南ア深南部第三弾、大無間山〜田代から(下山明神へのGPS不可
- GPS
- 34:05
- 距離
- 20.2km
- 登り
- 2,372m
- 下り
- 2,276m
コースタイム
- 山行
- 7:26
- 休憩
- 0:51
- 合計
- 8:17
天候 | 快晴無風 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2022年11月の天気図 |
アクセス |
写真
感想
グレートサミッツ最終章 NO63
南ア深南3弾、大無間山へ田代から(明神方面のGPS不参照)
大無間などは50年前(高校生)の頃から知っていたが、その意味は理解できず。光から始まるヤブの天井山塊12キロの尾根末端にある。高度変わらない天井のヤブのままで、手を伸ばせが美味しい空気が吸えるのに(森林限界)、わずかに背丈が数百m足りないために、ボサの深南部(静岡のやぶ山)と呼ばれる。光と大無間の高度は200mしか違わない。そこから残り3分の1で、いきなり大井川に落ち込んでいることなどは昨日知った。
天井に吊った蚊帳が、頭上で波打っているのと同じで、末端で崖の様相で畳に裾を引きずる。ああそれを承知でまた行くのだ。
小無間への崩壊地が登れなければその手前で引き返す。ギリギリ登れたら、帰路は安全尾根で下山して、回収に林道7キロ。万が一平気だったら同ルートで戻る。上で景色楽しむなら夕暮れ前過ごして、夜はどこかで寝てしまう。少しくらいの冷たい雨なら、喜んで濡れてやろうの、複雑多岐な選択肢という登行前の意思。通常荷物に、シュラフ、ツェルト+1日食料分重い。コンロ持たず。
さて東名島田から現地へ。田代の中に表示があり、砂利山道の突き当り神社にPとは親切だ。7時前すでに明るく登りだす。最初はほとんど杉植林、後にヒノキの中。1時間以上して、ようやく原生1200mで最後の紅葉している。
急になりぬるくなり、1796mが小屋のピークでここから稜線か。アップダウンが数回で、その鋸ピークの後の最後に崩壊地にでる。ああ森林の中に崩壊した衝立岩があるぞ。対岸のこちらからだと右尾根登るように見えて緊張し、しかし足元まで出てみようと進み、すると左ヤブ境目だったことが分かる。ああ少し安心。細いの渡っていよいよ。お助けトラが3本垂れていて、補助につかまって実質はザクザク10m程度なもので、慎重にどうにか登りきる。通過できたの安心感。後はヤブの急登。何度も振り返る。
スタートして小無間まで7時間。相当なもんですね、最近は。原生シラビソに感心しながら、実はシラビソとオオシラビソは似て非なるものかなど考えながら、時々隙間から大無間が見えたりして、後はどこで泊まろうか。今日中にたどり着けなく、明日は往復するからあまり進まず、中無間辺りにした。
冬用シュラフだが夜間は相当寒いね。震えて朝に。6時明るくなってテントデポで継続。大無間近づくと、岩尾根に景色開けて、向こう池口の双耳峰って、案外目立つよねの認識、登っただけに余計親身になる。右にテカリあって、石は見えない。よりも聖と、赤石。荒川も。3000m美人に見とれるのはよくないが。そこの青柳、山伏はあまり興味ないんだ。
ようやくついに大無間でました。大無間とは、掛川の粟ヶ岳神社によれば、限りがない強欲の果てらしいが、意味不明。太い原生シラビソの別天地で、北八ッの火山性シラビソとは、明らかにこちらの方が出来が立派である。嫌になるほどの原生。
向こうにも横にも踏み跡はあるが、さあ戻ろう。目標達成してちんたらムードで、日帰り2人とすれ違い。テント回収して小無間で2人目の人に。私赤石温泉の表示に従って下山とは、きっと二度と来ないなら両方のルート認識とね。回り道は大好きだよ。
テープの多い道を鉄塔1400m辺りまでは正確に下山。以降は間違えたために参考にしないように。大井川があってこその深南部の山。そういう脂っこい山域があることは理解し始めたが。
(失敗談
失敗した後味の悪さは如何ともしがたい。帰宅後に詳細に見ると、小無間からの長大な尾根から、明神橋に向かう急斜面への下降点は、正確に実行した登山者のGPSを見る限りでは、標高1310mから下降に入っている。ところが尾根上の1270m地点には、巨大な鉄塔が建っていて、その辺り中部電力の監視路(踏み跡)や、植林作業の幹に巻き付けている青テープが出てきて、私はその鉄塔下まで誘導されてしまった。この時点で下降点を過ぎて、登山道ではない奇妙な踏み跡を下山していたことになる。たしかに赤テープが激減して困った状態にはなっていた。左斜面を気にしながら歩くが、その辺りでも、監視路表示とか、赤テープ2か所は確認できたが、その次のテープがない。
地形図にはこの登山道は記入されていないし、私の認識はおよそその辺りから、左急斜面に下る矢印を地図に入れているだけで、下降点と鉄塔の高度差40mなどは、誤差の範囲で気にしていなかった。それにどうやら正規に下降した1080m地点にも同様な巨大鉄塔があるようで、私は1270m鉄塔とそれを勘違いもした。
こうしてテープがない斜面を急降下する意思が出ずに、地形図そのままの尾根は、案外緩やかで末端まで下山できそうに思って、しかも植林作業が明らかに続いていて、ルートを外れている認識になったが、これを実行することにした。どうせ南アは鹿の食害でやぶ漕ぎがない。下草のない丸坊主なら、正規の踏み跡も、道なき斜面に踏み出すも似たようなものだ。
さて、私は鉄塔に出ただけですでにルートは外れていたのだが、過ちの認識がなかった。それはそれ以降も2か所の赤テープ(もしかして植林作業のテープか)を確認したし、ルート表示の方が明らかに不親切で、このルート逸脱は整備側に責任があると思い続けた。そこまで堅実に降りてきたし、登り返してもルートを探せるはずもないとも思った。
下山してから地元に聞いたが、この明神沢からは、「登山道ではない」ということ。つまりルートの管理責任者(通常は地元市町村であり、委託された山岳会)が不明で、任意の者が勝手にマーキング登下降していると。登山道とは、田代からのものが正規だ。どうせ見通しが聞く地点である。50m向こうでも、100m向こうでも、紛らわしいところは表示が欲しかった。夏山でこの手の間違いは、初めてでもあった。
さて道は違ってもすんなり下山できればよかった。その尾根をどうにか末端まで下ることはできた。そこは井川〜畑薙の自動車道である。ところがその不安定山道には、落石防止ネットというものが設置されていた。それは例えば神戸製鋼辺りが、頑丈な吊り橋かけるのと同じように、岩盤にアンカーを取って、直径5センチものワイヤーを張り巡らして、のり面全体に頑丈なネットを張る、あれである。巨大落石でも防げそう。そのこちら側に降り着いたが、直前に嫌な予感はしたが、このネットを出られなくなった。こちら側のサルになってしまった。微塵の隙間もない。「そういう危険物を作るか」と悪態もいいたくなった。防鹿ネットでも、どこかに隙間はある。
通行する車を停めて「どこか出られる隙間は見当たりませんか」と声を掛けるが、「ないですね」。すぐ隣、枝尾根一本越えた次の沢の下は少し開いていますという。そのネットひょいひょいと登って回るとかどうでしょうと、一般的なことはいうが、サルじゃない限り無理だ。枝尾根登ったが、向こうはザイルがないと降りられない。
そのドライバーは心配して再度現れた。白樺荘に相談しましょう。といい、私はネット目の前から離れて、地上20mの地点に座り込んだ。しばらくして、荘の管理者、警察、消防救助がくる大騒ぎになってしまった。
仮に自力帰還するなら、そこから鉄塔まで高度差400m登り返して、左斜面からテープ探してルートに戻るかと、3時間はかかる。しかし気持ちは下山しているように、大いに疲れた。荘管理者は「ビバーク装備は持っているんですね」とは確認された。ただその場で、先のテープの件をいい、負け惜しみのような抗弁したが、相手の承知していたようだった。
暗くなってきて諦め、少し上の安定地点に登り返そうと思った頃、消防救援数人がきた。消防救助とは、ある時にはクライマーであり、トランスランナーでもある実戦部隊。少しやり取りがあったのに、再度私は事情を説明することになった。
「その下までは降りられます。そこでネットから出られる方法でもあれば簡単な話だが」
救援は、私が怪我している可能性や、この20mが降りられないなど、他の要因も探っていたようだ。要件伝えると、なぜかまもなく「ああ、出られますよ」。そして「私が試しに入りましょう」と、ヘッドライトがこちら山側にきた。「まさか」どうやってと思う。最初から、2時間も前から、その簡単な出入りを願っていたのに、先のドライバーも、先に来た荘の管理者も探せなかったものを、救援は探せた。地面まで張り付いたようにピッタリしたネットのスカートを、一人の男がえいっと、満身の力で持ち上げると、そこに30センチほどの隙間ができた。そこをもう一人が出入りしたということだ。あり得るのかそんなことが。
ならば真っ暗でもライトでどうにか下れる。下り始めて落石して大声上げたが、その一言で消防クライマーもこちらのことを理解してくれたか。急土砂斜面をザクザク降りながら「いい装備してるじゃないですか」。何のことだ。
すぐに降り着く。どこだと思えば左端。「前後入れ替わりますよ、荷物降ろして」。空身になって、先に出ようと隙間に入る。げ、狭い。閉所恐怖になりそうだが、ほんの一瞬で本当に出られた。「大変ありがたいでした。こんなことになろうとは」。「よかったですね、どうにかでられて」。巨大ネットもバカ力でどうにかなるのか、いや一人では無理だとはこのこと。途中で挟まったらそれこそ逃げられない。
心拍数の確認、聴取などがあった。すでに真っ暗、回収に7キロ移動が残るが、護送。山中はまだ18時だというにの「夜間の山道は危険ですから、車中滞在して、明るくなってから帰宅お勧めします」とは言われたが、さすがに12時間そこで待つわけにもいかず、ノロノロと帰った。それ以上の大事に至らなくよかった。道を間違わなければよかったのだが、いくら不親切でいい加減な道だったとしても、承知で入山しているのだから、仕方がない。なら一層、前登行者のGPSをこちらにコピーまでするなら、この行為はなかった。
ちょっと譲って、ルート喪失の中では最善の対処ではあったか。しかし道路には簡単に降りられないことがあるものだ。雪国では、そこが雪崩シェッドなどいう、トンネル屋根上にでると、下には降りられない。3月以降のブル除雪あとなどは、3mに渡って切り立って、下の道路にすら降りられない。山の人工物とは大いに危険なり。
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