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記録ID: 6817578
全員に公開
ハイキング
関東

第五回鎌倉街道下道ウォーキング(新丸子〜菊名)

2024年05月18日(土) [日帰り]
 - 拍手
simtak その他6人
体力度
2
日帰りが可能
GPS
05:09
距離
14.6km
登り
80m
下り
76m
歩くペース
ゆっくり
1.41.5
ヤマレコの計画機能「らくルート」の標準コースタイムを「1.0」としたときの倍率です。

コースタイム

日帰り
山行
4:51
休憩
0:18
合計
5:09
12:58
168
15:46
15:49
8
15:57
15:59
8
16:07
16:07
33
16:40
16:46
3
16:49
16:56
3
16:59
16:59
33
17:32
17:32
35
18:07
過去天気図(気象庁) 2024年05月の天気図
アクセス
利用交通機関:
電車
スタート:東急東横線 新丸子駅
ゴール :東急東横線/JR横浜線 菊名駅
コース状況/
危険箇所等
ほぼ舗装された自動車道を歩きですが、川崎の蟹ヶ谷から横浜の日吉本町までの区間は新興住宅地の中、旧街道を探りながら細道を歩いています。歩かれる場合は地図を小まめに確認して歩いてください。
また、私は大倉山にて熊野神社に入る道を間違え、無理やり熊野神社に出ようと少々徘徊しています。ご容赦下さい。
新丸子駅を出発。まずは線路沿いに街道に向かいます
2024年05月18日 12:36撮影 by  F-51B, FCNT
5/18 12:36
新丸子駅を出発。まずは線路沿いに街道に向かいます
街道に入ると中原街道の標柱。ここからしばらく、鎌倉街道は中原街道と重なっています
2024年05月18日 13:04撮影 by  F-51B, FCNT
5/18 13:04
街道に入ると中原街道の標柱。ここからしばらく、鎌倉街道は中原街道と重なっています
立派な門は原家の陣屋門。明治後期に建てられたもの。母屋は川崎市立日本民家園に移築されているそうです
2024年05月18日 13:07撮影 by  F-51B, FCNT
5/18 13:07
立派な門は原家の陣屋門。明治後期に建てられたもの。母屋は川崎市立日本民家園に移築されているそうです
原家の母屋跡は、現在、マンションとなっていますが、蔵の扉はマンションに残されていました。
2024年05月18日 13:13撮影 by  F-51B, FCNT
5/18 13:13
原家の母屋跡は、現在、マンションとなっていますが、蔵の扉はマンションに残されていました。
すぐ隣はこの辺りの名主だった安藤家の長屋門。代官から賜ったものだそうです
2024年05月18日 13:15撮影 by  F-51B, FCNT
5/18 13:15
すぐ隣はこの辺りの名主だった安藤家の長屋門。代官から賜ったものだそうです
その先に石橋醤油店。明治3年(1870)から昭和26年(1951)までキッコー「文山」ラベルの醤油を製造していたとか
2024年05月18日 13:19撮影 by  F-51B, FCNT
5/18 13:19
その先に石橋醤油店。明治3年(1870)から昭和26年(1951)までキッコー「文山」ラベルの醤油を製造していたとか
西明寺門前の路地を右に入ると路地奥に小杉陣屋跡の陣屋稲荷。徳川家康の命を受けた小泉次大夫はここに陣屋を建て、二ヶ領用水の建設にあたったとか
2024年05月18日 13:25撮影 by  F-51B, FCNT
5/18 13:25
西明寺門前の路地を右に入ると路地奥に小杉陣屋跡の陣屋稲荷。徳川家康の命を受けた小泉次大夫はここに陣屋を建て、二ヶ領用水の建設にあたったとか
陣屋稲荷には、御殿・陣屋・中原街道といった銘柄のお酒が奉納されていました
2024年05月18日 13:25撮影 by  F-51B, FCNT
5/18 13:25
陣屋稲荷には、御殿・陣屋・中原街道といった銘柄のお酒が奉納されていました
少し戻った路地の奥には小杉御殿の御主殿跡。二代将軍が建てた小杉御殿は、家康の送迎や鷹狩りの休息所に使われていたとか
2024年05月18日 13:32撮影 by  F-51B, FCNT
5/18 13:32
少し戻った路地の奥には小杉御殿の御主殿跡。二代将軍が建てた小杉御殿は、家康の送迎や鷹狩りの休息所に使われていたとか
街道に戻り、西明寺へ。門柱の前には「徳川将軍小杉御殿跡」の碑が建っています
2024年05月18日 13:34撮影 by  F-51B, FCNT
5/18 13:34
街道に戻り、西明寺へ。門柱の前には「徳川将軍小杉御殿跡」の碑が建っています
西明寺の仁王門。仁王様の裏側にはなぜか狛犬が並んでいました
2024年05月18日 13:36撮影 by  F-51B, FCNT
5/18 13:36
西明寺の仁王門。仁王様の裏側にはなぜか狛犬が並んでいました
西明寺は弘長年間(1261-1264)の開基と云われ、源義経が東国に行く途中に宿泊し、住していた尼僧のために部下の持田氏を残し守護させたという逸話も
2024年05月18日 13:42撮影 by  F-51B, FCNT
5/18 13:42
西明寺は弘長年間(1261-1264)の開基と云われ、源義経が東国に行く途中に宿泊し、住していた尼僧のために部下の持田氏を残し守護させたという逸話も
西明寺前の枡形を抜けると
2024年05月18日 13:47撮影 by  F-51B, FCNT
5/18 13:47
西明寺前の枡形を抜けると
バス停の裏には道標を兼ねた供養塔。供養塔には稲毛領小杉駅とあり、台座には東江戸、西中原との文字が刻まれています
2024年05月18日 13:49撮影 by  F-51B, FCNT
5/18 13:49
バス停の裏には道標を兼ねた供養塔。供養塔には稲毛領小杉駅とあり、台座には東江戸、西中原との文字が刻まれています
すぐ先には、道標を兼ねた江戸時代の庚申塔。東江戸、西大山道、南大師堂と刻まれています。
2024年05月18日 13:52撮影 by  F-51B, FCNT
5/18 13:52
すぐ先には、道標を兼ねた江戸時代の庚申塔。東江戸、西大山道、南大師堂と刻まれています。
府中街道を渡ると街道北側に泉沢寺。天文19年(1550)、吉良氏により世田谷からここに移され、門前市も開かれていたとか。現本堂は安永7年(1778)のもの
2024年05月18日 13:57撮影 by  F-51B, FCNT
5/18 13:57
府中街道を渡ると街道北側に泉沢寺。天文19年(1550)、吉良氏により世田谷からここに移され、門前市も開かれていたとか。現本堂は安永7年(1778)のもの
少し先の街道南側に旧中原村役場跡。中原村の由来は相模国・平塚の中原に続く中原街道にちなむもの。それで武蔵中原と呼ばれるのでしょうか
2024年05月18日 14:00撮影 by  F-51B, FCNT
5/18 14:00
少し先の街道南側に旧中原村役場跡。中原村の由来は相模国・平塚の中原に続く中原街道にちなむもの。それで武蔵中原と呼ばれるのでしょうか
この先、JR南武線の交差まで街道沿いには点々と馬頭観音や庚申塔が並びます
2024年05月18日 14:02撮影 by  F-51B, FCNT
5/18 14:02
この先、JR南武線の交差まで街道沿いには点々と馬頭観音や庚申塔が並びます
街道北側に「木月堀とくらやみ」の案内。木月堀は二ヶ領用水の支流で、この先の茂った木々に囲まれた旧名主の原家を地元では「くらやみ」と呼んだとか
2024年05月18日 14:09撮影 by  F-51B, FCNT
5/18 14:09
街道北側に「木月堀とくらやみ」の案内。木月堀は二ヶ領用水の支流で、この先の茂った木々に囲まれた旧名主の原家を地元では「くらやみ」と呼んだとか
旧井田堀と街道の交差点には地蔵堂が建っています
2024年05月18日 14:11撮影 by  F-51B, FCNT
5/18 14:11
旧井田堀と街道の交差点には地蔵堂が建っています
上小田中交差点を渡り、JR南武線の高架をくぐります。すぐ右は武蔵中原駅
2024年05月18日 14:14撮影 by  F-51B, FCNT
5/18 14:14
上小田中交差点を渡り、JR南武線の高架をくぐります。すぐ右は武蔵中原駅
上小田中交差点から5分ほど、街道北側に大戸神社があります
2024年05月18日 14:20撮影 by  F-51B, FCNT
5/18 14:20
上小田中交差点から5分ほど、街道北側に大戸神社があります
社殿は寛永16年(1639)に建てられたもの。砲弾を抱える狛犬は日露戦争の戦勝祝いに従軍兵士が奉納したものとか
2024年05月18日 14:21撮影 by  F-51B, FCNT
5/18 14:21
社殿は寛永16年(1639)に建てられたもの。砲弾を抱える狛犬は日露戦争の戦勝祝いに従軍兵士が奉納したものとか
本殿左奥の末社の中には、獅子頭などの宝物の他に
2024年05月18日 14:23撮影 by  F-51B, FCNT
5/18 14:23
本殿左奥の末社の中には、獅子頭などの宝物の他に
堅牢地神像塔や庚申塔、寛政8年(1796)の八臂弁財天坐像
2024年05月18日 14:23撮影 by  F-51B, FCNT
5/18 14:23
堅牢地神像塔や庚申塔、寛政8年(1796)の八臂弁財天坐像
天満宮塔や大戸神社扁額、馬頭観音が納められていました
2024年05月18日 14:24撮影 by  F-51B, FCNT
5/18 14:24
天満宮塔や大戸神社扁額、馬頭観音が納められていました
西に進んできた街道は大戸神社から南に方向を変えて10分ほど、お堂の中に柳原地蔵群。左から二番目が柳原地蔵尊。その他三尊は区画整理で移築されたものとか
2024年05月18日 14:35撮影 by  F-51B, FCNT
5/18 14:35
西に進んできた街道は大戸神社から南に方向を変えて10分ほど、お堂の中に柳原地蔵群。左から二番目が柳原地蔵尊。その他三尊は区画整理で移築されたものとか
下小田中小学校先を西に折れ、突き当りを南に折れて、江川せせらぎ緑道の小関橋跡を通過します
2024年05月18日 14:47撮影 by  F-51B, FCNT
5/18 14:47
下小田中小学校先を西に折れ、突き当りを南に折れて、江川せせらぎ緑道の小関橋跡を通過します
その先、矢上川を橘橋で渡り
2024年05月18日 14:55撮影 by  F-51B, FCNT
5/18 14:55
その先、矢上川を橘橋で渡り
5分ほど先を左の坂に向かいます。坂の入口南側には庚申塔と北側には地蔵堂が建っています
2024年05月18日 14:59撮影 by  F-51B, FCNT
5/18 14:59
5分ほど先を左の坂に向かいます。坂の入口南側には庚申塔と北側には地蔵堂が建っています
少し坂を上がると、マンション脇に長い階段が待ち受けています
2024年05月18日 15:01撮影 by  F-51B, FCNT
5/18 15:01
少し坂を上がると、マンション脇に長い階段が待ち受けています
階段の上は細い急坂。息を切らして登ります
2024年05月18日 15:02撮影 by  F-51B, FCNT
5/18 15:02
階段の上は細い急坂。息を切らして登ります
丘を下り、道路を渡ると町名は井田から下田町に変わります
2024年05月18日 15:21撮影 by  F-51B, FCNT
5/18 15:21
丘を下り、道路を渡ると町名は井田から下田町に変わります
ホッとしたのも束の間、再び上り坂が。坂の手前には、駒ヶ橋・鎌倉街道の標柱。駒ヶ橋の由来は頼朝の馬が逃げ出し、この橋で止まったからとも云われているとか
2024年05月18日 15:24撮影 by  F-51B, FCNT
5/18 15:24
ホッとしたのも束の間、再び上り坂が。坂の手前には、駒ヶ橋・鎌倉街道の標柱。駒ヶ橋の由来は頼朝の馬が逃げ出し、この橋で止まったからとも云われているとか
URサンヴァリエ日吉の高層住宅の立ち並ぶ坂を上がり
2024年05月18日 15:26撮影 by  F-51B, FCNT
5/18 15:26
URサンヴァリエ日吉の高層住宅の立ち並ぶ坂を上がり
住宅地の坂を下ると西量寺の前に出ます
2024年05月18日 15:36撮影 by  F-51B, FCNT
5/18 15:36
住宅地の坂を下ると西量寺の前に出ます
西量寺からさらに南に進み、その先を右、左とクランク状に進み階段を上がります。階段上の住宅が可愛いですね
2024年05月18日 15:42撮影 by  F-51B, FCNT
5/18 15:42
西量寺からさらに南に進み、その先を右、左とクランク状に進み階段を上がります。階段上の住宅が可愛いですね
階段を上がるとすぐに下り坂。やはり、横浜は丘の街です
2024年05月18日 15:45撮影 by  F-51B, FCNT
5/18 15:45
階段を上がるとすぐに下り坂。やはり、横浜は丘の街です
坂の下、セブンイレブン前を東に進み金蔵寺へ
2024年05月18日 15:54撮影 by  F-51B, FCNT
5/18 15:54
坂の下、セブンイレブン前を東に進み金蔵寺へ
金蔵寺は貞観年間(859〜876)に清和天皇の勅願により智証大師が創建したと伝えられ古刹
2024年05月18日 15:55撮影 by  F-51B, FCNT
5/18 15:55
金蔵寺は貞観年間(859〜876)に清和天皇の勅願により智証大師が創建したと伝えられ古刹
山門を入ると右手に派手な水盤舎が目に付きます
2024年05月18日 15:55撮影 by  F-51B, FCNT
5/18 15:55
山門を入ると右手に派手な水盤舎が目に付きます
境内には嘉吉4年(1444)、建武元年(1334)、嘉暦元年(1,326)といった室町時代初期の板碑がありました
2024年05月18日 15:56撮影 by  F-51B, FCNT
5/18 15:56
境内には嘉吉4年(1444)、建武元年(1334)、嘉暦元年(1,326)といった室町時代初期の板碑がありました
金蔵寺は寛永寺の末寺として徳川将軍家の庇護の元、徳川家康・秀忠父子により梵鐘が寄進され現存しています
2024年05月18日 15:58撮影 by  F-51B, FCNT
5/18 15:58
金蔵寺は寛永寺の末寺として徳川将軍家の庇護の元、徳川家康・秀忠父子により梵鐘が寄進され現存しています
街道に戻り、日吉本町駅前から区画整理された一直線の道を南下します
2024年05月18日 16:15撮影 by  F-51B, FCNT
5/18 16:15
街道に戻り、日吉本町駅前から区画整理された一直線の道を南下します
綱島郵便局の裏手には飯田家の長屋門。江戸時代後期のものと云われ、威風堂々としたその存在感は抜群です
2024年05月18日 16:25撮影 by  F-51B, FCNT
5/18 16:25
綱島郵便局の裏手には飯田家の長屋門。江戸時代後期のものと云われ、威風堂々としたその存在感は抜群です
県道子母口綱島線との交差点の廃屋?は来迎寺。境内に建つ「歳神塔」は珍しいようで、ネットで調べても来迎寺のものばかり
2024年05月18日 16:29撮影 by  F-51B, FCNT
5/18 16:29
県道子母口綱島線との交差点の廃屋?は来迎寺。境内に建つ「歳神塔」は珍しいようで、ネットで調べても来迎寺のものばかり
来迎寺を左に進み、綱島駅そばの東照寺へ。この石段敷石は文化元年(1804)のものとか
2024年05月18日 16:40撮影 by  F-51B, FCNT
5/18 16:40
来迎寺を左に進み、綱島駅そばの東照寺へ。この石段敷石は文化元年(1804)のものとか
石段横には「観音講石坂敷石供養塔」があり、まさに文化元甲子歳七月建立と刻まれていました
2024年05月18日 16:44撮影 by  F-51B, FCNT
5/18 16:44
石段横には「観音講石坂敷石供養塔」があり、まさに文化元甲子歳七月建立と刻まれていました
東照寺は慶安2年(1649)に創建。薩摩藩主、島津公の信仰が厚く、本堂内には島津斉宣公のかかれた額があるそうです
2024年05月18日 16:41撮影 by  F-51B, FCNT
5/18 16:41
東照寺は慶安2年(1649)に創建。薩摩藩主、島津公の信仰が厚く、本堂内には島津斉宣公のかかれた額があるそうです
江戸の商人たちの信仰も厚く、江戸商人から寄進されたという石の手洗いにも文化元年の文字が刻まれていました。
2024年05月18日 16:43撮影 by  F-51B, FCNT
5/18 16:43
江戸の商人たちの信仰も厚く、江戸商人から寄進されたという石の手洗いにも文化元年の文字が刻まれていました。
綱島駅から綱島街道に出て、大綱橋で鶴見川を渡ります。すぐ隣を東横線が走ります
2024年05月18日 16:58撮影 by  F-51B, FCNT
5/18 16:58
綱島駅から綱島街道に出て、大綱橋で鶴見川を渡ります。すぐ隣を東横線が走ります
大綱橋南詰には「ラヂウム霊泉湧出記念碑」。綱島温泉発見を記念して樽町に昭和8年(1933)に建立されたもの。綱島温泉は鶴見川の北だと思ってましたが
2024年05月18日 17:01撮影 by  F-51B, FCNT
5/18 17:01
大綱橋南詰には「ラヂウム霊泉湧出記念碑」。綱島温泉発見を記念して樽町に昭和8年(1933)に建立されたもの。綱島温泉は鶴見川の北だと思ってましたが
大綱橋の先で一旦旧道に入り、10分ほどで綱島街道に戻ります。緩やかに坂を上がると東側に2基の庚申塔が建つお堂。すぐ隣には双代道祖神もありました
2024年05月18日 17:13撮影 by  F-51B, FCNT
5/18 17:13
大綱橋の先で一旦旧道に入り、10分ほどで綱島街道に戻ります。緩やかに坂を上がると東側に2基の庚申塔が建つお堂。すぐ隣には双代道祖神もありました
熊野神社入口交差点を東に入ると法華寺。明治元年(1868)の神仏分離の際に熊野神社と法華寺に二分されたそうです
2024年05月18日 17:27撮影 by  F-51B, FCNT
5/18 17:27
熊野神社入口交差点を東に入ると法華寺。明治元年(1868)の神仏分離の際に熊野神社と法華寺に二分されたそうです
法華寺の東隣りが師岡熊野神社。神亀元年(724)僧・全寿が空から降って来た熊野大権現の神札を当地の梛の大木のうろに納め祀ったのが始まりとか
2024年05月18日 17:29撮影 by  F-51B, FCNT
5/18 17:29
法華寺の東隣りが師岡熊野神社。神亀元年(724)僧・全寿が空から降って来た熊野大権現の神札を当地の梛の大木のうろに納め祀ったのが始まりとか
熊野神社門前の「いの字池」。古くから、この池を浚うと雨が降ると伝えられ、雨乞神事もこの「いの池」で行われたとか
2024年05月18日 17:28撮影 by  F-51B, FCNT
5/18 17:28
熊野神社門前の「いの字池」。古くから、この池を浚うと雨が降ると伝えられ、雨乞神事もこの「いの池」で行われたとか
熊野神社の最初の御社殿は光孝天皇の勅命により仁和元年(885)に建立はされ、現在の本殿は正徳3年(1713)に建てられたものだそうです
2024年05月18日 17:31撮影 by  F-51B, FCNT
5/18 17:31
熊野神社の最初の御社殿は光孝天皇の勅命により仁和元年(885)に建立はされ、現在の本殿は正徳3年(1713)に建てられたものだそうです
本殿裏には「のの字池」があり、正月の筒粥神事はこの池の水を使っているそうです。三つ目の「ちの字池」は埋めらえていますが、「いのち池」と呼ばれていたとか
2024年05月18日 17:33撮影 by  F-51B, FCNT
5/18 17:33
本殿裏には「のの字池」があり、正月の筒粥神事はこの池の水を使っているそうです。三つ目の「ちの字池」は埋めらえていますが、「いのち池」と呼ばれていたとか
街道に戻り、大倉山から再び旧道を進むと菊名神社。昭和10年に神明社、杉山神社、浅間神社、八幡神社、阿府神社の5社を合祀し、菊名の総鎮守となったとか
2024年05月18日 18:01撮影 by  F-51B, FCNT
5/18 18:01
街道に戻り、大倉山から再び旧道を進むと菊名神社。昭和10年に神明社、杉山神社、浅間神社、八幡神社、阿府神社の5社を合祀し、菊名の総鎮守となったとか
旧道から綱島街道に出て、商店街に入れば菊名駅はすぐそこ。本日のウォーキングも無事終了。早速、打上げへ
2024年05月18日 18:05撮影 by  F-51B, FCNT
5/18 18:05
旧道から綱島街道に出て、商店街に入れば菊名駅はすぐそこ。本日のウォーキングも無事終了。早速、打上げへ
撮影機器:

感想

神奈川県に入り、いよいよ私の生活圏に近づいてきた。
武蔵小杉界隈には勤務経験もあり、地理的には分かっているつもりでいたが、自分の足で街道を歩いてみると、「ここにこんなものがあったのか」と新たな発見も多く、新鮮な感覚になる。
大倉山まで来れば、ほぼ生活圏。散歩がてら歩いたこともあるところだが、アプローチ方向が逆になっているせいか熊野神社に入る交差点を間違え、ルートミスをカバーしようと住宅地の中を徘徊。結局、メンバーに迷惑をかけてしまった。
知った道でも逆方向からアプローチすると道を間違いを起こしやすくなることを再認識し、今後は知った道でも気を引き締めて歩きたいと思う。

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