サンティアゴ巡礼ポルトガルの道 Camino Portugués - Day 6


- GPS
- 09:54
- 距離
- 33.2km
- 登り
- 54m
- 下り
- 147m
コースタイム
- 山行
- 8:15
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 8:15
- 山行
- 0:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 0:00
過去天気図(気象庁) | 2023年04月の天気図 |
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アクセス |
写真
感想
Santarém での休養日を終え、ここからは5日間連続で1日あたり30km以上歩かなければならない。
前回のTMB同様、ヨーロッパでのハイクでは毎日の行程計画を担っているのは巨神兵。毎日地図やガイドブックと首っ引きでルート上の休憩場所(主にカフェ)はどこか、宿泊はどの街や村にするかに頭を悩ませている。
1日の距離を決めるのは、宿泊地はどこかに尽きる。
今回はできる限りルート上から離れず、かつ宿に行くためだけに公共交通機関を使わずに済ませる前提で宿を選定している。かつ、巨神兵の身長が身長だけに、普通のドミトリー型の2段ベッドには身体が入らないという制約がある。ポルトガル人は総じて日本人と同じかもっと小さいぐらいの体格なので、家の天井でもドアでもシャワーでもベッドでも、私は良いが巨神兵には常時頭上注意状態だ。だから巡礼者用アルベルゲでも、個室がある施設でなければならない。
また、毎日の距離もできる限り均等にしたい。今日は30kmで明日は15km、またその次は30kmというのは身体のペースが調整できなくて気持ちが悪い。
そういった諸々を考慮した結果の、来る5日間毎日30km超えだった。
今日は中でも一番距離が長く、地図上の計算では32kmを超える。地形は平坦、むしろ真っ平で日陰なしの農場地帯を延々歩く予定で、天気予報は相変わらず一日中超快晴だ。朝早く7時前までには出発開始して午前中の涼しいうちにできるだけ距離を稼いでおきたいと思っていた。
ところが、出発前の夜に急遽どうしても入手しておきたい物品が発覚。
ここから先は田舎の小さな村ばかりで、今日のゴールでさえもあるのは小さな「村の食料・雑貨屋さん」程度らしい。そこでも売っているか賭けに打って出るか、大きなスーパーのあるここSantarém で購入してから出発するか。もしくは夜のうちにタクシーで少し離れた24時間営業のガソリンスタンドに行ってみるか(この時点で夜の10時近く)。。。
悩んだ末に選択したのは、最安全策の「この街のスーパーに朝一番で行ってから出発」だった。幸にしてスーパーは朝8時というかなり早い時間に開店してくれる。私たちの滞在先よりも後方にあるスーパーへの往復で1km余計にかかるが、一日中やきもきしながら歩き、挙句にゴール地点の店でも置いてなかったという最悪の事態になるくらいなら、それぐらいのロスは仕方ない。1時間ちょいの出発遅れでも、途中途中の休憩をいつもより少しだけ短めにしていけば帳尻は合うだろう。
翌朝、パッキングを全て終え、荷物を滞在先に置いて7時半にはスーパーに出発し、ドアの前で開店を待った。8時の開店と同時に棚に突進してお目当ての物を買い、再びアパートに取って返して荷物を取り、いよいよ巡礼ルートを北へ向け歩き始めた。
Santarém の街は丘の上に広がる天然の要塞、見た目はまんま香川の屋島の台上に街がぼんっと乗っている感じだ。街の東側の外れまで来ると、古い街壁が残りそこから私たちがこれから進んでいく農園地帯が果てしなく広がっているのが一望できた。
かつて街と外を繋いでいた門を出て、丘の斜面沿いの細い道を降りていく。リスボン出発以来初めて、草木に囲まれた雰囲気の良い「古道」っぽい道にようやく出会えた。
丘から下りた麓には小さな村があり、そこを通り抜ける。丘の上の街の活気と比べると、丘下の村はとても静かで空き家や半壊の家も多い。ここのカフェは流石に休憩には早すぎるので、あっという間に村を通り抜け、そこからどこまでも続く葡萄畑の平野を進み始めた。
実はSantarém通過前と通過後で決定的に変わることが一つある。
リスボンからここまで、カミーノルートの黄色い矢印よりもむしろ圧倒的に目立っていた青い矢印「ファティマ巡礼」のルートはSantarém からはファティマの街がある北西に向かっていく。
対して「ポルトガルの道」はポルトガルのより内陸部へ向かい、北東よりへ伸びていくのだ。
丘を降りる時からもう、道しるべは藍地に黄色の矢印、黄色のホタテ貝のカミーノ仕様オンリーだった。
葡萄畑の中を進む私たちの左手に低く連なる丘陵地帯のあっち側がファティマ・ルートで、こっち側がカミーノ・ルートだった。
今日歩いている農道は、これまでの幅広で整地された普通車も走れるようなタイプではなく、幅が狭く軽トラやトラクターでなければ通れないような「あぜ道」だった。道の脇には野の草花が青々と茂っている。土のタイプもこれまでの眩しくて目が痛いようなほぼ白色の微細なパウダー砂ではなく、もっと茶色の土の色だ。
平日だからあちこちの畑で農家の人たちが家族ぐるみで作業をしている。トラクターで土を耕したり、葡萄のツルを支えるラインの調整をしたりと忙しそうだ。
ここの一帯はとにかく見渡す限り葡萄ばかりで、畑ごとに成木もあれば、植えたばかりの苗木もある。後ろを振り返ると、遠い丘の上のSantarémの街がきれいに見えた。
どこまでも平たい葡萄畑地帯だったが、畦道の脇にポツンポツンと巨木が枝葉を広げて堂々と立っている。木陰を農家の人や旅人にとっての格好の休憩場所とするために残してあるのだろう。
出発から1時間ほどたち、太陽がいよいよ高く日差しがじりじりと暑くなり始めてきた頃、前方の木陰で休憩中の人影が二つ見えた。
初老の韓国人夫婦がリンゴをかじりながら腰をおろしていた。二人とも気さくで、同じくSantarémから出発したという。私たちが今日は30km以上歩くと聞いて「すごいね〜!」と仰天していた。彼らの1日の距離はその半分程度にとどめ、早めに宿に入って体を休めながらのんびりと進んでいるらしい。
今日の私たちにとって最初のカフェは出発から10km以上離れた村の中だ。途中の木陰で小休止を挟みながら、意外と快適に畦道を進んでいった。
前述した通り、今日のあぜ道は圧倒的に緑豊かで、野の花々に縁取られた潤いある道だ。農家の人たちがあちこちでせっせと働いていて、私たちが通り過ぎる時には「ボン・ディア!」と挨拶をしてくれる。(ちなみに、地元の人たちから「ボン・カミーニョ」と挨拶されることは稀で、大抵はポルトガル語会話で最初に習う挨拶「ボン・ディア」だ)
とにかく目に見える周りの景色に活気や、人々の生活感を感じられるので、こちらの気分も上がってくる。
また、風がずっと吹いていたこともありがたかった。一昨日よりは強めで「涼しくて汗も飛ばしてくれてありがとう」と「ちょっと歩くのに邪魔かな、帽子があおられるかな」という強さのバランスの微妙なせめぎ合いが続いていた。
出発してから約12km、ゆるやかな上り坂を登った低い丘の上のVale de Figueira の村のカフェでようやく本日の朝ごはんだった。
この村の周辺の農園には、一面に同じ細い木がびっしりと植えられて並んでいたが、どの木も葉無しの完全丸裸だったため、何の作物か全くわからない。柑橘系の木とは姿が違うし、なんだろう。
カミーノルートが賑わう本格シーズンはまだ1ヶ月ほど先。その頃にここを歩く人々はこの裸の木や、耕したばかりの畑が一面の緑や野菜になっている、全く違う緑の海原を見ながら歩いていくのだろう。ただ、今の私たちには代わりにどこもかしこも一面の野の花畑がある。
コーヒーと焼き菓子、オレンジジュースの定番の朝食を取った後、村を抜ける。村のこちら側は少し林が広がり、その後は牧草か麦の緑の絨毯が広がっていた。
再び広大な農地の真っ只中の畦道を進む。こちら側の農地は葡萄よりもトウモロコシらしき苗や、何か豆科の花(大豆?)が一面に広がる穀物畑だった。
さて、ガイドブックによるとこの広大な農地を抜けるルートの最後の方は「水が溢れている可能性に注意」と書かれている地帯を通っていくことになっていた。てっきり川の中洲か、湿地帯でも歩くのか、ぬかるみの中で靴が泥だらけかと実は少しワクワクしていた。ようやく少しは冒険感が味わえるのだろうか。
ここまでと全く変わりのない快適な乾いた畦道を歩きながら「で、もうすぐ例の湿地?」と地図やGPSを確認してみる。「…どうも、ここでもう、その地帯の最後の辺りにいるらしい」
見渡すと両側には全く普通の何も変わらぬ畑。
その向こうには、確かに水が干からびきった溜池の底の様に見えなくもない空き地がひろがり、隅っこには申し訳なさそうに水が溜まっている箇所もある。
「これが、『洪水状態注意』?」
「どうもこのガイドブックの作者はちょっとオーバーめに書く傾向があるっぽい」
これまで日本の一般の山道やロングトレイルで普通に渡渉やら足元湿地やらを歩いてきた身からすると「本当のトレイル水浸し状態を教えてやろうか?」と言いたくなる。ここまで1週間ルートを歩いてきて基本的には未舗装トレイルでも整備された農道か、踏み固められた山道。アップダウンもなく、アドベンチャーの「あ」の字もない安全度だ。
確かに時期によっては雨も水量も多くなって全然様相が変わるのかもしれない。この広大な農地が水浸しになる状態っていうのはどういう状況なのか正直いっそ見てみたいと思った。
歩けば歩くほど、カミーノを踏破して「巡礼道歩きって楽しい!日本の巡礼もしちゃお」と四国や熊野に来てあまりのキツさに驚愕する外国人が続出するのはこういう経緯なのだな、とわかってくる。日本の山道と山の中の水の多さを「これ」と一緒にしてもらっちゃ困るんだ。
次のカフェのある村、Azinhagaは小川沿いに遊歩道が整備されたかわいい村だった。カフェの前の広場では村のご老人たちが集まって、話に花を咲かせている。広場の片隅にはこの村出身の有名な文筆家がベンチに座っている大きな銅像があった。
くだんの川沿いの遊歩道にも、等間隔に家の壁にタイルに書かれたこの人の名言や文章の抜粋が飾られていた。
ここまで順調快適に来た、今日の歩き旅。
Azinhagaまでですでに20kmは超えているので、流石に足や身体に疲労が来始めていたが、ゴールの街 Golegã まであと8kmノンストップだ。
そして、この最後の最後の体力と気力勝負の部分に、本当の恐怖がやってきた。
AzinhagaからGolegãを繋ぐ車道は一本しかない。
N-365というその幹線道路は、同時に「ポルトガルの道」のルートでもある。
典型的な田舎の幹線道路、普通車2台がようやくすれ違える、大型が来たら片側ストップでやり過ごさなければいけないその道の路側を、私たちはこれから延々と歩いていくのだった。
しかも、とどめに路側帯を示す白線はない。
ご丁寧なことに、道の脇は水路だった。
田舎だから交通量はそれほどではと甘い期待はすぐに吹き飛んだ。夕方の時間帯もあったのかもしれないが、両側ほぼ切れ目なしに車が駆け抜ける。
そう、文字通り走る抜ける。
制限速度70kmのはずなのに、そこだけ田舎ルール誰もそんなものは守っていない。こっちが道の端を歩いていようがお構いなしに、100km近いスピードでガンガン走り抜けていくのだった。
親切なドライバーや反対車線に車が来ていない時は、反対車線まで出てできるだけ距離をとって追い越してくれるのだが、いけずな性格のドライバーや距離感覚の少し衰えた高齢者だと、そのまま走り抜けていく。最悪だった瞬間は、おじいちゃんドライバーが私たちの横をちょうど通り過ぎるそのタイミングで後続車がそのおじいちゃん車を追い越しにかかって反対車線をふさぎやがった時だった。
ただでさえ疲労困憊している時に、石畳舗装のガタガタ道の路肩をできる限り身を縮めて歩く。少しでも体勢を崩せば引っ掛けられる恐れもあるので、同じ体勢でい続けなければならない。
炎天下の一直線道で、休息を取る場所もなく、隣の畑の中を進む道もない。
なによりこちらのドライバーや交通モラルに対してまったく信用できないので、緊張と恐怖感が果てしなかった。
(後日であった他のハイカーに聞いても、皆口を揃えてこの道の恐怖を語っていたので、もはやなぜここがルートになっているのかさえ理解不能)
そんな状況の中で、大型トラックが私たちの手前でわざわざ停車して対向車に道を譲り、私たちが通り過ぎるまでそのまま待ってくれたりと思いもかけない優しさをみせてくれたり、逆に子連れドライバーが私たちギリギリを超高速で駆け抜けて行ったりと、人間のいろんな一面を垣間見た。
これまでいろいろ長距離歩きをしてきたが、間違いなく過去一で怖かった8kmがようやく終わり、Golegãに到着した。
どうやら馬で有名な街のようで、通りにあちこちに馬の標識があり、私たちの宿の前には大きな馬場。なんと宿は、ホースクラブ内の宿泊施設で、馬たちが自分の馬小屋から首を出して好奇の目で見つめる前を通り抜け、部屋に入った。
途中で立ち寄ったこの街唯一?の食料品・雑貨店は、やはり品揃えも限られていたので、今朝1時間犠牲にしても買い物しておいてよかった。
今日は結果的に総距離33km超え。
行程の3分の2の順調快適ぶりからの、あの最後の恐怖の幹線道路はまったくどんでん返しだった。
宿の近くのレストランで夕食を食べる。この国では、牛肉料理はいまのところハズレがなく、ハンバーガーにしてもパテがとても肉肉しくて噛み応えがある。パテのミンチ肉が肉をすりつぶした感じではなくて、超こま切れにした肉の集合体の様で、とにかくおいしかった。
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