サンティアゴ巡礼ポルトガルの道 Camino Portugués-Day 14


- GPS
- 07:48
- 距離
- 24.8km
- 登り
- 183m
- 下り
- 211m
コースタイム
- 山行
- 7:49
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 7:49
過去天気図(気象庁) | 2023年04月の天気図 |
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アクセス |
写真
感想
Day14、Mealhada から Águeda まで
巡礼道やロングトレイルを数週間以上も歩き続ける旅では、当然毎日が驚きと興奮と感動の連続ではない。中には、いやむしろけっこうな頻度で、「ただゴールに近づくためだけに前進しただけの日」というのはある。
今日はそういう「特に何もありませんでした」な日の一例、だった。
朝、いつものように6時に起きてゆっくりと荷物をまとめて準備している間に、ドミトリー宿泊組が窓のすぐ外を次々と出発していく足音が聞こえる。それでもほとんどの人たちは私たちと同じ場所を今日のゴールにしているようなので、歩いているうちにどこかのカフェで会うことになるだろう。
実際、7時半ごろに出発し、最初の「朝のコーヒー」休憩のためにスタートから2km程度のカフェに立ち寄ると、イギリス人カップルと韓国人男子大学生の3人組がいた。
この3人は昨夜も一緒に歩いてアルベルゲに到着していたし、買い物などにも一緒に行っていたから、最初ソロだった韓国の男の子も今はずっと共に行動しているようだ。
この3人組とはこの後も、何度か休憩場所で遭遇する。
今日歩いている間に遭遇したのは、数日前に一瞬カフェか宿泊場所で一緒になった初老のアメリカ人夫妻と、リスボン出発から数日置きにカフェですれ違ったりしつつ、昨日も同じアルベルゲに遅く到着していたベルギー人の女性だった。
このベルギー女性は、ベルギーのアントワープ出身だそうだ。
アントワープと聞くと反射的にパトラッシュと言ってしまうのは、日本人のある一定の年齢層の悪い習性だ。彼女も「そうそう、日本人観光客がいっぱい来る来る」と笑っていた。
彼女はだいたい1日20km程度が一番心地よく過ごせると、自分のペースでゆっくりゆっくり来ていて、私たちが休養日を合計3日程度取っている間に追いついてきたのだ。
そんな彼女も出発して2日目に休養日を取ったという。初日のリスボンから一緒になった他のハイカーたちにペースを合わせて歩いてしまい、しかもお目当てだった20km地点のアルベルゲが閉業していたのを知らず、なんと初日に恐怖の40km歩きになったらしい。しかも、ひどい日焼けと熱射病になってしまい、身体中痛むわ嘔吐が続くわで大変な状態になった結果の2日目休養日なのだった。もちろんその後は自分のペースをしっかりキープして楽しく歩いているらしい。
英韓3人組に二度目に会ったのは、昼時だった。
イギリスカップルの男性の方が「今日のルートは全然面白くない」とぼやいていた。
確かに今日は舗装道路の連続で、未舗装道がほぼない。イギリスカップルは1月からずっとバックパッカー旅でポルトガルにいるらしく、背負うザックも荷物も多い。一方韓国男子大学生のザックは荷物をまとめるのが上手いのか日帰りハイクかせいぜい2泊用程度の大きさで、イギリス勢と比べると半分ぐらいの大きさだった。
確かに今日の24.5kmは昨日と距離的にはほぼ変わらないにもかかわらず、疲労感は倍以上だった。イギリスの彼がおもしろくないと言うのも仕方のないことで、今日通過した村や集落は機能のような素朴で味のある田舎の村ではなく、家々はモダンで新しく、道路も最近整備されたっぽい広くてアスファルトで綺麗な道路。まるで日本の都市郊外のニュータウンのような住宅地が多かった。
そんなニュータウンの端の端の方に取り残された様に古い教会と古い家々の通りがあり、そこの一角でおじいさん店主がやっている古き良きカフェに立ち寄った。
壁には古い写真が何枚も飾ってあり、1947年撮影となっている。店の中にいたどう見ても90歳以上のおばあさんが、一枚の写真を指差し一生懸命頭の上で帽子のようなジェスチャーをする。その古い写真に写っていた4人の男性のうち一人が帽子をかぶっていたので「この方ですか」と私も指を指すと、おばあちゃんはうんうんと頷き、一生懸命何かを言いたがっている。こちらがポルトガル語がわからないとちゃんと理解して、それでもどうやって伝えようか頑張ってくれているのがわかった。口の形が「パピ」という風に動いたように思えた。
— そうか。きっと「私のお父さん」だ。
そんなカフェの建物の真裏には大きな屋敷のような廃墟が建っていた。
壁にはこの屋敷を含む一区画を再開発し、プール付きのモダンな高級分譲マンションにする大きな広告が貼られていた。
モダンな新興住宅地をいくつも通り抜け、その合間に工業団地も通り抜け、そのたびたびに結構大きな道路を横切る。歩いているルートになっている通りでも、そこそこ車が走ってくる。工業団地内では走っている車やトラックのスピードもいきなり上がる。
この車に注意しながら道路を横切ったり、狭い住宅街の通りの車に気を配りながら歩くというのが地味に面倒くさくて疲れるので、今日の24.5kmは昨日よりもずっと長かった。
そんな新興住宅地と工業団地の合間に突然、大きなお屋敷と敷地内に葡萄畑があるようなワイナリーが集まったエリアを通過した。
どうせ綺麗な住宅街やお屋敷街を通過するなら、せっかくなのでお家やガーデニング・ウォッチングをしながら歩ければ楽しかったのだと思う。
ただ、自分の家が通行人に見せても平気か、隠すかという点ではポルトガルはまったく日本的で、隠すとにかく隠すのだ。
南欧だから開放的なんでないかとイメージしていたのはこっちの勝手な思い込みで、ポルトガル人は住宅の敷地をとにかく壁でがっちりと囲う。その壁もフェンスなどの仕切っていても庭や家は見えるというのではなく、レンガやコンクリで人の背丈より高い壁を作ってがっちり隠す。門や勝手口だって、鉄板の扉でどこからどうやってもとことん見えないようにしているので、むしろ日本よりも鉄壁の視界防護っぷりなのだ。
これと完全に対極にあるのがオランダの住宅街で、通りに面した壁一面が巨大な窓ガラスで、その中にカーテンも閉めずリビングやダイニングで住民が普通に生活している姿が通りから余裕で見えるという開放ぶり。そのあけっぴげさには同じ西洋人の他の国の人たちでも驚愕するようで、よく「オランダに来て驚いたこと」リストに挙げられている。
もちろん、住民だって「見られること」を承知した上で、部屋のインテリアや前庭をいつも綺麗にしていて、どこでもリビング雑誌のようだ。
オランダは極端としても、アメリカでも郊外の住宅地であれば広い芝生が続く通りに家が立ち並び、前庭でも後ろ庭でも隣との境界線がフェンスでがっちり区切られているわけでもなかった。
また、ポルトガルでは壁や庭がない住宅でも、窓という窓の外側に雨戸がしっかりと閉じられていて、日中で車なども置いてなければまるでどこもかしこも空き家に見える。
ただこの徹底した隠しっぷりは、では日本人のように「内と外」の感覚がハッキリ分かれているせいなのか、はたまた「人様の目が気になる」せいなのかはわからない。
むしろ、それなりのレベルのお家やお庭だと、あからさまに見えるようにしていると安心して過ごせないぐらいにまだ治安がそこまで良くないのかもしれない。
窓という窓に日中でも雨戸を閉めているのは、窓ガラスなんて簡単に破られるのかもしれないし、もしくはとにかく強い日差しから室内を涼しく保つための知恵なのかもしれない。
ともあれ、住宅街でも綺麗な家と庭を少しでも垣間見せてくれるようなお宅は半分程度で、ちょっとこの通り沿いの皆さん暮らしぶりが良さげ、となったらひたすら壁壁壁、ワイナリーや大邸宅なら広大な農場ごと全体囲むので、まるで道の両側どっちも刑務所ですか?という中を歩くのだった。
たしかに、これは歩いていても本当に何も見るものがなくて…というイギリス人カップルがぼやいていたのも一理あるのだった。
結局、今日はほとんど日本の郊外住宅街を歩いているような感覚のまま、宿泊地のÁguedaに到着した。
この街も電車の線路や高架の道路に囲まれた大きな街で、今日はなんだかずっと普通の日本の都市近郊のベッドタウン歩きみたいだった。
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