記録ID: 6103862
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ハイキング
京都・北摂
鴻ノ巣山
2023年10月27日(金) [日帰り]


体力度
1
日帰りが可能
- GPS
- 01:09
- 距離
- 3.8km
- 登り
- 90m
- 下り
- 84m
コースタイム
過去天気図(気象庁) | 2023年10月の天気図 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
電車
帰り:JR(奈良線)城陽駅 |
写真
水度神社
鴻ノ巣山のふもとにある水神社は、旧寺田村の産土神で、祭神は天照皇大御神(あまてらすすめらす)・高御産霊神(たかみむすびのかみ)・少重豊玉姫命(わだつみとよたまひめのかみ)です。「山城国風土記(やましろのくにふどき)」逸文(いつぶん)に、「久世郡(こおり)水渡の社祗社(くにやしろ)」とあることから、風土記が編さんされた奈良時代には存在したと考えられます。 平安時代前期に成立した『延喜式(えんぎしき)』には、「水度神社三座」と記されています。
重要文化財の本殿は一間社流造(いっけんしゃながれつくり)で、文安(ぶんあん)5年(1448年)に造営された市内に現存する最古の建物です。 屋根は檜皮葺(ひわだびき)で、正面に大きな千鳥破風(ちどりはふ)があります。 また、庇(ひさし)の正面中央には、透彫の唐草と笹りんどうをあしらった欄間がつけられ、意匠を凝らした優美な建物です。
水度神社には京都府登録文化財の「おかげ踊り図絵馬」と、城陽市指定文化財の「鉄湯釜」、「大般若経」があります。 「おかげ踊り図絵馬」は、文政13年(1830年)11月1日に寺田村北東町の人々が水度神社に奉納したおかげ踊りの様子を描いたものです。
「鉄湯釜」は、湯立て神事に使われていたと考えられ、銘文
から応永32年(1425年)に作られたことがわかります。
「大般若経」は、鎌倉時代前期にさかのぶる書写経で、村落における信仰の歴史を知る貴重な資料です。
鴻ノ巣山のふもとにある水神社は、旧寺田村の産土神で、祭神は天照皇大御神(あまてらすすめらす)・高御産霊神(たかみむすびのかみ)・少重豊玉姫命(わだつみとよたまひめのかみ)です。「山城国風土記(やましろのくにふどき)」逸文(いつぶん)に、「久世郡(こおり)水渡の社祗社(くにやしろ)」とあることから、風土記が編さんされた奈良時代には存在したと考えられます。 平安時代前期に成立した『延喜式(えんぎしき)』には、「水度神社三座」と記されています。
重要文化財の本殿は一間社流造(いっけんしゃながれつくり)で、文安(ぶんあん)5年(1448年)に造営された市内に現存する最古の建物です。 屋根は檜皮葺(ひわだびき)で、正面に大きな千鳥破風(ちどりはふ)があります。 また、庇(ひさし)の正面中央には、透彫の唐草と笹りんどうをあしらった欄間がつけられ、意匠を凝らした優美な建物です。
水度神社には京都府登録文化財の「おかげ踊り図絵馬」と、城陽市指定文化財の「鉄湯釜」、「大般若経」があります。 「おかげ踊り図絵馬」は、文政13年(1830年)11月1日に寺田村北東町の人々が水度神社に奉納したおかげ踊りの様子を描いたものです。
「鉄湯釜」は、湯立て神事に使われていたと考えられ、銘文
から応永32年(1425年)に作られたことがわかります。
「大般若経」は、鎌倉時代前期にさかのぶる書写経で、村落における信仰の歴史を知る貴重な資料です。
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