記録ID: 6259204
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ハイキング
伊豆・愛鷹
修善寺 もみじ散策 75
2023年11月25日(土) [日帰り]


体力度
1
日帰りが可能
- GPS
- 04:14
- 距離
- 7.1km
- 登り
- 296m
- 下り
- 303m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 3:32
- 休憩
- 0:36
- 合計
- 4:08
距離 7.1km
登り 296m
下り 303m
17:53
ゴール地点
過去天気図(気象庁) | 2023年11月の天気図 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
車移動のあと修善寺へ
まずは日枝神社
隣にある修禅寺の鬼門に当たり
もとは修禅寺の山王社(鎮守)
弘法大師の建立
明治初年(1868)の神仏分離令により分離
境内にそびえる「一位樫」は
伊豆には珍しい樹木
樹齢800年以上の「夫婦杉」があり
日枝神社は子宝祈願の神社としても有名
源範頼(頼朝の異母弟)が幽閉されていた
信功院があった場所
まずは日枝神社
隣にある修禅寺の鬼門に当たり
もとは修禅寺の山王社(鎮守)
弘法大師の建立
明治初年(1868)の神仏分離令により分離
境内にそびえる「一位樫」は
伊豆には珍しい樹木
樹齢800年以上の「夫婦杉」があり
日枝神社は子宝祈願の神社としても有名
源範頼(頼朝の異母弟)が幽閉されていた
信功院があった場所
修禅寺
正式名称 福地山修禅萬安禅寺
曹洞宗の禅寺
大同二年(807)に
真言宗の弘法大師空海によって開創
建長年間(1249-1255)に臨済宗となり
応永9年(1409)の戦乱で伽藍を焼失
北条早雲により再建され
曹洞宗に
正式名称 福地山修禅萬安禅寺
曹洞宗の禅寺
大同二年(807)に
真言宗の弘法大師空海によって開創
建長年間(1249-1255)に臨済宗となり
応永9年(1409)の戦乱で伽藍を焼失
北条早雲により再建され
曹洞宗に
名称 地名は「修善寺」
寺名は「修禅寺」
両方とも「しゅぜんじ」と読む
初期には「桂谷山寺」
鎌倉時代より「修善寺」と呼ばれていたが
鎌倉時代中期に臨済宗に改宗し
「善」を「禅」に変更したとの説がある
wikiより
寺名は「修禅寺」
両方とも「しゅぜんじ」と読む
初期には「桂谷山寺」
鎌倉時代より「修善寺」と呼ばれていたが
鎌倉時代中期に臨済宗に改宗し
「善」を「禅」に変更したとの説がある
wikiより
独鈷の湯
空海(弘法大師)が
大同2年(807年)に桂川で
病んだ父親の体を洗う少年に感心し
「川の水では冷たかろう」と
手に持った独鈷杵で川中の岩を打ち砕き
霊泉を噴出させた
大師が温泉が疾病に効くことを説き
父子は十数年来の病を
完治させることができた
という伝承が残っている
これより湯治療養が広まり
修善寺温泉が始まったとされる
独鈷の湯は、川中に突き出た形状により
豪雨で流れが阻害され
氾濫を引き起こす原因になるとして
2009年4月に19m下流の
川幅の広い位置に移動
wikiより
空海(弘法大師)が
大同2年(807年)に桂川で
病んだ父親の体を洗う少年に感心し
「川の水では冷たかろう」と
手に持った独鈷杵で川中の岩を打ち砕き
霊泉を噴出させた
大師が温泉が疾病に効くことを説き
父子は十数年来の病を
完治させることができた
という伝承が残っている
これより湯治療養が広まり
修善寺温泉が始まったとされる
独鈷の湯は、川中に突き出た形状により
豪雨で流れが阻害され
氾濫を引き起こす原因になるとして
2009年4月に19m下流の
川幅の広い位置に移動
wikiより
この川に架かる5つの橋には
恋の言い伝えがあり
5つ全ての橋を願いをかけながら渡ると恋が実るとか
新歌舞伎『修禅寺物語』』で
将軍源頼家と頼家が面作りを頼んだ職人の娘・桂が
愛を育む舞台となったのがこの修善寺
ちなみに、5つの橋の名前はそれぞれ別名があります。
・渡月橋(とげつばし) 別名:みそめ橋
・虎渓橋(こけいばし) 別名:あこがれ橋
・桂橋(かつらばし) 別名:結ばれ橋
・楓橋(かえでばし) 別名:寄り添い橋
・瀧下橋(たきしたばし) 別名:安らぎ橋
HPより
さてこれは
何橋か?
恋の言い伝えがあり
5つ全ての橋を願いをかけながら渡ると恋が実るとか
新歌舞伎『修禅寺物語』』で
将軍源頼家と頼家が面作りを頼んだ職人の娘・桂が
愛を育む舞台となったのがこの修善寺
ちなみに、5つの橋の名前はそれぞれ別名があります。
・渡月橋(とげつばし) 別名:みそめ橋
・虎渓橋(こけいばし) 別名:あこがれ橋
・桂橋(かつらばし) 別名:結ばれ橋
・楓橋(かえでばし) 別名:寄り添い橋
・瀧下橋(たきしたばし) 別名:安らぎ橋
HPより
さてこれは
何橋か?
修善寺梅林
樹齢100年を越える古木や
樹齢30年程度の若木を合わせて
20種1000本
総面積30,000平方mの
小高い丘稜地いっぱいに
梅の花が咲き乱れる
園内には岡本綺堂の『修禅寺物語』の記念碑を始め
6本の文学碑があり
高台からは富士山も眺められ
観梅しながら文学碑が楽しめる
HPより
樹齢100年を越える古木や
樹齢30年程度の若木を合わせて
20種1000本
総面積30,000平方mの
小高い丘稜地いっぱいに
梅の花が咲き乱れる
園内には岡本綺堂の『修禅寺物語』の記念碑を始め
6本の文学碑があり
高台からは富士山も眺められ
観梅しながら文学碑が楽しめる
HPより
感想
朝から夜まで
場所を移動してのグルメ企画
母親に
山はどうだった?と聞かれ
山じゃなかったと答えた孫っち
確かに…( ´艸`)
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