【その先の、道へ(1)】 新ひだか町真歌公園はフロンティアスピリッツ溢れる人物に関わる場所だ。


- GPS
- 00:16
- 距離
- 0.8km
- 登り
- 6m
- 下り
- 6m
コースタイム
- 山行
- 0:16
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 0:16
天候 | 小雨 傘は要らず |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年07月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
感想
本日13時45分ごろ、商船三井フェリー「さんふらわあさっぽろ」を下船してそのまま日高方面に走り始めました。天気予報では次の日日高方面では1日曇りとの予報。この時期たくさんの花が咲き乱れるアポイ岳を目指して、国道235号線を南東へ向かったのである。
宿泊する道の駅は「みついし」と決めていた。理由は簡単、アポイ岳から1番近い道の駅だからである。つまり、この日は夜の初めに道の駅にたどり着くつもりで、行動を考えていけば良いのだ。
かつて、北海道の大地は米を作ることができなかった。本州では、米作が広まったことにより、縄文時代から弥生時代へと変化していく。北海道では米作が広まらなかったため、続・縄文時代とされる新たな土器の時代へと時代は変わっていく。その後、擦文式土器、オホーツク文化の時代を超えて、アイヌ民族が北海道を治める時代が続く。
北海道に和人が降り立ったのは、1番古い記録としては、征夷大将軍として阿倍比羅夫が平安時代に訪れているが、本格的な植民としては、1400年代の武田家、そこから名前を変えた蠣崎家、松前家と続く。松前家は松前城を作り、松前藩として江戸時代にはこの地を治めていた。
シャクシャインは、シベチャリ(現在の新ひだか町)以南の日高地方及びそれ以東の集団の指導者であった。この集団は、現在の新冠町から白老町方面にかけての集団とシベチャリ川流域の領分を巡って遅くとも1648年から対立していた。シャクシャインの先代の指導者であるカモクタインはその集団の指導者・オニビシとの抗争により殺害され、小使であったシャクシャインが指導者となった。
シャクシャインはシベチャリ川下流東岸のチャシを拠点としていた。オニビシはシベチャリ川上流西岸のハエのチャシを拠点としていた。両者は対立していたが、松前藩の仲介によっていったん講和した。しかし、寛文年間(1661〜1673年)には両者の対立が再燃し、1668年4月、シャクシャインがオニビシを殺害した。報復のため、ハエは松前藩に武器の援助を申し出たが拒否された。ハエの使者が帰路に天然痘のため急死すると、使者は松前藩に毒殺されたという風説が広り、皮肉にも対立していたシベチャリとハエが一つにまとまったのであった。
シャクシャインの蜂起は、秋田藩仙北郡六郷村の正太夫という者が夷地に渡って、アイヌの聟となっていた。この者が目論んだものである。シャクシャインの参謀長はその娘聟で六郷村生まれのタットウイン荘太夫という者であった。
松前藩とアイヌの交易は松前藩側に圧倒的に有利で、アイヌにとって商場交易は八方ふさがりの状態にあった。シャクシャインは蝦夷地全域のアイヌへ松前藩への戦いを呼びかけ、実際に蜂起を起こした。これがシャクシャインの戦いである。蜂起は各地で発生し砂金掘りや交易に訪れた船舶や鷹待を攻撃、和人を殺傷した。シャクシャインは松前を目指し進軍、7月末には現在の山越郡長万部町のクンヌイまで攻め進んだ。松前藩から急報を受けた徳川幕府は東北諸藩へ松前藩に対する援軍や鉄砲・兵糧の供与を命じ実行された。
クンヌイでの戦闘は8月上旬頃まで続くが、シャクシャイン勢が和人側の妨害により渡島半島のアイヌと連携できなかったのに対し、松前藩は幕府や東北諸藩の支援を受け、鉄砲を多数装備していた。これにより戦いはシャクシャイン側の劣勢となり、シャクシャイン軍はクンヌイからの敗退を余儀なくされた。シャクシャインは10月23日(11月16日)に現在の新冠町にあたるピポクの松前藩陣営で謀殺された。戦争は約3年続いたが、指導者を失った蜂起者たちは最終的に松前軍に降伏した。
その後も、アイヌの蜂起は続いていくのだが、いずれも和人たちによって退けられています。そして明治維新が始まり、旧土人保護法の制定等により、和人化や差別・人権問題になっていくのです。
と、いうことで、この真歌公園ですが、シャクシャインが拠点を置いていたチャシなのです。今では3代目のシャクシャイン像が置かれており、郷土資料館やシャクシャイン記念館があるこの地は、北海道の歴史を語る上で重要なピースとなり得るのです。
ここから後のアイヌの歴史については、また別の場所で学ぶこととしましょう。この北海道の旅の中、もう1カ所アイヌについて学ぶべきところがあり、そこに行くことも熱望しているのです。
さて、北海道で観光旅行をしていくのであれば、必ずしも悩まされるものがゴミ問題です。基本的に北海道の道の駅やサービスエリア、コンビニエンスストアなどにゴミ箱は設置されておらず、車内で出たゴミ(鼻をかんだちり紙、食事をとった後のゴミ、空き缶やペットボトルなど)をどこに捨てたら良いのでしょう?毎回悩まされます。
まずは、北海道と茨城県などにあるコンビニエンスストア「セイコーマート」では、ゴミ箱が設置されていて、ゴミを捨てることができます。しかし、大量に捨てるのもなんだかなぁと思います。よって、小さいゴミ袋に少しずつ分けながらゴミを入れ、セイコーマートを見つけるたびに捨てていき、そこで何か買い物をして行きます。また、それでもゴミを捨てられるような道の駅などをインターネットなどで調べておくことも大事だと思います。
また、ゴミをできるだけ少なくするために、スーパーで買ったもので、夕食を取ることを少なくし、外食中心にすることなども考えておいた方が良いと思います。
さて、静内でラーメン屋を発見しました。調べてみると、札幌の本店では、大行列店として有名ですし。道内道外にも支店を出しているそうです。他のラーメン屋さんやCoCo壱番屋屋さんなどもありましたが、ここで夕食を取ることにしましょう。
食べたのは辛味噌ラーメン。まぁオーソドックスな札幌ラーメンと考えて良さそうです。また、私は食べませんでしたが、ザンギが有名だそうで私の近くの人は2つ食べていました。
そして、スーパーマーケットで少々買い物してから、道の駅「みついし」で車中泊となったわけです。朝方から雨、アポイ岳に登るかどうかの判断は朝になってからしましょう。
なお、「その先の、道へ」という言葉は「試される大地」に追加された北海道のキャッチフレーズである。
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