記録ID: 49663
全員に公開
ハイキング
九州・沖縄
トホレコ(日本縦断徒歩旅行の記録)55・川内川から吹上浜へ。
2006年12月22日(金) 〜
2006年12月24日(日)
- GPS
- 56:00
- 距離
- 79.9km
- 登り
- 632m
- 下り
- 635m
コースタイム
12/22 オガタマ酒造見学、市比野温泉。
12/23 田苑焼酎博物館訪問、冠岳園徐福伝説。
12/24 吹上浜ナイトハイク、クリスマス上等。
12/23 田苑焼酎博物館訪問、冠岳園徐福伝説。
12/24 吹上浜ナイトハイク、クリスマス上等。
過去天気図(気象庁) | 2006年12月の天気図 |
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アクセス | |
コース状況/ 危険箇所等 |
12/22 哀しい気持ちに夜が明けた。外は真っ白な霧の中。テントもしっとりと濡れている。陽が高くなるにつれ、それもどんどん晴れて、さはやかな朝の景色が広がってゆく。ウレシイネ。 昨日は思い返すもただひたすらに情けない一日だったが、今朝は気分もすっかり晴れて、颯爽と歩きだす。川内川に沿って続く道には、朝の散歩を楽しむ老人の姿も多い。大きな煙突のシルエットが遥か遠くに見えている。何かの工場でもあるのだろう。風に乗って切れぎれに、吹奏楽の音が聞こえてくる。何処かに中学校でもあるのだろうか。それが実に覚束なく、聞こえるかと思えば空耳のやうでもあり、そうかと思えばちょっとした風の加減で、川岸に続く民家の開け放たれた窓からでも流れてくるやうにはっきり聞こえたりする。どうも噂に聞く、本所の狸囃しのやうでもある。 「踏切よ、ここは・・・。」などと言って、静かな翼の抑揚に、 てふてふが旅人の歩みを押し止めたりするのはこんな時ではあるまいか? そんなことを思いつつ歩いて行くと、次第に楽の音ははっきりとしてくる。どうやら「世界に一つだけの花」だとか、「ジュピター」なんかを練習しているやうだ。さはやかな、さはやかな朝のマーチに乗って、足取りも軽く進んで行く。やがて小学校の脇を通り過ぎる。まさか小学生の演奏ではあるまい。 薩摩川内は結構大きな町である。ちょっと目に付いた酒屋さんを冷やかしてみる。どんな焼酎を置いているのか興味があったので。驚いたことに『薩摩茶屋』がある。これは例のプレミア焼酎『村尾』で有名な村尾酒造のお酒である。『蔵の神』と抱き合わせで二本3500円の値が付けられている。安くねぇか?たぶん札幌なら『薩摩茶屋』一本でも3500円じゃ買えない。というか、普通の酒屋では置いてないだろう。さずが本場である。などと感心していると店のご主人が気さくに利き酒を勧めてくれる。はっきり言って、ここでお酒を買うつもりは一切無かったし、今日はまだ沢山歩くつもりだったので躊躇していると、 「まあ、香りだけでも。」 などと盛んに勧めてくれる。折角なんで、少し試してみる。『薩摩茶屋』はいかにも本州で人気の出そうな、スッキリとした味わい。勿論「かほりだけ」なんていう上品なことが出来ようハズもなく、したたか酔ってしまった。この調子だと何処かで『八幡』にお目にかかれるかも知れないぞ?と期待も高まる。(『八幡』は高良酒造というところのお酒。以前は鹿児島から取り寄せてよく飲んでいたものだが、焼酎ブームの到来とともに入手が困難になっていた。) 調子に乗って薩摩川内の駅前でも、もう一軒酒屋を冷やかしてみる。こちらはそれほど取り扱っている銘柄は多くなく、主にオガタマ酒造と山元酒造のものを置いているようだ。聞けばこの二社は資本が同じなんだとか。オガタマ酒造の酒蔵がここからすぐ傍で、見学も出来るという事だったので、さっそく行ってみることにする。ちなみにオガタマ酒造の主要銘柄は『鉄幹』である。 薩摩川内の駅を越えて、内陸に小一時間も行くとオガタマ酒造に到着。丁度お昼時で、酒蔵には人影がない。仕方ないので近所のスーパーで暇を潰して、1時過ぎにもう一度出直してみる。今度は事務所の人が出てきて親切に案内してくれる。こんな薄汚い若者が一人、アポなしでやって来ても丁寧に応対してくれるのだから良心的だ。発酵中のもろみなどを見せて貰った。甕の中でポコポコと元気に弾けている。これが「甕壺仕込み」ってやつか。甕は床下に埋め込まれていて、口だけが床の上に並んでいる。仕込みの甕は大体こんな風にしておくものらしい。蒸留機のところで「ハナタレ」を飲ませてもらう。ハナタレとは蒸留して一番に出てくるお酒だとのこと。「初垂れ」とかって書くのかもしれない。割り水もしていない生の焼酎はアルコール度数も高く、味がよく分からない。なんでも有難い味がした。 オガタマ酒造では蒸留に木樽を使っている。これは国産のものらしいが、この樽を作る後継者がいなくて、今作っている爺さんが隠居してしまうと手に入らなくなってしまうのだとか。木樽を通すことで風味が増すんだそうで。もし『鉄幹』の風味が落ちたな?などと思うやうな事があった時には、「樽爺に何かあったのかもしれない・・・。」と疑った方がいい。 『鉄幹』はわりとよく見る銘柄なので大規模にやっているのかと思っていたが、オガタマ酒造は思いのほかこじんまりとした酒蔵だった。社員は40名ほどで、年間八千〜一万石を生産するとのこと。そう言われても多いのか少ないのか、一切見当が付かない。もっとも単位をリットルに直したところでやはりピンと来ないだろう。11月に来ると、麹の仕込みとか芋の裁断なんかも見学出来るそうだ。12月も下旬になると仕込みは殆ど終わってしまうものらしい。それでも非常に満足して酒蔵をあとにする。オガタマ酒造、いいとこだったなぁ。道理で『鉄幹』美味い訳だよ。また機会があったら訪れてみたいものだ。 ここまで歩いてきた道を更に内陸に向かって進むと「焼酎資料館」という施設がある。なんとも蠱惑的な名前である。そちらにも足を伸ばしてみたが、なんだかんだで到着が日暮れ近くになってしまった。いちいち歩いて移動しているもんでね、どうしても時間が掛かってしまうのよ。この焼酎博物館は大手酒造会社「田苑酒造」の持ち物らしい。生憎と閉館時間が4時と意外に早く、すでに閉まった後である。まあ、明日また出直すか?出直さねえかな・・・。 という訳でさらに進んで市比野温泉へ。スーパー銭湯風のところで入浴。ここの湯は無味無臭のあっさり系で、温泉だと言われなければ分からないかもしれない。それでもやっぱり気持ちいいねぇ。何しろ、かれこれ一週間ぶりの風呂である。湯上がり、キリンレモンなど飲みつつぼんやりしてると、受付のおばちゃんが「ごめんね、柚子入ってなくて。」などと話しかけてくる。何の事かと思ったら、実は今日が冬至なので。冬至のゆず湯か。クリスマスかぶれで浮ついた世間では忘れられがちなイベントである。別に温泉なんだし、ゆずなんか入れるまでもあるまい。充分温まる。親切なおばちゃんでお土産にタオルを持たせてくれた。 丸山公園とかいうところで野営しようと思ったのだが、道はかなり急な登り坂。その上異常に暗い。何しろ目の前の暗闇があまりに深く、一歩先に地面が続いているのか奈落が口を開けているのか、それすらどうもはっきりしない。不気味の感に耐えず、引き返して道の駅の裏で寝る。近くにコンビニがあったせいで、若者がぴーひゃらひゃらといとうるさし。 12/23 今朝もまったりとした霧の朝である。テントのすぐ後ろにある軽食スタンドがガチャガチャと開店の準備を始めたので、うどんを掻き込んで早々に出発。あたりはまだ霧の中。 少し戻って昨日の焼酎資料館を再訪してみる。田苑酒造っていうと麦焼酎のイメージだが、芋焼酎も作っているらしい。ブームに便乗してのことなんだろうか?それにしちゃ、資料館まで構えて随分な熱の入れようである。 施設内に突撃を敢行すると、可愛らしい女の子が応対してくれる。まずは視聴覚室みたいなところに連れて行かれて、そこでビデヲを見せられる。これが良く出来たビデヲで、これさえ見ればたちどころに焼酎作りのウンチクなど語れるやうになってしまうという優れもの。田苑酒造では何でも発酵中のもろみにモーツァルトなどを聞かせているそうだ。僕もモーツァルトが神なのは認めるが、もろみに聞かせるってのは如何なものか。ビデヲではクラシックを流したときに水面に起きる波紋の形などを見せて、「だから発酵が進むのれす」という風に説明していた。実際クラシックを流した時が一番よく発酵するというデータが出たそうで。わお。多分ジミヘンやストーンズなんかも聞かせたんだろうね。 先ほどのお嬢ちゃんはビデヲをセットしてしまうと何処かへ行ってしまった。なんだ、あの娘が案内してくれるんじゃなかったのね。替りに恰幅の良いおっちゃんが何処からともなく出てきて、酒蔵の方へ案内してくれる。よくしゃべるおっちゃんで、こちらが言葉を挟む余地ってものを一切与えてくれない。それが向こうの作戦なのかもしれない。単におしゃべりなだけかもしれない。田苑酒造でも仕込みは殆ど終わってしまったとのこと。やはり酒蔵見学は11月が良いやうで。 田苑酒造ではほぼ全ての作業工程が機械によってオートメーション化されているとのこと。僕の好みから言えばちょっとがっかりな話だが、工場的にはそれが自慢なんだそうで。仕込み樽もステンレス製。田苑酒造のやうな規模の大きい会社になるとある程度の生産量がないと会社が立ち行かない、という事情もあるという。オガタマ酒造とは方向性がまるで違うのだ。しかし芋の裁断だけはどうしても機械化出来無いらしい。切り方ひとつで発酵の度合いが違うんだとか。この工程だけはおばちゃん方の華麗な包丁捌きが頼りなのだ。なんだかちょっとほっとする話である。 一通り工場を見せてもらったあとは、いよいよ焼酎資料館へ案内される。古い酒蔵を改装して利用している。熊本にあったものを譲り受けて移築したそうだ。風格のにじむ立派な建築である。ここであれこれ試飲させてもらう。田苑酒造という会社は技術開発を熱心に行っている会社で、いろいろな種類のお酒がある。酒粕を蒸留したお酒、なんていう変ったものもあった。吟醸酒のやうなさはやかな香りで美味。もろみ酢なんかも美味しかった。建物の一角に並べられた甕は古酒を仕込んでいるのだという。これも飲ませてもらったが、芋特有の甘味が抜けてキリリと引き締まったやうな味わいがあった。(ちなみに「芋焼酎で古酒」という試みをはじめたのは前述の高良酒造である。「古八幡」という銘柄。飲んだことはない。見たことすらない幻の酒。)あれこれと飲み比べをしながら、焼酎の話を色々と聞かせてもらう。高い技術を誇る田苑酒造でさえ、麹を自社生産することは出来無いと言っていた。信じがたい話だが、鹿児島で麹を作れる会社というのは一社しかないのだそうだ。そんな話を聞きながら、ふとおっちゃんの背後の壁に目をやると、焼酎のポスターが貼られているのに気付く。鹿児島県の地図の上に、全ての酒蔵が網羅されていて、酒蔵からの一言やおすすめの一本などが付記されている。なんてオサレなポスターなんだらう。鹿児島県内の酒蔵は全部で110前後しかないそうだ。ボルドーの格付けシャトーとほぼ同じ数である。覚えておいてウンチクをタレるのに丁度いい。 「いや、実に良いポスターですね。」 「お、こいつに目を付けるとは、お目が高いね。」 「是非一枚欲しいものですが、何処へ行ったら手に入るでせう?」 「そんなに気に入ったのなら、よござんす。差し上げませう。」 などという展開を期待して、おっちゃんに聞いてみたが、 「さあ、分からないねえ。商工会議所にでもいけばあるんじゃない?」 とつれない返事だった。あのポスターを眺めながら一杯やったら、さぞや酒が進むだろうね。欲しいなぁ、あのポスター。 焼酎資料館を出てみると、霧はすっかり晴れてしまって、今日もまったくの晴天である。川内川に近いこのあたりでは放射冷却で冷え込むと、大概こんな感じの天気になるのかもしれない。 市比野温泉へ引き返す。昨日入ったスーパー銭湯風の温泉施設を過ぎると、その先が実はこの温泉街の核心部のようだ。仲々味わい深い町並みが続いている。温泉街を抜けてしまうと、麗らかな田んぼ道となる。程なくして大きな分かれ道に出る。ここを左に取って南へ進んで行くと鹿児島市に着くハズである。多分鹿児島まで二日もかからない。僕は大晦日のフェリーでヤマトをあとに琉球に向かうつもりである。まだ多少時間に余裕があるのでもう少し薩摩半島を歩いていてもいい。ということで、この分岐を右に取って串木野へ向かう。ちょっとした峠越えだ。 山道を黙々と歩いていると、路傍に「冠岳園」の看板を見付ける。前にもちょっと書いたが、僕は山元酒造の『冠嶽山』という銘柄が好きである。ひょっとすると何か関係があるのかもしれない。というわけで、ちょっと寄り道してみる。花川という河川の流域が土石流対策という名目で大々的に作り替えられていて、こそにちょっとした中華風の庭園など築かれている。なんでも徐福伝説にちなんでいるとのこと。徐福伝説ってのが何なのか今ひとつよく分からない。全国には「モーゼは実は日本で死んだ」とか「チンギスハンの正体は実は義経である」などという根拠の分からない伝説が散在している。多分この「徐福伝説」なるものも、それに類したユルい伝説なんだろう。確か、「冠嶽山」のラベルにも徐福伝説とかって書かれていたように思う。この徐福伝説にどんな根拠があるのかは不明。別に調べてみようというガッツも湧いてこない。土石流対策をしていることからも分かるように、この公園周辺は崖の多い険しい地形である。仙人岩周辺には洞窟などあり、修験道の修行場なのだそうで。意味もなく岩場をよじ登ったりして、ひとしきり遊ぶ。あっさり筋肉痛になってしまった。徒歩旅行なんてことをしていると、どうしても上半身がナマり勝ちなものだ。ここで遊んでいるうちに、何時の間にか時計は3時を回ってしまう。太陽の光も弱々しい限りだ。串木野へ向けて、ペースを上げていく。 串木野郊外の直売所で葉にんにくやトマトなどを購入。駅で小休止。北大東島へ行く船便を調べてなかったことを思いだし、時刻表を繰ってみるも載っていない。おかしいな?たしか那覇から船が出ているはずなんだが。恐るべし、北大東島。ある意味韓国や台湾なんかより遠い存在なのかもしれない。 串木野郊外に市来海水浴場というのがあるようなので、野営地としてあてにしていたのだが、何時の間にか通りすぎてしまったらしい。どうやらちょっとした運河の向こうにあったのを見落としたもののやうで。暗くてよく分からなかった。泣きながら戸崎の漁港まで歩いて野営。 12/24 夜通し人がテントの脇を通りかかって、落ち着かなかった。多分釣り師だろう。隅っこの方に場所を選んだつもりだったが、堤防への通り道になっていたらしい。よく寝付かれもせず、何時になく早起きしてテントから顔を出してみると、その釣り師たちのシルエットが今生まれたばかりの朝陽に逆光となって浮かび上がっている。神々しいやうな景色である。堤防の上の釣り師ってのは被写体としてバカにならない時がある。今朝がまさにその時だ。寝ぼけ眼をこすりつつ数枚の写真を撮ったあと、おもむろにデータを残しておくためのノートを取り出す。日付を入れようとして愕然とする。なんてこった、今日はクリスマス・イヴって奴じゃねえか。ジーザス・・・。ま、今の俺には一切かんけーねーな。 戸崎の漁港をあとに270号線に復帰。道沿いに点在する直売所など冷やかしつつ歩く。日曜ということもあり沢山の人で賑わっている。ま、クリスマスということもあるしな。ミカンなぞ買ってみる。九州に来てから何かっていうとミカン喰ってる気がする。ソテツが植樹された広々とした道沿いには、右手に海、左手に崖が延々と続いている。この断崖がシラス台地の端っこってことなのだろうか?頭上には青い空。さはやかで開放的な道である。この道を“ザッツ・シラスロード”と名づけた。 道はずっと海沿いを続いているはずだが、四六時中海が見えると言う訳でも無い。この辺の海岸、吹上浜は日本三大砂丘に数えられているそうだ。鳥取砂丘の他、もう一つが何処なのか見当もつかない。折角なので砂浜を歩いてみたいと思い、国道を離れ脇道を海へと向かう。緩やかな丘を越えていくとやがて砂浜に出た。そこには、名にし負うの吹上の砂浜が、静かに、静かに、横たわっている。先ほど買ったミカンなどヤケに頬張りながら、しばらく黄昏てみる。波打ち際にはキレイな貝殻が幾つも落ちている。乙女チックにマクロ撮影など敢行。 人っ子一人いない砂浜をトボトボと歩いている。ここはクリスマスなんかとは無縁の国だ。小一時間も行くと河口で行き止まり。すぐ脇の斜面を上がると自転車道が整備されている。今度はこれを辿っていく。静かだ。静かすぎる。公家さんが世を儚んで出家を決意したりするのは案外こんな時かもしれないぞ?などと思いつつ歩いていると、しばらくで直売所に到着。覗いてみると、焼き芋が一本100円と安い。信じがたい安さだな。「安納」という品種を一本食べてみる。いとうまし。何なんだろう。食べたことのない食感。焼き芋というと「ホクホク」というイメージなのだが、安納という芋はべちゃーっとしている。それが良いのよ、美味いのよ。調子に乗ってきな粉もち、つけあげなどを購入して食べながら歩く。つけあげの原材料にはごぼう、卵、澱粉、シイラ、etc・・・とあった。シイラなのね、これって。 再び自転車道をトコトコと吹上浜公園まで。仲々立派な公園である。ここから一度国道に戻ってみる。そろそろ町にでないと晩飯の買い物など出来そうも無い。このあたりの辺鄙さといったらハンパねーからな。程なくして吹上町の中心街に突入。なんつーか、物静かな町であることよ。さひわひにしてAコープがあった。今夜はクリスマスだしそれっぽく・・・ということでサワラと厚揚げを購入。聖なる味噌煮込みでも作ろうかという寸法である。 閑静な町並みを冷やかしつつ歩いていたら、西酒造の看板を見かけた。「富乃宝山」で有名な酒蔵である。割とこじんまりした酒蔵のように見えた。まあ、個人的な思い入れが別になかったので素通り。もうそろそろ陽が傾いてきた。何とか万之瀬川の橋の袂くらいまでは行きたいものよ。 ここまで辿ってきたサイクリングロードは吹上町あたりでぷっつりと切れてしまう。このサイクリングロードは昔の軌道跡のやうである。終点近くには朽ちたレールや枕木が転がっていた。 右手にまん丸の夕日を見遣りつつ先を急ぐ。270号線に戻ったあたりからだいぶ海から離れてしまったようだ。出来るだけ海沿いを歩きたいのだが、吹上浜周辺は僕の使っている地図では丁度切れ目の部分に当たっており、どうにも地図が読みづらい。一番はっきりした道を道なりに適当に歩いて行く。辺りは見渡す限りの畑。これ全部薩摩芋なのだろうか?やがて風情のある釣鐘堂の下に出る。随分古いもののやうに見える。一応カメラを向けてみるが、既に日没後で露光に乏しく、ファインダーには暗いシルエットだけが浮かぶ。これではシャッターを切ったところで何も写るまい?無駄とは思いつつ、敢えてピンボケで一枚撮影。 「京田海岸入り口」の看板を見付けたのでそちらへ行ってみる。道は松林の小高い丘を越えて夕闇の向こうへ消えている。その登り坂に差し掛かった時、出し抜けに背後で暮れ六つの鐘の音が響いた。先程の釣鐘堂から聞こえて来るのに相違ない。風情というにはあまりにも寂しすぎる夕暮れの点景。 暗闇の道を小一時間も辿ると砂浜に出る。海水浴場とは行っても、ただ茫々たる景色が広がるばかりで水を汲めるやうな施設とてない。仕方ないので砂浜に沿って南へと歩いてみることにする。悪くとも万之瀬川まで行けば何とかなるだろう。沖の方に幾つかの漁船の明かりが見えているが、他には民家の明かりとてない。三日月の薄明かりの下、シギシギと砂を踏んで歩いていると途轍もないサウダージに襲われる。なんだって俺はこんな時間にこんな所を歩いているんだろう。何度も言うが今夜はクリスマス・イヴである。この同じ夜空の下で幾千、幾万の男女がヨロシクやっているに相違ないのだ。なにが哀しうて俺は飯も喰わずに独り歩いているのかなぁ。不思議なもので、これはこれで悪くないやうな気もしてくる。景気づけに大声で歌など歌ってみる。懐かしのサザンオールスターズ・メドレー。熱い胸騒ぎ、10ナンバーズからっと、タイニー・バブルス。みんな空で覚えている。決して忘れない名曲の数々。波打ち際に時折、小さな青い光が明滅しているのに気付く。夜光虫ってやつだろうか?よく分からんが儚くも美しい。 そろそろ8時も回ろうかという頃、ようやく万之瀬川の河口を見る。だだっ広い砂浜のずっと向こうの方で何やら怪しげな人影が動いているのが見える。ヘッドライトの光が闇を切り裂く。何だろう?まさか北朝鮮の工作船か?そんなハズはないのだが、こんな闇夜の人気の無い場所では、人間が一番怖い。冷静に考えればこっちが不審者なのだが、ビビってヤブの中の踏み跡をダッシュ。北海道の林道で熊のフンを見付けた時と同じくらいの素晴らしいスピードで松林を抜けると、綺麗に整備された公園に出る。遊歩道をしばらく辿っていくと橋の袂に巨大な四阿を発見。僕の小さなテントなら4〜5張り張れそうだ。公園だから水道だってあちこちにある。これでひと安心。何だかひじょーに疲れたな、今日は。 夕食後、ラジヲを点けたら赤坂泰彦がベタなクリスマス番組をやっていた。一日の終わりに、ようやくクリスマスっぽくなって来やがったね。僕はこう見えて、クリスマスだってそれほど嫌いってわけじゃあないんだよ。この番組の終わりにゲストの押尾コータローというギタリストが「メリー・クリスマス、ミスター・ロレンス」を弾いた。仲々の演奏で今でも印象に残っている。 この番組が終わってしまうと、あとはNHK-FMのナイトエッセイが入るくらいで、AMは中国語とロシア語が飛び交うばかりだ。侘しい。侘しすぎるぜ、ミスター・ロレンス? |
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おうよ、根津君元気そうだな。
「古八幡」なぁ、岐阜に売ってたぞい5年前に。次回見送後それっきりと、そりゃないよシニョール!
それはそうとなネズよ、来週末九州は熊本の市房山麓で、あの有名な海外溯行同人が総会を開くとな。そこがよ、市房キャンプ場でな、我らが12年前世話になった中嶋”barry”秀則氏の資材置き場のすぐ側なんよ。
金曜夕刻発で1000円ETC利用で向かうんだが、どうよ、オメエも?
ちなみにaotai/naruse両氏は不参加だとさ。不義理だねえ。オメエも?
トホレコ56、ちゃっと書けや。
もったいないことを・・・。
熊本まで車で行くのかよ。そのセンスも凄いな。
ETCが付いてるってのも驚きだけど。
来週末か・・・、無理だね。
バリーさんによろしく。
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