記録ID: 6604074
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ハイキング
関東
399.菊名駅-大豆戸城跡-篠原城址-小机城址-鳥山城跡-小机駅
2024年03月31日(日) [日帰り]


- GPS
- 03:39
- 距離
- 9.5km
- 登り
- 137m
- 下り
- 130m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 3:30
- 休憩
- 0:07
- 合計
- 3:37
距離 9.5km
登り 137m
下り 142m
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
帰り: 小机駅 |
コース状況/ 危険箇所等 |
小机城址市民の森 https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/midori-koen/midori_up/1mori/forest/guidemap.files/0103_20220701.pdf 篠原城と緑を守る会 https://shinoharajo.yokohama 土井谷砦 http://jyokakuzukan.la.coocan.jp/014kanagawa/148doi/doi.html |
写真
小机城址・本丸
上杉氏、長尾氏、笠原氏、後北条氏の時に家臣の笠原信為が城主となった。
永享の乱の頃に関東管領上杉氏により築城、一時廃城、のちに小田原北条氏(後北条氏)の勢力下に置かれ小田原城の支城となった。
上杉氏、長尾氏、笠原氏、後北条氏の時に家臣の笠原信為が城主となった。
永享の乱の頃に関東管領上杉氏により築城、一時廃城、のちに小田原北条氏(後北条氏)の勢力下に置かれ小田原城の支城となった。
小机城址市民の森
豊臣秀吉による小田原征伐で小田原落城と共に小机城も無傷のまま落城となってるが24メートル程の空堀は半分程に埋められてる、家康の関東入府時に廃城、篠原城も廃城となったが時期は不明、大豆戸城の小幡氏は徳川家康の旗本として存続した。
豊臣秀吉による小田原征伐で小田原落城と共に小机城も無傷のまま落城となってるが24メートル程の空堀は半分程に埋められてる、家康の関東入府時に廃城、篠原城も廃城となったが時期は不明、大豆戸城の小幡氏は徳川家康の旗本として存続した。
鳥山城跡
源頼朝が挙兵したときに宇治川の戦いで佐々木四郎高綱が先陣争いを演じた。頼朝が鎌倉幕府を開いたときに鳥山郷を与えられて鳥山城を築いたとされている。
どこに城があったのか分かりませんが、一般的には鳥山八幡宮の背後にある高台とされ、四方に堀が廻らされていたそうです。
源頼朝が挙兵したときに宇治川の戦いで佐々木四郎高綱が先陣争いを演じた。頼朝が鎌倉幕府を開いたときに鳥山郷を与えられて鳥山城を築いたとされている。
どこに城があったのか分かりませんが、一般的には鳥山八幡宮の背後にある高台とされ、四方に堀が廻らされていたそうです。
装備
個人装備 |
長袖シャツ
Tシャツ
ズボン
靴下
日よけ帽子
靴
計画書
筆記用具
ファーストエイドキット
携帯
時計
タオル
カメラ
|
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感想
篠原城跡は、2011年の宅地開発に伴って堀やカワラケが発見され中世に存在したとされる城跡と確認され篠原城址緑地として保全されています。
他にも小机城の支城が近くにいくつかあり、地図ではよく分からないので行ってみました。
大豆戸城跡は住宅地になっていて痕跡が無くなってました。
篠原城址は発掘調査後に立ち入りが制限されてますが見学会があるようです。横浜市環境創造局のエリアとは別に、新横浜駅南部地区の事業用地でとなっていて同じ市役所でも管轄が異なるため立ち入り制限されてるみたいです。
小机城址は空堀、土塁、櫓、曲輪が見られます。竹林も綺麗でした。小机城址まつりが4月に開催され「出陣式」があり武者行列が見れるようです。
土井谷砦は、通じる道が封鎖されていて見れませんでした。
鳥山城跡は鳥山八幡宮裏の高台にあったそうですがどこか分かりませんでした。
ちらほらと桜も開花し始めてのんびり花見しながらの散策です。小机城址の二の丸あたりも花見に良さそうでした。
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