モンゴル最高峰フイテン4376m (Mt.Khuiten the highest peak in Mongolia)
- GPS
- 104:00
- 距離
- 79.4km
- 登り
- 3,087m
- 下り
- 3,087m
コースタイム
- 山行
- 4:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 4:00
- 山行
- 5:55
- 休憩
- 0:30
- 合計
- 6:25
- 山行
- 4:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 4:00
- 山行
- 8:50
- 休憩
- 1:20
- 合計
- 10:10
- 山行
- 3:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 3:00
天候 | 8/2(日) 快晴、夕方ミゾレ 8/3(月) 快晴 8/4(火) 快晴、夕方ミゾレ 8/5(水) 快晴、夕方から夜雨 8/6(木) 晴れ時々曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2015年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
飛行機
|
コース状況/ 危険箇所等 |
感想欄に詳しく記した |
その他周辺情報 | ウルギーの街にスーパーあります。食料はある程度手に入ります。 |
写真
感想
<日程・手配>
・ フイテン登山は中国ロシア国境の地域に入ることになるため、特別なパーミットが必要だが、旅行会社を通すと全て込み込みで手配してくれる。ガイドをつける/つけないの自由はあるが、旅行会社を通さずにすべて自力で移動/登山するのはほぼ不可能だと思ったほうが良い。
・ 今回自分はウルギー発4泊5日でこなしたが、かなりギリギリ。西モンゴル地域は極めて辺境の地域なので、毎日のように起こるアクシデントに迅速に対応できないことが多い。5泊〜6泊の緩い日程で組んで置いた方がよい。以下は現実的な日程。
1日目 ウルギーからタヴァン・ボグド国立公園ゲートへ:ジープ(7時間)
2日目 ゲートからBC(ベースキャンプ)まで:馬または徒歩(5時間)
3日目 高度順応:マルチン峰4050mピストン(6〜7時間)
4日目 BCからHC(ハイキャンプ)まで(5〜6時間)
5日目 フイテン山頂往復し、BCへ下山(10〜12時間)
6日目 (アタック予備日)
7日目 国立公園ゲートへ下山し、ウルギーへ戻る(徒歩4時間、ジープ6時間)
日本発、日本着だと11泊〜12泊になるだろう。ちなみに、日本のツアー会社A社もフイテン登山を扱っているが、14泊15日である。私は今回9泊10日だったので、今思えばかなり無謀であった。
・ 手配会社はウルギーにあるBlue wolf travel(http://bluewolftravel.com/)に依頼した。大きな問題は無く基本的にお勧めできる会社だが、今回は様々な事情から日程は会社側の提案でなく、私が提案してFixした。その日程が短期間で厳しかったのが良くなかったのだが、そのことについて何のアドバイスもなく現場に丸投げだったので、小さなトラブルが色々生じた。特に、1日目にウルギーからベースキャンプ入りするのはかなり朝早く出発しない限り厳しいし、何より現場スタッフ達、動物達はそのような強行スケジュールに慣れていない。この日ゲートを出発したのは夕方5時過ぎで、我々人間だけ。コックやキャメルは対応できず、登らなかった。BCに到着したのは夜の9時半過ぎになってしまい、インスタント食になった。Blue wolf travelのオーナー(≒手配担当)は英語が達者でフレンドリーでとてもいい人なのだが、基本的にイエスマンなので注意が必要だ。
・ BCまでの荷揚げはキャメル(ラクダ)で行う。キャメルは1頭でとてつもない重量を担げるが、歩行は馬よりもゆっくりで時間がかかる。また悪天候のときは歩かせない場合もある。頭数も限られているようで、手配もなかなかスムーズに行かず時間がかかる。このようにキャメルに絡むトラブルも多いので、なるべくならウルギー〜ゲートのジープでの移動と、ゲート〜BCの移動は日を分けた方が良い。
・ ウルギーから国立公園入口までの道路は全てダートで、特に後半は非常な悪路。ジープに乗っているだけとはいえ、体力も消耗する。十分覚悟のこと。
・ モンゴル国内線は遅れる可能性が非常に高い。ウランバートルとの移動はまる1日見込んで置いた方がよい。
<フイテン峰について>
・ アルタイ山脈はロシア・モンゴル・中国にまたがる広大な山域。最高峰ベルーハは4506mでロシア領内にある。第2峰がフイテンで4376mモンゴル最高峰。モンゴル・中国・ロシアの三国ポイント上に近い位置にある。フイテンを含め、モンゴル領内の5峰はタヴァン・ボグド山塊と呼ばれ、国立公園になっている。モンゴル国内の最西端のバヤン・ウルギー県にあり、首都ウランバートルから1500km程度も離れていて、通常は飛行機でアクセスする。ユーラシア大陸のほぼ中央、非常に辺境の場所のためアプローチに膨大な時間を要する。
・ フイテンは標高は低いが色々な面で難しい山である。高緯度のため気温は常時低く、天候が悪化すると雪になる。BCから山頂まで一日で往復は出来ないので、フイテン本峰取り付きの氷河の上にHC(ハイキャンプ)を設営する。HCの周りは氷河の状態が悪く、クレバスが縦横無尽に走っており危険。生活面でも色々不自由である。山頂へは北稜を利用するが、技術的にシビア。2箇所ほど40度以上の急斜面を登る。それぞれ3ピッチくらい気の抜けない区間がある。バイルなどで支点を作り、確保しながらの登り下りになる。ガイドは必要以上の面倒は見ないので、各自装備の扱いには十分に慣れておく必要がある。雪の状態によってはアイスクライミングになり、更に高度な技術が必要とガイドは話していた(7月中はそういう状態だったそう)。
・ 我々が登る20日前、モンゴル人5名が吹雪で山頂からの下降ルートを誤り、全員が転落死した。山頂部は平らで北稜の派生部も顕著でないため、明確に尾根に乗ったと判断できるまで油断ならない。東壁は絶壁であり、落ちると助からない。天気悪化が予測される場合はアタックすべきではないだろう。
・ 全般に標高差は少ないが、とにかく移動距離が長いので体力が必要である。BC〜HC間は個人装備の荷揚げ/荷下げも必要で、縦走装備の重荷での歩行になる。モンゴルの山は縦のスケールは小さいが、横のスケールがあきれるほど大きい。その景色はとても雄大で印象に残る。フイテン以外にも登りたい山がいっぱいあって困った。
<スタッフ達>
ガイドのガンガマはモンゴル人の女性。エベレスト2回、マッキンリー4回など7大陸最高峰のうち、5峰を登っている。また相当昔の話だが、田部井淳子さんがフイテンを登られた時のガイドだったそう。何も不安なくガイドしてもらえたが、今回同行したイギリス人が登山初心者だったため、色々と御迷惑をおかけしてしまった。英語は少々難ありだが、登山に関わることに関しては十分意思疎通は可能。今年の12月、彼女はモンゴル人のクライアント達を連れてアコンカグア登山に遠征するそうである。ガンガマはモンゴルでは誰でも知っている著名な登山家(しかも唯一の女性!)のようで、写真撮影を願い出てる人を何人も見かけた。
西モンゴル地域はモンゴル人といえどもカザフ族(人種的にはカザフスタン人と同じ)の多いところである。コックのウニャールはBlue wolf travelのスタッフのカザフ族の女性で、カザフ語は話すがモンゴル語が話せなかった。ドライバーのアルダクもカザフ族だったが彼はカザフ語、モンゴル語、英語、ロシア語を話せるので、色々仲立ち通訳となってもらい助かった。ポーター達は何族かわからなかったが、モンゴル語はある程度話せるようだった。クライアントの我々には直接の影響はなかったが、スタッフ達は言語の問題もあって生活面でも苦労していたようだ。
<パートナー>
元々私ひとりの予定だったが、数日前に急遽同行したいイギリス人が居るとの連絡を受け承諾した。上海に留学しているジョシュという名の23歳の学生だった。登山経験はほとんどなし。はっきり言って登頂は無理だと思っていたが、ジョシュはあきらめるつもりは全くなく、ガンガマもジョシュにあきらめさせるような説得はしなかった。
高度順応のためにマルチン峰4050mに登ったとき、ジョシュの下りのペースが余りにも遅く、疲れてバランスも悪くフラフラで危険だった。私はガンガマにジョシュをフイテンに本気で連れて行くつもりなのか、相談しようとした。が、彼女は終始彼もフイテンに登頂させるつもりで対応していたので、結局言い出せなかった。正直おいおい本気かよと思っていた。
結局ジョシュはみっともない姿ながらも、頑張って登頂し頑張って下りた。登山的には褒められたものではないが、彼はベストを尽くしたし、そのことは賞賛したい。雪の状態がとても良かったのが幸いしただろう。しかし、危険な箇所をいくつも通過せねばならなかったので、ガンガマはかなり神経質になっていたと思う。私も気が気ではなかったので、全力でフォローした。下りの途中でジョシュはかなりばててしまい、どこに足を下ろして良いかも判らないヘベレケ状態になった。ここであきらめるわけにはいかないので、叱咤激励して下ろした。いつの間にか自分がクライアントだということをすっかり忘れていた。
無事下山し、翌朝にBCで朝食を取っているとき、ガンガマが不意に、山でのヘルプを有難うと言ってきた。私がジョシュをフォローしていたことを彼女も感謝してくれていたのだ。とてもうれしい一言だった。後に聞いた話だが、ガンガマはポーランドの4人家族を全員フイテンに登らせたこともあるという。子供も上げてしまったのだそう。23歳の青年を登らせることなど、全然想定内だったのかもしれない。
ーーーーーーーーーーー以下記録ーーーーーーーーーーー
7/31(Fri) 晴れ(北京)、雨(ウランバートル)
北京空港大混雑のため、羽田からの全日空の離陸にストップがかかった。北京には2時間10分遅れ。予定していたエアチャイナに乗り継げず、交渉の末、無料でその次のミアットモンゴル航空に振り替えてもらった。予約していたウランバートルの宿に着いたのは夜中の2時。2時間だけ寝て明日はウルギーへ飛ぶ。初日から散々な目にあった。
8/1(Sat) 小雨(ウランバートル)、快晴(ウルギー)
モンゴル国内線は予定どおり出発した。3時間でウルギーに到着。別の星のような異次元の景観に驚く。Blue wolf travelに行き、メールのやり取りをしていたカナートと会い、明日からの行程を相談。本当は今日登山口までジープで移動したかったが、睡眠時間があまりに少なくてしんどいので明日出発に変えてもらった。Blue wolf travelのゲルに宿泊、なかなか居心地が良い。午前中は寝て、午後からウルギーの街を散策。ここはモンゴルというより新疆ウイグルやカザフの土地だ。人々の顔は中央アジア系。宗教もイスラム教だ。
急遽一緒に登ることになったジョシュも挨拶に来た。彼は今日登山口まで行ってしまい、明日私が来るのを待つという段取りになった。
8/2(Sun) 快晴、夕方ミゾレ
朝10時近くに出発。食料やテント、炊事道具などの共同装備の準備が色々あり、かなり遅くなってしまった。道路はいきなりダート。途中の村でカザフ族のゲルを訪問し馬乳酒を振舞われたが、すっぱくて飲めなかった。
7時間近くかかり、ようやく登山口のタヴァンボグド国立公園ゲートに到着。ジョシュとも合流したが、彼は待ちくたびれていたようだ。もう夕方5時。BCに行くのはあきらめようかと思ったが、馬を手配してくれるというので行くことにした。ただ共同装備はキャメルが出払っていて運べないので明日追いかけるとのことになった。
慣れない馬だし、素人の私ではなかなかいうことを聞かず、スピードはぜんぜん上がらない。苦労して4時間かかってようやくBCに到着。夜9時半を過ぎ、暗くなりかけていた。途中ミゾレ交じりの夕立もあり、強風で寒く、ガタガタ震えるほど気温が下がってしまった。大急ぎでテント設立し、インスタントの食事にした。ガイドのガンガマとも顔合わせ。明日からの予定をざっくり打ち合わせてすぐに寝た。
8/3(Mon) 快晴
この日は高度順応をかねて、マルチン峰4050mを登る軽いハイキング。ハイキングといっても氷河と並行する谷を進み、急な岩尾根を一気に登るなかなかきついルートで、登り応えがあった。今日はものすごく天気がよく、山頂からは明日行こう登るフイテン峰やその他のピークも全部見え、大パノラマだった。アルタイの山々は実にすばらしい。こんな山域が日本から割と近くにあったとは。
下りでジョシュがかなり疲れてしまい牛歩の歩みになった。明日からの厳しい行程についてゆけるか、かなり不安の残る結果だったが、本人もガンガマも至って冷静。当たり前のようにこのまま登山を続けることとなった。
8/4(Tue) 快晴、夕方ミゾレ
いよいよフイテン峰へのアタックに出発するが、この日は3600mのハイキャンプまでの短い行程なので、遅く10時ころに出発する。昨日のマルチン峰の取り付きまでは同じハイキングコースを行き、そこからモレーンを超えて氷河に降りた。氷河は部分的にクレバスがあり注意がいるが、これでも7月よりは落ち着いたそうで、非常にいい状態だそう。フイテンをはじめ景色はすごすぎるので楽しいが、氷河は非常に長く終わりが見えているのになかなか近づかない。この山域は標高差はそれほどでもないが、横のスケールが異常に大きいので移動が大変である。ようやく氷河のどん詰まりのプラトーにたどり着くとポーターが建ててくれた丸い黄色いドームテントが見えてきた。これはガンガマのテント。我々のがボロいので一緒に住まわせてくれることになっていた。4人用で大きくて頑丈だ。
フイテンの取り付きそばなので迫力ある東壁が目の前だが、テントは深いクレバスに囲まれている。あまりに危険なので自由な移動は禁止。全くとんでもないところに来てしまったもんだ。氷河で寝るのは初めて。ガンガマによると7月中は氷河が落ち着いていなかったので氷河の動く音が夜通し鳴っていたそうだ。この日はほとんど聴こえなかった。
明日の登頂に備えて7時半頃に早めに寝に入ったが、10分もたたないうちにとてつもない雷雨になりミゾレも降ってきた。果たしてどうなるかと気をもんだが、30分ほどで止んでしまった。
8/5(Wed) 快晴、夕方雨
夜明けとともに出発。日の当たる東壁の迫力が凄い。気合入る。北稜の取り付きまではクレバスに注意し適宜迂回しながら進む。北陵にとりついて、テラス状の平地まで登る。そのあとは急な氷壁になりここはバイルで支点を作りながら登る。傾斜はいったん落ち着き良い岩場があるので休憩をする。ジョシュは今のところ大丈夫だが、クランポンの蹴り込みが弱いので私はしつこくそれを指摘する。ガンガマの確保は確実だが、スリップが心配である。
ここから山頂部の肩までが最難関だ。傾斜は45度以上あり、油断できない区間が3ピッチずつくらい2回続く。ジョシュもさすがにビビってきた上にばててきていたが、ガンガマが上から発破をかけて何とか登っていた。アックスとクランポン蹴り込みのタイミングがばらばらで、リズムが悪い。疲れがさらに増しているようだ。山頂部は一転平和な台地になり、やがて山頂についた。シビアな区間もあったが思ったより早く着いた。
中国側はアルタイ山脈の山また山の風景で素晴らしい。ロシア側は一転して平野に落ち込んでおり、その向こうにアルタイ最高峰のベルーハ4506mが立派に鎮座していた。次はあれに登りたい!!と思わず思ってしまった。ロシア側から往復12日かかるとの話なので日本発だと2週間かかるだろう。今の私にはそんな長期休暇は無理だ。写真やビデオを撮りまくり、台地に戻って食事にした。最高の山で最高の天気、良いガイドにも恵まれてとにかく最高の気分だった。
下りは予想はしていたがジョシュのバテとビビリに悩まされた。どこに足を置いてよいか全くわからない様子だった。ダブルアックスで後ろ向きに下るときは良いが、そのあと前を向いて下るときにビビってしまう。蹴り込みが甘くスリップもするが、上のガンガマの確保を信じるしかない。疲労も相当なもので、時々自分がロープを引いて発破をかけた。こんなところで悪天候につかまって死ぬのは嫌だ。なるべく早く安全な場所に行きたい。まるで自分はリースにつながれた犬みたいだと彼はぼやいていた。
ようやくHCに到着。ポーターたちも登ってきており、食事をとってからテントを撤収して下った。氷河に入りルートが平らになるとジョシュは復活し、ずんずん下ってゆく。疲れよりもビビりのほうが大きかったようだ。何とか夕方までにBCに到着したが、あと10分ということころで夕立につかまった。BCに到着し、食事をとっていると土砂降りになり、大急ぎでテントに入った。もう少し遅れていたらずぶ濡れになっていたに違いない。タッチの差、無理やりにでもジョシュを早くおろして良かったと胸をなでおろした。
8/6(Thu) 晴れ
今日は少しカスミのかかった晴れだが良い天気だ。今日はウルギーまで帰りたいので早く出発したいのだが、昨日登ってくる予定だったキャメルが悪天のため登れず、9時半頃に到着した。ガンガマは馬で下るというので私とジョシュとコックのウニャールの3人で歩いて下った。ウニャールはすごく快速に歩ける女性で、我々のペースにもピタリくっついて結局国立公園ゲートまで3時間で下った。さすがカザフ族の女性は強い。ゲートにはドライバーのアルダクが待っていてくれた。そのあとガンガマが馬で颯爽と降りてきたがキャメルが凄く遅かった。その間昼食をとり、ビールを飲みながら待った。
結局ゲートを出発したのは4時過ぎ。ウルギーに到着したのは夜の9時半近くだった。Blue wolf travelのゲルに再び宿泊。5日ぶりのシャワーは最高!そのあとはジョシュも私もバタンキューですぐに寝てしまった。
8/7〜9 ウランバートルへ、日本へ。
翌朝ジョシュと別れ、ウランバートルに戻った。この日はウルギー発の便が無いので車で5時間ほど離れたホブドの街から飛行機に乗ったが、なんと6時間遅れでウランバートル到着がまた真夜中になってしまった。
ウランバートルでは丸一日暇があったので観光。食べ物がおいしく、なかなか居心地の良い街だ。行くときにあんなに苦労した北京乗り換えも帰りは全く順調で東京まで帰ってきた。ただ、ウランバートル空港で買ったチンギスハーン・ウォッカが免税処理がきちんとなされておらず、北京で取り上げられてしまったのは残念だった。
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