西尾茶臼山の坑道陣地を探す
- GPS
- 04:20
- 距離
- 7.2km
- 登り
- 486m
- 下り
- 486m
コースタイム
- 山行
- 4:05
- 休憩
- 0:16
- 合計
- 4:21
過去天気図(気象庁) | 2022年12月の天気図 |
---|---|
アクセス |
写真
感想
今回は戦争遺跡探索が目的。
10年ぶりの再訪になるが以前から茶臼山の本土決戦陣地は良く知られている。ネット、名倉氏が作成配布したマップにも●記号として記載がある。
しかし、この遺構は住民が避難してくる防空壕ではなく兵員が戦闘利用する本土決戦陣地だ。却って住民が追い返され命がけで逃惑った話も多い。沖縄戦などはその典型だ。
『愛知県史 別編』によると「昭和19年末頃から敵(アメリカ)の侵攻を阻止し撃滅するための陣地築構が山麓部の各所で進められた。初めは留守第54師団所属の鳥取、岡山の補充隊が派遣され作業に当たった・・三河湾へ直接侵入する敵部隊は・・西の岡崎平野そして要地名古屋へと進撃するだろうと推定された。(清水啓介)」とある。
東海の太平洋岸の低山に無数に点在している遺構のごく一部だ。惜しいことに、この茶臼山では本格的な調査報告がされず山城、古墳時代の横穴石室(円墳)とともに周知もされていないのでたいへん残念だ。
今回見た6つの坑道陣地はすべて県史の以下記述によく該当している。「通常コの字形の坑道は、入り口が爆風除けに屈曲して掘られた交通壕がついている。このような壕は棲息型坑道陣地とされ、棲息、指揮、医療並びに燃料,弾薬、食料格納などを目的とした坑道である。その構築場所は山の中腹で前進する敵から見えない側(北側斜面)に掘られていることが特徴である」
さらにこれら記述と同様の戦争遺跡は東名高速以南の低山に無数に点在している。とくに湖西連峰(静岡、愛知)、渥美は良好な状態で残存している全国的にも貴重な戦争遺跡群だ。
ただ漫然と登山道を通り過ぎているだけではもったいないのでこれからぼつぼつ紹介していきたい。
そしてこの錯誤(混沌)の原因は何かということを「西尾ピラミッド」でも気づかされた。山登りとは人造物(ネーミングも含め)を登ることではないはずで、自然物の山と人とのかかわりを体感することだ。趣味の世界なので大きなお世話だという方も多いのだろうが写真コメント見てご一笑いただけたら嬉しい。
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する