川越電気鉄道(西武大宮線:廃線)跡


- GPS
- 03:17
- 距離
- 17.7km
- 登り
- 10m
- 下り
- 17m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2023年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
全行程公道歩きにつき交通ルールを遵守されたい。 |
その他周辺情報 | 《ランチ》焼肉スエヒロ館 大宮駅東口すずらん通り店https://www.hotpepper.jp/strJ001196749/ |
写真
感想
川越電気鉄道は、川越久保町駅と大宮駅とを結んでいた約12.8kmの鉄道路線です。同線を敷設した川越馬車鉄道(川越電気鉄道)は当時の入間郡川越町(現川越市)に埼玉県下で初めて電灯を灯した電気事業者でございます。
川越馬車鉄道は、明治35(1902)年に第八十五銀行取締役 綾部利右衛門を筆頭に川越商人達の発起によって設立されました。明治36(1903)年に川越電気鉄道に改称、翌年に鉄道免許を取得し開業、また、県下初の100kW出力の発電機2基による川越火力発電所を建設し直流200ボルト送電を開始、川越町内431戸での電灯供給を開始しました。その後、大正11(1922)年に鉄道事業は武蔵鉄道に分離され、西武鉄道(現在の西武鉄道の前身)に改称しました。
東京市電に習って軌間は1372mmを採用、東京市電払い下げの車両を使用した所謂チンチン電車でした。概ね道路との併用軌道で川越久保町-大宮駅間を約45分で結んでいたそうです。
さて、同線の敷設工事は当時発足したての帝国陸軍赤羽工兵隊鉄道大隊が演習を兼ねて行ったそうで、野戦鉄道程度の整備水準で敷設されたことから軌道の地固めが極めて不十分だったとのこと。その為、電車の揺れが激しく脱線事故が頻発、昭和6(1931)年の脱線事故にて中学生が亡くなり、川越市民から廃線の声が上がるようになったそうです。
その後、昭和15(1940)年に現在のJR川越線(非電化)が開業して川越-大宮間を約29分で結ぶようになったことで乗客が激減、翌年には廃線となりました。
私が小学生の頃、郷土の歴史の授業において「昔、川越と大宮を結んだ電車があったが、国鉄川越線の開通によって廃線となった」旨を学習しました。子供ながらに、何で電車が非電化の鉄道に負けるんだろう???と思って早十数年、川越電気鉄道の歴史を調べ、ようやく廃線理由を知ることとなりました。
本日は同行してくれたドラ息子に感謝です。
コメント
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さいたま市へようこそ!写真24〜26辺りはご近所です。
川越電気鉄道と言うのは全く知りませんでした。またその廃線跡があるというのも・・・。その内に後追いしてみますね。お疲れ様でした〜。
へぇ、私の家とmameさまの家は徒歩圏内なんですね!てか、上江橋を歩いて渡る人は稀でしょうけど(^_^;)
川越電気鉄道は80年以上前の戦前に廃線となっていて遺構は殆ど残っていません。よって廃線探訪としては難易度が高く、熊倉山で言うと聖尾根ピストンくらいの難易度かとw
ご近所にセコマがあるなんて羨ましいです (^▽^)ノ
mameさん同じく、さいたま市へようこそ!(*^^*)
私も川越電気鉄道というものは知りませんでした。
また、偶然ですが本日私も車ですがお墓参りで上広橋を渡り土手沿いを工事をしているのを目撃しました。あの土手下の道を今度利用して山に行こうと思っています。
No26の17号の交差点、、高い所から撮っていますね。あの交差点かなぁ〜。。
ふむふむ、あの近くの靴屋さんで高校生の時にバイトしてました!!
(関係ないですね💦)
それにしても、小学生の頃の授業の内容を記憶しているとは凄いです!
きっとその頃から鉄道に「萌え〜」という気持ちが芽生え始めていたのですね(^^)
雪の熊倉山頂でお会いして以来のお久しぶりでございます&怪しい裏アカウントへようこそw
実は私、熱心な鉄道マニアという訳では無く、ノスタルジックな気分に浸りたくて廃線探訪をしています。でも、今回の川越電気鉄道は廃線になったのが昔過ぎて遺構が殆ど残っていなくて、萌え箇所は1箇所でした。← 何のこっちゃw
因みに私は、川越の16号沿いにあるロジャース近くのマルカワというジーンズ屋でバイトしてましたw
出来ることなら記憶を維持したまま、青春時代に戻りたい!と妄想していますが、無いものねだりのI want youです (^▽^)ノ
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