いです。
3番目の沢の手前は傾斜がきつい斜面に狭い道が掘削されて獣も通っている様でしっかりしており楽に通過できますが、対岸は岩が分散していてトラバ-スするのは厳しいようです。谷底を覗くとyoutoushaさんが設置されたロープが有り一旦谷底に下りロープを利用して対岸の斜面を登ります。
4番目の沢の手前には「レスキュ-ポイント笹峠2」が有り、沢の手前と対岸にもロ-プが張られていて安全に渡れます。
5番目の沢手前にはイワヒメワラビの群生が有りますが沢の横断は傾斜も緩くなって問題なく通過できます。それ以降の沢の横断は問題なくルート全般に新旧のテープが有りル-トを見失う事は有りません。
ササ峠道は失われた個所が新たに掘削されたり、ロープが設置されてはいますが通常の登山道では無いので慎重に歩く事が必要です。
トラロ-プで遮断されているササ峠から高島側の入口からは東側と南側へ林道が伸びており、南側林道を辿るとP702が有る手越谷右岸尾根を下っている様ですが、途中で引き返し東側のササ峠道に戻り杉林の掘割状の道を下ります。
Co630m付近で北東方向のシロタ谷峠方向へ向かっている道と分かれて、草川氏の著書通り手越谷に降りている道を辿ります。道は手越谷手前で等高線に沿う様に左折し幅が広くなって来ます。最初は林道かと思ったのですが、等高線に沿っておりその内に下にも同様の平地が現れて来ますのでどうやら棚田の跡の様です。杉林になった棚田の跡は栗木田谷林道へ出るまで続きますが、これだけの面積の棚田を作る石を積み上げるのにどれだけの労力と年月を要したのでしょうか。
荒れた栗木田谷林道を石積みの砂防ダムの有る終点まで辿るとイクワタ峠への道標が有り、休憩後登り始めます。自然林の中の登山道は荒れていて初めは明瞭に残っていますが倒木等も多く、杉林の中を登るに従って消えてしまった所も有り痕跡を探しながら適当に登って行くと樹相が自然林へと戻頃、傾斜が緩やかになると稜線の登山道に登り着き少し登るとイクワタ峠に到着。
峠からは北〜東方面の大展望が広がります。風が有り少し寒いですが大展望をおかずに昼食。昼食中に2人の方が通過して行かれます。大展望を堪能後下山に掛かりますが、左足に力が入らないと感じた途端、躓いて転倒し顔を少しすりむきます。山での転倒は致命的な結果になりますので気を引き締めて下り、予定していた時間よりかなり早く栃生の駐車地に下山しました。
コメント
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年に一回は、歩いてみて、整備や確認を致したいと考えていますが、多忙な時期もあり、こうして、情報を頂けると、大変有難いと、感謝しています。
朽木栃生の旧庄屋さんのお話等から推察すると、笹峠道は、コメカイ道の危険性が大きい為、また、木炭・米等を、より安全に、より多く運ぶ為に、新たに開かれた様です。笹峠道の残っている部分の幅、傾斜などから推察すると、木炭生産の盛んな時期には、かなりの物資が輸送された様に思えます。人力だけでは無く、昔の役牛・役馬も活躍した様に思えます。
笹峠道は、地蔵峠で、コメカイ道と合流し、横谷峠まで北上し、旧高島市側の畑集落に降りた様です。横谷峠から畑集落へ下る道は、深く掘り込まれていて、恐らく、牛馬の引く、丸太二本に、枠組みをし、木炭等を載せ、急斜面の山道を下ったものと考えています。
地蔵峠〜畑集落間の山道の普請費用は、黒谷の庄屋さんが負担されたと伺っています。地蔵峠〜朽木栃生間の普請費用は、朽木栃生の当時の庄屋さんが負担されたそうです。
花折街道(現R-367)が整備され、馬車輸送・自動車輸送が始まる迄の、比較的短い期間、笹峠道は利用された様に、伺っています。
確かに牛馬を使役し大量に物資を運ぶにはコメカイ道より等高線に沿って作られた笹峠道の方が有効だと思います。又、高島側の笹峠道も稜線で最初に作られたコメカイ道に合流させた方が費用も掛からず合理的だと思います。ご教示有難うございます。畑の棚田もそうですが、高島側のイン谷、手越谷付近の棚田の跡を見る度に、先人の米(食)に対する思い(執念)を感じます。
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