宇都宮から朝一番のバスで石那田の一里塚へ
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2/16 7:07
宇都宮から朝一番のバスで石那田の一里塚へ
国道119号線(日光街道線)の車道脇の一段上がった所が歩道に馬力神の石塔がある
神道系の馬頭観音だがこの地方は馬頭観音より馬力神の方が多い
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2/16 7:16
国道119号線(日光街道線)の車道脇の一段上がった所が歩道に馬力神の石塔がある
神道系の馬頭観音だがこの地方は馬頭観音より馬力神の方が多い
石那田堰跡
街道を少し北に入った用水路脇に二宮金次郎像や石祠、記念碑等がある
嘉永五年(1852)二宮尊徳の指導で堰が築かれ、上中下徳次郎、西根、田中、門前に用水を引いた
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2/16 7:23
石那田堰跡
街道を少し北に入った用水路脇に二宮金次郎像や石祠、記念碑等がある
嘉永五年(1852)二宮尊徳の指導で堰が築かれ、上中下徳次郎、西根、田中、門前に用水を引いた
石那田八坂神社御仮屋
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2/16 7:38
石那田八坂神社御仮屋
石那田八坂神社天王祭は京都の八坂神社祇園祭の流れをくみ、夏の疫病退散を祈願して7月下旬に1週間かけて行われる
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2/16 7:38
石那田八坂神社天王祭は京都の八坂神社祇園祭の流れをくみ、夏の疫病退散を祈願して7月下旬に1週間かけて行われる
金精様を祀る金精大明神
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2/16 7:42
金精様を祀る金精大明神
中央は青面金剛 左右のものはよくわからない
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2/16 7:45
中央は青面金剛 左右のものはよくわからない
車道から一段上がった歩道を進む
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2/16 7:46
車道から一段上がった歩道を進む
お願い地蔵 享保十五年(1730)
自身の体の悪い所と地蔵の同じところに赤い布を付け、お願いすると御利益がある
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2/16 8:10
お願い地蔵 享保十五年(1730)
自身の体の悪い所と地蔵の同じところに赤い布を付け、お願いすると御利益がある
新渡(にわたり)神社
国道を挟んで手前に御神燈がある
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2/16 8:21
新渡(にわたり)神社
国道を挟んで手前に御神燈がある
上小池の一里塚 日本橋より三十一里目
左側のコンモリしたところ
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2/16 8:22
上小池の一里塚 日本橋より三十一里目
左側のコンモリしたところ
宇都宮市から日光市へ
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2/16 8:27
宇都宮市から日光市へ
庭先の馬力神
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2/16 8:28
庭先の馬力神
大沢分岐 ここを国道を外れ右へ
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2/16 8:51
大沢分岐 ここを国道を外れ右へ
杉並木寄進碑
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2/16 8:54
杉並木寄進碑
徳川家康、秀忠、家光の三代に仕えた武州川越藩主松平正綱が東照宮に寄進した、碑は日光神領との境界にあるところから境石と呼ばれた。
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2/16 8:54
徳川家康、秀忠、家光の三代に仕えた武州川越藩主松平正綱が東照宮に寄進した、碑は日光神領との境界にあるところから境石と呼ばれた。
【19大沢宿着 下野國 】
並木の外側に歩道は無く杉並木中央を歩く
両側の並木が高くなって切通の様になっているのは横から不意に襲われないようにした仕掛らしい
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2/16 8:55
【19大沢宿着 下野國 】
並木の外側に歩道は無く杉並木中央を歩く
両側の並木が高くなって切通の様になっているのは横から不意に襲われないようにした仕掛らしい
一時杉並木が途切れる
杉にはたっぷり花が付いているが未だ飛散はしていない
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2/16 9:09
一時杉並木が途切れる
杉にはたっぷり花が付いているが未だ飛散はしていない
八坂神社
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2/16 9:12
八坂神社
同じ杉並木でも特別保護地域と普通地域がある
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2/16 9:13
同じ杉並木でも特別保護地域と普通地域がある
大沢の四本杉
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2/16 9:13
大沢の四本杉
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2/16 9:25
水無の一里塚 日本橋より三十二里目
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2/16 9:26
水無の一里塚 日本橋より三十二里目
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2/16 9:28
国道119号(日光街道)はバイパスを造りながら杉並木の中を交通止めにしている様だ。ここは舗装されているが車の侵入は出来な
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2/16 9:31
国道119号(日光街道)はバイパスを造りながら杉並木の中を交通止めにしている様だ。ここは舗装されているが車の侵入は出来な
山伏千手院跡 日光山の里山伏
如意輪観音像十九夜塔や男女双体道祖神等の石仏石塔が多数ある
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2/16 9:40
山伏千手院跡 日光山の里山伏
如意輪観音像十九夜塔や男女双体道祖神等の石仏石塔が多数ある
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2/16 9:42
馬頭観音
杉並木は車が通れるところと通れないとろが交互に現れる
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2/16 9:43
馬頭観音
杉並木は車が通れるところと通れないとろが交互に現れる
未舗装の旧道は雰囲気がある
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2/16 9:55
未舗装の旧道は雰囲気がある
男体山が近くに見えゴールも近い
杉並木の無いところは歩道の無い狭い道で危険を感じる
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2/16 10:06
男体山が近くに見えゴールも近い
杉並木の無いところは歩道の無い狭い道で危険を感じる
浄土宗の盛朝山来迎寺
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2/16 10:10
浄土宗の盛朝山来迎寺
境内には十九夜塔などの供養塔・五輪塔が刻まれた墓石などがある
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2/16 10:10
境内には十九夜塔などの供養塔・五輪塔が刻まれた墓石などがある
桜杉 杉の割れ目に山桜が生えて合体した
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2/16 10:33
桜杉 杉の割れ目に山桜が生えて合体した
七本桜の一里塚(北塚)江戸日本橋より三十三里
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2/16 10:39
七本桜の一里塚(北塚)江戸日本橋より三十三里
北塚は特別史跡、塚木の杉は特別天然記念物
空洞には大人が4人入れることから 「並木ホテル」 と呼ばれている
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2/16 10:38
北塚は特別史跡、塚木の杉は特別天然記念物
空洞には大人が4人入れることから 「並木ホテル」 と呼ばれている
車両進入禁止だが「国道119号」車道の標識は残されている
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2/16 10:40
車両進入禁止だが「国道119号」車道の標識は残されている
杉並木の間を横切るのは東武日光線
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2/16 10:47
杉並木の間を横切るのは東武日光線
杉並木を横切る小倉歩道橋
大沢宿は度重なる火災により宿跡も無い様だ
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2/16 10:58
杉並木を横切る小倉歩道橋
大沢宿は度重なる火災により宿跡も無い様だ
【20今市宿着 下野國】
日光道中(左)と日光例幣使街道(右)との合流(追分)
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2/16 11:04
【20今市宿着 下野國】
日光道中(左)と日光例幣使街道(右)との合流(追分)
追分にある追分地蔵
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2/16 11:02
追分にある追分地蔵
道の駅手前に「二宮尊徳の墓」がある報徳二宮神社
今市が終焉の地となった二宮尊徳を祀って、明治31年(1898)に創建された
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2/16 11:06
道の駅手前に「二宮尊徳の墓」がある報徳二宮神社
今市が終焉の地となった二宮尊徳を祀って、明治31年(1898)に創建された
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2/16 11:06
高橋本陣跡
鹿沼相互信金あたり、何の表示もなく不明
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2/16 11:10
高橋本陣跡
鹿沼相互信金あたり、何の表示もなく不明
会津西街道
標柱の側面には会津若松まで二十八里、神橋まで二里と書かれている
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2/16 11:12
会津西街道
標柱の側面には会津若松まで二十八里、神橋まで二里と書かれている
今市宿脇本陣跡
「今市宿市緑ひろば」の看板があるが閉鎖されている
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2/16 11:15
今市宿脇本陣跡
「今市宿市緑ひろば」の看板があるが閉鎖されている
瀧尾神社 今市総鎮守
天応二年(782)勝道上人が日光二荒山(男体山)上に二荒山大神を祀ると同時に創建された
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2/16 11:19
瀧尾神社 今市総鎮守
天応二年(782)勝道上人が日光二荒山(男体山)上に二荒山大神を祀ると同時に創建された
杉並木公園内にある朝鮮通信使今市客館跡碑
江戸幕府に最初の朝鮮通信使が来日して400年になるのを記念して、平成19年(2007)に建てられた
寛永十三年(1636)幕府は一万両の費用をかけて朝鮮通信使の宿泊用の館を建てた
朝鮮通信使は室町時代の正長元年(1428)に初来日しここに宿泊し、日光東照宮の参拝した
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2/16 11:22
杉並木公園内にある朝鮮通信使今市客館跡碑
江戸幕府に最初の朝鮮通信使が来日して400年になるのを記念して、平成19年(2007)に建てられた
寛永十三年(1636)幕府は一万両の費用をかけて朝鮮通信使の宿泊用の館を建てた
朝鮮通信使は室町時代の正長元年(1428)に初来日しここに宿泊し、日光東照宮の参拝した
瀬川の一里塚 江戸日本橋より三十四目
道路側に表示がないので見逃してしまう
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2/16 11:41
瀬川の一里塚 江戸日本橋より三十四目
道路側に表示がないので見逃してしまう
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2/16 11:39
杉並木公園内の移築古民家二棟
旧江連(えずれ)家住宅は天保元年(1830)の建築で、南小倉村の世襲名主江連家の住宅
もう一軒は慶応元年(1865)二宮尊徳の日光神領農村復興に伴って建築された報徳仕法農家住宅
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2/16 11:44
杉並木公園内の移築古民家二棟
旧江連(えずれ)家住宅は天保元年(1830)の建築で、南小倉村の世襲名主江連家の住宅
もう一軒は慶応元年(1865)二宮尊徳の日光神領農村復興に伴って建築された報徳仕法農家住宅
大日如来
境内には十九夜塔、不動明王、庚申塔、寒念仏供養塔等がある
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2/16 11:50
大日如来
境内には十九夜塔、不動明王、庚申塔、寒念仏供養塔等がある
七本杉跡 七本の杉の根幹が癒着し一株になった杉の切株。屋久杉を思い出させるほどの大きさを感じる切株
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2/16 11:53
七本杉跡 七本の杉の根幹が癒着し一株になった杉の切株。屋久杉を思い出させるほどの大きさを感じる切株
砲弾打込杉
戊辰戦役の激戦地で、杉の幹に官軍が放った砲弾が当たって破裂した痕跡を残している
杉が生長して何処が傷跡か解らない
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2/16 12:03
砲弾打込杉
戊辰戦役の激戦地で、杉の幹に官軍が放った砲弾が当たって破裂した痕跡を残している
杉が生長して何処が傷跡か解らない
砲弾跡はこのあたりかな
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2/16 12:04
砲弾跡はこのあたりかな
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2/16 12:19
薬師堂
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2/16 12:31
薬師堂
前に大きな石の釣鐘が置かれている
石でも鐘の音が出るのだろうか?
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2/16 12:32
前に大きな石の釣鐘が置かれている
石でも鐘の音が出るのだろうか?
左の細い杉並木から来て国道119号線(日光街道線)に出る
この先に歩道は無く道路の脇を歩くので、車が身近を走り注意が必要
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2/16 12:45
左の細い杉並木から来て国道119号線(日光街道線)に出る
この先に歩道は無く道路の脇を歩くので、車が身近を走り注意が必要
常夜燈 寛政三年(1791)建立、生岡山王と刻まれた日枝神社の常夜燈
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2/16 12:47
常夜燈 寛政三年(1791)建立、生岡山王と刻まれた日枝神社の常夜燈
常夜燈の脇を走るJR日光線の線路の向こうにも石碑がある
線路には進入禁止の立て看板があるが石碑に向かう階段は線路を渡らなければ登れない
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2/16 12:48
常夜燈の脇を走るJR日光線の線路の向こうにも石碑がある
線路には進入禁止の立て看板があるが石碑に向かう階段は線路を渡らなければ登れない
戊辰戦争の戦死した旧幕府軍の墓がある墓地
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2/16 12:53
戊辰戦争の戦死した旧幕府軍の墓がある墓地
生岡神社の参道口 JR日光線によって通行不可
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2/16 12:55
生岡神社の参道口 JR日光線によって通行不可
歩道は無く道幅が狭く先が見えないカーブはスピードを揚げてくる車に注意が必要
1
2/16 13:00
歩道は無く道幅が狭く先が見えないカーブはスピードを揚げてくる車に注意が必要
宝殿三叉路 JR日光線のガードの向こうに男体山
ここを右へ進む
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2/16 13:11
宝殿三叉路 JR日光線のガードの向こうに男体山
ここを右へ進む
いろは食堂
杉並木の途切れたところにひっそりとしたところに食堂があった
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2/16 13:16
いろは食堂
杉並木の途切れたところにひっそりとしたところに食堂があった
杉並木沿いに食堂は少ないのでためらわずに入った
タンメン750円・餃子350円、麺は極細で美味しかった
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2/16 13:26
杉並木沿いに食堂は少ないのでためらわずに入った
タンメン750円・餃子350円、麺は極細で美味しかった
【21鉢石宿着 下野國】
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2/16 13:54
【21鉢石宿着 下野國】
東武日光駅
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2/16 13:55
東武日光駅
JR日光駅
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2/16 13:57
JR日光駅
整備された日光市街
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2/16 14:12
整備された日光市街
「元祖ゆばそば魚要」が御宮御菓子屋本陣兼帯跡
今年閉店した、本陣等を示す表示は無い
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2/16 14:13
「元祖ゆばそば魚要」が御宮御菓子屋本陣兼帯跡
今年閉店した、本陣等を示す表示は無い
老舗綿半(わたはん) 創業天明七年(1787)練羊羹の店 日光山輪王寺御用
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2/16 14:15
老舗綿半(わたはん) 創業天明七年(1787)練羊羹の店 日光山輪王寺御用
ゆば料理の「さん・フィールド」
この奥が本陣跡らしいが案内板等も無く不明
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2/16 14:23
ゆば料理の「さん・フィールド」
この奥が本陣跡らしいが案内板等も無く不明
鉢石(はついし) 地名の由来の石
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2/16 14:26
鉢石(はついし) 地名の由来の石
地表に突き出した岩盤が鉢を伏せた形に似ていることから鉢石といい、これが鉢石(はついし)の地名由来
日光を開山した勝道上人がこの石に托鉢用の鉢を置いて休息したという
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2/16 14:26
地表に突き出した岩盤が鉢を伏せた形に似ていることから鉢石といい、これが鉢石(はついし)の地名由来
日光を開山した勝道上人がこの石に托鉢用の鉢を置いて休息したという
日光物産商会
明治38年日光金谷ホテルの土産店として創業、建物は国の登録文化財
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2/16 14:30
日光物産商会
明治38年日光金谷ホテルの土産店として創業、建物は国の登録文化財
神橋 ゴール
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2/16 14:31
神橋 ゴール
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2/16 14:32
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