逢坂山〜長等山〜如意ヶ岳〜大文字山


- GPS
- 05:59
- 距離
- 16.9km
- 登り
- 773m
- 下り
- 801m
コースタイム
- 山行
- 4:48
- 休憩
- 1:11
- 合計
- 5:59
天候 | 曇り・晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2022年12月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
|
写真
感想
先週 喜撰山に登ったことで、百人一首の歌枕である「逢坂山・逢坂関」にまだ行ったことがないことを思い出し 急遽 行くことにした。
ヤマレコのらくルート機能には 蝉丸神社から逢坂山に登るルートはないが、ネット上の記録を見つけた。こりゃいいとばかり飛びついた。
如意ヶ岳から大文字山のすぐ先の分岐までは昨年3月に逆に歩いていて、2回目となる。
国道一号線はさすがに交通量が多く 気分のいいものではないが、関蝉丸神社上社はそうした道の脇にある。大津駅の西にもう一ヶ所 関蝉丸神社の下社があるが 事前にしっかり場所を確認しなかったために行きそびれてしまった。
逢坂の関が本当はどこにあったか不明とのことだが、蝉丸神社近くのこの地に立派な石碑が立っている (昭和7年建立)。きれいなトイレがあり、その壁には「逢坂の関」についての案内板が設置され、またそばに逢坂の関・逢坂山を詠んだ3首の石碑がある。
蝉丸神社参拝後 逢坂山へ。しかし登り口が見当たらず しばらくウロウロ。それらしき柵の扉を見つけ 入ったが、その谷道は倒木で荒れていた。踏み痕程度の道も現れたり 消えたり。倒木を乗り越え ズボンを汚しながらも尾根筋は遠くないと諦めずに登っていって ついに尾根道に登りついた。ヤレヤレ…。国地院の地図の破線におおかたは沿っているので、かつては道があったのだろう。
その後は快適な道。逢坂山の山頂からは琵琶湖南端の素晴らしい展望が得られた。
横切る舗装道 小関越の道は 2017年11月 天皇陵巡礼13 (山科〜大津 / 天智・弘文天皇) で通っている。その際 小堂で腹ごしらえをしているが、その小堂は今回通った道のすぐだった。寄ればよかったと後悔。
如意越の道を行く。「如意越」とは大津市三井寺町の園城寺境内から如意ヶ岳・大文字山を経て、京都市左京区鹿谷 (ししがたに)、銀閣寺方面を結ぶ 古くからある山道。なお坊越峠に 三井寺への道を使うには志納金 (500円) 必要の看板あり。
曇りがちとはいえ寒くなく 充分いい天気。天気予報では風速3〜4mと出ていたが、たまに強めの風が吹くくらいで快適だった。
私は毎回と言っていいほど何かに「面喰った」と書いているような気がするが、今回 荒れた登り道とともに如意ヶ岳山頂にも面喰った。北からの航空施設の様子を 昨年 大文字山から来て見た西側からの様子と勘違いしてしまったのだ。道がないと混乱。約20分ウロウロして やっと昨年使った道を見つけることができた。
大文字山はやはり賑わっていたが、昨年3月18日に来た時ほどではなかった。しかも私が腹ごしらえしている間にハイカーは4〜5人になった。
下山路は後山階陵、毘沙門堂を経て山科へ下る道を行く。京都一周トレイルの道である「七福思案処」を経て蹴上に下るルートが一般的で、私のようなスマホを持っていないアナログハイカーがそれ以外のルートをとるにはルーファイに充分の注意が必要。特に経塚山方面との分岐では 経塚山への道のほうがはっきりしていて思わず導かれる。
毘沙門堂は紅葉で有名らしく 平日ながら観光客が少なくなかった。山科疏水を横切って山科駅へ。
***
百人一首に採られた 逢坂山・逢坂の関の歌3首とは
・これやこの行くも帰るも別れては 知るも知らぬも逢坂の関 −蝉丸
・名にし負はば逢坂山のさねかづら 人に知られでくるよしもがな —三条右大臣
・夜をこめて鳥の空音ははかるとも よに逢坂の関はゆるさじ —清少納言
三条右大臣 (藤原定方) のロマンティックな恋歌は私の好みではないが、清少納言の知性とウィットに富んだ歌は好き。
しかし蝉丸の歌は百人一首で一番好き。
貴族の恋歌 (しかも観念的な) が多い百人一首の中にあって、カラッとして明るく、古代の市井が感じられるところがいい。軽快で諧謔的な語調は落語の世界をほうふつとさせる。人の移動が少ない古代にあって関所というのは知っている人や知らない人が交わる賑やかな場所だったことだろう。
蝉丸 (せみまる・せみまろ) は平安時代前期の歌人。生没年不詳。
宇多天皇の皇子敦実親王の雑色、光孝天皇の皇子、盲目で琵琶の名手など諸伝があるが、その人物像は不詳。逢坂の関に庵をむすんだとされ、「これやこの」の歌の詞書 (前書き) には「相坂の関に庵室をつくりて住み侍りけるに行きかふ人を見て」とある。盲目なのにどうやって「見た」のかは謎。
なおこの歌、本来は「行くも帰るも別れつつ 」。
蝉丸の歌の逢坂の関は今でいう駅や空港のターミナルの雰囲気ということか。古代にも同じように感じられるところがあるのは面白いね。
古代の関所が駅や空港というのは言い得て妙やね。百人一首は恋歌が多く、また貴族の遊戯感が強いことから興味を失ったんやけど、最後 後鳥羽院・順徳院の歌で、貴族の世の中の終焉がしみじみと感じられるところが絶妙です。
来週 クソ寒い中 キャンプ行ってくるわ。寝袋2枚重ね、ダウンジャケット2枚重ね、パッチ2枚重ねで眠れるんちゃうかと期待☆
1日遅れで大谷町の破線のある同じ谷に入ったのですが、すぐに諦めました。そして尾根の方が歩き易いと思って登ったのですが、これも大変な所でした。小さい木が密集していてザックの引っかかる事引っかかる事。まあ、国土地理院の地形図だけ眺めてルートを計画するので良くある事ですが短い距離ながら大変な思いをしました。
松江署1号は松江営林署(造林を主体にしていた?全国の営林署は赤字で今は無くなっていると思います)一推しの苗木を植林したのだと思います。あの辺りには他にも鳥取署とか京都や滋賀の営林署名の付いた木が沢山あります。一度、見て回るのも面白いかも知れません。
ところで「松江署1号」のあたり、別の署の植林もありますね。全国の営林署が集まってあのあたりに植えるというイヴェントでもあったのでしょうかね。
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