五竜遠見尾根地蔵の頭イグルー講習・松本深志高校山岳部
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- GPS
- --:--
- 距離
- 1.1km
- 登り
- 27m
- 下り
- 37m
コースタイム
- 山行
- 0:20
- 休憩
- 5:20
- 合計
- 5:40
天候 | 晴れ |
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過去天気図(気象庁) | 2023年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
温度高い。 |
写真
装備
個人装備 |
スコップ
ノコ
テムレス
スキーストック
|
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感想
松本深志高校山岳部のコロナ明け久々雪山登山でイグルー講習会。過去10年ほどの間に二度イグルー講習をした。
【遠見尾根雪崩遭難事故追悼】
1989年3月18日に地蔵の頭の対岸の急斜面で雪崩遭難死した酒井耕さんの追悼を始めにした。酒井さんは京大を卒業して長野県の高校教師一年目、山岳部顧問のための雪山研修に参加し、この現場で雪崩にあい、死んでしまった。主催者は県の教育委員会で現場には登山ベテランの講師だったが、新雪層厚い急斜面に何人も踏み込んで起きた人為的な表層雪崩で、今から見ると、完全に判断ミスだと思う。
当時は山岳ガイドも無い時代、雪山登山経験豊富な人の判断に従うしか無く、山岳遭難での死亡事故で訴訟になることもほぼ無かった。しかしこの裁判を機に、その常識は変わった。1995年、山の事故といえどもリーダーの判断ミスと主催者の管理責任を問う判決となった。県の対応が被害者遺族に対してあまりに事務的過ぎたため訴訟になったが、結果としてこの判決により登山者自身の認識も世の中の登山事故に関する認識も大きく変わったと今は思う。1995年頃は、それまでの日本とはいろいろな面で大き変わった画期だったと今はわかる。震災、オウム、リスク管理、テロ対策、責任認識・・・。
私は、犠牲者の酒井耕さんとは深志高校の同級生だったが、事故後の訴訟のいきさつを聞いて、当時は山での事故で訴訟をすることに違和感を感じたのを覚えている。当時私は山岳部の5年目で、山登りに没頭していた身としても、そう感じた。その時代から、今は、登山者も世間の常識も大きく変わったものだと思う。
いま深志の山岳部の顧問を務めている西牧さんは、酒井さん、私と高校時代に同級で、しかも酒井さんとは高校大学時代を通じてずっと付き合いのあった親友だった。それまであまり訴訟にならなかった山岳遭難で、酒井さんの家族を助け励まして、一緒に訴訟を歩んできたのが親友だった西牧さんだ。今も地蔵の頭でこの話を毎度、生徒たちに話し続けている。
もう長い時間が経ってしまったが、2017年には那須連山で、栃木県の高校山岳部研修で全く同じように、雪崩判断の初歩的なミスのせいで、そして主催のあまりに甘い管理体制のせいで生徒や先生が何人も亡くなる雪崩遭難死亡事故が起きてしまった。
【イグルー講習】
生徒10人、先生3人+イグルスキー、新聞の取材2人で、イグルー講習。
初めにイグルスキーが説明入りで一発作って見せて、その後みんなが一人一個ずつ開始。早い人は1時間を切る早さで完成させて、中でカップラーメン食べ始めたぞ!全体にみんなイグルスキーの説明をよく理解してくれている。うまくでかいのや長いブロックが切り出せない場合は、基本的にノコギリの使い方、重いブロックの運び方などに難があって、やってみせると改善した。
積雪は260センチ。掘って見ると表面の柔らか熱射雪の下にグズグズ霜ザラメ層、更にその下(50センチ下)には多少重いけどカルカタ雪層があって、丁寧にブロック切り出せれば楽勝のコンディション。でも、気温が高いから、午前中に作ったデモ用は昼過ぎに崩落。
みんな楽しかったと言ってくれて幸せ。コロナでろくに雪山に行けない三年間だったけど、これからの人生はイグルーがあれば長く楽しい。いつか思い出して生かしてみてね。いや、来年は一泊したいね。
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