サンティアゴ巡礼ポルトガルの道 Camino Portugués - Day11-13


- GPS
- 07:36
- 距離
- 25.6km
- 登り
- 166m
- 下り
- 156m
コースタイム
- 山行
- 7:37
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 7:37
過去天気図(気象庁) | 2023年04月の天気図 |
---|---|
アクセス |
写真
感想
2023年4月15日、「ポルトガルの道」歩き10日目に、ポルトガルで3番目に大きな都市、古都コインブラ(Coimbra)に到着。リスボン出発後、ここまで歩いた走距離265km強。ゴールのサンティアゴ・デ・コンポステーラまで、ちょうど3分の一まで来た。
これまで途中で一度休養日を取った以外の9日間歩きに歩き、特に最後は5日連続で毎日30km超えとなった。本当は20km程度から始めて徐々に距離を伸ばしてという身体に無理のない計画は、宿泊施設の場所等々の事情でかなわず、半年以上ぶりのロングトレイルでしょっぱなからいきなり強行軍せざるを得なくなった。20代30代ならいざ知らず、もうこの歳では如実に体に影響が出る。1日ごとに、ザックがより重く感じた。実は中身は消耗品を使った分、軽くなっているにも関わらず。。。
身体に染み渡った疲労を一度リセットするため、コインブラで休養日を1日余計に2日間取ることにし、16-17日はキッチンと洗濯機つきのアパートタイプの宿泊施設に滞在した。
コインブラは、リズボンに遷都される前まで首都だった歴史ある街。丘のてっぺんに立つヨーロッパでも最古の大学の一つであるコインブラ大学を中心とし、周囲の斜面に街が広がる。
13世紀末に創立、ポルトガル屈指の名門校コインブラ大学は「世界一美しい図書館」と評される図書館をはじめとした古い校舎や数々の教会寺院が街の中心部に広がり、ユネスコ世界遺産に登録されている。
大学から私服が普通の日本と違って、コインブラ大学にはその古い歴史を感じさせる特徴的な制服がある。男女ともに黒いスーツに白いシャツ、黒いネクタイ、黒い靴、そしてハリーポッターの様な大きな黒いマント。これを着ていると、学生はみな哲学か歴史専攻のような気がしてしまうのはなぜだろう。校舎周辺のみならず、丘の麓の繁華街・ソフィア通り(世界遺産登録地域)でも、友達同士でベンチに座って楽しそうにしゃべったり、マントを大きくひるがえしながら歩いていたりする。
コインブラの麓を流れるモンデゴ川を挟み、対岸の丘サンタ・クルスにも歴史的な教会や修道院が並び、欧米からの観光客の姿が増える。
私たちが滞在しているアパートはソフィア通りにあり、世界遺産登録区域内なのでエレベーターもつけられないらしいが、内装や設備はモダンにリノベされている。窓からすぐ下に、観光客が行き交う通りを眺められ、一日中ストリートパフォーマーの演奏や歌のBGM付きだ。
ポルトガルを代表する観光地の真ん中にいながらも、私たちは今回は体を休めることに専念することに決めた。コインブラ観光定番の大学構内ツアーや、教会巡りはぜひしてみたいが、休めなくては意味がないので、いつかまた普通に観光に来ることにしよう。
ただ、日本人としてとりあえず行っておかなければいけないと思う場所が1箇所あった。
休養日初日の朝食がてらにさっそく訪れたのは、『Briosa』というソフィア通の入り口脇にある有名なパン屋さん。ここはポルトガルの古いお菓子「Confeito」を今でも作り続けているポルトガル国内でも数少ない店のひとつだ。
「Confeito」とそのままコンフェイト。小さな丸い粒々に丸みを帯びた棘がたくさんついた砂糖菓子。。。つまり日本の懐かしのお菓子・金平糖の起源は、ここポルトガルだった。『Briosa』のにぎわう店内を一人でさばききっている超人的ウエイターさんの発音はもっと日本語に近くまんま「コンペイト」と聞こえた。この辺りの訛りではそうなるのだろうか。
他の欧米系観光客は、焼き菓子やパンにしか目を向けず、コンフェイトは気にも留めていない様子。たぶん店に入ってまっしぐらにこの小さな袋詰のお菓子に向かうのは100%日本人だとお店の人も知ってそうな気がする。
さっそく食べてみる。口に含み歯に挟むと噛む前にすぐにホロホロッと溶ける感じで、日本の一般的な金平糖を噛み砕く時の「カリカリッ」感よりはもう少しラムネに近い感じだろうか。あっさりとした上品な甘さで、和三盆の干菓子のように幾らでも胸焼けせずに食べられる。
ポルトガルは焼き菓子やパンが大得意なお国だが、その味付けは実はとても日本人好みだと。毎日歩いて違う地方に移動しながら、いつも思う。
とにかく、甘いものが甘「過ぎ」ないのだ。
ケーキやアイス、ジュース、ありとあらゆるスイーツが、日本人の口にはちょうどいい、もしくはややあっさり目と感じるであろう控えめな甘さ加減。アメリカでもヨーロッパでも(特にオランダはひどい)、甘いとなるととんでもなく甘過ぎでひとつのお菓子を食べ切る前に胸焼けがする、という過剰甘い味付けばかりだったので、この奥ゆかしいあっさりとした甘味を好む国がとても新鮮に感じる。
スイーツ以外、日本食でも意外なことにポルトガルは今のところ好評価が続いている。
ここコインブラではラーメン、数日前の街では寿司を食べてみた。どちらもポルトガル人の現地シェフが作っていて店員日本人がいるわけではなかった。どちらもまじめに美味しかった。聞くと、調味料や米などの材料は全て日本のものを日本から仕入れているという。
まだ2軒だけしか行ってないが、基本的に日本での味を忠実に再現しようとしていると感じた。変な創作や、海外の日本食でありがちな「現地人好みの味付け(スパイシーにする、妙に甘くする等)」をしない。ポルトガル料理は揚げ物も上手で、油を上手に落としてカラッ・サクッと揚げるので、天ぷらや唐揚げも美味しかった。唐揚げは衣にだけ味付けるフライドチキンスタイルではなく、肉を生姜や醤油のタレに漬け込んで下準備した味だった。
休養日後の18日は、Coimbra から Mealhada まで。
2日間の休憩日を経て、いよいよ前進再開。
今日から1週間後には、大多数の「ポルトガルの道」ハイカーのスタート地点である大都市Porutoに到達する。宿の数も増えてくるので、今の所の予定ではPorutoに到着する日を除いて毎日25km程度の無理しすぎない旅ができるはずだ。
今日は25.6km、30km超えの日々に比べるとあっけないほど楽だった。
ルートもこの区間はまだCoimbra圏内、郊外の町や村を通り過ぎながら進んでいく。
カフェも2〜5km毎にあり、アップダウンも極々ゆるやかなので、予備の水分を全く携行せずに歩くことができた。
ルートはまさに村や集落を繋ぎながら北に向かって伸びてゆく。
村と村の接続線は幹線道路であったり、広大なユーカリの植林地の林道であったり、オリーブ畑の畦道だったりした。
主要幹線道路脇を歩くときでも、片側複数車線の広い道路なら、路側帯も広く歩道が整備されているところも多かったので、怖い思いをする事なく歩くことができた。
朝、コインブラの街中を通り抜けた後、いよいよ農地の中の静かな車道を歩き始めて程なく、初老の男性ハイカーが後から追いついてきた。
ドイツ人のハインリッヒさんは、ザックの荷物が形よくまとまっていること、歩き方がとても重心が安定していて軽々と流れるような所作であったので、これはかなりの歩き旅経験者だなと思ったのが第一印象だった。
コインブラから出発したので今日が初日であったが、聞けばなんとこれがカミーノ歩き20年、18回目だと言う。そして、彼は退役した職業軍人。なるほどだからこの歩きっぷり、この美しい荷物。18ルートを踏破しているのいうことは、もうスペインとポルトガル中を熟知しているに違いない。
今日は道も楽で距離も短いので、急ぐ必要はなく、休み場所のカフェもふんだんにあったので、4回もカフェ休憩してしまった。
平日なので、通り過ぎる村々で見る大多数はおじいさんおばあさんで、トラクターで通り過ぎていくのもおじいちゃんが多かった。
たいてい村の中心にある教会広場では、小型の箱トラックが停まっていて、おばあちゃん達が群がっている。どうやら「とくし丸」のような移動スーパーはポルトガルの田舎でも活躍しているらしい。お目当ての食料品を買い終えたおばあちゃん二人連れが私たちとすれ違いながら大きな明るい声で「ボン・ディア!ボン・カミーニョ!」と手を振ってくれた。
そのすぐ先の店先でも、停車していた家族連れの車の運転席の男性が同じように大きな声で「ボン・カミーニョ!」と大声で声をかけてくれ、店の2階の窓から外見ていたおばあちゃんも手を振ってくれた。
小さな村々では、村ごとにフレンドリーさがガラリと変わる。稀によそよそしい集落もあったが、多くはフレンドリーで、トラクターに乗った農家のおじいちゃん達は道でゴトゴトとすれ違う時には必ず「やぁ」という風に片手を上げて「ボン・ディア」と挨拶してくれるのが常だった。
特に何か大きく印象に残るような事態もなく、1時間に4〜5kmのペースで進んでいつもよりも早い時間に今日のゴールの街Mealhadaに入った。最後のカフェで休憩中にメッセンジャーアプリで予約した今日の宿は街の反対側にある。
街の入り口の環状交差点(ラウンドアバウト)の中心に立つ像がワイン樽の上に座った「酒の神バッコス」で、その背後には小さな葡萄畑まであるくらいなので、この街の特産品はワインなのだろう。そして、この街にはもう一つ有名な郷土料理があるようだ。
この街のレストランの口コミなどを見ていると「Suckling Pig」という言葉が頻出する。
このSuckling Pigとは、生後2週間程度の子豚を串刺しにして丸焼きした姿焼きなのだった。
そして、街のあちこちのレストランの看板にはに「そのまんま」な絵やら写真やらがバンバン掲げられているので、某ガイドブックには「動物愛護家にとっては通り抜けるのが恐怖の街」と書いてあったりする。
あくまで「特別な日のご馳走」扱いで、毎日食べてる訳ではないし、そもそもアジア人たるもの子豚の姿焼き程度でビクついていてはやってられないようなシロモノが自分ちにもご近所にもいろいろ存在する。白魚の踊り食いだって、人によっては悪魔の所業だろう。
ただ、某西洋系環境・動物愛護過激派集団たちは、日本のイルカやらクジラやらごときにゴチャゴチャからむ前に、コレに対してはなんか無いのか?とは思う。
本日の宿は一応アルベルゲだったが、シャワートイレ付きの個室だ。
クーラーも完備で、1泊二人で30ユーロ。一人あたりではなく、二人合わせて30ユーロ。思わず二度聞きしてしまった。なぜなら、ドミトリーが一人当たり12ユーロだから。二人連れだったらほぼ変わらない24ユーロなのに共同部屋・共同トイレシャワー、でもみんなでわいわい的雰囲気が好きで敢えてドミトリーを選ぶ二人連れも珍しくないようだった。
このアルベルゲでは、7日目の朝に出会った韓国人の男子大学生にも再会。
てっきりもっと先に行ったと思っていたら、コインブラで2日休息日をとったのだという。
朝に会ったドイツ人ハインリッヒさんもここにいた。
他にもアメリカ人女性、ドイツ人男性、英国人カップル、オーストリア人男性、クロアチア人男性に、ハンガリー人女性、と非常に国際色豊かだ。
四国ではまだ限りなく少数派の東欧勢、「ポルトガルの道」では普通に遭遇するのはやはりヨーロッパ、全て地続き、だからなのだろう。
聞けば、ほとんどがコインブラで休息日を取ったらしい。やはり皆、連続30km超えをくぐり抜け、Coimbraでどっと燃え尽きたのだろう。
行動と精神力パターンは国境を超え、結局「人間みな同じ」なのだった。
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する