大文字山(九十四露神社探索) 善気山・月待山(東山三十六峰更新)
- GPS
- 03:27
- 距離
- 6.3km
- 登り
- 526m
- 下り
- 513m
コースタイム
- 山行
- 3:02
- 休憩
- 0:25
- 合計
- 3:27
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2023年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
バス
京都市バス 銀閣寺道乗車 |
コース状況/ 危険箇所等 |
●「左 俊寛旧跡 一丁」の碑および九十四露神社跡 瀧宮神社の千手乃滝から京都一周トレイルへ向かう道は、案内表示はありませんが、まったく問題ありません.道幅も広く安心して歩けます。 京都一周トレイルの標章42の手前で、若王子神社の桜苑に下りていく道に進んでいきます。この道も、まったく問題ありません。 「左 俊寛旧跡 一丁」の碑のある沢に向けて、適当なところから谷筋を下りていきますが、案内表示や分岐や踏み跡らしきものはありません。少し進むと大規模にネットが設置されています。ネットが二重になっているために、なかなか抜けられるところが見つかりません。なんとか這いつくばりながら、通り抜けることの出来るところを見つけました。これを二回繰り返しまして、谷を下っていくと二股になっているところに碑があります。 碑から明瞭な山道を進んでいくと、別の沢に入っていくところがあります。入り口が少し荒れていますが、入ってしまえばすぐに、廃屋があり、左手上部をよく見ると九十四露(ことしろ)神社跡の廃屋があります。廃屋に向かって直登しましたが、それほど危険ではありませんでした。 正直言って、今回のルートはお勧めできません。大規模なネットが設置されていて、抜けるのに苦労するためです。霊鑑寺を経て、浪切不動尊から沢を登っていった方が良いと思います。私たちは辿ったことがありませんが、yjinさんのレコが参考になるでしょう。 ●九十四露(ことしろ)神社跡の廃屋から楼門の滝 神社跡からは明瞭な山道は見当たりませんでしたが、緩やかな斜面の尾根を適当に登っていけます。尾根を登る切った所に、南東方向に続く尾根の方向から楼門の滝への明瞭な道がありました。この道さえ見つけることができれば、楼門の滝まで問題なく下りていくことができます。 ●楼門の滝〜大文字山山頂〜善気山〜月待山 楼門の滝から、京都一周トレイルを少し進むと、地形図の破線ルートが大文字山の山頂に向けてあります。最初はこの破線ルートに沿って進みますが、途中から少し西側に逸れて踏み跡が続いています。若干荒れ気味で急登ですが、通行困難な箇所はありません。 山頂から火床は安心のメジャールートです。火床から善気山・月待山へも問題ありません。 |
その他周辺情報 | このコース上にはトイレはありません。 |
写真
装備
個人装備 |
長袖シャツ
Tシャツ
靴下
グローブ
日よけ帽子
靴
サブザック
昼ご飯
行動食
飲料
地図(地形図)
GPS
筆記用具
ファーストエイドキット
常備薬
日焼け止め
保険証
携帯
時計
サングラス
タオル
カメラ
|
---|
感想
一週間前に、大文字山を訪れて、京都一周トレイルから椿ヶ峰へ下りていきました。その際に、霊鑑寺や楼門の滝の方に下りて行けるのではと思い、調べてみると、「左 俊寛旧跡」というのがあるらしく、さらに大文字山山頂で常連さんに頂いた地図には、ことしろ神社と表示されていました。というわけで、さっそくの探索に行ってきました。
瀧宮神社の千手乃滝からの登りが快適で、気をよくして碑のある沢を目指して下りていくと、ネットに阻まれて大苦戦。一気にテンションが下がりましたが、碑・ことしろ神社跡が、すぐに見つかりテンションが上がりました。楼門の滝までも、大文字山山頂に抜ける尾根道も問題なく、東山三十六峰巡りをした際に省略していた善気山・月待山もクリアして気分よく山行きを終えることができました。
が、家に帰ってkumakumoが写真につけたコメントを見ていると、「左 俊寛旧跡 一丁」とあり、「一丁」を見逃していることに気付きました。一丁を調べてみると、約109mのようで、荒れていて面倒そうだなと思って、左股を探索しなかったことを後悔することになりました。宿題が終わったと思っていたら、まだ残っているのに気付いた気分です。
平家物語に登場する俊寛僧都の悲運は、能、人形浄瑠璃、歌舞伎の
それぞれで、人物描写およびストーリーにも独特のアレンジがなさ
れている。なにかと想像が掻き立てられる物語だ。
現在「俊寛の碑」といえば、楼門の滝の上にある「俊寛僧都忠誠之
碑」を指し、京都市のデータベースでもこれを「鹿谷山荘跡碑」と
している。(https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/)
この大きな石碑は昭和になってから建てられたようだが、今回発見
した古い石標は、データベースには記載されていない。果たして、
石標が示す地点が本当の山荘跡なのか。石標自体が立つ方向を変え
てしまったのか「左 一丁」は謎のまま。
九十四露(ことしろ)神社は、同行のSayup18が入手していた地図に
記載されていたもの。おそらく「事代(ことしろ)」なのだろうが、
当て字がまるで昭和のヤンキー語。「夜露死苦!」みたいな……(^^;)
その神社跡は、やはり昭和の廃屋風で、やかんやポリ製の洗い桶、
瀬戸物茶碗の破片などが周囲に散らばっていた。
諸行無常。城春にして草木深し。手入れをしない土地は、季節が一
巡するだけでも一気に雑草地になる。近世以降の家屋は、何十年、
百何十年の内に廃屋としての姿を晒す。
積もる千年は、木や紙や土でできていたであろう俊寛僧都の山荘が、
成仏して山の土となるのに十分だ。
大文字山頂上から春霞に煙る午後の街を眺めた後、3年ぶりの善気
山、月待山を経由し下山。茶団子のような苔石の堰堤もそのままに、
つつがなしや石垣。
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する