中津川駅から馬籠宿行きのバスは満員。
その8割方外国人観光客、でも落合のバス停で降りたのは私達のみ。交差点にある歩道橋を渡ってから右に入る
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中津川駅から馬籠宿行きのバスは満員。
その8割方外国人観光客、でも落合のバス停で降りたのは私達のみ。交差点にある歩道橋を渡ってから右に入る
ちょっと進んだだけで静かな宿場町らしい雰囲気になる。
公園(落合村役場跡)の向かい角に「中山道」の石柱ー「右至中仙道中津町一里」
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ちょっと進んだだけで静かな宿場町らしい雰囲気になる。
公園(落合村役場跡)の向かい角に「中山道」の石柱ー「右至中仙道中津町一里」
井口家本陣跡は美濃17宿に唯一残る本陣建築で国の史跡になっている。
残念なことに平日は公開されていない。
加賀藩から火事見舞いとして送られたという立派な表門のみ見られる
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井口家本陣跡は美濃17宿に唯一残る本陣建築で国の史跡になっている。
残念なことに平日は公開されていない。
加賀藩から火事見舞いとして送られたという立派な表門のみ見られる
常夜灯と立派な倉
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常夜灯と立派な倉
町のはずれにある高札場跡
再現された高札で掲示されているのはサンプル
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町のはずれにある高札場跡
再現された高札で掲示されているのはサンプル
分かれ道ー「飯田道追分道標」
右が飯田道
中山道は左の道をくだり落合川を渡る。
「下桁橋(かつては落合橋と呼ばれた)」という小さい橋がある。
浮世絵で広重が描いた「落合」はこの落合橋付近を描いている。
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分かれ道ー「飯田道追分道標」
右が飯田道
中山道は左の道をくだり落合川を渡る。
「下桁橋(かつては落合橋と呼ばれた)」という小さい橋がある。
浮世絵で広重が描いた「落合」はこの落合橋付近を描いている。
橋を渡ると医王寺までは結構な急坂
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橋を渡ると医王寺までは結構な急坂
急坂が緩やかになったところで医王寺到着
(天気が良いのはいいが、もろ逆光・・・)
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急坂が緩やかになったところで医王寺到着
(天気が良いのはいいが、もろ逆光・・・)
明るい里山
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明るい里山
気持ちの良い道を行く
傾斜は緩いが実はずっと登っている
落合宿は標高330m、馬籠宿は標高600m、基本登りが続く
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気持ちの良い道を行く
傾斜は緩いが実はずっと登っている
落合宿は標高330m、馬籠宿は標高600m、基本登りが続く
「国史跡 中山道 落合の石畳」の標識
進む先はこれまでと打って変わって樹林帯で陽が入らず暗い。(写真では調整されているが実際には光のとどかない暗い森の中に入っていく感じ)
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「国史跡 中山道 落合の石畳」の標識
進む先はこれまでと打って変わって樹林帯で陽が入らず暗い。(写真では調整されているが実際には光のとどかない暗い森の中に入っていく感じ)
鬱蒼とした森の中、苔むし湿った石畳の道がわずかに登りながら続く。
我々以外誰もいない静寂の道(おしゃべりや熊鈴はうるさいけど)。
かつての旅人は本当に心細かっただろう。
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鬱蒼とした森の中、苔むし湿った石畳の道がわずかに登りながら続く。
我々以外誰もいない静寂の道(おしゃべりや熊鈴はうるさいけど)。
かつての旅人は本当に心細かっただろう。
落合の石畳は全長約840m、ほとんどが昭和から平成にかけて修復されているが内70.8mについては江戸時代のまま現存している。
中間地点でここから先が「往時のまま」との案内板がある。
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落合の石畳は全長約840m、ほとんどが昭和から平成にかけて修復されているが内70.8mについては江戸時代のまま現存している。
中間地点でここから先が「往時のまま」との案内板がある。
「往時のままの石畳」この辺りかな?
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「往時のままの石畳」この辺りかな?
ところで「十曲峠」(つづらおれとうげ、じっこくとうげ、じゅっきょくとうげ、等々、色々な呼び方で紹介されている)とはどのあたりを言うのだろうか?
十曲峠=落合の石畳のように案内されていて落合宿と新茶屋の中間(450m)というとこの辺り。
明確に峠というところではないのかもしれない。
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ところで「十曲峠」(つづらおれとうげ、じっこくとうげ、じゅっきょくとうげ、等々、色々な呼び方で紹介されている)とはどのあたりを言うのだろうか?
十曲峠=落合の石畳のように案内されていて落合宿と新茶屋の中間(450m)というとこの辺り。
明確に峠というところではないのかもしれない。
中山道関連の情報が掲示された大きな掲示板があった。ここで一旦小休止
「休憩所」らしき東屋もあるのだが手入れされてないようで利用する気になれない。
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中山道関連の情報が掲示された大きな掲示板があった。ここで一旦小休止
「休憩所」らしき東屋もあるのだが手入れされてないようで利用する気になれない。
小休止したところからすぐにちょっと開けて、道が交差するところが現れた。
車でここに来る人がいるようだ。
石畳の道へは車両は入れないのでここに車を停めるのだろう。石畳への案内板もある。
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小休止したところからすぐにちょっと開けて、道が交差するところが現れた。
車でここに来る人がいるようだ。
石畳の道へは車両は入れないのでここに車を停めるのだろう。石畳への案内板もある。
ここからも登り
次のスポット「新茶屋」へ向かうこの部分の石畳の道は平成になって作られたものだそう。
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ここからも登り
次のスポット「新茶屋」へ向かうこの部分の石畳の道は平成になって作られたものだそう。
「新茶屋の一里塚」
「新茶屋」は落合宿と馬籠宿との中間地点でありここに立場茶屋があった。名物はわらび餅だったという。
今は「新茶屋」という民宿あり
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「新茶屋の一里塚」
「新茶屋」は落合宿と馬籠宿との中間地点でありここに立場茶屋があった。名物はわらび餅だったという。
今は「新茶屋」という民宿あり
ここは美濃国(岐阜県)と信濃国(長野県)の国境
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ここは美濃国(岐阜県)と信濃国(長野県)の国境
新茶屋付近の全景(信濃国側からの)
道の左右に一里塚があるが左のものは近年整備されたもの。
民宿、駐車場、トイレ、休憩所、バス停と揃っている。
島崎藤村が揮毫「是より木曽路」の石碑がある
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新茶屋付近の全景(信濃国側からの)
道の左右に一里塚があるが左のものは近年整備されたもの。
民宿、駐車場、トイレ、休憩所、バス停と揃っている。
島崎藤村が揮毫「是より木曽路」の石碑がある
趣ある佇まいの民宿「新茶屋」
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趣ある佇まいの民宿「新茶屋」
新茶屋には何軒かの家がありそれぞれ綺麗に手入れされていて現代の街道歩きも楽しい
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新茶屋には何軒かの家がありそれぞれ綺麗に手入れされていて現代の街道歩きも楽しい
登り道はまだまだ続く
標高が高くなってきて中津川方面が見える
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登り道はまだまだ続く
標高が高くなってきて中津川方面が見える
見晴らしがいいところだなーと思いながら歩いていたらベンチのある休憩所があったので歩き出したばっかりだったけれどちょっとだけ休憩
「桑の実の 木曽路出づれば 穂麦かな」正岡子規の句碑あり
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見晴らしがいいところだなーと思いながら歩いていたらベンチのある休憩所があったので歩き出したばっかりだったけれどちょっとだけ休憩
「桑の実の 木曽路出づれば 穂麦かな」正岡子規の句碑あり
民家の点在する村の中を行く
標高は高いのに水場があり水が流れている
街道沿いには水場がたくさんあった。
日本の自然の恵みの豊かさを思う。
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民家の点在する村の中を行く
標高は高いのに水場があり水が流れている
街道沿いには水場がたくさんあった。
日本の自然の恵みの豊かさを思う。
大きなピラカンサスの木
真っ赤な実が青空に映えていた
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大きなピラカンサスの木
真っ赤な実が青空に映えていた
馬籠宿まで0.6kmの標識のある諏訪神社 村の鎮守様
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馬籠宿まで0.6kmの標識のある諏訪神社 村の鎮守様
その先に馬籠城址がある(遺構はないようなのでスルー)
登り一方だった道が一旦下りになり広々とした田圃の真ん中、十字路に「横谷」バス停がある
バス停からは山の急斜面に建物が並ぶ馬籠宿が眺められる(写真撮り忘れ)
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その先に馬籠城址がある(遺構はないようなのでスルー)
登り一方だった道が一旦下りになり広々とした田圃の真ん中、十字路に「横谷」バス停がある
バス停からは山の急斜面に建物が並ぶ馬籠宿が眺められる(写真撮り忘れ)
まさに島崎藤村「夜明け前」に表現されている風景だ
<美濃方面から十曲峠に添うて、曲りくねった山坂をよじ登って来るものは、高い峠の上の位置にこの宿(しゅく)を見つける、街道の両側には一段ずつ石垣を築いてその上に民家を建てたようなところ・・・>
馬籠宿へ入る「石屋坂」の登り坂
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まさに島崎藤村「夜明け前」に表現されている風景だ
<美濃方面から十曲峠に添うて、曲りくねった山坂をよじ登って来るものは、高い峠の上の位置にこの宿(しゅく)を見つける、街道の両側には一段ずつ石垣を築いてその上に民家を建てたようなところ・・・>
馬籠宿へ入る「石屋坂」の登り坂
馬籠宿バスターミナル
土産物屋、飲食店、観光客で溢れている
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馬籠宿バスターミナル
土産物屋、飲食店、観光客で溢れている
馬籠宿へ入る
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馬籠宿へ入る
道の両側に飲食店
ここは宿場町ではなく「鎌倉の小町通り」か
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道の両側に飲食店
ここは宿場町ではなく「鎌倉の小町通り」か
その内の1軒で私はとろろ蕎麦をいただく
あっさり目のそばつゆ(ちょっと塩気が強かった)
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その内の1軒で私はとろろ蕎麦をいただく
あっさり目のそばつゆ(ちょっと塩気が強かった)
奇跡的に人が少ない一瞬
いい雰囲気です
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奇跡的に人が少ない一瞬
いい雰囲気です
馬籠宿の中もずっと登り道
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馬籠宿の中もずっと登り道
登った先にある陣場上展望台
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登った先にある陣場上展望台
目の前に恵那山と木曽の山々
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目の前に恵那山と木曽の山々
馬籠宿も眺められる
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馬籠宿も眺められる
観光客で賑わう展望台を後に馬籠峠へ向けて出発
馬籠峠へはさらに200m登ることになる
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観光客で賑わう展望台を後に馬籠峠へ向けて出発
馬籠峠へはさらに200m登ることになる
一旦車道に出て向かい側に渡るとー
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一旦車道に出て向かい側に渡るとー
水車小屋のある広場になっていて紅葉と相まっていいフォトスポットになっていた
外国人観光客が多い
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水車小屋のある広場になっていて紅葉と相まっていいフォトスポットになっていた
外国人観光客が多い
緩やかな「梨の木坂」から車道をショートカットしながら進むとトイレもある休憩所の広場
大きな木の下に「十辺舎一九の歌碑」がある
「渋皮の剥けし女は見えねども栗のこはめしここの名物」
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緩やかな「梨の木坂」から車道をショートカットしながら進むとトイレもある休憩所の広場
大きな木の下に「十辺舎一九の歌碑」がある
「渋皮の剥けし女は見えねども栗のこはめしここの名物」
十辺舎一九も歩いた木曽路
この辺りの集落の家々は2階の欄干のおしゃれな意匠といい、軒下に吊るされた干し柿といい(観光用?考えすぎか)街道沿いの雰囲気が残っていて(馬籠宿より)素敵だ
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十辺舎一九も歩いた木曽路
この辺りの集落の家々は2階の欄干のおしゃれな意匠といい、軒下に吊るされた干し柿といい(観光用?考えすぎか)街道沿いの雰囲気が残っていて(馬籠宿より)素敵だ
集落の端には熊野神社
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集落の端には熊野神社
馬籠峠、標高801mに到着!
あれ?標識には790mという表示が!
(実はこれ後で調べてわかりました。かつては801mの標識がかかっていたそうで、地元の観光協会でもパンフなどで801mを採用していたそうです。それが間違いとわかって最近付け替えたみたいです)
バス停もある車道の脇にあるのであまり感動する趣はない。
とにかく今日の登りがやっと終わったということでホッとする。
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馬籠峠、標高801mに到着!
あれ?標識には790mという表示が!
(実はこれ後で調べてわかりました。かつては801mの標識がかかっていたそうで、地元の観光協会でもパンフなどで801mを採用していたそうです。それが間違いとわかって最近付け替えたみたいです)
バス停もある車道の脇にあるのであまり感動する趣はない。
とにかく今日の登りがやっと終わったということでホッとする。
妻籠宿へは下るだけ
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妻籠宿へは下るだけ
開けた広場に古い建物
「一石栃立場(いちこくとちたてば)茶屋跡」
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開けた広場に古い建物
「一石栃立場(いちこくとちたてば)茶屋跡」
一石栃にはかつて7軒ほどの立場茶屋があったらしいが今は1軒だけ(牧野家)。
江戸後期の農家の建物で以前はもっと間口が広かったらしい。
現在無料の休憩所になっていて我々も休憩、お茶をいただいた。
トイレも綺麗に掃除されていて気持ちが良い。
庭にある大きな枝垂桜が満開になる春は素晴らしいだろう。
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一石栃にはかつて7軒ほどの立場茶屋があったらしいが今は1軒だけ(牧野家)。
江戸後期の農家の建物で以前はもっと間口が広かったらしい。
現在無料の休憩所になっていて我々も休憩、お茶をいただいた。
トイレも綺麗に掃除されていて気持ちが良い。
庭にある大きな枝垂桜が満開になる春は素晴らしいだろう。
「一石栃白木改番所跡」茶屋跡のすぐ隣にある木曽谷を所管する尾張藩の番所跡の木戸をくぐって妻籠宿へ出発。
江戸時代、木曽谷の山林は厳しく管理・監視されていて「ヒノキ一本首一つ」といわれたという。
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「一石栃白木改番所跡」茶屋跡のすぐ隣にある木曽谷を所管する尾張藩の番所跡の木戸をくぐって妻籠宿へ出発。
江戸時代、木曽谷の山林は厳しく管理・監視されていて「ヒノキ一本首一つ」といわれたという。
木曽5木の一つ「サワラ」の見事な樹林の中の石畳を出ると県道に出る
入れ違いに県道を上がってきたおじさんが自転車を押して石畳の道を上がっていく。
とてもこの先自転車で行ける道ではない。どこまで行くのだろう?心配になった。
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木曽5木の一つ「サワラ」の見事な樹林の中の石畳を出ると県道に出る
入れ違いに県道を上がってきたおじさんが自転車を押して石畳の道を上がっていく。
とてもこの先自転車で行ける道ではない。どこまで行くのだろう?心配になった。
近年の豪雨災害で中山道で通行不可で迂回路が設けられているところが何箇所かある。
迂回路である県道を歩いて「男滝・女滝」入口に直接入る
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近年の豪雨災害で中山道で通行不可で迂回路が設けられているところが何箇所かある。
迂回路である県道を歩いて「男滝・女滝」入口に直接入る
県道に駐車スペースもあるので観光客も多い
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県道に駐車スペースもあるので観光客も多い
女滝
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女滝
男滝
この先で本来の中山道に戻り「旧下り谷村」へ向かう
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男滝
この先で本来の中山道に戻り「旧下り谷村」へ向かう
「下り谷村」の入口にある「倉科祖霊社(くらしなそれいしゃ)」
松本城主小笠原貞慶の重臣、倉科七郎左衛門の霊が祀られている。
主人の命を受けて大坂の豊臣秀吉のもとに使いに行った七郎左衛門を、その帰り馬籠峠で土豪達が襲撃し、側近30人共々殺したとか・・・。
「盗賊に殺された」ことにしたらしいが、なんでこんなところにわざわざ自分達で殺しておいて?と疑問に思ったが後で調べてみたらー
元々は小笠原氏と木曽氏とが敵対関係にあったため、馬籠と妻籠の土豪らが町民を率いて殺したということらしい。
でもこの後祟りを恐れた土豪達が倉科の魂を鎮めるためにこの神社を創建した。(観光庁 国史跡データベースより)
実際に「祟り」らしい事象もあったとか、日本人の良心の呵責の表し方の一つでしょうか
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「下り谷村」の入口にある「倉科祖霊社(くらしなそれいしゃ)」
松本城主小笠原貞慶の重臣、倉科七郎左衛門の霊が祀られている。
主人の命を受けて大坂の豊臣秀吉のもとに使いに行った七郎左衛門を、その帰り馬籠峠で土豪達が襲撃し、側近30人共々殺したとか・・・。
「盗賊に殺された」ことにしたらしいが、なんでこんなところにわざわざ自分達で殺しておいて?と疑問に思ったが後で調べてみたらー
元々は小笠原氏と木曽氏とが敵対関係にあったため、馬籠と妻籠の土豪らが町民を率いて殺したということらしい。
でもこの後祟りを恐れた土豪達が倉科の魂を鎮めるためにこの神社を創建した。(観光庁 国史跡データベースより)
実際に「祟り」らしい事象もあったとか、日本人の良心の呵責の表し方の一つでしょうか
「下り谷村」に入る
ここでもこの先回り道が指定されていて民家の裏庭みたいな道を通った
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「下り谷村」に入る
ここでもこの先回り道が指定されていて民家の裏庭みたいな道を通った
木の橋を渡ってー
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木の橋を渡ってー
眼下に県道と大妻籠の旧旅籠群が見える
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眼下に県道と大妻籠の旧旅籠群が見える
紅葉が午後の陽に輝いている
多勢の外国人観光客が歓声を上げて順番待ちしながら写真を撮っている
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紅葉が午後の陽に輝いている
多勢の外国人観光客が歓声を上げて順番待ちしながら写真を撮っている
急な下り坂
かつても苦労した坂道らしい
だからこの坂道は馬ではなく力のある黒牛に荷車を引かせたそうだ
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急な下り坂
かつても苦労した坂道らしい
だからこの坂道は馬ではなく力のある黒牛に荷車を引かせたそうだ
だからここに祀られているのは「牛頭観音」様
馬頭観音というのは全国各地にあるが「牛」は珍しい。
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だからここに祀られているのは「牛頭観音」様
馬頭観音というのは全国各地にあるが「牛」は珍しい。
降りきって県道を渡ってから振り返って石畳入口を見たところ
左側に自然石の道標「どうがめ澤 下り谷を経て馬籠峠へ」と書いてある
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降りきって県道を渡ってから振り返って石畳入口を見たところ
左側に自然石の道標「どうがめ澤 下り谷を経て馬籠峠へ」と書いてある
「妻籠宿2.2km」「馬籠宿5.5km」
妻籠宿まであとひと踏ん張りーだいぶ足に疲れが出てきた
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「妻籠宿2.2km」「馬籠宿5.5km」
妻籠宿まであとひと踏ん張りーだいぶ足に疲れが出てきた
「大妻籠」は奥妻籠が語源らしい
妻籠宿の奥にあり観光地化した妻籠や馬籠と比べても静かで民宿もあり宿場の雰囲気が感じられる。
この雰囲気のまま妻籠宿は近いのではと錯覚するがここからが登り返しもあって長く感じた。
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「大妻籠」は奥妻籠が語源らしい
妻籠宿の奥にあり観光地化した妻籠や馬籠と比べても静かで民宿もあり宿場の雰囲気が感じられる。
この雰囲気のまま妻籠宿は近いのではと錯覚するがここからが登り返しもあって長く感じた。
「左旧道 走しば邑(橋場村) 右志ん道(新道)」
橋場は中山道と飯田街道との追分で明治期新道ができるまで栄えていたらしい。
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「左旧道 走しば邑(橋場村) 右志ん道(新道)」
橋場は中山道と飯田街道との追分で明治期新道ができるまで栄えていたらしい。
「左旧道」の道ー蘭川(あららぎがわ)沿いの道を行く
大きな駐車場で車道を渡って発電所を左に見ればー
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「左旧道」の道ー蘭川(あららぎがわ)沿いの道を行く
大きな駐車場で車道を渡って発電所を左に見ればー
妻籠宿の手前の「尾又」
いよいよ妻籠宿、長い道のりも終わりが近い
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妻籠宿の手前の「尾又」
いよいよ妻籠宿、長い道のりも終わりが近い
枡形の近く、「丁子屋」の看板の宿に外国人観光客が入っていく。
趣ある素敵な格子戸から漏れる灯り、狭い入口いっぱいを占める大きな体とリュック、現代の宿場町の光景が印象的だった。
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枡形の近く、「丁子屋」の看板の宿に外国人観光客が入っていく。
趣ある素敵な格子戸から漏れる灯り、狭い入口いっぱいを占める大きな体とリュック、現代の宿場町の光景が印象的だった。
馬籠宿とは打って変わって静かな妻籠宿
15時を過ぎるとほとんどが閉店するのだそうだ。
どこかでお茶をと考えていたが甘かった。
「妻籠宿本陣跡」(島崎藤村の母の実家)は休館
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馬籠宿とは打って変わって静かな妻籠宿
15時を過ぎるとほとんどが閉店するのだそうだ。
どこかでお茶をと考えていたが甘かった。
「妻籠宿本陣跡」(島崎藤村の母の実家)は休館
向かいの「脇本陣」と「歴史資料館」がまだ開館してたので見学させていただく。
歴史資料館は思ったより広くて内容は充実していました。疲れていたし、時間も焦っていたのでかなり端折ったのが残念(また来ます)
妻籠宿を北端へ歩き抜け第一駐車場へ、ここでタクシーを拾い今日の宿へ(今日は温泉!)
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向かいの「脇本陣」と「歴史資料館」がまだ開館してたので見学させていただく。
歴史資料館は思ったより広くて内容は充実していました。疲れていたし、時間も焦っていたのでかなり端折ったのが残念(また来ます)
妻籠宿を北端へ歩き抜け第一駐車場へ、ここでタクシーを拾い今日の宿へ(今日は温泉!)
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