旧四賀村境界線一周ハイク・第1行程調査山行〜後半
過去天気図(気象庁) | 2003年06月の天気図 |
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感想
6月13日(金)
学校林の降り口から沼に向けての下り道をつくるため、刈り払いしながらテープを巻いて降りた後、沼から逆に沢を遡ってルート切り開く。沼の上流は幅5〜6mほどの広さがあり、樹木に被われてはいるものの小さな平面が階段状に連なっており、かつては桑畑だったのではないかと思われた。その一画をえぐって細い流れがある。ところどころに水がたまった場所があって、そういう所では鹿が転げまわって泥あびをした跡があった。
一面が鹿の踏み跡で頻繁に歩く所はしっかりした道になっていた。踏み跡は両側の斜面にもあり、そこらじゅうが鹿の通り道だった。近隣の山で鹿の歩いていない所はどこにもないと言いきれるほどである。これを見ると最初の山道は人間ではなく、鹿などの獣たちがつくったに違いないとさえ思えてくる。鹿の踏み跡はそれほど頼りにもなるのである。
沢の奥は思ったより長く、かなり歩いてようやく源頭に到達した。左右だけでなく正面にも急な斜面が迫り、その上に青空が見えている。その一番低い部分を目指して最後の登りにかかる。「進入禁止」と書かれた先の林道に出ると信じて疑わなかったが、登り切るとそこに見慣れた車があった。出発点に戻ってしまったのだ。
身体中の力が抜ける衝撃だったが、冷静になって考えてみると沢はほとんどまっすぐで右にカーブしていたとは思えなかった。そうだとすれば最後の詰めを誤っただけかもしれない。思い直して林道側から見当をつけて直下降してみることにした。分岐点から50m程先の左手に小さなピークがあった。その一番高い所からまっすぐ谷底に滑り降りると思った通り先ほどの沢に出た。やや右よりの奥に青空が見えている。ここは左よりの壁状の斜面を登るべきだったのだが、低い方に気持ちが向かうのは責められない気がした。
懸案の直線部分の下降点がこれで確定したが、このルートに境界標識は一本もなかった。
6月14日(土)
残るもう一つの課題をやり遂げて明日を迎えたかった。冒険学校のFさんが中学1年生と2年生の女の子とともに小学2年生の男の子を参加させるために、お母さんが林道を伴走されることになり、道を覚えてもらうために矢の沢を振り出しに葬祭センターまで道案内する。
その後国道から谷底へ降りる道を整備しようと思ってその道を探す。道はすぐに分かったが造林鎌で刈り払いしながら進むとやがて倒木が何重にも折り重なっている所に出て行き詰まった。
そこから先は容易には切り開けそうにないので、前回降りたルートに切り替えて刈り払いし道をつける。谷底まで道をつけたかったが、次回にまわして懸案の直線コースに向かう。
最後の課題は直線部分の後半である。十二沢林道の入山点の 100mほど先から下に向かう道が見えていた。この道を辿って見ると屈曲した林道に戻ってしまったので引き返し、境界線をさらに奥に進んで北側の沢に降りる尾根を探したが見つからなかった。更に奥へ進んで適当な所から急斜面を降りる。道はまったくなかったが、半分くらい降りると鹿の足跡が見つかったので意を強くし、それを頼りにやっとの思いで沢まで降りた。ところがその沢には見覚えがなく、急いで下ると200mほど下流で本沢に合流した。改めて地図を見ると水線はないが沢があると読み取れる地形で、それは境界線よりも豊科よりだった。要するに奥(西)に入り過ぎたのであり、境界線をつなぐにはもっと手前(東)から降りるべきだったのだ。
ならば沢の側から探すしかない。沢ははじめにまっすぐ東に向かって伸び,途中から大きく北向きに曲がるので、東に向かう延長線あたりの斜面をよじ登れば必ず境界線の道にぶつかるはずである。考えてみればはじめからそうすべきだったかもしれない。
けれども先ほどの斜面の下りで疲れ切っていた上に午後からの雨で合羽の中までぬれで気力が湧かず、あきらめてトボトボと林道を迂回し車に戻る。不本意だが、明日はこの部分だけ境界線を外れて歩いてもらうしかない。
知らない山の中を歩き回った1週間だったが、未知の部分が多い分,ワクワクさせられて面白かった。今後も全てのコースを事前調査することになるので可能な方には参加をお勧めしたい。
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