サンティアゴ巡礼ポルトガルの道 Camino Portugués - Day 4 & 5


- GPS
- 09:58
- 距離
- 33.4km
- 登り
- 104m
- 下り
- 10m
コースタイム
- 山行
- 8:39
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 8:39
- 山行
- 0:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 0:00
過去天気図(気象庁) | 2023年04月の天気図 |
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アクセス |
写真
感想
まず最初に今日の区間の前提条件の数からから確認していこう。
・距離、地図上での計測で32km。。。
・天気、デフォルト通りの雲ひとつない晴天。。。
・スタート後、最初の「おそらく飲食補給可能?」地点まで、9km。。。
・ルート上の周囲の状況、真っ平な農地のど真ん中。。。
・最後の15km、補給・給水点ナシ。。。
・ゴールの街、標高約100mの丘の上。。。
・今日は日曜日。
・しかも、カソリック最重要祝祭日の「イースターの日曜日」。。。
日本であれば、日曜だ祝祭日だとなれば「書き入れ時だ、お店はどこも当然開いてるよね」だが、ここはヨーロッパ・キリスト教国。日曜=お店は休みか半ドン、まして最重要祝祭日。
さぁどんな過酷な状況になるだろう、と7時過ぎにはAzambujaの街を出発。
とにかく午前中の涼しいうちにできる限りの距離を稼いでおきたい。目標はお昼までに20km行けたら御の字、だろうか。
日曜の朝7時なんて、カフェも店も絶対開いていない。昨夜近くのスーパーで買ったナッツと日本から持ってきたソイジョイを非常食料に、飲みきれなかったオレンジジュースとレモンティーをちゃんぽんで水筒に入れいる。
私はもともと給水無しでもかなり大丈夫な質なので、涼しいうちに毎時4kmペースぐらいの速さでいければ2時間強で9km、水なし飯なしでも保つのではなかろうか。
駅前の宿から出て最初の道標で、路地を出てきた別のハイカーが軽やかに通り過ぎていった。すっきりとまとめたザックにはホタテ貝。足取りや装備のまとまり具合から、ハイキング経験豊富とみた。
昨夜までは歩いている時でも他に巡礼道ハイカーはほとんど遭遇せず、せいぜい1日1人ゴールの街に入ったところで見るぐらいだった。
今日は結果的に、10人程度の巡礼道ハイカーに出会うこととなった。
いきなり増加したのは、Azambuja を出ると、次に宿泊できるのは12〜15kmとごく近くのファームステイ。その次は32km先のSantarémしかない。普通のハイカーは皆昨晩Azambuja
に泊まり、早朝いっせいに同じSantarém目指して出発というほぼ同じ行動時間帯で今日は動いているのだった。
先ほどのソロハイカーは早足でどんどん先に行ったが、私は何がなんでもペース死守。
荷物担いで32kmとなれば、スタミナよりも踵や膝に来る恐れが強い。未舗装道が多いと言っても、結局は農道で、カチカチの白い砂の地面は舗装道路と同じように硬い。無理なスタートダッシュをしてもいきなり超人になれるわけでもなく、もはや20代の潤った関節でもないので、無理のないペースと休憩感覚をキープはサバイバル・ルールNo.1なのだ。
運河沿いに何故か新しく整備されている歩道を歩いていくと、すぐに橋の脇から未舗装農道に入った。
道の両側には広大な畑。耕され畝が作られただけの畑や、小さな苗がすでに植えられた畑もある。苗の感じからは、じゃがいもやトマト、ブロッコリーだろうか。
とにかく畑ひとつ一つが広い。日本の水田や畑のように一反ごとに区切られておらず畦道もない。北海道やアメリカの農園のようにどこまでも果てしない、野球グランドよりも広いサイズの畑がバーンと真っ平に道の両側に広がっている真っ只中の道を歩いて行くのだった。
徐々に陽が高くなり周囲が明るくなっていく。
スタートから9km、最初の「飲食可能かも?」地点は畑の真ん中にいきなりあるセスナや小型飛行機専用の小さな滑走路がある飛行場だった。レストランの建物からはいい匂いが漂ってくる。中に入ってみると、全てのテーブルが会食用にセッティングされていて、特別ディナーか貸し切り感満載の状況。忙しく料理をしていたおばさんに「店やってますか」と聞いたら「今日はダメ」っぽい返答(ポルトガル語)だった。
イースターなんだからきっと何か食事会が入っているのだろう。仕方ない。
9km地点の補給点の夢が潰えた今、次の補給点は2km先の11km地点。小さな集落の中のちいさなカフェのようだ。閉まってそう予想が一気に濃厚になる。
11kmって、ちょっとしたハイキングイベントなら全行程の距離だよ。。。と思いながら足を進める。朝から飲食をしていないおかげでトイレにも行きたくならないのでちょうどいい。
10kmレベルで水・トイレなし上等が全然普通って、日本でウォークやハイクのイベントであれほど水トイレの準備に心を砕いて、あちこちトイレ用意してるのがいかに親切なことか。
日曜日で祝祭日、ましてや農道なので、車が走り抜けていく数は圧倒的に少ない。ただ少ない代わりに、恐ろしいスピードで走っていく。どう考えても時速80〜100kmだろうという速度で駆け抜け、農道ゆえにカーブがあるときは90度カーブだ。地元ポルトガル人のバイク族は今日はいないだろうと思いきや、意外といた。いっぱいいた。マウンテンバイク族と違ってスピードが出ているからだろうか、なんなのだろうか、中には「なぜこの広い道路でここまでスレスレに走ってくる?」という、こちらを避けない輩もごくごく一部いた。
この「もうちょっとそっちに避けれるよね?」族は自転車のみならず、この後北上するごとに一般乗用車でもどんどん出現した。もちろん大多数は安全運転、端を歩いているこちらに気をつけた運転をしてくれ、中には「がんばれ〜」と声や身振りで応援してくれたのだが。
そしていよいよ11km地点までもう少しに迫り、小さな村の家々が通りの両側立ち並び始めた。
命綱のカフェの前にはアイスクリームの看板も出ている。開いている!?
店はなんと開いていた。
地元の人たちが2〜3人中にいてコーヒーを飲んでいる。
ハムとチーズを丸いパンに挟んだ定番のサンドイッチに、コーヒー、ポルトガル代表の焼き菓子ナタをオーダー。外のテーブルで食べていると次々と、地元の人たちが犬の散歩のついでに、自転車で通りがかった人たちが休憩に、そして巡礼道歩きらしきポルトガル人の3人グループも到着と、どんどん賑やかになった。ロードバイクの一大集団もにこやかに通り過ぎていった。あれ、今日って国民的な祝祭日では。。。?
この村の辺りから道標のサインがまた一つ増えた。
ファティマ巡礼道の青の矢印に、カミーノの黄色の矢印と黄色のホタテ、そこに赤と山吹色の横2本線で「Ribatejo」と書いてある。おそらく日本の自然歩道のようなポルトガル国内のハイキングルートなのだろう。 近くの公衆トイレの前には案内板もあった。
ルートはしばらく川の堤防沿いの道路をゆく。道幅は車一台分ぐらいでそこを走り抜けていく車と共に歩く箇所もあったが、ほとんど場合は堤防の上や土手の草地の中を人が歩けるようにしてくれていた。
次の小さな村にはガソリンスタンドもあり、川の横に大きな緑地公園があって地元家族連れが多く、カフェもあった。私たちはつい先ほど休憩したばかりだったのでここは素通りして、とにかく元気なうちに距離を稼ぐ。
魔の最後の15kmはまだこれからなのだ。
この時私たちが目指していたのは、魔の15km直前の最後の村にあるカフェ。2〜3件あるのだが、念には念を入れてGoogleマップで営業曜日を確認すると、魔の農道から一番近い最後のカフェは日曜日はクローズとなっていたので、安全策で最後から2件目のカフェに立ち寄った。
先ほどのカフェでも一緒になったポルトガル人の巡礼道ハイカー達も、少し遅れてやはりこの最後から2件目に到着した。皆考えていることは同じなのだ。
喉がそれほど乾いてなくても少し無理でも多めに水分を取り、さらに水筒にレモンティーを足して満タンにする。500mlに紙パックのレモンティー、これがここから先の私の水分の全てだ。
時刻はちょうど正午。ここからは午後いっぱいは太陽が照りつける一番暑い時間帯だ。
これからいく道は大農地のど真ん中突っ切るまっすぐな農道。12km近くとにかくまっすぐなのだった。周囲は地図を見ても衛生写真を見ても、とにかく広大な農地しかない。
農道に一番近いカフェはやはり今日は閉まっていて、選択が正しかったことにホッとする。
その最後のカフェを過ぎて車道をさらに進むと、いよいよ車道が左に大きくカーブし、前方にまっすぐ白砂の農道が伸びていく場所にやってきた。
その場所からすぐ目の前に蔦が塀を覆い始めた大きな家があった。閉ざされた門扉には黄色のホタテの印があり、なぜかPCTのステッカーが貼ってあったりした。
ここは数年前までは巡礼道歩き用のアルベルゲだったらしい。高齢の経営者がお亡くなりになり、そこで閉鎖された。
今回、巨神兵が購入して参考にしている「ポルトガルの道」ガイドブックは老舗ガイドブック出版社の定番だが少し古いもの、そしてモデル日程の1日分の距離が老舗版より長いながらも出版は昨年という新しい本。これまでのところ、モデルルートの実行性は新しい方の本に完全に軍配が上がっている。老舗版ではモデルルートは一日20km程度と誰でも取り組めそうな距離なのだが、そこに掲載されている宿やカフェが相当数、閉鎖してしまっているのだ。
ここでもやはり、コロナは歩き旅人向けのインフラに大打撃を与えていた。
広大な農地、農道脇の木々もまだらで日光に完全にさらされ、白い砂に陽が照りつけて目が痛い。農地は耕されたばかりの土の場所や小さな苗が植えてある場所、基本的には茶色い大地だ。そして半分はワイン用の葡萄を作る背の低い葡萄の木が並ぶブドウ園。葉がまだ小さいのでよく見なければブドウの木とわからないぐらいだ。
これがもう少し作物が成長して緑が広がっていたり金の麦穂が波打っていたりすればまたイメージも全然変わるのかもしれない。
広い場所を表すのに「東京ドーム何個分」といった表現を使うが、目の前に広がっているのはもはや野球場やドームよりも遥かに大き過ぎて何個分とか言ってる場合じゃない、水の代わりに土と苗がたまった琵琶湖の真ん中に立っている様な感覚だった。
頭の中では山村暮鳥の「いちめんのなのはな」を脳が勝手にもじって「いちめんのはたけ、いちめんのはたけ、いちめんのはたけ・・・」とグルグル回っていた。
4km毎、約1時間ごとに木陰を見つけて荷物を下ろし、休憩する。ここまでで既に普通の歩き旅の1日分程度の距離は歩いているので、朝出発時よりも肩に荷物が重く感じる。意図的に荷物を下ろして体を休める時間をとった。
遮るものも何もない真っ平な大地なので、風を遮るものもない。ありがたいことに砂埃をたてない程度の風が吹いていて、この風と汗も乾く乾燥状態のおかげで気温や日差しのきつさの割には意外と歩きやすかった。
スペインとポルトガルを網の目に広がるカミーノ歩きの本格的シーズンは、実は来月ぐらいからで今はまだ一応シーズンオフらしい。今でこれだけの日差しと暑さなのに、来月から夏にかけてなんてどれぐらい暑くなるのだろう。
最初の11km地点のカフェで休憩中に、後から来て休まずに通り過ぎていった若いアジア人女性の二人組がいた。その彼女達が木陰で休んでいて、通り過ぎながらほんの少し言葉をかわした。二人とも韓国人で、今日のゴールはやはり同じSanterem だった。
2度の小休止が終わり、いよいよ遥か前方の丘の上に立ち並ぶビルや家屋の街並みがはっきりと見えてきた。あれがSanteremだ。農道歩き最後の4kmは一面の葡萄畑になり、これまで一応ポツポツと存在した農道脇の木々が完全に消えた。よくみると、地面もコンクリ舗装でその上に白い粉状の砂が積もっている。この区間に2台の農家さんの車が通り過ぎたが、いずれもとても気をつかって砂埃を極力たてないように超スロースピードで運転してくれていた。
最後に追い越したのは、昨日と一昨日で別々の場所で見かけた二人。一人はブラジル人で一人はアメリカ人だった。
農道から抜けてすぐの高架道路下で最後の休憩。あとは、この目の前の大きな丘の上の街目指して標高100m分車道を登っていくだけだ。心配していたよりは遥かに足も膝も痛みはなく、スタミナも問題なし。やはり蒸し蒸ししていない、汗びっしょりにならないというのは強い。靴の中も汗で濡れないのであれだけ熱い地面の上を歩いていても、靴擦れっぽくならないのだった。
標高100mでも1km強の距離をかけて登るので勾配はそれほどキツくない。こんな坂道でキュウキュウ言っていては徳島や六甲山麓には住めない、と、我ながら余裕で登りきり丘の上の街、Santeremに到着した。
事前予想では下手すれば夜までかかるかも、宿泊先にもなんとか受付終了の夜8時までには到着する、最悪途中で力尽きればタクシーを呼んで。。。とまで考えていたのが、蓋を開けてみれば平均ペースは時速4〜4.5kmをキープでき、午後5時前には到着できていた。
何度も繰り返す通り「蒸していない+そよ風」の助けが本当に大きかった。
この街での宿は、普通のホテルの部屋ではなく長期滞在も可能なアパート型の部屋(キッチン&洗濯機つき)に2泊予約していた。
しばらく長歩き旅をしていなかった後の初めてのロングトレイルでしょっぱなから30km超えが続出したため、ここで休止日を取る。毎日毎日手で洗濯していた衣類も、ようやく洗濯機でスッキリ洗うことができる。ポルトガルに来て以来ここまでの全てのホテルや宿のインターネット環境はとても満足できるものではなかったが、遂に最新の高速ネットにお目見えすることができた。
今後の行程を改めて見てみると、次の区間も30km超え。その次の区間も30km超え。。。
どうやらここから当分は30km超えが毎日続くらしい。
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