グリムの里をイメージした石橋駅を青空の下元気よく出立
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2/15 7:50
グリムの里をイメージした石橋駅を青空の下元気よく出立
真言宗 石橋山開雲寺
徳川将軍家の日光東照宮参拝道中の休泊所となり、寺の紋章は徳川の葵の紋、本堂前には12体の羅漢像
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2/15 7:55
真言宗 石橋山開雲寺
徳川将軍家の日光東照宮参拝道中の休泊所となり、寺の紋章は徳川の葵の紋、本堂前には12体の羅漢像
山門の白壁には銃眼が空いている
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2/15 7:56
山門の白壁には銃眼が空いている
下古山信号付近
このあたりに「下古山の一里塚」があったらしい 江戸日本橋より二十四里
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2/15 8:24
下古山信号付近
このあたりに「下古山の一里塚」があったらしい 江戸日本橋より二十四里
鞘堂地蔵尊
康暦二年(1380)の小山宇都宮の戦い(茂原合戦)で、村人が戦死者の鞘を拾い集め埋葬して、戦死者供養の石造地蔵を安置した。安産子育地蔵としても拝められている
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2/15 8:36
鞘堂地蔵尊
康暦二年(1380)の小山宇都宮の戦い(茂原合戦)で、村人が戦死者の鞘を拾い集め埋葬して、戦死者供養の石造地蔵を安置した。安産子育地蔵としても拝められている
星宮神社 鞘堂新田村の鎮守
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2/15 8:39
星宮神社 鞘堂新田村の鎮守
【16雀宮宿着 下野國】
「安塚街道入口」信号の辺りが雀宮宿の江戸口で木戸があった
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2/15 9:19
【16雀宮宿着 下野國】
「安塚街道入口」信号の辺りが雀宮宿の江戸口で木戸があった
雀宮本陣跡
酒の「やまや」の敷地内で隣がゴミの集積場というのは気になるが石柱があるだけ良い
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2/15 9:24
雀宮本陣跡
酒の「やまや」の敷地内で隣がゴミの集積場というのは気になるが石柱があるだけ良い
雀宮仮本陣
こちらは建物が残り解説版も設置されている
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2/15 9:27
雀宮仮本陣
こちらは建物が残り解説版も設置されている
祠の中には安政5(1858)年建立の馬頭観音と大正11(1922)年建立の生駒神や勝善神が安置されている
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2/15 9:33
祠の中には安政5(1858)年建立の馬頭観音と大正11(1922)年建立の生駒神や勝善神が安置されている
雀宮神社
雀宮村の鎮守。正徳3(1713)年東山天皇より金文字で「雀宮」と書かれた「勅額」が下賜され、この額が社頭にあるため日光社参の将軍や諸大名は参拝を常としていた
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2/15 9:34
雀宮神社
雀宮村の鎮守。正徳3(1713)年東山天皇より金文字で「雀宮」と書かれた「勅額」が下賜され、この額が社頭にあるため日光社参の将軍や諸大名は参拝を常としていた
一部国道4号を外れ旧道を通る
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2/15 9:42
一部国道4号を外れ旧道を通る
旧道に入ると下水のマンホール、宇都宮市の木「イチョウ」をデザインしたもの
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2/15 9:40
旧道に入ると下水のマンホール、宇都宮市の木「イチョウ」をデザインしたもの
寿鶴(すず)薬師堂 中を除いたが良く見えない
御堂全体が赤く違和感あり
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2/15 10:04
寿鶴(すず)薬師堂 中を除いたが良く見えない
御堂全体が赤く違和感あり
宇都宮に入ると大谷石の蔵や石塀が目立つ
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2/15 10:08
宇都宮に入ると大谷石の蔵や石塀が目立つ
菅原神社
この辺りは台新田村立場後で高札場があったといわれる
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2/15 10:09
菅原神社
この辺りは台新田村立場後で高札場があったといわれる
江曽島の一里塚辺り
バス停もJR東北線踏切も「一里塚」と名前は残っている
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2/15 10:26
江曽島の一里塚辺り
バス停もJR東北線踏切も「一里塚」と名前は残っている
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2/15 10:28
不動堂
昭和3(1928)年建立の道標には「正面東京ニ至ル 右奥州街道及日光街道 左裁判所前ニ至ル」
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2/15 10:50
不動堂
昭和3(1928)年建立の道標には「正面東京ニ至ル 右奥州街道及日光街道 左裁判所前ニ至ル」
【17宇都宮宿着 下野國】
国道4号線から国道119号線(日光街道線)に入る
宇都宮宿の江戸口(南口)あたり
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2/15 10:55
【17宇都宮宿着 下野國】
国道4号線から国道119号線(日光街道線)に入る
宇都宮宿の江戸口(南口)あたり
蒲生君平勅旌碑(ちょくせいひ)、高山彦九郎、林子平と並ぶ寛政三奇人のひとり、明和五年(1768)宇都宮で生まれ、尊皇家で明治になって遺功が追賞された(「奇」は「優れた」という意味)
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2/15 10:57
蒲生君平勅旌碑(ちょくせいひ)、高山彦九郎、林子平と並ぶ寛政三奇人のひとり、明和五年(1768)宇都宮で生まれ、尊皇家で明治になって遺功が追賞された(「奇」は「優れた」という意味)
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2/15 10:57
蒲生君平は今でも地元で愛されているようで街道の愛称にもなっている
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2/15 10:54
蒲生君平は今でも地元で愛されているようで街道の愛称にもなっている
熱木(ねぎ)不動尊
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2/15 11:05
熱木(ねぎ)不動尊
橋番所跡
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2/15 11:08
橋番所跡
この辺りに住んでいた者の歌が万葉集に載ったのが地名の由
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2/15 11:08
この辺りに住んでいた者の歌が万葉集に載ったのが地名の由
時宗 清照山一向寺
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2/15 11:13
時宗 清照山一向寺
応永十二年(1405)に造られた銅造阿弥陀如来坐像は国の重要文化財
「汗かき阿弥陀」と呼ばれ、世の中に異変が起こる前になると汗を角という伝説があり、五十里湖洪水や関東大震災、宇都宮大空襲の前日にも汗をかいたという。
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2/15 11:12
応永十二年(1405)に造られた銅造阿弥陀如来坐像は国の重要文化財
「汗かき阿弥陀」と呼ばれ、世の中に異変が起こる前になると汗を角という伝説があり、五十里湖洪水や関東大震災、宇都宮大空襲の前日にも汗をかいたという。
菅原神社
学問の神「菅原道真」を祀る天神社。宇都宮城西の守護神であった
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2/15 11:14
菅原神社
学問の神「菅原道真」を祀る天神社。宇都宮城西の守護神であった
材木町木戸跡
民家とマンションの間にポツンと立つ標識には
「町人の住む材木町から武家屋敷に通じる木戸があった。武士が城内に通う朝晩だけ開門され、日中は閉門されていたところから不明門(あかずのもん)と呼ばれまた。」
民家前にいた人に挨拶すると「時々団体さんが来るヨ」と言っていた
街道歩きもメジャーになってきたのかもしれない
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2/15 11:24
材木町木戸跡
民家とマンションの間にポツンと立つ標識には
「町人の住む材木町から武家屋敷に通じる木戸があった。武士が城内に通う朝晩だけ開門され、日中は閉門されていたところから不明門(あかずのもん)と呼ばれまた。」
民家前にいた人に挨拶すると「時々団体さんが来るヨ」と言っていた
街道歩きもメジャーになってきたのかもしれない
本陣跡
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2/15 11:29
本陣跡
洞宗松峰山桂林寺
墓所には蒲生君平の墓がある
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2/15 11:36
洞宗松峰山桂林寺
墓所には蒲生君平の墓がある
土蔵と旧家も残っている
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2/15 11:43
土蔵と旧家も残っている
勝善神(そうぜんしん)
神道の牛馬の守護神で、仏教系での馬頭観音にあたる
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2/15 11:52
勝善神(そうぜんしん)
神道の牛馬の守護神で、仏教系での馬頭観音にあたる
お昼は、宇都宮に来たので宇都宮に起源のある「宮ステーキ」でランチ
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2/15 12:32
お昼は、宇都宮に来たので宇都宮に起源のある「宮ステーキ」でランチ
薬師堂
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2/15 13:04
薬師堂
このあたりから桜と杉の並木二より歩車道が分離されて歩きやすい
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2/15 13:12
このあたりから桜と杉の並木二より歩車道が分離されて歩きやすい
戸祭の一里塚(西塚) 江戸日本橋より二十八里目
昭和58(1983)年に修復整備され、両塚とも原型をとどめている
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2/15 13:23
戸祭の一里塚(西塚) 江戸日本橋より二十八里目
昭和58(1983)年に修復整備され、両塚とも原型をとどめている
(東塚)
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2/15 13:23
(東塚)
言宗智山派宝珠山玉塔院光明寺
将軍日光社参の際は境内に御茶屋が設けられましたと伝えられている
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2/15 13:45
言宗智山派宝珠山玉塔院光明寺
将軍日光社参の際は境内に御茶屋が設けられましたと伝えられている
境内に静御前所縁の「静桜」が植えられている
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2/15 13:45
境内に静御前所縁の「静桜」が植えられている
真ん中の細いのが「静桜」
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2/15 13:46
真ん中の細いのが「静桜」
国道119号線(日光街道線)の並木は続く
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2/15 14:19
国道119号線(日光街道線)の並木は続く
高谷林の一里塚 江戸日本橋より二十九里目
昭和58(1983)年に東塚が修復整備された
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2/15 14:22
高谷林の一里塚 江戸日本橋より二十九里目
昭和58(1983)年に東塚が修復整備された
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2/15 14:22
第六接合井
大正4(1915)年建設の水道施設。今市浄水場からの浄水を約25km、標高差約240mの戸祭配水場までの送水管にかかる水圧を調整している。レンガ造りの上屋は登録有形文化財及び土木学会選定土木遺産に指定されている
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2/15 14:27
第六接合井
大正4(1915)年建設の水道施設。今市浄水場からの浄水を約25km、標高差約240mの戸祭配水場までの送水管にかかる水圧を調整している。レンガ造りの上屋は登録有形文化財及び土木学会選定土木遺産に指定されている
【18徳次郎(とくじら)宿着 下野國】
大谷道道標
「大谷道」「下徳次郎」と刻まれている。かつてここから大谷観音への道があったという
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2/15 14:34
【18徳次郎(とくじら)宿着 下野國】
大谷道道標
「大谷道」「下徳次郎」と刻まれている。かつてここから大谷観音への道があったという
冨屋小学校の壁に掛けられた横断幕
1954年(昭和29年)に徳次郎を含む富屋村が宇都宮市に編入された際、読みは「とくじろう」と定められた。その後地元自治会の要望などにより2021年(令和3年)「とくじらまち」に変更された
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2/15 14:38
冨屋小学校の壁に掛けられた横断幕
1954年(昭和29年)に徳次郎を含む富屋村が宇都宮市に編入された際、読みは「とくじろう」と定められた。その後地元自治会の要望などにより2021年(令和3年)「とくじらまち」に変更された
私塾明王院
修験者の外鯨要人(とくじらかなんど)が開塾し安政5年(1858)から大正10年(1921)まで続いた私塾
人名はの「くじら」は「久次郎」ではなく「鯨
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2/15 14:43
私塾明王院
修験者の外鯨要人(とくじらかなんど)が開塾し安政5年(1858)から大正10年(1921)まで続いた私塾
人名はの「くじら」は「久次郎」ではなく「鯨
風化が進んだ田中道道標
「神社入口道約五丁田中道」と刻まれている
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2/15 14:48
風化が進んだ田中道道標
「神社入口道約五丁田中道」と刻まれている
中徳次郎宿跡
徳次郎宿は下、中、上の三宿で一宿とし、問屋は各宿にあり、月のうち上十日は中徳次郎宿、中十日は上徳次郎宿、下十日は下徳次郎宿が勤めた
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2/15 14:51
中徳次郎宿跡
徳次郎宿は下、中、上の三宿で一宿とし、問屋は各宿にあり、月のうち上十日は中徳次郎宿、中十日は上徳次郎宿、下十日は下徳次郎宿が勤めた
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2/15 14:51
智賀都(ちかつ)神社
参道口の左右に長寿の夫婦欅、推定樹齢約七百年で栃木県指定天然記念物
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2/15 15:00
智賀都(ちかつ)神社
参道口の左右に長寿の夫婦欅、推定樹齢約七百年で栃木県指定天然記念物
カーブの中央分離帯に6本杉があったのだろうか?
左に「六本杉珈琲」がある
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2/15 15:06
カーブの中央分離帯に6本杉があったのだろうか?
左に「六本杉珈琲」がある
上徳次郎宿跡
3宿の中では一番北端(日光)で最も早く開けた宿
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2/15 15:20
上徳次郎宿跡
3宿の中では一番北端(日光)で最も早く開けた宿
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2/15 15:21
石那田の一里塚 江戸日本橋より三十里目
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2/15 15:26
石那田の一里塚 江戸日本橋より三十里目
本日はここまで、「一里塚」バス停から宇都宮駅へ戻る
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2/15 15:36
本日はここまで、「一里塚」バス停から宇都宮駅へ戻る
バス停にはフクジュソウが咲き始めていた
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2/15 15:32
バス停にはフクジュソウが咲き始めていた
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2/15 16:57
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