サンティアゴ巡礼ポルトガルの道_16 : Camino Portugués


- GPS
- 07:41
- 距離
- 22.7km
- 登り
- 408m
- 下り
- 335m
コースタイム
- 山行
- 7:41
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 7:41
過去天気図(気象庁) | 2023年04月の天気図 |
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アクセス |
写真
感想
Day 16
Albergaria-a-Nova 〜 São João da Madeira
起床時間はいつも通りの6時ながらも、いつもよりも急いで荷物をまとめ7時前には宿を出発した。
行程的には昨日とほぼ同じの22〜23kmなのだが、今日は「ポルトガルの道」歩き旅スタートから2週間にして初めて!まともな雨が降る予報だった。
昼過ぎから降り始め、雨足が強まるのは今日の目的地の街 São João da Madeiraでは2〜3時らしい。できればその前に宿に到着してしまいたかった。
いつ雨が来ても良いように、荷物は防水処置をしてザック内に入れている。
これまで何度となく「持ってきて重いだけの無駄だったか」扱いしていたレインジャケットにようやく活躍する時がやってきた。すぐに着られるようにサイドポケットに入れて対降雨準備は万端だった。
大都市Porutoまでもう直ぐなので、今日も丘陵地帯に続く住宅地や町を抜けて進む。
幹線道路沿いの歩道を少し歩いたと思ったら、脇道に入り、農地の合間に昔ながらの家々と新しくモダンなデザインの大きな家が混在する住宅地の通りを抜けていくと、工業団地や配送センター地区があり。。。この繰り返しだった。
今日の行程ですこし特徴的だったのは、公式ルートとして列車の線路を頻繁に歩くことだった。
カミーノ公式道標の黄色の矢印が指すそこに線路しかなかったのは、最初は驚いた。
線路のレール真横の土の部分を歩いていくので、日本だったら大騒ぎだと思ったが、よくよく見てみれば線路のレールは錆びつき、枕木は古く壊れていて、ところによっては雑草が覆い始めている。なるほど、廃線かなにかとにかく何年ももう列車が走っていない線路なのだった。
そんな線路脇を歩いていくと、古い駅舎がそのままカフェになっているのを発見。今日一番目の休憩をとった。朝には欠かせないブラックコーヒーと、薄いトンカツをパンに挟んでもらってポルトガル風カツサンドの朝食をとった。
そこに、数日前からたまに追い越し追い越されしていたアメリカ人の初老の夫婦がやってきて、彼らも朝食休憩。昨日は私たちと同じ地域の違う宿に泊まっていたという。彼らの宿はルートから少し離れていたが、宿の送迎サービスがあったらしく、また周辺にはスーパーや店もあり快適に過ごせたらしい。羨ましい。
彼らとは今日初めて会話らしい会話を楽しむことができた。聞くと、アメリカのバージニア州から来ているという。かつてワシントンDCに住んでいた私にとっては超ご近所さんだ。
駅舎カフェで休んでいる間に、私たちよりも遅く出発したドイツ人ハインリッヒさんがさっそうと歩いてゆき、イギリス人カップル+韓国男子大学生の3人組も通り過ぎていった。お互いに手を振って「またどこかでね」と声を掛け合う。
歩いていると、Googleマップには載っていないカフェがあったりする。二度目の休憩場所もそんなたまたま見つけたカフェだった。どうやらつい最近オープンしたようで、店の外観も内装も新しい。隣には農作業用の資材や肥料を売っている店があり、小さな食料雑貨やさんもあり、みな同じ店名なので、きっと同じオーナーがカフェもオープンすることにしたのだろう。
オレンジソーダではない普通のオレンジジュースを、と頼むと、隣の食料品店からオレンジをいくつか取ってきて本当に本物の搾りたて生ジュースを作ってくれた。
先ほどのアメリカ人夫婦がまた追いついてきて、彼らもここで再び休憩することとなった。
この時点で午前11時少し前、昨日同様すでに私たちの今日の全行程の半分まで来ていた。
空はどんどん雲行きが怪しくなっていくが、まだ雨はもう少しもちそうだ。アメリカ人夫婦はに休憩しながらザックの中の荷物をポリ袋に入れたり、ジャケットを着込んだりしていた。
Oliveira de Azeméisという、店が多くて少し賑やかな街を通過し始めた時、ついにポツっポツっと雨粒が落ちてきて、弱い雨が始まった。
できる限り先の、この街を抜ける直前の最後のカフェまで早足で進み、ついに雨も本降りになり始めたので、レインジャケットを着るため&休憩でカフェに飛び込んだ。
地元のおじいちゃん達御用達のようの小さなカフェで、席が空いてないように見えたが、お爺さん達が「どうぞどうぞ」と身振り手振りで、カウンター席を二つ開けてくれた。カフェのマスターも、最初は無愛想に見えたのはほんの一瞬で、なんとか限られた英語や身振りで「どこの国から来たの?」と優しくフレンドリーにしてくれた。
ポルトガルの人たちは、おそらく外国人に対してはシャイなのかもしれない。
お互い同士で話している時は、声がとても大きく時には喧嘩してるのかと思うような勢いでしゃべっているのだが、外国人相手だと英語がわからないせいか緊張するのか声も小さくなるし、やや固くなっているように見える。そもそも何もない時でも反射的にニコニコ愛想よくする国民性でもないようだから、どの人も最初の一瞬はちょっと怖そうに感じるが、実際は英語ができなくともなんとか一生懸命こちらの言ってることをわかろうとしてくれるし、席をゆずってくれたり、混んでいる場所を通り抜けようとすると道を開けてくれたりこちらが通り過ぎるまで待ってくれたりと、実は素朴で優しい人たちなのだった。
コーヒーを飲んで小休止の間に、外は本格的に雨になった。
ついにレインジャケットを装着。
あくまで暖かい季節である前提だが、私たちは基本的にはレインパンツは履かない。ザックも中身の防水処置をして、ザックカバーはつけない。
テントや避難小屋泊ではないので、濡れるだけ濡れても夜には温かい部屋の中だから次の朝には乾かせる。靴もゴアテックスのような防水ではなく、濡れるだけ濡れても排水が早く乾くのも早いトレランシューズ(アルトラのオリンパス5)を二人とも履いている。
ロングトレイルハイクで来ている服も装備も、全て「軽量速乾」を基準で選んでいるので、濡れても空調のある部屋の中で一晩で乾かなかったことはまずない。
雨が連続で降るような季節の旅であれば傘をさしながら歩くし、風雨が激しいような日ならばそもそも休息日にして歩かないのが私たちの歩き旅スタイルだ。
今日もとにかく丘陵地帯を登ったり下りたりの繰り返しだったので、累積標高だけは積み上がっていく。でも山を登ってるわけではなく、ただひたすら村や住宅地なのだ。
向こうの丘の上からこっちの丘の上までほぼ同じ標高で繋いでいるような新しい道路があるというのに、カミーノの黄色い矢印は無情にも坂道を指し示す。
登ったら何かあるのかというと、実はほぼ何もない場合が多い。
急な坂を登り切ってほっと行手を見たらすぐにまたただ向こう側のふもとに下りるだけ、というのがザラだ。いったい何度、脳内ちゃぶ台返しをしただろう。
家々が立ち並ぶ村の中をあちらの通りからこちらの路地を抜けて、と体感的にはとてもクネクネ道を登ったり下りたりしているように感じるので、なにかわざわざ遠回りをさせられているような気がするが、歩いた軌跡を地図上で見てみると実はほぼ一直線、最短距離で北へ北へと向かっているのだった。
目標地点に向かう時に、丘や山のような障害物があったらそれを迂回しながら、もしくはできる限り楽で安全な方法で越えようとするのが日本式とすると、障害物だろうとなんだろうと目標に向かってとにかく正面から直登していく「ポルトガルの道」は、やはり西洋文化の道なのだった。
そしていよいよ最後の丘上りを経て、台地の入り口に集まった近代的な食品か薬品の工場群を抜けると、いきなり目の前に都会度500%上昇の街並みが広がった。
今日の宿泊地、São João da Madeiraに到着だ。
「ポルトガルの道」を歩き続けること2週間、「大きな街」ではなく「都会」っぽい場所を見たのは首都リスボン、特に万博跡地公園周辺のエリアを出て以来ここが初めてだった。
Coimbraも大きな街ではあったが、世界遺産だけあって古い建物や街並みの「古都」という雰囲気で「都会」ではなかった。
明日到着する予定のPorutoは、ここよりも更に大きく賑やかで、巡礼道ハイカーの姿も急激に増えるはずだ。
午後2時半、宿にチェックイン。宿と言ってもマンションの一室型の私たちのお気に入りのタイプの宿泊施設だ。マンションの部屋型の長期滞在可能な宿には洗濯機が装備されていることが多い。今日のような雨降りで濡れた服がある日には、到着してすぐに何もかも洗濯機に放り込めるのが特に嬉しい。
外を見ると、雨はほぼどしゃ降りになっていたので、間一髪だったようだ。
明日はPortoまで、いきなりまた34km。ここ数日間の距離からいっきに10km増しになる。
ついに雨に降られてしまったが、少なくとも明日でなくて今日でよかった。
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