本日の出発地点南木曽駅(三留野宿)
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3/14 8:12
本日の出発地点南木曽駅(三留野宿)
駅を降りるとフランス人の夫婦に中津川まで一緒に行かないかと声をかけられ歩き始めたが、街道沿いの庶物に興味は無く歩くことのみ優先の様で先に行ってしまった
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3/14 8:35
駅を降りるとフランス人の夫婦に中津川まで一緒に行かないかと声をかけられ歩き始めたが、街道沿いの庶物に興味は無く歩くことのみ優先の様で先に行ってしまった
巴御前袖振りの松跡
木曽義仲が弓を引こうとした際に、邪魔になった松を巴御前が袖を振って横倒しにした松。松くい虫被害により伐採され、近くの「かぶと観音」境内に水船に加工
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3/14 8:39
巴御前袖振りの松跡
木曽義仲が弓を引こうとした際に、邪魔になった松を巴御前が袖を振って横倒しにした松。松くい虫被害により伐採され、近くの「かぶと観音」境内に水船に加工
上久保(うわくぼ)の一里塚 江戸日本橋から80里目
左右の塚が残っている
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3/14 8:50
上久保(うわくぼ)の一里塚 江戸日本橋から80里目
左右の塚が残っている
しろやま茶屋跡
何時建てられたものか廃屋が残る
旅人には立札だけの表示より目印になるがどうしたらよいのやら
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3/14 9:03
しろやま茶屋跡
何時建てられたものか廃屋が残る
旅人には立札だけの表示より目印になるがどうしたらよいのやら
妻籠へは三叉路の真ん中を行く 右は妻籠城跡
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3/14 9:03
妻籠へは三叉路の真ん中を行く 右は妻籠城跡
御宿大吉 営業中
妻籠入口の旅館、平屋に見えるが「がけや造り」の二階建
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3/14 9:12
御宿大吉 営業中
妻籠入口の旅館、平屋に見えるが「がけや造り」の二階建
鯉ケ岩の向が熊谷家住宅(南木曽町有形文化財)、十九世紀初頭に建てられた長屋の一部で左右の半分ずつ1軒として使用されていた。(狭いながらも・・・)
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3/14 9:14
鯉ケ岩の向が熊谷家住宅(南木曽町有形文化財)、十九世紀初頭に建てられた長屋の一部で左右の半分ずつ1軒として使用されていた。(狭いながらも・・・)
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3/14 9:13
妻籠宿の江戸口で直角に曲がった桝形にある高札場
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3/14 9:17
妻籠宿の江戸口で直角に曲がった桝形にある高札場
妻籠の街並み
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3/14 9:17
妻籠の街並み
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3/14 9:19
脇本陣 奥谷、林家が脇本陣を勤め、問屋、庄屋を兼ねた
建物は明治十年(1877)に建て替えられたもので国重要文化財、南木曽町博物館になっている
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3/14 9:21
脇本陣 奥谷、林家が脇本陣を勤め、問屋、庄屋を兼ねた
建物は明治十年(1877)に建て替えられたもので国重要文化財、南木曽町博物館になっている
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3/14 9:22
休憩所には雛飾り
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3/14 9:22
休憩所には雛飾り
本陣跡 島崎藤村の母の実家
島崎藤村は妻籠宿の名家の出
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3/14 9:24
本陣跡 島崎藤村の母の実家
島崎藤村は妻籠宿の名家の出
観光案内所
これまで街道を歩いているのは外国人ばかりで地元の人以外日本人は見ない
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3/14 9:24
観光案内所
これまで街道を歩いているのは外国人ばかりで地元の人以外日本人は見ない
昭和40年代に保存運動が起き、 町並みを守るために家や土地を「売らない・貸さない・壊さない」 という3原則をつくり、生活しながら江戸時代の町並みを今に伝えている
昭和51年に「重要伝統的建造物群保存地区」に選定
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3/14 9:33
昭和40年代に保存運動が起き、 町並みを守るために家や土地を「売らない・貸さない・壊さない」 という3原則をつくり、生活しながら江戸時代の町並みを今に伝えている
昭和51年に「重要伝統的建造物群保存地区」に選定
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3/14 9:34
妻籠宿寺下地区の街並み
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3/14 9:35
妻籠宿寺下地区の街並み
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3/14 9:37
上嵯峨屋 南木曽町有形文化財
江戸中期の形式をよくとどめ、庶民の旅籠(木賃宿)としての雰囲気をうかがうことができる
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3/14 9:41
上嵯峨屋 南木曽町有形文化財
江戸中期の形式をよくとどめ、庶民の旅籠(木賃宿)としての雰囲気をうかがうことができる
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3/14 9:40
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大妻橋を渡り、馬籠峠へ
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3/14 10:01
大妻橋を渡り、馬籠峠へ
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3/14 10:03
大妻籠は妻籠宿と馬籠宿の間にある間宿
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3/14 10:10
大妻籠は妻籠宿と馬籠宿の間にある間宿
大妻籠の街並み
右手のまるや、つたむらや、は今も民宿をやっている
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3/14 10:12
大妻籠の街並み
右手のまるや、つたむらや、は今も民宿をやっている
大妻籠の一里塚 江戸日本橋より81里
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3/14 10:17
大妻籠の一里塚 江戸日本橋より81里
県道を横断する
向かいから歩いてくるのも外国人
手すりの下に「どうがめ澤 下り谷を経て馬籠峠へ」と書いた石標
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3/14 10:19
県道を横断する
向かいから歩いてくるのも外国人
手すりの下に「どうがめ澤 下り谷を経て馬籠峠へ」と書いた石標
牛頭観音 中山道唯一の牛頭観音
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3/14 10:24
牛頭観音 中山道唯一の牛頭観音
小説「宮本武蔵」所縁の滝 雄滝
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3/14 10:41
小説「宮本武蔵」所縁の滝 雄滝
女滝
武蔵とお通との恋の一場面となった滝
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3/14 10:43
女滝
武蔵とお通との恋の一場面となった滝
馬籠峠入口
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3/14 10:58
馬籠峠入口
一石栃白木改番所跡
木曽から移出される木材を取締るために設けられた番所
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3/14 11:10
一石栃白木改番所跡
木曽から移出される木材を取締るために設けられた番所
一石栃立場跡 白木改番所に隣接する
立場前の枝垂桜が見事
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3/14 11:11
一石栃立場跡 白木改番所に隣接する
立場前の枝垂桜が見事
休憩所の中も管理人さん以外外国人
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3/14 11:12
休憩所の中も管理人さん以外外国人
馬籠峠 標高790m
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3/14 11:39
馬籠峠 標高790m
峠の碑
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3/14 11:41
峠の碑
長野県と岐阜県の県境は峠を少し下がった所にある
馬籠宿は木曽地域で昭和・平成の市町村合併まで長野県であったためか??
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3/14 11:42
長野県と岐阜県の県境は峠を少し下がった所にある
馬籠宿は木曽地域で昭和・平成の市町村合併まで長野県であったためか??
十返舎一九の碑 「渋皮の むけし女は見えねども 栗のこはめし ここの名物」
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3/14 11:55
十返舎一九の碑 「渋皮の むけし女は見えねども 栗のこはめし ここの名物」
石畳道の梨の木坂
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3/14 12:04
石畳道の梨の木坂
双体道祖神 二人の上に月日が彫られている
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3/14 12:05
双体道祖神 二人の上に月日が彫られている
馬籠上陣馬跡から恵那山
石碑には、昭和と平成の合併で馬籠宿が長野県から岐阜県に変ったことが書かれている
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3/14 12:21
馬籠上陣馬跡から恵那山
石碑には、昭和と平成の合併で馬籠宿が長野県から岐阜県に変ったことが書かれている
馬籠宿着
高札場に隣接する蕎麦屋上但馬屋「恵盛庵」で昼食
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3/14 12:51
馬籠宿着
高札場に隣接する蕎麦屋上但馬屋「恵盛庵」で昼食
山菜蕎麦1100円はやや観光地価格
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3/14 12:38
山菜蕎麦1100円はやや観光地価格
馬籠の街並み
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3/14 12:53
馬籠の街並み
馬籠宿脇本陣跡 脇本陣は明治の大火で焼失し、跡地は馬籠脇本陣資料館
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3/14 12:56
馬籠宿脇本陣跡 脇本陣は明治の大火で焼失し、跡地は馬籠脇本陣資料館
本陣跡 跡地は藤村記念館
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3/14 12:57
本陣跡 跡地は藤村記念館
中心部の街並みに入ると日本人観光客も
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3/14 12:58
中心部の街並みに入ると日本人観光客も
郵便局も街並みに合わせた意匠
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3/14 12:59
郵便局も街並みに合わせた意匠
桝形にある高札場 右に阿弥陀堂
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3/14 13:06
桝形にある高札場 右に阿弥陀堂
旧山口村(中津川市)のマンホール
村の木・ツバキと村の花・ムラサキツツジ
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3/14 13:11
旧山口村(中津川市)のマンホール
村の木・ツバキと村の花・ムラサキツツジ
正岡子規句碑のある公園 「桑の実の 木曾路出づれば 麦穂かな」 中津川が一望できる
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3/14 13:36
正岡子規句碑のある公園 「桑の実の 木曾路出づれば 麦穂かな」 中津川が一望できる
「是より北 木曽路」の碑
碑文は島崎藤村が昭和15年に揮毫したもの
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3/14 13:43
「是より北 木曽路」の碑
碑文は島崎藤村が昭和15年に揮毫したもの
新茶屋の一里塚 江戸日本橋より83里目
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3/14 13:44
新茶屋の一里塚 江戸日本橋より83里目
一里塚近くにに信濃と美濃の国境標識がある
木曽路の終点、ここからは美濃路
美濃路は十六宿、落合、中津川、大井、大湫、細久手、御嵩、伏見、太田、鵜沼の9宿が東美濃で尾張藩領
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3/14 13:46
一里塚近くにに信濃と美濃の国境標識がある
木曽路の終点、ここからは美濃路
美濃路は十六宿、落合、中津川、大井、大湫、細久手、御嵩、伏見、太田、鵜沼の9宿が東美濃で尾張藩領
新茶屋方面を振り返る
舗装路はゴマ塩模様で、ここからはこの舗装に従えばよい
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3/14 13:47
新茶屋方面を振り返る
舗装路はゴマ塩模様で、ここからはこの舗装に従えばよい
落合の石畳へ入る
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3/14 13:55
落合の石畳へ入る
急な坂道を大雨から守るために自然石を敷き詰めて造られた。明治になり荷車の往来に不都合なため一部が取り払われたが、復元された
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3/14 13:56
急な坂道を大雨から守るために自然石を敷き詰めて造られた。明治になり荷車の往来に不都合なため一部が取り払われたが、復元された
落合石畳西口(京都側) 石畳が終わるとゴマ塩模様の舗装が待っている
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3/14 14:11
落合石畳西口(京都側) 石畳が終わるとゴマ塩模様の舗装が待っている
飯田道追分
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3/14 14:31
飯田道追分
追分から通ってきた落合川と下桁橋(落合橋)を振り返る
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3/14 14:34
追分から通ってきた落合川と下桁橋(落合橋)を振り返る
【44番目落合宿着 日本橋より宿場間距離331.2km】
落合宿の高札場
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3/14 14:36
【44番目落合宿着 日本橋より宿場間距離331.2km】
落合宿の高札場
落合宿の東口(江戸口)の桝形
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3/14 14:41
落合宿の東口(江戸口)の桝形
落合地区のマンホールは「史跡落合の石畳」の周りに自然をデザイン
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3/14 14:41
落合地区のマンホールは「史跡落合の石畳」の周りに自然をデザイン
市の花サラサドウダンツツジのものも
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3/14 14:41
市の花サラサドウダンツツジのものも
寛政四年(1792)建立の秋葉山常夜燈
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3/14 14:42
寛政四年(1792)建立の秋葉山常夜燈
落合宿の街並み
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3/14 14:43
落合宿の街並み
脇本陣跡
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3/14 14:47
脇本陣跡
本陣跡
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3/14 14:47
本陣跡
助け合い大釜
2003〜2019年までこの大釜で千人分のキノコ汁を作って観光客にふるまった
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3/14 14:49
助け合い大釜
2003〜2019年までこの大釜で千人分のキノコ汁を作って観光客にふるまった
宿を振り返ると正面に恵那山、京方面からは恵那山を見ながら進める
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3/14 14:50
宿を振り返ると正面に恵那山、京方面からは恵那山を見ながら進める
曹洞宗 善昌寺と門冠(もんかぶり)の松、樹齢四百五十年
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3/14 14:52
曹洞宗 善昌寺と門冠(もんかぶり)の松、樹齢四百五十年
与坂バス停付近
中山道を示す標識もあり、ゴマ塩舗装をたどれば道迷いは無い
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3/14 15:16
与坂バス停付近
中山道を示す標識もあり、ゴマ塩舗装をたどれば道迷いは無い
与坂番所跡(天明二年(1782)この先の上金へ移設)、立場茶屋越前屋跡
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3/14 15:22
与坂番所跡(天明二年(1782)この先の上金へ移設)、立場茶屋越前屋跡
右は弘法大師、左は不動明王
解説版は全て英語 通行人は殆ど外国人なのでこれでいいのかと納得
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3/14 15:23
右は弘法大師、左は不動明王
解説版は全て英語 通行人は殆ど外国人なのでこれでいいのかと納得
子野の一里塚跡 江戸日本橋84里目 東塚が残っている
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3/14 15:30
子野の一里塚跡 江戸日本橋84里目 東塚が残っている
Bato-kannon is one of six major "kannon". who hasa human body with the head of a horse.
ここも英文ノミの解説版あり
カメラのCanonは「kannon」が語源だったような
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3/14 15:32
Bato-kannon is one of six major "kannon". who hasa human body with the head of a horse.
ここも英文ノミの解説版あり
カメラのCanonは「kannon」が語源だったような
無料休憩所「快心庵」
台湾の会社と地元ロータリークラブが建てたらしい、木曽路は国際的だ
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3/14 15:43
無料休憩所「快心庵」
台湾の会社と地元ロータリークラブが建てたらしい、木曽路は国際的だ
花の咲いている時季に観たい姿のいい枝垂桜、根元に慈母観音と庚申塔、徳本上人名号塔、如意輪観音
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3/14 15:48
花の咲いている時季に観たい姿のいい枝垂桜、根元に慈母観音と庚申塔、徳本上人名号塔、如意輪観音
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3/14 15:49
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3/14 15:50
新しい双体道祖神
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3/14 16:02
新しい双体道祖神
尾州白木改番所跡
天明二年(1782)、通ってきた与坂から移設され、木曽から搬出される材木を監視
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3/14 16:05
尾州白木改番所跡
天明二年(1782)、通ってきた与坂から移設され、木曽から搬出される材木を監視
茶屋阪
中津川市街地が一望できる
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3/14 16:10
茶屋阪
中津川市街地が一望できる
【44番目落合宿着 日本橋より宿場間距離335.1km】
高札場 中津川宿の江戸(東)口
高札場の並びに常夜燈、文化二年(1805)建立の庚申塔、天保六年(1835)建立の二十三夜搭
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3/14 16:20
【44番目落合宿着 日本橋より宿場間距離335.1km】
高札場 中津川宿の江戸(東)口
高札場の並びに常夜燈、文化二年(1805)建立の庚申塔、天保六年(1835)建立の二十三夜搭
「スヤ」
元は元禄年間創業の「酢屋」で今は栗きんとんの老舗
中津川は栗の街だそうだ
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3/14 16:24
「スヤ」
元は元禄年間創業の「酢屋」で今は栗きんとんの老舗
中津川は栗の街だそうだ
桂小五郎隠れ家跡の料亭やけ山跡
文久二年(1862)、追われる長州藩士桂小五郎(木戸孝允)はここに身を隠した
「中津川会談」で桂の主張により長州藩は尊王倒幕を決断
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3/14 16:28
桂小五郎隠れ家跡の料亭やけ山跡
文久二年(1862)、追われる長州藩士桂小五郎(木戸孝允)はここに身を隠した
「中津川会談」で桂の主張により長州藩は尊王倒幕を決断
公衆トイレも時代がかって洒落ている
周りの建物は時代劇のセットよろしく表だけ
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3/14 16:34
公衆トイレも時代がかって洒落ている
周りの建物は時代劇のセットよろしく表だけ
宿泊地 「木曽路ふるさとYH」
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3/14 17:01
宿泊地 「木曽路ふるさとYH」
夕食
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3/14 19:01
夕食
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