来年の祭礼は3年に1度の流鏑馬が行われるみたい。神猿の授与もあるのかな。
8
12/18 9:03
来年の祭礼は3年に1度の流鏑馬が行われるみたい。神猿の授与もあるのかな。
トレッキングPに駐車して、スタートです。本日はご近所のうめりんが御同伴です。
8
12/18 9:04
トレッキングPに駐車して、スタートです。本日はご近所のうめりんが御同伴です。
西平の飯盛山
8
12/18 9:08
西平の飯盛山
ここがどんぐり山なのね。
6
12/18 9:12
ここがどんぐり山なのね。
新柵山かな。♬オーブルースカイこの空の明るさよ・・
7
12/18 9:18
新柵山かな。♬オーブルースカイこの空の明るさよ・・
虚空蔵堂。帰りにお掃除をしていた方に、この上の神社について尋ねたら、何とその方の氏神様だそうです。
5
12/18 9:19
虚空蔵堂。帰りにお掃除をしていた方に、この上の神社について尋ねたら、何とその方の氏神様だそうです。
境内の地蔵尊、二十三夜如意輪観音、太子塔、巳待塔など。裏手の墓地から尾根に乗れそうでした。
7
12/18 9:20
境内の地蔵尊、二十三夜如意輪観音、太子塔、巳待塔など。裏手の墓地から尾根に乗れそうでした。
正法寺への分岐を曲がるとすぐに馬頭尊(嘉永六、1853)と参道のような道があったので行ってみました。
4
12/18 9:31
正法寺への分岐を曲がるとすぐに馬頭尊(嘉永六、1853)と参道のような道があったので行ってみました。
遠久満神社。とても立派な氏神様ですね。
7
12/18 9:43
遠久満神社。とても立派な氏神様ですね。
社殿の背後に大岩、その下と岩上に石祠がありました。下「大正十二年十月十九日(1923)峰岸喜七再建」上「大正十二年十月二日(1923)峰岸家一族再建之」
4
12/18 9:46
社殿の背後に大岩、その下と岩上に石祠がありました。下「大正十二年十月十九日(1923)峰岸喜七再建」上「大正十二年十月二日(1923)峰岸家一族再建之」
青石の板碑がありました。
7
12/18 9:51
青石の板碑がありました。
月と日と種子それから「申待/供養」とあります。庚申塔かな。
3
12/18 9:52
月と日と種子それから「申待/供養」とあります。庚申塔かな。
「天正八年」(1580)でしょうか。
3
12/18 9:54
「天正八年」(1580)でしょうか。
神社まではとても整備された道。その先は藪っぽくなりましたが、特に支障なく歩けました。
2
12/18 9:58
神社まではとても整備された道。その先は藪っぽくなりましたが、特に支障なく歩けました。
作業道の様な道になりました。その後ジグザクの山道になり、尾根に乗りました。
3
12/18 10:08
作業道の様な道になりました。その後ジグザクの山道になり、尾根に乗りました。
巡拝塔の並ぶ道に出ました。予想通り四国霊場が勧請されているようです。とりあえず山頂を踏んでから調査することにします。
5
12/18 10:17
巡拝塔の並ぶ道に出ました。予想通り四国霊場が勧請されているようです。とりあえず山頂を踏んでから調査することにします。
ありました。これが宿題の石塔ですね。どうやら巡拝塔はこれをピークに左回りに周回しているようです。山頂はもうちょい先です。
6
12/18 10:20
ありました。これが宿題の石塔ですね。どうやら巡拝塔はこれをピークに左回りに周回しているようです。山頂はもうちょい先です。
ここが観音山頂上のようです。
9
12/18 10:22
ここが観音山頂上のようです。
「讃岐國/象頭山 金刀比羅大神」(明治三十年丁酉五月造立、1897)
6
12/18 10:23
「讃岐國/象頭山 金刀比羅大神」(明治三十年丁酉五月造立、1897)
「願主 大嶋庄三郎」“仏の庄ちゃん”と呼ばれる奇特なお方だったそうです。
4
12/18 10:26
「願主 大嶋庄三郎」“仏の庄ちゃん”と呼ばれる奇特なお方だったそうです。
石塔の後ろはけっこうな絶壁です。
4
12/18 10:29
石塔の後ろはけっこうな絶壁です。
丸山~横見山方面
6
12/18 10:30
丸山~横見山方面
オヤツしてからいよいよ石分補給しま〜す。
9
12/18 10:34
オヤツしてからいよいよ石分補給しま〜す。
此処に来るきっかけになった巡拝塔。中央に「本尊 千手観世音」
5
12/18 10:40
此処に来るきっかけになった巡拝塔。中央に「本尊 千手観世音」
左に「施主 峯岸文次郎」、当然麓にあった氏神社の関係者でしょうね。
2
12/18 10:41
左に「施主 峯岸文次郎」、当然麓にあった氏神社の関係者でしょうね。
中央上部には「四國 第六十六番」
4
12/18 10:41
中央上部には「四國 第六十六番」
右に「讃岐國巨鼇山 雲邊寺」とあります。この並びが定型パターンの一つ。
2
12/18 10:41
右に「讃岐國巨鼇山 雲邊寺」とあります。この並びが定型パターンの一つ。
六十六番のすぐ下にあるのは?こちらは裏側でした。
4
12/18 10:47
六十六番のすぐ下にあるのは?こちらは裏側でした。
表には「四國第六十五番伊与国由㚑(霊)山慈尊寺 本尊十一面観世音 為先祖代々 小川町 施主細井長ハ智」
5
12/18 10:50
表には「四國第六十五番伊与国由㚑(霊)山慈尊寺 本尊十一面観世音 為先祖代々 小川町 施主細井長ハ智」
トラロープや丸太がありますが、かなり年季が入っています。下っています。
2
12/18 11:01
トラロープや丸太がありますが、かなり年季が入っています。下っています。
辛うじて役目を果たしている「危険」看板と端正な新柵山。
4
12/18 11:05
辛うじて役目を果たしている「危険」看板と端正な新柵山。
「四国第七十番讃岐国七宝山本山寺 本尊馬頭観世音 施主関口仲次郎」
5
12/18 11:07
「四国第七十番讃岐国七宝山本山寺 本尊馬頭観世音 施主関口仲次郎」
「四国第七十六番讃岐国鶏足山金倉寺 金堂本尊薬師如来 秩父郡吾野郡大字北川 施主吉田政五郎」
6
12/18 11:28
「四国第七十六番讃岐国鶏足山金倉寺 金堂本尊薬師如来 秩父郡吾野郡大字北川 施主吉田政五郎」
下っています。
2
12/18 11:32
下っています。
角柱型のものもあります。「四國八十一番讃岐國白峯寺 本尊千手観世音」施主銘判読困難。
4
12/18 11:38
角柱型のものもあります。「四國八十一番讃岐國白峯寺 本尊千手観世音」施主銘判読困難。
青石の板型碑が圧倒的に多いです。「四国第八十二番讃岐国青峯山根香寺 本尊千手観世音 秩父郡大椚村大字大野 施主島田鷲蔵」
5
12/18 11:40
青石の板型碑が圧倒的に多いです。「四国第八十二番讃岐国青峯山根香寺 本尊千手観世音 秩父郡大椚村大字大野 施主島田鷲蔵」
「第八十五番讃岐国五剱山八栗寺 本尊正観世音 施主山口鉄蔵 仝海太郎」
4
12/18 11:47
「第八十五番讃岐国五剱山八栗寺 本尊正観世音 施主山口鉄蔵 仝海太郎」
かなり下の方に降りてきましたね。
1
12/18 11:52
かなり下の方に降りてきましたね。
そして「四國第八十八番讃岐國醫(王山大窪寺) 金堂本尊(薬師如来)」施主銘判読困難。これで終わりかなと思ったら、
4
12/18 11:56
そして「四國第八十八番讃岐國醫(王山大窪寺) 金堂本尊(薬師如来)」施主銘判読困難。これで終わりかなと思ったら、
もう一つ、「打納 南無大師遍照金剛 大河村上古寺 松本與作」
5
12/18 11:58
もう一つ、「打納 南無大師遍照金剛 大河村上古寺 松本與作」
大師遍照金剛とは弘法大師空海さんのこと。遍照金剛は唐に渡った空海さんが真言密教を極めた時の灌頂(かんじょう)名、大日如来を意味するみたい。
2
12/18 11:58
大師遍照金剛とは弘法大師空海さんのこと。遍照金剛は唐に渡った空海さんが真言密教を極めた時の灌頂(かんじょう)名、大日如来を意味するみたい。
右手から降りてきました。左は慈光寺、霊山院への道。また何れ辿ってみましょう。
3
12/18 12:00
右手から降りてきました。左は慈光寺、霊山院への道。また何れ辿ってみましょう。
本堂の裏手まで来たら瞑想するお地蔵さまとインパクトのあるお方が、
5
12/18 12:04
本堂の裏手まで来たら瞑想するお地蔵さまとインパクトのあるお方が、
金剛鈴と羂索をお持ちのようです。
7
12/18 12:04
金剛鈴と羂索をお持ちのようです。
その奥の岩棚に釈迦如来坐像
4
12/18 12:05
その奥の岩棚に釈迦如来坐像
「四国、西国霊場巡拝碑略記 明治三十年(1867)に当山三十三世宗晋願主、発起人当所大島庄三郎、大島(野?)勝五郎、峰岸茂三郎、内田國吉,内田喜平の五名、更に賛助者十三名により造立されたものである。(以下略) 当山三十五世隆元誌」この方が先代かな。
4
12/18 12:05
「四国、西国霊場巡拝碑略記 明治三十年(1867)に当山三十三世宗晋願主、発起人当所大島庄三郎、大島(野?)勝五郎、峰岸茂三郎、内田國吉,内田喜平の五名、更に賛助者十三名により造立されたものである。(以下略) 当山三十五世隆元誌」この方が先代かな。
そして赤染の弘法大師尊像。こんな笑顔の空海さんは初めて見た。
5
12/18 12:08
そして赤染の弘法大師尊像。こんな笑顔の空海さんは初めて見た。
その隣に並ぶ石塔群の中に大黒様恵比寿様の彫られた「出雲大社」、「明治十三年庚辰三月十四日(1880)同行大野勝五郎 大嶋庄三郎」とあります。ホント仲良かったのですね。
5
12/18 12:12
その隣に並ぶ石塔群の中に大黒様恵比寿様の彫られた「出雲大社」、「明治十三年庚辰三月十四日(1880)同行大野勝五郎 大嶋庄三郎」とあります。ホント仲良かったのですね。
「巖殿山 正法寺」、お気づきでしょうか?高坂の寺と同山同名。どうやら此処から移されたみたいです。元々は真言宗のお寺だったそうですが、遷寺後、霊山院の手が入り現在の臨済宗になったという話です。
4
12/18 12:27
「巖殿山 正法寺」、お気づきでしょうか?高坂の寺と同山同名。どうやら此処から移されたみたいです。元々は真言宗のお寺だったそうですが、遷寺後、霊山院の手が入り現在の臨済宗になったという話です。
「四国西国坂東秩父 禮拝塔」四国霊場勧請後の「大正拾稔拾月吉祥日」(1921)に仏の庄さんが建てたもの。これにはさらに、
2
12/18 12:39
「四国西国坂東秩父 禮拝塔」四国霊場勧請後の「大正拾稔拾月吉祥日」(1921)に仏の庄さんが建てたもの。これにはさらに、
こちらの神社仏閣に順拝したみたい。やはり只者ではなかったようです。財力も相当なものだったのでしょうね。
3
12/18 12:40
こちらの神社仏閣に順拝したみたい。やはり只者ではなかったようです。財力も相当なものだったのでしょうね。
先代が御本尊の近くにあった版木をした物(コピー)。パッと見でも「重忠」がやたら登場してきます。畠山重忠が実戦に使用した守り本尊を当寺に奉納したみたいです。
2
12/18 12:55
先代が御本尊の近くにあった版木をした物(コピー)。パッと見でも「重忠」がやたら登場してきます。畠山重忠が実戦に使用した守り本尊を当寺に奉納したみたいです。
その続き。この他、近年、慈光寺の不動坊を取り壊す時に発見された古文書(コピー、先程の遷寺の事が記されている)も見せていただきました。御年90歳とは思えぬほど饒舌でした。
1
12/18 12:55
その続き。この他、近年、慈光寺の不動坊を取り壊す時に発見された古文書(コピー、先程の遷寺の事が記されている)も見せていただきました。御年90歳とは思えぬほど饒舌でした。
それでは、巡拝路を下から登って行きましょう。石段を上がってすぐ左手にあるのが、西国霊場の巡拝碑でした。今回はチラ見程度でスルー。
1
12/18 13:15
それでは、巡拝路を下から登って行きましょう。石段を上がってすぐ左手にあるのが、西国霊場の巡拝碑でした。今回はチラ見程度でスルー。
それが終わってすぐ上手にあるのが「四國第一番」、先代に教えてもらわなかったら、見過ごしていたかもしれません。カメラのバッテリーが少なくなり、写真は少なめ。
2
12/18 13:17
それが終わってすぐ上手にあるのが「四國第一番」、先代に教えてもらわなかったら、見過ごしていたかもしれません。カメラのバッテリーが少なくなり、写真は少なめ。
巡拝碑から本堂を見下ろす。このあたり見事なイワツツジが咲くとのこと。脳内BGMはみゆき姉さんの♬遍路をリクエスト。
2
12/18 13:28
巡拝碑から本堂を見下ろす。このあたり見事なイワツツジが咲くとのこと。脳内BGMはみゆき姉さんの♬遍路をリクエスト。
「第三十八番土佐国(蹉跎山)金剛福寺 本尊千手観世音」
3
12/18 13:32
「第三十八番土佐国(蹉跎山)金剛福寺 本尊千手観世音」
「四国第四十番伊豫国平城山観自在寺 本尊薬師如来 明覚村大字馬場施主大野五郎」
3
12/18 13:33
「四国第四十番伊豫国平城山観自在寺 本尊薬師如来 明覚村大字馬場施主大野五郎」
「四国四十九番伊与国西林山浄土寺 施主萩・・・」
1
12/18 13:35
「四国四十九番伊与国西林山浄土寺 施主萩・・・」
「四国第六十三番伊与国密教山吉祥寺 本尊毘沙門天 小川町施主福島伊平」
2
12/18 13:39
「四国第六十三番伊与国密教山吉祥寺 本尊毘沙門天 小川町施主福島伊平」
振り出しの六十六番まで戻りました。この後は先程と同じコースで下山しました。何時かはわかりませんが少しは本番の事前学習になったかな。
1
12/18 13:40
振り出しの六十六番まで戻りました。この後は先程と同じコースで下山しました。何時かはわかりませんが少しは本番の事前学習になったかな。
先代に教わった大日如来に会いにいきます。ここはG地図でも文字表記だけあり、気になっていた所です。
4
12/18 13:51
先代に教わった大日如来に会いにいきます。ここはG地図でも文字表記だけあり、気になっていた所です。
観音山を見上げる。右の丸いお山の左側にある白い木の所が山頂部かな?
2
12/18 13:56
観音山を見上げる。右の丸いお山の左側にある白い木の所が山頂部かな?
車道の橋の手前に案内があります。山道を行くとすぐに、
2
12/18 14:02
車道の橋の手前に案内があります。山道を行くとすぐに、
大岩があり、その石棚にいらっしゃいました。
6
12/18 14:03
大岩があり、その石棚にいらっしゃいました。
金剛界大日如来坐像。無銘のようです。何か祈っているように見える。
8
12/18 14:06
金剛界大日如来坐像。無銘のようです。何か祈っているように見える。
最後の紅葉が強風に耐えています。
4
12/18 14:09
最後の紅葉が強風に耐えています。
こちらも先代に教わった不動明王像。「明治三十年八月造立(1897)當山注職蛙□宗晋」、四国霊場勧請と同年、同願主。
7
12/18 14:15
こちらも先代に教わった不動明王像。「明治三十年八月造立(1897)當山注職蛙□宗晋」、四国霊場勧請と同年、同願主。
堰堤工事で消失した清滝に祀られていたものを此処に移したそうです。
2
12/18 14:19
堰堤工事で消失した清滝に祀られていたものを此処に移したそうです。
目の前には大きな崖面の雨垂れ岩。不動尊と共にこちらはG地図にも表記なし。
3
12/18 14:19
目の前には大きな崖面の雨垂れ岩。不動尊と共にこちらはG地図にも表記なし。
建具会館にちょっとマニアックなお散歩ガイド冊子がありました。(500円)。キンカン(100円)は帰りのドライブのお供に。
4
12/18 15:10
建具会館にちょっとマニアックなお散歩ガイド冊子がありました。(500円)。キンカン(100円)は帰りのドライブのお供に。
建具会館に熊出没!予定していたジビエカレーは準備中とのことで、
3
12/18 15:11
建具会館に熊出没!予定していたジビエカレーは準備中とのことで、
東松山下青鳥の「まつい」さん。いつも気になっていましたが、迷っているうちに信号を右折してしまい・・・本日はここを逃したら(お昼を)食べ損なうパターンだったので、左折してPに入りました(笑)
7
12/18 15:44
東松山下青鳥の「まつい」さん。いつも気になっていましたが、迷っているうちに信号を右折してしまい・・・本日はここを逃したら(お昼を)食べ損なうパターンだったので、左折してPに入りました(笑)
ゴヂラ(辛口もつ煮)定食(990円)さすが専門店だけあってもつ煮がとてもやわらかくて美味。白飯との相性も抜群でした!
4
12/18 15:49
ゴヂラ(辛口もつ煮)定食(990円)さすが専門店だけあってもつ煮がとてもやわらかくて美味。白飯との相性も抜群でした!
都幾川にも四国霊場があったなんて本当に驚きですね!やはり、まだまだ知らない事が多いですね。
石仏の表情もそれぞれとても個性があって、私のような素人がただ見て回るだけでも楽しめそうです!今度是非行ってみたいと思います。
最近ドーハン君に色々なお友達がお供しているのがとっても気になります〜。「ポテくまくん」や今回は私の推しの「うめりん」ちゃんまで。ちなみに、ときがわ町にもあやしいマスコットキャラクタがいるみたいですよ(笑)https://www.town.tokigawa.lg.jp/info/1119
みんなかなり怪しい面々ですが、この中で強いて選ぶならば「ひもかわさん」かなぁ?(笑)
〆は「里味」さんのジビエカレーかと思いましたが、予想外に「まつい」のもつ煮でしたね。ここは美味しいですねよ〜!お疲れ様でした。
ではまた〜
ほんと身近な所でも目に入らないもの、アンテナに引っかからないものがまだまだ沢山ありますね。ここは岩ツツジが有名らしくコロナ前はお花の時季にイベントもやっていたみたいです。
G地図は私も暇な時にちょくちょく見ては、忘れ去られたような小さな神社仏閣などをチェックしております。ときがわ町のマスコットはやたらあるみたいですね。手ごろの物があればゲットしたいと思います(笑)。
お察しの通り、自分のプランでもジビエカレーだったのですが、何と珍しく準備中でした。でも店内は何だか賑やかそうだったので、ハンターの寄合でもあったのかな?
「まつい」はお山の帰りによくその前を通りがかり気になっていました。専門店だけあってモツがとても柔らかくて美味しかったです。太り過ぎなので我慢しましたが、何杯でも御飯がいけそうでした!それではコメントありがとうございました。 godohan
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する