記録ID: 5129265
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ハイキング
京都・北摂
今日の朝市は・・・。平野神社〜北野天満宮
2023年01月29日(日) [日帰り]


体力度
1
日帰りが可能
- GPS
- 01:17
- 距離
- 3.8km
- 登り
- 20m
- 下り
- 0m
コースタイム
過去天気図(気象庁) | 2023年01月の天気図 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
バス
|
写真
平野神社
(北区平野宮本町)
祭神
今木神、久度神、古開神(相殿に比売神)
平城京に祀られていたものを平安遷都の時にこの地に遷したといわれる。朝廷に崇敬され、源氏・平氏をはじめ諸氏の氏神としても崇められた。本殿(重要文化財)は寛永年間建築で、比翼春日造、あるいは平野造とも呼ばれる。境内の桜が有名で、その種類は数十種に及び、平野の夜桜として親しまれている。
(京都検定テキストより)
(北区平野宮本町)
祭神
今木神、久度神、古開神(相殿に比売神)
平城京に祀られていたものを平安遷都の時にこの地に遷したといわれる。朝廷に崇敬され、源氏・平氏をはじめ諸氏の氏神としても崇められた。本殿(重要文化財)は寛永年間建築で、比翼春日造、あるいは平野造とも呼ばれる。境内の桜が有名で、その種類は数十種に及び、平野の夜桜として親しまれている。
(京都検定テキストより)
北野天満宮の七不思議
筋違いの御本殿https://kitanotenmangu.or.jp/guidance/nanafushigi/
筋違いの御本殿https://kitanotenmangu.or.jp/guidance/nanafushigi/
江戸時代、寺町二条の妙満寺(現在は左京区岩倉)は雪景色を背景とした「雪の庭」、東山の清水寺は月見で有名な「月の庭」、そして北野松原の北野天満宮は梅花鑑賞の「花の庭」と呼ばれる、それぞれ成就院(成就坊)という塔頭に造られた庭があり、「雪月花の三庭苑」としてその名を馳せました。
そして令和4年(2022)、この京都洛中の名庭「雪月花の三庭苑」のひとつ、北野天満宮「花の庭」を再興し、令和再興『雪月花の三庭苑』として、「雪の庭」「月の庭」「花の庭」が、京都の新たな魅力を発信いたします。
(北野天満宮のHPより)
そして令和4年(2022)、この京都洛中の名庭「雪月花の三庭苑」のひとつ、北野天満宮「花の庭」を再興し、令和再興『雪月花の三庭苑』として、「雪の庭」「月の庭」「花の庭」が、京都の新たな魅力を発信いたします。
(北野天満宮のHPより)
北野天満宮
(上京区御前通今小路上ル馬喰町)
祭神
菅原道真、中将殿(道真長男)、吉祥女(道真夫入)
菅原道真の怨霊を鎮める、皇城鎮護の社として建てられた。全国およそ一万二千社を数える天満宮・天神社の宗祀(総本社)で、その多くは当宮より勧請された。天暦元年(九四七)に多治比文子に道真のお告げがあり、北野に道真を祀ったとされる。また、近江の比良宮の神良種の息子へのお告げによって現在地に社殿を造営したとも伝える。永延元年(九八七)に初めて北野祭を行い、一條(一条)天皇により「北野天満天神」の勅号を賜わった。古くから道真は学問・文芸の神とされ、社前には文人墨客が集い、室町時代には連歌の中心地となった。有名な北野大茶湯は天正十五年(一五八七)に豊臣秀吉によって催され、慶長八年(一六〇三)には出雲の阿国(↓245頁)が社前で初めて歌舞伎を興行し、歌舞伎発祥の地ともいう。
創祀は平安時代にさかのぼるが、現在の社殿は慶長十二年に豊臣秀頼が片桐且元を奉行に再興したもの。本殿、石の間、拝殿および楽の間(すべて国宝)は権現造(八ツ棟造)の代表例である。
また、中門(重要文化財)は見所にあふれ、太陽、月、星の彫刻から別名「三光門」とも称される。さらに、「北野天神縁起絵巻・承久本」(国宝)は、菅原道真の生涯と、道真死後のさまざまな災いが道真の怨霊の仕業と信じられて、天神信仰が生まれるまでの様子が描かれたものであり、類本の多い天神縁起の中でも、ひときわ優れたものとして有名である。
(京都検定テキストより)
(上京区御前通今小路上ル馬喰町)
祭神
菅原道真、中将殿(道真長男)、吉祥女(道真夫入)
菅原道真の怨霊を鎮める、皇城鎮護の社として建てられた。全国およそ一万二千社を数える天満宮・天神社の宗祀(総本社)で、その多くは当宮より勧請された。天暦元年(九四七)に多治比文子に道真のお告げがあり、北野に道真を祀ったとされる。また、近江の比良宮の神良種の息子へのお告げによって現在地に社殿を造営したとも伝える。永延元年(九八七)に初めて北野祭を行い、一條(一条)天皇により「北野天満天神」の勅号を賜わった。古くから道真は学問・文芸の神とされ、社前には文人墨客が集い、室町時代には連歌の中心地となった。有名な北野大茶湯は天正十五年(一五八七)に豊臣秀吉によって催され、慶長八年(一六〇三)には出雲の阿国(↓245頁)が社前で初めて歌舞伎を興行し、歌舞伎発祥の地ともいう。
創祀は平安時代にさかのぼるが、現在の社殿は慶長十二年に豊臣秀頼が片桐且元を奉行に再興したもの。本殿、石の間、拝殿および楽の間(すべて国宝)は権現造(八ツ棟造)の代表例である。
また、中門(重要文化財)は見所にあふれ、太陽、月、星の彫刻から別名「三光門」とも称される。さらに、「北野天神縁起絵巻・承久本」(国宝)は、菅原道真の生涯と、道真死後のさまざまな災いが道真の怨霊の仕業と信じられて、天神信仰が生まれるまでの様子が描かれたものであり、類本の多い天神縁起の中でも、ひときわ優れたものとして有名である。
(京都検定テキストより)
北野天満宮末社
伴氏社
祭神 伴氏
北野天満宮の境内末社。石造五輪塔の忌命塔跡地を社として、菅原道真の母である伴氏を祀る。社前の鳥居は鎌倉時代に建てられ、京都三珍鳥居の一つ。台石に蓮弁が彫られているのが珍しいとされる。
(京都検定テキストより)
伴氏社
祭神 伴氏
北野天満宮の境内末社。石造五輪塔の忌命塔跡地を社として、菅原道真の母である伴氏を祀る。社前の鳥居は鎌倉時代に建てられ、京都三珍鳥居の一つ。台石に蓮弁が彫られているのが珍しいとされる。
(京都検定テキストより)
撮影機器:
感想
今日の写真は白っぽ目です(-_-;)
北野天満宮を出るまで気がつかなかった。
2日前に大文字山に登ってカメラの露出を+0.7にしたまま元に戻していなかった。
本来だったらきれいに撮れた梅の花も台無しです。
白梅町でバスを待っていたら大文字山のお友達に偶然でっくわ♫
朝市は残念でしたがお友達に会えて良かった♫
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