記録ID: 5012913
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ハイキング
京都・北摂
有馬道(間道)(神崎〜生瀬)と西宮道(宝塚〜門戸厄神)
2022年12月18日(日) [日帰り]


体力度
3
日帰りが可能
- GPS
- 06:30
- 距離
- 29.8km
- 登り
- 74m
- 下り
- 84m
コースタイム
過去天気図(気象庁) | 2022年12月の天気図 |
---|---|
アクセス |
出発地点:阪神バス神崎バス停(JR尼崎駅南側「戸の内」行きに乗車) 終点:西国街道との合流地点。阪急門戸厄神駅付近 有馬道(間道)(神崎〜宝塚)はyaonyaosuke2(CL)様の山行記録 記録ID: 1640859を使わせていただきました。 有馬道(宝塚〜生瀬)はyaonyaosuke2(CL)様の山行記録 記録ID: 1777506を使わせていただきました。 西宮道(宝塚〜門戸厄神)はyaonyaosuke2(CL)様の山行記録 記録ID: 1663138を使わせていただきました。 大変参考になりました。ありがとうございました。 |
写真
右上:摂津名所図会:神崎の渡
『摂津名所図会』は、寛政年間(18世紀の終わり頃)に刊行された、摂津国の名所案内です。名所旧跡について解説を加え、その場所にちなんだ和歌なども紹介されており、刊行当時は大きな人気を呼びました。尼崎市域では、猪名寺・久々知・神崎・尼崎城下や武庫川などの場面が挿し絵付きで掲載されており、近世尼崎の風景を知るうえで有益な文献としてよく利用されています。(出典)尼崎市・アーカイブログ・『摂津名所図会』尼崎市域関係場面解読版 URL:http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/blog/blog.cgi?n=23&writer=administrator
『摂津名所図会』は、寛政年間(18世紀の終わり頃)に刊行された、摂津国の名所案内です。名所旧跡について解説を加え、その場所にちなんだ和歌なども紹介されており、刊行当時は大きな人気を呼びました。尼崎市域では、猪名寺・久々知・神崎・尼崎城下や武庫川などの場面が挿し絵付きで掲載されており、近世尼崎の風景を知るうえで有益な文献としてよく利用されています。(出典)尼崎市・アーカイブログ・『摂津名所図会』尼崎市域関係場面解読版 URL:http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/blog/blog.cgi?n=23&writer=administrator
右 大阪 西京
他の面には「右 伊丹 中山 池田 能勢」「左 昆陽 小濱 有馬 三田」と書いてあるそうです。(引用)yaonyaosuke2様 「名湯の有馬温泉への有馬道・本道(神崎→安倉)」より
他の面には「右 伊丹 中山 池田 能勢」「左 昆陽 小濱 有馬 三田」と書いてあるそうです。(引用)yaonyaosuke2様 「名湯の有馬温泉への有馬道・本道(神崎→安倉)」より
有馬道と間道(妙見道)との分岐にあった道標
大阪方面から有馬温泉へ行く道筋を「有馬街道」と呼び親しんできました。神崎から北上し、藻川沿いに猪名寺・伊丹に至る本道と、次屋・下坂部・久々知・上坂部・塚口を通って昆陽(伊丹市)に至り宝塚市内で本道と合流する間道の2コースあったことが知られています。この道標は1878年(明治11)本道と間道の分岐点に建てられましたが、その後現在地に移転されました。(出典)尼崎市・「有馬道」 URL:https://www.city.amagasaki.hyogo.jp/manabu/bunkazai_0/1028308/1028344/1028752.html
大阪方面から有馬温泉へ行く道筋を「有馬街道」と呼び親しんできました。神崎から北上し、藻川沿いに猪名寺・伊丹に至る本道と、次屋・下坂部・久々知・上坂部・塚口を通って昆陽(伊丹市)に至り宝塚市内で本道と合流する間道の2コースあったことが知られています。この道標は1878年(明治11)本道と間道の分岐点に建てられましたが、その後現在地に移転されました。(出典)尼崎市・「有馬道」 URL:https://www.city.amagasaki.hyogo.jp/manabu/bunkazai_0/1028308/1028344/1028752.html
馬橋(次屋2丁目13)
荒木村重を討とうとした若者が逃げる途中村人に見つかり、密告され、白馬とともに殺された。亡骸は橋の袂に埋められた。それ以後、村人この橋のところに来ると白馬と若武者が現れ、人々を驚かせた。村人が白馬と若武者を丁重に葬ると以後亡霊は出なくなったと。(尼崎市・小田村合併70周年記念誌より)
(出典)尼崎市・「小田の見どころ(歴史スポット・注目スポット)」URL:https://www.city.amagasaki.hyogo.jp/kurashi/siminsanka/014odatiikisinko/014midokoro.html
荒木村重を討とうとした若者が逃げる途中村人に見つかり、密告され、白馬とともに殺された。亡骸は橋の袂に埋められた。それ以後、村人この橋のところに来ると白馬と若武者が現れ、人々を驚かせた。村人が白馬と若武者を丁重に葬ると以後亡霊は出なくなったと。(尼崎市・小田村合併70周年記念誌より)
(出典)尼崎市・「小田の見どころ(歴史スポット・注目スポット)」URL:https://www.city.amagasaki.hyogo.jp/kurashi/siminsanka/014odatiikisinko/014midokoro.html
近松公園前の近松門左衛門墓所と書かれた石碑
近松公園は近松門左衛門の墓所(広済寺)に隣接した回遊式日本庭園風の公園です。公園内には、近松門左衛門のブロンズ像があり、数多くの名作を残した近松門左衛門をしのぶことができます。 (出典)尼崎市・「近松公園」URL:https://www.city.amagasaki.hyogo.jp/map/1000380/1000422/1000858.html
近松公園は近松門左衛門の墓所(広済寺)に隣接した回遊式日本庭園風の公園です。公園内には、近松門左衛門のブロンズ像があり、数多くの名作を残した近松門左衛門をしのぶことができます。 (出典)尼崎市・「近松公園」URL:https://www.city.amagasaki.hyogo.jp/map/1000380/1000422/1000858.html
有馬道の解説碑
小田会が平成25年に設置しました。
神崎川・猪名川・藻川が合流し、京都から四国・九州へ向かう航路の泊まりとして栄えた町、神崎。有馬道は、その神崎の宿場町を起点とし、次屋・下坂部・久々知を通り、昆陽・小浜から有馬へと続く。太閤秀吉が有馬大茶会へ行くために通った道でもある。江戸時代には近松門左衛門を始め多くの人達がこの道を通り、久々知妙見宮(広済寺)を訪れた。以来、有馬道は人々の往来が絶えなかったと言われている。
(出典)ちょっとぶらぶら様 「有馬街道(間道)、ふたたび〜その2」 URL:http://chottoburabura.blog.fc2.com/blog-entry-281.html
小田会が平成25年に設置しました。
神崎川・猪名川・藻川が合流し、京都から四国・九州へ向かう航路の泊まりとして栄えた町、神崎。有馬道は、その神崎の宿場町を起点とし、次屋・下坂部・久々知を通り、昆陽・小浜から有馬へと続く。太閤秀吉が有馬大茶会へ行くために通った道でもある。江戸時代には近松門左衛門を始め多くの人達がこの道を通り、久々知妙見宮(広済寺)を訪れた。以来、有馬道は人々の往来が絶えなかったと言われている。
(出典)ちょっとぶらぶら様 「有馬街道(間道)、ふたたび〜その2」 URL:http://chottoburabura.blog.fc2.com/blog-entry-281.html
近松公園前の「落第忍者乱太郎」久々知兵助のデザインマンホール
「落第忍者乱太郎」は尼崎市出身・在住の漫画家である尼子騒兵衛さんの代表作品で、人気アニメ「忍たま乱太郎」の原作漫画です。同漫画内には、本市の地名を使ったキャラクターが多数登場しています。尼崎市上下水道部では、その「落第忍者乱太郎」の登場キャラクターをデザインしたマンホール蓋を順次作成し、キャラクター名にちなんだ場所に設置していく予定です。第1弾 久々知兵助
(出典)尼崎市水道・下水道「「落第忍者乱太郎」デザインマンホール」URL:https://amasui.org/sewercustomer/2000451/2000911/2000912/2000913.html
「落第忍者乱太郎」は尼崎市出身・在住の漫画家である尼子騒兵衛さんの代表作品で、人気アニメ「忍たま乱太郎」の原作漫画です。同漫画内には、本市の地名を使ったキャラクターが多数登場しています。尼崎市上下水道部では、その「落第忍者乱太郎」の登場キャラクターをデザインしたマンホール蓋を順次作成し、キャラクター名にちなんだ場所に設置していく予定です。第1弾 久々知兵助
(出典)尼崎市水道・下水道「「落第忍者乱太郎」デザインマンホール」URL:https://amasui.org/sewercustomer/2000451/2000911/2000912/2000913.html
この案内板は塚口城東門跡付近にあります。
街道はここから塚口城下に入っていくのでしょう。塚口城本丸は塚口御坊と称された浄土真宗興正寺別院のようです。(出典)尼崎市・「塚口城跡(東門・土塁)(つかぐちじょうあと)」URL:https://www.city.amagasaki.hyogo.jp/manabu/bunkazai_0/1028308/1028344/1028764.html
街道はここから塚口城下に入っていくのでしょう。塚口城本丸は塚口御坊と称された浄土真宗興正寺別院のようです。(出典)尼崎市・「塚口城跡(東門・土塁)(つかぐちじょうあと)」URL:https://www.city.amagasaki.hyogo.jp/manabu/bunkazai_0/1028308/1028344/1028764.html
東天神社前にあった昆陽についての説明文
昆陽は古代からあった西国街道沿いに栄えた宿場町で、本陣(大名らの宿舎)も置かれていました。この付近は、平安時代の貴族らが好んで「昆陽野」「昆陽池」を和歌や俳句に詠み込むなど、古くから親しまれており、平安時代の武将平清盛(千百十八年から千百八十一年)が昆陽野に都を造ろうとしたこともあります。
昆陽の地名については、古代国家の有力氏族「中臣氏」がこの地を支配した時、祖先の天児屋根尊の名前から『児屋』の文字を取って地名にしたという説と約千二百年前に僧行基が建立した昆陽寺からとった話のほか、小屋からきたとも伝えられています。
江戸時代には東町・中町・大工町・市場町・辻ノ町・佐藤町・小井之内の七町からなりたっていました。明治二十一年市町村制の公布により昆陽・千僧・池尻・寺本・山田・野間・堀池・南野・御願塚・中野・東野・西野を集め川辺郡稲野村となり、その役場が昆陽三丁目三十五番地付近に置かれていました。
昭和十五年、伊丹町と合併し、伊丹市として発足し現在に至っています。この東天神社は猪名野総社として、僧行基が昆陽大池その他猪名野笹原を開拓された時(天平年間)その事業達成の祈願所とせられた由緒ある神社であり、また、この地の西には西天神社もあります。(出典)ちょっとぶらぶら様 「西国街道(再)〜その37 甲武橋〜石橋(Part 3)」 URL:http://chottoburabura.blog.fc2.com/blog-entry-406.html
昆陽は古代からあった西国街道沿いに栄えた宿場町で、本陣(大名らの宿舎)も置かれていました。この付近は、平安時代の貴族らが好んで「昆陽野」「昆陽池」を和歌や俳句に詠み込むなど、古くから親しまれており、平安時代の武将平清盛(千百十八年から千百八十一年)が昆陽野に都を造ろうとしたこともあります。
昆陽の地名については、古代国家の有力氏族「中臣氏」がこの地を支配した時、祖先の天児屋根尊の名前から『児屋』の文字を取って地名にしたという説と約千二百年前に僧行基が建立した昆陽寺からとった話のほか、小屋からきたとも伝えられています。
江戸時代には東町・中町・大工町・市場町・辻ノ町・佐藤町・小井之内の七町からなりたっていました。明治二十一年市町村制の公布により昆陽・千僧・池尻・寺本・山田・野間・堀池・南野・御願塚・中野・東野・西野を集め川辺郡稲野村となり、その役場が昆陽三丁目三十五番地付近に置かれていました。
昭和十五年、伊丹町と合併し、伊丹市として発足し現在に至っています。この東天神社は猪名野総社として、僧行基が昆陽大池その他猪名野笹原を開拓された時(天平年間)その事業達成の祈願所とせられた由緒ある神社であり、また、この地の西には西天神社もあります。(出典)ちょっとぶらぶら様 「西国街道(再)〜その37 甲武橋〜石橋(Part 3)」 URL:http://chottoburabura.blog.fc2.com/blog-entry-406.html
下の池公園前の安倉散策マップ
大きい図は以下で見てください。安倉地区まちずくり協議会・コミュニティ安倉「安倉散策マップ」URL:https://takarazuka-community.jp/akura/2018/03/22/%E5%AE%89%E5%80%89%E6%95%A3%E7%AD%96%E3%83%9E%E3%83%83%E3%83%97/
大きい図は以下で見てください。安倉地区まちずくり協議会・コミュニティ安倉「安倉散策マップ」URL:https://takarazuka-community.jp/akura/2018/03/22/%E5%AE%89%E5%80%89%E6%95%A3%E7%AD%96%E3%83%9E%E3%83%83%E3%83%97/
有馬道(西宮〜有馬)と今津・高木道の分岐点ある道標の説明文
説明文の詳細は「12.西宮市甲東園2両名刹への道標」を参照してください。URL:http://www.eva.hi-ho.ne.jp/t-kuramoti/rekisi_dh_cimg2398.html
説明文の詳細は「12.西宮市甲東園2両名刹への道標」を参照してください。URL:http://www.eva.hi-ho.ne.jp/t-kuramoti/rekisi_dh_cimg2398.html
くらがり街道道標の説明文
説明文の詳細は「9.西宮市門戸東町8の道標」を参照してください。URL:http://www.eva.hi-ho.ne.jp/t-kuramoti/rekisi_dh_cimg2361.html
説明文の詳細は「9.西宮市門戸東町8の道標」を参照してください。URL:http://www.eva.hi-ho.ne.jp/t-kuramoti/rekisi_dh_cimg2361.html
厄神道標の説明文
説明文の詳細は「2.西宮市門戸岡田町4の厄神道標」を参照してください。URL:http://www.eva.hi-ho.ne.jp/t-kuramoti/rekisi_dh_cimg0602.html
説明文の詳細は「2.西宮市門戸岡田町4の厄神道標」を参照してください。URL:http://www.eva.hi-ho.ne.jp/t-kuramoti/rekisi_dh_cimg0602.html
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