"兵どもが夢の跡" 賤ヶ岳
- GPS
- 03:48
- 距離
- 9.7km
- 登り
- 330m
- 下り
- 325m
コースタイム
- 山行
- 2:47
- 休憩
- 0:59
- 合計
- 3:46
過去天気図(気象庁) | 2024年03月の天気図 |
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アクセス |
写真
感想
今回は、以前から気になっていた賤ヶ岳です。週末の寒波で雪❄️も期待しての山行です。
早朝に電車で🚃余呉駅へ。途中の車窓から比良山系の山々も伊吹山も昨日の寒波で山容は白くなり、余呉駅も雪が残っていました。
余呉湖観光館から樹氷の残る余呉湖畔沿いに進み、岩崎山の登山口から急坂に取り付く。雪が溶けて泥濘んで滑りやすい階段を慎重に登る。
中川清秀の砦跡と墓🪦を過ぎ、清秀の"首洗いの池"を見てから広い山道に戻る。歩きやすい緩やかな山道を進むと羽柴秀吉が陣取った"猿ヶ馬場"が現れる。
さらに進み、最後の急坂を登ると傷ついた兜を傍らに置き、槍を支えに座る、疲れ果てた武将の像が現れて賤ヶ岳の山頂に着きました。
右下に余呉湖、その背後に敦賀方面の白い山並みが、左前方は奥琵琶湖が一望でき、白い比良山系が広がる。
山頂で奥琵琶湖を前面に座り、雪で白くなった伊吹山、霊仙山を眺めながら昼食を取る。コーヒーとタバコを吸いながら山頂から賤ヶ岳の合戦に想いを馳せる。
賤ヶ岳は北陸道と近畿道の重なる要衝。
本能寺の変で信長の死の報を受け、秀吉は備中高松城攻めから急ぎ戻り、明智光秀を天王山で追討。後継者争いの清洲会議で一気呵成の秀吉に対立する柴田勝家が北ノ庄から打って出て、琵琶湖と余呉湖を挟んだ賤ヶ岳で臨んだ大戦さ。
文献では余呉湖が血で赤く染まった。とあるほどの激戦だったようです。
柴田勝家は北ノ庄へ敗走、秀吉軍に取り囲まれ、勝家の妻で信長の妹のお市の方と共に自害。娘の茶々、初、江は秀吉に引き取られ、秀吉の時代になる。
本能寺の変から大山崎の戦い、清洲会議から賤ヶ岳の戦いを経て秀吉、さらには関ヶ原を経て家康へと移りゆく・・。
賤ヶ岳は、まさに、「兵どもの夢の跡」でした。
【賤ヶ岳の七本槍とは】
脇坂安治、片桐且元、平野長泰、福島正則、加藤清正、糟屋武則、加藤嘉明
【カバー写真】
山頂にある「賤ヶ岳の七本槍」
※作者の意図が側に記されていて感慨深く読ませていただきました。
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