函南駅~天地神社~柏谷横穴群~廣池千九郎畑毛記念館~国清寺~韮山運動公園~代官屋敷~蛭ケ島公園~韮山城址~江川邸~坦庵公思惑の道~韮山反射炉~伊豆長岡駅


- GPS
- 07:19
- 距離
- 17.5km
- 登り
- 184m
- 下り
- 237m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
|
写真
感想
函南・韮山歴史文化財ウォーク
函南駅から歩き出し、主に世界遺産となった「韮山反射炉」と「江川邸」を見学するために考えたルートだが、この日は、江川英龍(坦庵)という人物にすっかりノックアウトされてしまった。
韮山反射炉を造ったのが江川英龍というのはなんとなく知っていたが、江川邸で色々な資料を見ているうちに、彼が想像以上にすごい人物だということが分かった。
①まず先見の明があったこと。
英龍が代官として活躍していた幕末の時代は、欧米列強がアジアの諸国を次々と植民地化していた時代である。
伊豆や相模といった江戸を守る上で重要な地域の代官をしていた英龍は、早くから海防強化の必要性を幕府に進言し、自らも西洋砲術の研究を原書(オランダ語)を手にして行っていた。
そんな中、1853年、ペリーが初来航する。
幕府は慌てて反射炉の築造を英龍に命じた。
他にも英龍の業績は数々ある(一部紹介)
②種痘法を行政としていち早く取り入れ、領民を天然痘から守った。
③兵糧としてのパン(乾パン)を製造したため、パン祖と呼ばれている。
④ロシア使節プチャーチンの船(ディアナ号)が遭難したため、戸田村で西洋式の代替船(ヘダ号)の造船をしたが、その監督をした。
⑤号令(右向け右、進め、止まれなど)を考えた。
⑥個人的に一番驚いたのは、英龍の絵の上手さだ。
様々な角度から見た鳥の足、動きのあるリスの全体像、昆虫のイラストなどには、
見たものをそのままイメージし、再現する「観察力」と三次元のものを二次元に落として見た形とする「マップ思考力」がないとできない。
日本のレオナルド・ダ・ビンチと言っても過言ではないレベルだろう。
英龍は、まさに代官の域を超えた幕末の知られざる巨人である。
しかし、そんな英龍であるが、ペリー来航以来、幕府は、彼の力量に真に気づき、重用されるあまり、体調が急激に悪化し、1年半たらずの55歳で他界してしまう。
江川邸(重要文化財)は、700年の間、一度も火事に合わなかったため、当時の資料がそのまま
温存されており、今も有志の間で英龍の業績が研究されているそうである。
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