ツール・ド・モンブラン-Day 2-Tour du Mont-Blanc (TMB)

- GPS
- 12:11
- 距離
- 18.6km
- 登り
- 1,245m
- 下り
- 809m
コースタイム
- 山行
- 9:06
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 9:06
- 山行
- 0:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 0:00
過去天気図(気象庁) | 2022年08月の天気図 |
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アクセス |
写真
感想
20220816_TMB_Day 2 (Tue)
5:45 起床。外はまだうす暗い。
6時から朝食。セルフサービスで、各種パン、ヨーグルト、チーズ、ドリンク類。
スタッフは昨夜のチェックインから夕食までくるくると働きまくっていた女性陣ではなく、オーナーの旦那さんだろうか、初老の男性が朝食の用意をしていた。
昨夜の飛び込み客仲間で、地下の部屋に泊まったという若いカップルと私達以外、まだどの客も起きては来ない。
食事後、部屋で荷造りをして出発。パッキングしながら窓の向こうに見える山々の上の方に朝日があたり始め、薄グレーの山肌を徐々に朱色に染め上げていた。
通りにはまだ、人影はほとんどない。昨夜のカフェとスーパーマーケットの建物の隅には、どこから来たのか馬が一頭繋がれてたたずんでいた。
La Fouly村に別れをつげ、2日めのハイク開始。
TMBルートはすぐに村の裏手に流れている川沿いの道へ入った。あちこちに苔が群生し、とても美しい。たまに人とすれ違っても、朝の散歩という雰囲気の地元の人か早朝ランニングの人で、TMBハイカーらしき出で立ちは見かけない。
川沿いの道から離れ、Ferretの小さな村に入った。私達が参考にしていた、Cicerone社の「Trekking the Tour of Mont Blanc ~ Complete two-way hiking guidebook and map booklet」(https://www.cicerone.co.uk/trekking-the-tour-of-mont-blanc)では、Champexから時計回りで歩き始めるパターンの第1日目のゴールとなっていた場所だ。
ただ、当たりにはペンションホテルらしき建物はあるものの、店もカフェもあるようには見えないとても小さな村だったので、少し手前のLa Foulyで止まっておいて正解だった。
しばらくは静かな道路を歩く。
たまに通り過ぎていく車の半数はバン型のタクシーで、ツアー参加や特定の宿のサービスとして、ハイカー達を登山口まで送迎するサービスがあるようだ。どうりでここまでの道のりで歩いている人たちをほとんど見かけなかったわけだ。
車道の脇の森の中にベンチがあったので、ザックを下ろして休憩。送迎タクシーが更に何台も目の前を行き来していく。やがて、背中に荷物をいっぱいに積み上げた馬がガイドに手綱を引かれ歩いてきた。その後ろにはハイキング姿の人々の大きなグループが付いて歩いてくる。おそらく、よくあるTMBハイクツアーの一つだろう。
馬と彼らのツアーが通過した後、私達もザックを背負い直し再び歩き始めた。朝一番から道路歩きだったが、今日の行程はここからはひたすら山道となる。その開始点であるLes Arsdessous登山口手前の駐車場には多くの車が停まっていた。
このパーキングの手前でトレイルが分かれる。
ツアーや大きなグループはほぼ、右手のTMBルートの方へ曲がって行くが、まっすぐ進んでいく若いハイカー達も多かった。きっと別の山へ向かっているのだろう。
登山口から登り始める前に今来た方を振り返ると、また別の荷運びの馬と後に続くツアーの一行がこちらに向かってきていた。
登山口からしばらくは、急な登りの細いジグザグ道が牧草地の中を抜けながら一気に高度を上げていく。その後、林道のような未舗装だが広めで傾斜も緩やかな道を横切り、そこは自転車のTMBルートだった。先程からあの荷馬もこの細い道を延々と行くのかと疑問に思っていたのだが、ここでその謎は解けた。彼らはその自転車道を上がっていったのだ。
私達は歩きルートの細い道を引き続き辿ったが、じきに自転車道と同じ様な幅広の未細道に合流。後方から件の馬とツアーの一行も歩いているのが見えた。
山の中腹まで来ると、私達のTMBにとっては初の「山小屋」Gite Alpage de la Paule が見えてきた。TMBの地図上では山小屋はRefuge やArbergeと表記されている。「アルベルゲ」とはスペイン巡礼道沿いの巡礼者用の安宿だけの固有名詞じゃなかったのだな。また、Refugeという単語だけ見ると避難小屋のように感じるが、普通に有人で食事付き宿泊ができる山小屋だった。
Gite Alpage de la Pauleに到着すると、小屋の外に置かれた沢山のテーブルはほぼ満席。ハイカー達は同じグループ同士でテーブルでくつろぎ、ドリンクや食事を楽しんでいる。ここは、小屋の中のキッチンに入って自分で注文し、自分で皿を持って出てくるスタイルだ。混んでもいたし、まだお腹はすいていなかったので、食べ物は注文せず、冷たいジュースだけにした。
生絞りのフレッシュいちごジュースはグラスにたっぷり1杯で500円程度。世界最高物価のスイスのしかも人里離れた山の上というロケーションを考えれば、驚愕の安さだ。山の上とは言え、車での物資輸送は可能な場所だから、トイレは水洗で紙もあり、きれいだった。
ここから先は山を越えて反対側の麓近くの山小屋までは水場は無いはずなので、ハイカーは皆トイレの水道で水の入念に水の補給をしてた。
まだ先は長いので、あまり休みすぎてしまわずに出発。
。。。実は、またしても、ここで食事をしていなかったことを後でたっぷりと後悔するはめになる。
山越えの道と言っても、ひたすら長い未舗装農道のような道をゆるゆると登っていく。周囲に高い木々はなく、開けた放牧地の中を進んでいるので、山の上というよりは丘陵地帯を歩いているようだった。それでも先程の山小屋ですら既に標高は2000mを越えている。最高峰(石鎚山)でも2000を切ってしまう西日本勢の私の人生での最高点到達記録は、新穂高ロープウェイの山上駅の2156m。
なのに今この丘の上に歩いている時点でその記録をあっさり越えてしまった。既に未知の高度にいるというのにまったく実感がわかないのは周囲の風景ののどかさのせいだ。
道幅は狭くなり、私達の右側は放牧地の斜面、左側はなかなかに急な崖状の斜面になった。ひっきりなしに前から後からハイカーが来るので、困ったことに立ち止まって道を占領して休むわけにはいかず、もちろんトイレができそうな場所もない。
木陰というものが一切ないので、日光が直射でジリジリと焼きにかかってくる。これまで数日間TMBエリアにいるが、今日は確実に体感最高気温だ。見通しが良く遥か彼方を歩く人達の姿まで見えるからだろうか、とにかくすごい数のハイカーだ。進行方向は、やはり3対2ぐらいでこちらへ向かって歩いてくる方が多いので、ひたすら道をゆずり合い、挨拶の言葉を交わし合いで、歩いている行為よりもそちらの方が疲れる。
昨日Champexからスタートした直後はあれほどTMBでは挨拶しないのか?と思ったのに、今日は挨拶合戦とは一体どうしたことだろう。よくよく思い返してみれば、私達がスタート直後に歩いていたのは急な「下り坂」、つまり反対の方向から来ている人たちにとっては「急な登り坂」だったわけで、きっと登るのに必死で挨拶をしている余裕がなかったのだろう。
この山というか丘のどこかで、スイスとイタリアの国境を越えることになっているのだが、行く手にはただただ広大な丘陵とトレイルがあるばかりで「国境越え」に相応しいゲートや建物などそれらしいものは全く見当たらない。
ハイカーの8割はとても軽装で荷物も小さく、日帰りハイクやツアー参加者のようだ。もちろんその分足取りも軽い。重い荷物を背負った私の足取りはゆるやかな坂道と言えども重く、ゆっくりと進んでいく。
放牧地の中を歩いているので、牛がどっさりと歩いているエリアの中に入った。大きな牛たちが自由気ままに歩き回っている中をTMBハイカーはすり抜けていく。もちろん牛たちにとっては慣れっこの状況なので、驚かさないように静かに歩けば何が起こるわけでもない。
愛犬を連れたハイカーも多く、ほぼ100%引き綱無しで歩いている。日本であれば驚愕の大騒ぎだが、こちらの犬達は一応に非常にしつけがよく、散歩中も飼い主から離れずにとことこと歩いている。犬同士が出会ったとしても、お互いスルーで吠えもしなければじゃれ合うこともない。もちろん、放牧されている動物にちょっかいをかけるようなこともないし、たぶん通り抜ける時は引き綱を付けているだろう
ただ、今日はどうやら例外がいたようだ。
山越えの稜線がもうすぐ向こうに見えている程の高さまで来てようやく、少し広くなった場所を見つけた。ザックを下ろして休憩している間に、後方から黒い犬を連れた若い男性のソロハイカーが私達の横を通り過ぎていった。
私達がのんびりと絶景を楽しみ写真撮影などしているうちに、遥か前方でなにやら犬の吠え声や人の声がわっと上がったかと思うと、犬に追い回されているらしい放牧中の子羊がトレイル上をこちらに向かって死物狂いの速度で一目散に走って来たのだ。
まさかの暴走子羊に激突されないようにいつでも避ける用意をしている私達の前で子羊は速度を緩めた。子羊は私達を通り過ぎてまだもう少し行って立ち止まり、丘の斜面の向こう側に隠れて顔だけのぞかせてこちらを伺っている。
そうこうしているうちに犬はどうやら羊の群れのまた別の一頭を追い回しており、飼い主の男性が止めようと怒鳴り声を上げている。その羊は犬を交わしてこれまたこちらに向かって走ってくる。ようやく犬は飼い主に取り押さえられたのか、もう追ってはきていなかった。
子羊よりはずっと大きな体にぶち当たられてはたまらないと、またしても私達が避ける準備をしているところで、隠れていた子羊がトレイル上に出てきて可愛い声でメーメーと鳴き始めた。すると、大きな羊も返事をするようにメーメーと鳴き返し、私達の目の前で二頭はお互い駆け寄りすり寄った。
必死に追ってきたのはきっと母羊なのだろう。子供を追いまわす犬に向かって突っかかって追い払い、その後逃げた子供を探して全力で追いかけてくる姿には胸を打たれた。
母子羊はもと来た方へは戻らず、いっしょにすぐ横の斜面を登り始めた。と、同時に向こうにいた巨大な羊の群れはいっせいに放牧地の斜面上をこちらの方向に向かって大移動始めた。少し遠くにいて遅れてしまった羊たちが後を追いかけてくるので、先頭の一群はその都度立ち止まり後方に向かってベェ〜ベェ〜と呼びかけている。「こっちだ、早く来い」とでも言っているのだろうか。
全羊が大波のように動き始めたところで、丘の稜線上にひょこっと羊飼いと数頭の牧羊犬が現れた。
先程羊を追いかけ回していた黒い犬は実は幸運だったのだ、と巨神兵が言う。もし牧羊犬達が近くにいたら、彼らは躊躇なくたぶんふざけていただけの黒い犬に飛びかかり、羊飼いももちろん止めないだろう、と。確かに、スイスの山の中の本物の牧羊犬はアニメの中にいるような優しい目をした犬のイメージとはかけ離れた顔つき目つき体つきをしている。やれと言われたらやるぞ、とことんやるぞという顔なのだ。
ゆるやかな登りながらも距離は予想以上の長さで、とっくにお腹はからっぽになってきた。先程の山小屋で何も食べなかったことを後悔する。お腹がグーグーと鳴り始めたので、これでは倒れてしまうと急いで非常食のグミを食べた。
国境の山越え Grand Col Ferret の稜線まで、あと少し。多くのハイカーが斜面や稜線の上に座って休んでいるのが見える。あの稜線が国境だというのに、やはりゲートも、フェンスも、柵も、国境のラインを示すようなものは何もない。
稜線の背後には、巨大な岩山の突端部が頭をのぞかせている。
国境稜線の直前の上りはまたいきなり斜度が上がった。周囲の斜面でのんびりとくつろぐハイカー達の真ん中をよろよろと登っていく私は、間違いなく死にそうな顔をしていただろう。
遂に到達したこの日の最高地点、そこへ立ち、眼下に広がる絶景に息をのんだ。
左手に連なる緑の丘陵地帯とは対象的に、右側にはこれぞ岩稜!な切り立った巨大な岩の山が迫力満点にそびえ立っている。間に挟まれた谷間には渓流が遥か彼方まで続いている。
数年前に「神々の山嶺」を漫画で読んだ。それ以来、グランドジョラスという山の名前だけがなぜか頭の中にこびりついている(たぶん、響きが良いというだけの理由)。実はこの山が、ヒマラヤかアメリカかどこにあるかさえもきちんと覚えていなかった。
今、自分が目の前に見ている巨大な岩の山脈の、ひときわ高い頂点、なんとこれが本物のグランドジョラスだった。
実はそもそもTMBに来たのだって、ツール・ド・モンブランという1週間以上歩き続けられるきれいな
ハイキング道があると聞いて、「じゃ、行こ行こ」程度の軽さで来たのだ。モンブランという山の名前だけはかろうじて聞いたことがあっても、モンブラン山系の他の山々のことなど何も知らず、そもそもここがアルプスの一部であるという認識すらなかったぐらいの基礎知識ゼロ野郎の私なのだった。(もちろん巨神兵はヨーロッパ地理なのでちゃんといろいろ知っている)
ここまで登ってくる間はほぼ無風だったのに、稜線に立った途端に激しい風がびゅうびゅうと吹き付けて来る。ソフトシェルを着てもあっという間に身体が凍えてくるので、今来た側の斜面を少し下ると風がぴたりと遮られ、急激に暑さを感じる。なるほど、どうりでみんなこっちの斜面に座って日向ぼっこしているわけだ。
稜線上には、なぜか大きな十字架と、そしてトレイル標識がたくさん付いた小さな石造りの台があった。台の上に立てられた石のプレート、こちら側には「S」と書いてあり、あちら側には「I」。SはスイスのSである。このあっさり過ぎるほどあっさりとした石標だけが、唯一の国境表示だった。
そして私達はイタリアに入った。
国境を越えることすなわち「海を渡る」ことになる私達日本人の国境意識とは完全に異なる国境の概念がヨーロッパにはあった。TMBを歩いている間、何度も頭の中に名画「サウンド・オブ・ミュージック」のラストシーン、トラップ一家が国境を越えて逃げるために山を歩いて登っているシーンが浮かんだ。幼い頃にあの映画を見る度に、なぜ山を越えるだけで逃亡成功になるのだろうと不思議でならなかった。その後国境の関門やゲートなどで引っかかるのではないか?と。
なるほど、ようやく腑に落ちた。
イタリア側への下りは、遥かに急な山道になった。足の爪先が靴の中で前に押されて痛む程の傾斜だ。
大多数のTMBハイカーは反時計回り、つまりこれを登って来なければならないのだと思うと、またしても時計回りルートにして良かったと思った。
実際、私達が下りていく間に、何十人というTMBハイカーが重いザックを背負って汗びっしょりに鳴りながら登ってくるのとすれ違った。思わず目を疑ったのは、なんとマウンテンバイクを肩の上に担いでこれを登ってきた若い男性がいたことだ。
別の意味で二度見してしまったのは、若い男性3人組。一人がザックの後ろになにか大きな物をおんぶしているとおもったら、なんと西洋版ダッチワイフ。空気で膨らますタイプなので見た目よりは遥かに軽いのだが。通り過ぎる時に「彼女連れか?」と声をかけると「いつも一緒で寂しくないよ。わっはっは」ととても明るい笑い声とともに、一行は軽い足取りで登っていった。
風は変わらずびゅうびゅうと吹きつけ、トレイルは火山灰のようなサラサラの粉砂なので、歩くと焚き火の如く砂埃が舞い上がる。登ってくる時も土質は同じだったが、風がなかったのできがつかなかったのだ。
私は巨神兵の後ろを歩いているので、下りの急なキツさのつま先の痛さに加え、この砂埃がもろに正面から襲ってくるのに苦しめられたが、こればかりは忍者でもなければどうしようもない。せめて私の後ろから来る人達には迷惑をかけたくないと、必死でなるべく後ろに砂を蹴り上げないように歩いた。
唯一の心の支えは、この坂を下り終えた谷間には山小屋があり、そこで何か冷たいものが飲める、食べられる、休めることだった。もう心底お腹がぺこぺこだった。
Rifugio Elenaにようやく到着したのは4時頃。中に入ると妙に閑散としている。
なんと、昼のレストラン営業は2時半までだった。夜の営業は5時からだという。
最近は日本でもランチタイム営業からディナータイムまで数時間昼休みに入る飲食店が増えたとは言え、まだまだ「昼間はずっと営業している」という感覚でいた私がくらったヨーロッパ時間軸の洗礼。しかも、ここはイタリアだ。たっぷりと昼休みを取る南欧文化に入っていたことをすっかり忘れていた。
空腹限界ギリギリで救われたと思っていたところにこの打撃はとことん私の心を折った。
では5時まで待つか?という案もあったが、今日の目標地にしていた次の次の山小屋はまだまだ何kmも行かなくてはいけない。グズグズしていてもここでは何も出てこない以上、とにかく頑張って次の小屋に行こうと、山の中腹沿いに緩やかに下りていくトレイルを更に3kmほどよろよろと歩いて、次のHotel -Chalet Val Ferretにたどり着いた。
本来の目標値はこの次の小屋、Refugio Bonattiだったが、もう私の体力も限界に近づいていた。部屋があればもう今日はここで終わろうと、昨夜のLa Foulyの宿のような幸運に賭けてみたが、二匹目のドジョウはいなかった。
宿は満室。それならば、併設のカフェには客が何人もテーブルに座ってくつろいでいたので何か食べ物をと思ったのに、「テーブルも食事も予約客のみ」とあっさり知らん顔だった。
やはりここはイタリア、日本のように満席なら「急いで席をつくりますね」とか「少し待ってもらえればなんとかしますよ」というサービス精神は通用しない。
2件の山小屋で立て続けに楽観的希望が打ち砕かれ、心身ともにがっくりときてしまった。
部屋がない以上、ここからの選択肢は2つ。
1)バスに乗り、ずっと先のTroncheのキャンプ場に行き、明日の朝またここまでバスで戻ってくる。
2)ルート上を先に進み、次の山小屋までのトレイル上のどこかでテント泊
バスを使用すると、運行スケジュールに時間を制約されてしまう。基本的には(2)の選択だったが、問題は水の確保ができるかだった。ここからルートはまた山を登っていく。水の問題が不確かなままで登り始める賭けができるような体力も気力ももう残っていなかった。
登り口の方を見ると、この時間でもまだぽつりぽつりと下りてくるハイカー達はいた。フランス人らしき中年のカップルにこの先のトレイル状況、特に水が補給できるようなせせらぎや泉があるかを尋ねると、「いっぱいある」と言う。よし、(2)で行こう。
とは言え、私の足と体力はこの時点で深刻に限界に達していた。登り始めからまず最初に標高300
m分のジグザグ急登だったが、もう足に力が入らなかった。見かねた巨神兵が私の分のザックまで持ってくれたので、彼は背中に自分のザック、前面に私のザックと合計23kgもの重量を抱えて、それでもサクサクと先に立って登って行き、私は後ろからトレッキングポールの力でヨロヨロとついていくだけだった。
標高300m分登り終えると、道は同標高をほぼ横ばいの平らな道になった。フランス人夫婦が言っていた通り、何度もトレイルを横切って流れ落ちるせせらぎを渡った。
周囲は急速に薄暗くなり始めていたが、テントを張れるような平らな場所がなかなか見つからない。ようやく、ちょうどグランドジョラスの真ん前あたりで、少し開けた場所があり、木陰や岩陰に先着のテントが3つ4つ立っていた。ここで今日のハイクは終了としよう。
ほぼ日の入り時間で、地面の状態も見づらくなってきて、完全に平らで乾いた場所は見つからない。少し足元に向かって低くなるものの一応なだらかな場所をテント地に決めた。
巨神兵は先程通り過ぎたせせらぎに水を取りに行き、夕食はテントの中で急いで食べた。明日は早朝他のハイカーが歩き回る前にここを撤収する必要があるので、早く就寝する。が、身体がどうしても足元の方へズレていくのと、極度の疲労でかえって眠れない。そう言えば夕食時にあたたまるためにコーヒーも飲んだ。昨夜の宿でも、やはり疲れすぎてあまり眠れていない。
一方、巨神兵はさすがに物慣れたもので、ぐっすりとよく眠れたらしい。
日が落ちると急速に気温が落ち込む。私はダウンジャケットにダウンパンツ、そしてダウンのテントシューズを身に着け、寝袋の中には入らずに上から掛け布団のようにかけて寝た。この状態で夜にテント内で寒さを感じることはなかった。
夜中に時折、ポツポツと弱い雨が降っていたが、風も相変わらず吹いていたので水滴を乾かしてくれたらしい。翌朝のテントは濡れてはいなかった。
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