大都会の縄文遺跡巡り「落合遺跡」(新宿歴博)
- GPS
- 03:17
- 距離
- 5.5km
- 登り
- 31m
- 下り
- 0m
コースタイム
- 山行
- 3:17
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 3:17
天候 | 曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2015年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
写真
感想
中井駅から道標に従って林芙美子記念館に到着、受付を済ませていただいた資料をい読みながら、ツアー開始まで静かに待つ。これまで何回か記念館の見学をしたので、今日は見学しなかった。9時半、第一班出発。最初に落合公園の縄文遺跡をうたった歌碑の前で落合遺跡の概要を説明。落合遺跡は新宿区内最大の縄文遺跡でこれまで100軒の竪穴住居跡が見つかっている。縄文中期以降末までと考えると約5千年で百軒は少ないと言えるが、発掘できていない場所が大半だとすれば、それなりに大きな集落があったといえるかもしれない。落合台地の遺跡発掘調査の歴史は明治38年の葛ヶ谷御霊神社周辺における石器・土器片などの表面採取にさかのぼり、明治・大正・昭和に渡って様々な発掘調査が行われた。落合遺跡そのものは、戦後昭和25年、國學院大學の滝口宏氏の指導により第一次、第二次発掘調査が行われ、次に早稲田大学により第3、第4次調査、その後最近まで合計14回の発掘調査が行われた。第9次調査以降は新宿区教育委員会の指導で落合遺跡調査団により実施されているようだ。
妙正寺川から台地に向かって坂を登る。最初ごりょう坂を見送り、八の坂通りに回り込んで坂を登り、中井御霊神社に到着。ここには縄文遺跡発掘で出土した土器の一部とそれ以外に本殿などの社殿三つ、狛犬、備射祭とそれに使う分木、的、絵馬など多くの指定・登録文化財がある。神主さんが歓迎してくださり、最初はお祓いから入って、神社の登録文化財や縄文遺跡の遺物の話をされた。土器は本殿に展示してあり、、神主さんが分木を実物を出してきてくださった。また江戸時代の備射祭の大きな絵馬も天井下に飾ってあり、東京大空襲を免れてよかったと思う。狛犬は左右が通常の逆で、最近有形文化財に指定されたようだ。
次に目白学園に向かう。学園入口の中で学芸員が概要を説明、中に入って資料を説明。狭いのでなかなか近寄れない。奥には資料保存子があり、展示資料はほんのさわりの部分だ。この資料室の展示は主として縄文中期の土器とごく一部の石器(中期の打製石斧や礫群など)の他、弥生土器、奈良時代の土師器などもある。目白学園のHPには、
「 目白学園遺跡は、妙正寺川との比高差約10m、標高約39mを測る「豊 島台」と呼ばれる台地上に位置します。遺跡の中心は、妙正寺川が、 東から西へ延びる「豊島台」へぶつかり南にカーブする地点を眼下 に望む、台地上の一端にあります。ちょうど、目白学園構内から中落 合四丁目の中井御霊神社にかけての一帯(25,000平方メートル)にあたります。
周辺の遺跡を見渡してみると、縄文時代には明確な集落跡は見つ かっていませんが、弥生時代後期に入ると、上流から順に、新井三丁 目遺跡、高田馬場三丁目遺跡、西早稲田三丁目遺跡、そして下戸塚遺 跡の環濠集落と、流域沿いに点々と集落が発見されています。古墳 時代の集落は、本遺跡では見つかっていませんが、やや下流の高田 馬場三丁目遺跡などで集落の存在が確認されています。奈良時代に は上落合二丁目遺跡などで、本遺跡と同様の集落が見つかっています。 なお、下落合横穴墓群は、本遺跡と関連のある墓域と考えられてい ます。
また、最近の調査では旧石器時代の遺物も発見されており、今後、 周辺遺跡との関係を検討していく必要があります。」
とある。
この中で特に目を引いたのは、弥生時代の東海地方、天竜川流域の菊川式土器で、水田開発のために移住してきたのか?また奈良時代の土師器・落合式坏は北武蔵から南武蔵地域一体に広がるが、落合周辺で多く出土するらしい。面白いのは仙台付近でこの土器が発見され、落合周辺の下縄文人らが集団で移住したのではないかといわれていることだ。縄文時代からの文化、生活様式を維持するために開発から逃れて移住したとすれば面白い。北東北から北海道には続縄文という時代がしばらく続いていた。
目白学園からごりょう坂を下って再び妙正寺川に戻り、次の公園の禅寺丸柿の苗を見てから、再び坂を登って、葛ヶ谷御霊神社に向かう。この神社境内からも縄文の遺跡が出ており、また中井御霊神社とほぼ同様の備射祭が行われている。力石などの有形文化財もある。ここは見るだけですぐ最終目的地の哲学堂の手前にある妙正寺川No.1遺跡とその後建設された妙正寺川第一調節池を見学。妙正寺川対岸の石垣の間から湧水が出ていることを確認、この河岸段丘の斜面では縄文、いた旧石器時代からこうした湧水を求めて人々が住み付いていたことがわかる。最後に中野区側の第二調整池を通過し、哲学堂入口の哲学の庭で解散した。
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