記録ID: 7532846
全員に公開
無雪期ピークハント/縦走
金剛山・岩湧山
葛城二十八宿経塚巡行【復刻版】小和道を下り第20番経塚石寺跡
2016年05月02日(月) [日帰り]


- GPS
- 06:28
- 距離
- 12.4km
- 登り
- 588m
- 下り
- 1,056m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 4:54
- 休憩
- 1:43
- 合計
- 6:37
11:05
10分
地蔵さん
11:15
11:22
8分
11:15 P1022□昼食休憩1 11:22
12:01
8分
12:01 一の鳥居への分岐
13:06
2分
13:06 小和道35町石
13:08
13:18
14分
13:08 小和道分岐■休憩 13:18
13:32
13:36
5分
13:32 欽名水 13:36
13:41
13:50
10分
13:41 小和道26町石■休憩 13:50
14:22
5分
14:22 石寺官林起点石
14:27
2分
14:27 高宮廃寺跡分岐
14:29
14:27
9分
14:29 高宮廃寺跡
14:36
9分
14:36 小和道石標
14:45
4分
14:45 上の茶屋跡
14:49
14:58
4分
14:49 弁財天■休憩 14:58
15:02
6分
15:02 二つ池間T字路
15:08
3分
15:08 下の茶屋跡
15:11
5分
15:11 猪ゲート十字路
15:16
15:35
13分
15:16 8町石・地蔵□昼食休憩3 15:35
15:48
19分
15:48 鳳凰寺
16:20
ゴール地点
やっと金剛山に戻ってきた。
金剛山近辺の経塚でまだ訪問していないのは第20番石寺跡だ。今回は、久留野峠から入って、岩屋文殊。さらに引返して伏見峠から小和道に入って、石寺跡にお参りし、小和、近内に下った。
負荷をかけた場合の足の攣りが持病のようになってはいるが、先週は11km/登り120mにしたからか、普通に歩けた。今日もやや自重して、12km/登り190m(久留野峠まで)とした。峠まで登るとあと100mくらいは登るが、ダラダラ登りなのでこのコースは楽だ。いざとなればロープウエイでのエスケープもできるし。
まずは、久留野峠から伏見峠経由、岩屋文殊だが、金剛山らしい尾根、トラバース道で木々は芽吹きを迎えていて、名残のミツバツツジ、今にも咲きそうなヤマツツジ等花にも恵まれた楽しい巡行になった。
下りは小和道で、第20番経塚石寺跡にお参りした。WEBサイトを見ると、小和道は、道らしき道の無いだの、獣道に近い状態などと散々な言われようなのだが、ちゃんと道がある、少々荒れているだけだ。樹林の静かな道を下って、静かな石寺跡経塚や墓地にもお参りした。本来ならば登らなければならないのだが、足の攣りの持病に免じて下り巡行で許していただこう。
これで経塚巡行は2番から25番まで繋がった。
■コースタイム
9:50 金剛山ロープウエイ
10:30 久留野峠■休憩10:44
11:05 地蔵さん
11:15 P1022□昼食休憩1 11:22
11:30 伏見峠
11:43 ロープウエイ駅
12:01 一の鳥居への分岐
12:09 岩屋文殊■12:29
12:35 一の鳥居□昼食休憩2 12:44
12:53 P1053大阪府最高点
-----------------
13:05 伏見峠
13:06 小和道35町石
13:08 小和道分岐■休憩 13:18
13:32 欽名水 13:36
13:41 小和道26町石■休憩 13:50
14:00 第20番経塚石寺跡 14:06
14:09 石寺墓地
14:22 石寺官林起点石
-----------------
14:27 高宮廃寺跡分岐
14:29 高宮廃寺跡
14:36 小和道石標
14:45 上の茶屋跡
14:49 弁財天■休憩 14:58
15:02 二つ池間T字路
15:08 下の茶屋跡
15:11 猪ゲート十字路
15:16 8町石・地蔵□昼食休憩3 15:35
15:48 鳳凰寺
16;07 藤岡家住宅・近内道標
16:20 北宇智駅
----------------------------------------------------------------------------
■対応する元記事
https://stellabyhydra.blog.fc2.com/blog-entry-295.html
https://stellabyhydra.blog.fc2.com/blog-entry-296.html
https://stellabyhydra.blog.fc2.com/blog-entry-297.html
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金剛山近辺の経塚でまだ訪問していないのは第20番石寺跡だ。今回は、久留野峠から入って、岩屋文殊。さらに引返して伏見峠から小和道に入って、石寺跡にお参りし、小和、近内に下った。
負荷をかけた場合の足の攣りが持病のようになってはいるが、先週は11km/登り120mにしたからか、普通に歩けた。今日もやや自重して、12km/登り190m(久留野峠まで)とした。峠まで登るとあと100mくらいは登るが、ダラダラ登りなのでこのコースは楽だ。いざとなればロープウエイでのエスケープもできるし。
まずは、久留野峠から伏見峠経由、岩屋文殊だが、金剛山らしい尾根、トラバース道で木々は芽吹きを迎えていて、名残のミツバツツジ、今にも咲きそうなヤマツツジ等花にも恵まれた楽しい巡行になった。
下りは小和道で、第20番経塚石寺跡にお参りした。WEBサイトを見ると、小和道は、道らしき道の無いだの、獣道に近い状態などと散々な言われようなのだが、ちゃんと道がある、少々荒れているだけだ。樹林の静かな道を下って、静かな石寺跡経塚や墓地にもお参りした。本来ならば登らなければならないのだが、足の攣りの持病に免じて下り巡行で許していただこう。
これで経塚巡行は2番から25番まで繋がった。
■コースタイム
9:50 金剛山ロープウエイ
10:30 久留野峠■休憩10:44
11:05 地蔵さん
11:15 P1022□昼食休憩1 11:22
11:30 伏見峠
11:43 ロープウエイ駅
12:01 一の鳥居への分岐
12:09 岩屋文殊■12:29
12:35 一の鳥居□昼食休憩2 12:44
12:53 P1053大阪府最高点
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13:05 伏見峠
13:06 小和道35町石
13:08 小和道分岐■休憩 13:18
13:32 欽名水 13:36
13:41 小和道26町石■休憩 13:50
14:00 第20番経塚石寺跡 14:06
14:09 石寺墓地
14:22 石寺官林起点石
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14:27 高宮廃寺跡分岐
14:29 高宮廃寺跡
14:36 小和道石標
14:45 上の茶屋跡
14:49 弁財天■休憩 14:58
15:02 二つ池間T字路
15:08 下の茶屋跡
15:11 猪ゲート十字路
15:16 8町石・地蔵□昼食休憩3 15:35
15:48 鳳凰寺
16;07 藤岡家住宅・近内道標
16:20 北宇智駅
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■対応する元記事
https://stellabyhydra.blog.fc2.com/blog-entry-295.html
https://stellabyhydra.blog.fc2.com/blog-entry-296.html
https://stellabyhydra.blog.fc2.com/blog-entry-297.html
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過去天気図(気象庁) | 2016年05月の天気図 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
電車
|
写真
9:56、ロープウエイ駅を下から見る。乗ってやろうか、という気もチラと起こった。しかしそれでは、目的の一つの、久留野峠〜伏見峠間の尾根歩きができない。
そもそも、江戸時代までの修験の道は、神福山経塚の後は、千早峠あるいは中葛城山の西のピークあたりから山腹を降りていって、草谷寺(元地)、久留野、近内経由で小和道を登って金剛山に至ったが、今では草谷寺(元地)に降りるルートが見当たらない。その場合は千早峠から尾根づたいに久留野峠、伏見峠を経て金剛山に至っていたらしいので、「久留野峠−伏見峠」は歩いておきたいところなのだ。
そもそも、江戸時代までの修験の道は、神福山経塚の後は、千早峠あるいは中葛城山の西のピークあたりから山腹を降りていって、草谷寺(元地)、久留野、近内経由で小和道を登って金剛山に至ったが、今では草谷寺(元地)に降りるルートが見当たらない。その場合は千早峠から尾根づたいに久留野峠、伏見峠を経て金剛山に至っていたらしいので、「久留野峠−伏見峠」は歩いておきたいところなのだ。
地蔵尾根の道を塞ぐように枯木が倒れていて、その下に古い看板が埋もれていた。文はほとんど読めないが、タイトルの「山岳信仰と葛城修験道」というのははっきり読める。この尾根も修験の道だったことがうかがえる。
P1022近くのベンチから、葛木岳(左)と湧出岳(右)
なだらかな双耳峰をなしていて、ピークというほどの鋭さはないが、優しくもあり雄大でもある。金剛山というのはこういう山だったのか。ここからのアングルは金剛山の姿をよく現しているということか。
なだらかな双耳峰をなしていて、ピークというほどの鋭さはないが、優しくもあり雄大でもある。金剛山というのはこういう山だったのか。ここからのアングルは金剛山の姿をよく現しているということか。
ロープウエー乗り場から岩屋文殊まで26分。岩屋文殊は先客ありだったので、ちょっと時間待ち。
遠くてちょっと分からないが、多分タムシバ。もう時期は過ぎていると思うのだが、ここは1000m級なので、最盛期なのかも?
遠くてちょっと分からないが、多分タムシバ。もう時期は過ぎていると思うのだが、ここは1000m級なので、最盛期なのかも?
さて、遊歩道をとって返す。途中で一の鳥居に登っていった。
12:35、一の鳥居着。ここで昼飯その2(パンだが)。さすがに、ここに来るとたくさんの人が行き交っている。ダイトレ分岐だからね。往事も行者さん、お参りする人々でこんな様子だったのだろうか?
ところで、この看板!たくさんの人が見ているので建てるなとは言わないが、町石の前に建てるこの神経、いや無神経、無心形。お里が知れるわ、大阪府。
12:35、一の鳥居着。ここで昼飯その2(パンだが)。さすがに、ここに来るとたくさんの人が行き交っている。ダイトレ分岐だからね。往事も行者さん、お参りする人々でこんな様子だったのだろうか?
ところで、この看板!たくさんの人が見ているので建てるなとは言わないが、町石の前に建てるこの神経、いや無神経、無心形。お里が知れるわ、大阪府。
右端の町石、どうもこれは、関屋道四十七町石らしい。
参考:http://www.kongozan.com/kongo/tyouisi/sekiyamiti.html
参考:http://www.kongozan.com/kongo/tyouisi/sekiyamiti.html
正常なものが3つ、欠けたものが1つあるようだが、左端のコレが小和道の四十七町石なのか?四十九町石なのか?刻印が読めないのでちょっと分からない。
参考:http://www.kongozan.com/kongo/tyouisi/owamiti.html
ともあれ、大阪府の無神経さだけが残った。
参考:http://www.kongozan.com/kongo/tyouisi/owamiti.html
ともあれ、大阪府の無神経さだけが残った。
とりあえず小面積が刈り払われているだけで、夏場は見晴らしもなにもないのだ。冬〜春はちょっと良いかもしれないが、その折には来ていないので・・・・
これから伏見峠まで戻って、いよいよ小和道を降りて第20番経塚・石寺跡を目指す。
これから伏見峠まで戻って、いよいよ小和道を降りて第20番経塚・石寺跡を目指す。
ここには葛城経塚巡行の道標がある。途中から伏見道を分岐する小和道だが、鉄山氏は北宇智道と書いている。そもそも「宇智」とは万葉以来の由緒ある地名なので、修験にとっても「小和」よりも本質的な地名になるのだろう。降りていった先の、小和とか近内などは「宇智の大野」と詠まれた由緒正しき「野」であったところだ。
http://www.nara-np.co.jp/graph/gra051113_scene.html
今、「宇智」という地名は公式的には消されて、駅名、小学校名、JA名などにしか残っていない。なぜ万葉以来の由緒正しき地名を消すのか?岩屋文殊さんを拝んでいないな。鉄山氏は「由緒ある地名を消すな、せめて巡行道は北宇智道と言う。」という思いなのだと理解した。「石寺跡道」などという取ってつけたような名前とは質が違うのだ。
http://www.nara-np.co.jp/graph/gra051113_scene.html
今、「宇智」という地名は公式的には消されて、駅名、小学校名、JA名などにしか残っていない。なぜ万葉以来の由緒正しき地名を消すのか?岩屋文殊さんを拝んでいないな。鉄山氏は「由緒ある地名を消すな、せめて巡行道は北宇智道と言う。」という思いなのだと理解した。「石寺跡道」などという取ってつけたような名前とは質が違うのだ。
13:08、さらに1分下ると小和道の分岐。
「西佐味」方面は間違いはないのだが、せっかくなので、小和道:「西佐味、風の森」、「小和、北宇智」と書いてほしいものだ。せっかく、伏見峠の官製道標には、「風の森バス停、北宇智駅」と書いてあったんだから・・・対応バラバラ。初めて通る人などは、風の森で下ってきて、「エ、西佐味!?」となるんではないか?
「西佐味」方面は間違いはないのだが、せっかくなので、小和道:「西佐味、風の森」、「小和、北宇智」と書いてほしいものだ。せっかく、伏見峠の官製道標には、「風の森バス停、北宇智駅」と書いてあったんだから・・・対応バラバラ。初めて通る人などは、風の森で下ってきて、「エ、西佐味!?」となるんではないか?
ジグザグに降りていく。道型ははっきりしているが、テープもにぎやかだ。
13:27、足に激痛!苔むした切り株からとんがった枝(右に出ているトゲみたいな枝)がひざにあたった。穴はあいていなかったが、痛いのなんの。写真は切り株を移動させた後だ。
13:27、足に激痛!苔むした切り株からとんがった枝(右に出ているトゲみたいな枝)がひざにあたった。穴はあいていなかったが、痛いのなんの。写真は切り株を移動させた後だ。
13:32、欽明水
水量が少ないとか汚れているとか書いたサイトもあったが、まずまずの水量だと思う。天候にも寄るけど・・・
スギの枯葉が水たまりに落ちていたので掃除した。さらに石ころも数個退けて手を浸けられるようにはしたが、溜まった砂までは渫えられなかった。水は冷たく、ながく手を浸けていると痛くなるほどだった。よい水場だ。
水量が少ないとか汚れているとか書いたサイトもあったが、まずまずの水量だと思う。天候にも寄るけど・・・
スギの枯葉が水たまりに落ちていたので掃除した。さらに石ころも数個退けて手を浸けられるようにはしたが、溜まった砂までは渫えられなかった。水は冷たく、ながく手を浸けていると痛くなるほどだった。よい水場だ。
こんな看板が貼ってあったが・・・・・
・きれいにしたい=>同感、ゴミ一つ落ちていなかった。もうゴミ袋はいらないのでは。
・太陽が入るようにしたい=>できたらよいけど、それは無理やな。
・イス、テーブルがほしい=>人工物はいらん。
・蚊が多い=>蚊取り線香とか、蚊バリアとか自分でもってきたら?
・県や市にお願いしてほしい=>自分がせえや!
最後の言葉にちょっと脱力してしもた。
・きれいにしたい=>同感、ゴミ一つ落ちていなかった。もうゴミ袋はいらないのでは。
・太陽が入るようにしたい=>できたらよいけど、それは無理やな。
・イス、テーブルがほしい=>人工物はいらん。
・蚊が多い=>蚊取り線香とか、蚊バリアとか自分でもってきたら?
・県や市にお願いしてほしい=>自分がせえや!
最後の言葉にちょっと脱力してしもた。
右の石碑には「阿闍梨秀譽」と彫ってあり、その裏面が下の写真の右だ。石寺坊・・・・等と彫ってある。
左の五輪塔は「正徳六年(1716) 阿闍梨賢譽」 と見える。
一番奥の石碑には、「傳燈大阿闍梨法印朝栄」とあり、裏面が下の写真左である。
先の経塚周辺も含めて、一帯に石寺の寺坊があった。石寺は金剛山七坊の一で、明治の廃仏毀釈までは大きな寺院だったようだ。「金剛七坊」とは、南北朝時代(1381〜84)大宿坊(金剛山頂)を本願として、行者坊(井戸のある広場)、長床坊(今の山頂売店前)、西室院、実相院(金剛桜の近く)、石寺(小和道) 朝原寺(関屋道)を脇寺六坊として、周囲約2キロ後の大和側の朝原寺、石寺、大沢寺、高天寺、河内側の修道子(集堂子堂)、坊領寺、多聞寺の山内山外寺院を合わせて金剛七坊と呼ばれていたという。
http://goseshikankou.jp/syousai/otera-zinzya/sonota/tenpourinji/tenpourinji.html
http://www.kongozan.com/kongomemo/kongozanmemo01.html
石寺が隆盛だった頃に思いを馳せる場所だった。
左の五輪塔は「正徳六年(1716) 阿闍梨賢譽」 と見える。
一番奥の石碑には、「傳燈大阿闍梨法印朝栄」とあり、裏面が下の写真左である。
先の経塚周辺も含めて、一帯に石寺の寺坊があった。石寺は金剛山七坊の一で、明治の廃仏毀釈までは大きな寺院だったようだ。「金剛七坊」とは、南北朝時代(1381〜84)大宿坊(金剛山頂)を本願として、行者坊(井戸のある広場)、長床坊(今の山頂売店前)、西室院、実相院(金剛桜の近く)、石寺(小和道) 朝原寺(関屋道)を脇寺六坊として、周囲約2キロ後の大和側の朝原寺、石寺、大沢寺、高天寺、河内側の修道子(集堂子堂)、坊領寺、多聞寺の山内山外寺院を合わせて金剛七坊と呼ばれていたという。
http://goseshikankou.jp/syousai/otera-zinzya/sonota/tenpourinji/tenpourinji.html
http://www.kongozan.com/kongomemo/kongozanmemo01.html
石寺が隆盛だった頃に思いを馳せる場所だった。
元の道にもどって降ると、14:37、小和石標と言われている道標
左 よしの 右 かうや
それは分かるのだが、ここを右に下っていけば、小和−近内−阿田−下市−上市−吉野
ここを左に登って、金剛山経由で行ったとしても、千早峠または紀見峠−橋本−高野山
というのが合理的なハズなんだが・・・・この大石が道路の右にあれば良く分かるのだが、こんな大きなものをわざわざ置き換えたのだろうか?いろいろ調べても説明してあるのがなかった。謎!
左 よしの 右 かうや
それは分かるのだが、ここを右に下っていけば、小和−近内−阿田−下市−上市−吉野
ここを左に登って、金剛山経由で行ったとしても、千早峠または紀見峠−橋本−高野山
というのが合理的なハズなんだが・・・・この大石が道路の右にあれば良く分かるのだが、こんな大きなものをわざわざ置き換えたのだろうか?いろいろ調べても説明してあるのがなかった。謎!
14:45、上の茶屋付近
さて、ここで道が分からなくなった。地図ではまっすぐに道がついているのだが・・・・クスベの跡があって、その先に道はありそうにない。後で分かったことだが、ここをまっすぐ行って、植林の中に入っていくのが正解だったのだ。どうしても左に回ってしまう。
さて、ここで道が分からなくなった。地図ではまっすぐに道がついているのだが・・・・クスベの跡があって、その先に道はありそうにない。後で分かったことだが、ここをまっすぐ行って、植林の中に入っていくのが正解だったのだ。どうしても左に回ってしまう。
15:01、池を通り過ぎたところで、東に降りる道と出合った。西にも植林の中に道が続いて登っていった。
ははん、この東西の道が正規の「小和道」やな。
このポイントは、逆さま「T」の字で、北があぜ道、南が田んぼ、東西に小和道が交差している。
ははん、この東西の道が正規の「小和道」やな。
このポイントは、逆さま「T」の字で、北があぜ道、南が田んぼ、東西に小和道が交差している。
田んぼの端まで行ってみると、その先は・・・・これが「宇智の大野・・・・」の景色。これと良く似た景色がこのサイトに載っていた。
http://www1.kcn.ne.jp/~uehiro08/contents/parts/05.htm
昨年9月に小和道の探索をした時に、獣道を伝って下の田んぼの岸まできて、オーバーハングになったケモノフェンスに阻まれ撤退したのだった。
http://stellabyhydra.blog.fc2.com/blog-entry-252.html
http://www1.kcn.ne.jp/~uehiro08/contents/parts/05.htm
昨年9月に小和道の探索をした時に、獣道を伝って下の田んぼの岸まできて、オーバーハングになったケモノフェンスに阻まれ撤退したのだった。
http://stellabyhydra.blog.fc2.com/blog-entry-252.html
「北宇智道」とある鉄山道標
正規の小和道・巡行道に入った証拠で、北宇智道というのはよいのだが、・道標に再々出てくる「水野」というのがよくわからなかった。
調べてみると・・・・・
水野村は近世初期には佐味郷に属し、元禄、天保では「神通寺村之枝郷」であった。明治13年南佐味村と合併して西佐味村と改称した。「サビ」は神々しい状を意味する古語であり、また「佐比」が本来、鋤などの刃物を意味するものと考えられることから、佐比を作り、佐比持神・鋤持神を祭ったところという説もある。
以上、http://www.asukanet.gr.jp/katuragi/gose.html を要約。
西佐味が水野だったのだ。
また水野に関しては、金剛おろしや山の神信仰のレポートがあった。まさに道探しでうろうろしたこの場所の話だった。水野という地名も行政地名から消えてしまったが、由緒正しい山村だったのだ。あの高宮廃寺も水野にあり、水野廃寺と呼ばれることもあったという。
http://blog.goo.ne.jp/mnjr05gob/e/c5ee1beb0398ac551e033e08fc75c147
正規の小和道・巡行道に入った証拠で、北宇智道というのはよいのだが、・道標に再々出てくる「水野」というのがよくわからなかった。
調べてみると・・・・・
水野村は近世初期には佐味郷に属し、元禄、天保では「神通寺村之枝郷」であった。明治13年南佐味村と合併して西佐味村と改称した。「サビ」は神々しい状を意味する古語であり、また「佐比」が本来、鋤などの刃物を意味するものと考えられることから、佐比を作り、佐比持神・鋤持神を祭ったところという説もある。
以上、http://www.asukanet.gr.jp/katuragi/gose.html を要約。
西佐味が水野だったのだ。
また水野に関しては、金剛おろしや山の神信仰のレポートがあった。まさに道探しでうろうろしたこの場所の話だった。水野という地名も行政地名から消えてしまったが、由緒正しい山村だったのだ。あの高宮廃寺も水野にあり、水野廃寺と呼ばれることもあったという。
http://blog.goo.ne.jp/mnjr05gob/e/c5ee1beb0398ac551e033e08fc75c147
今回は大弁財天から南へ農道−あぜ道を通ったが、迂回するならもう一本下(東)の、オレンジで描いた道を通るほうが良いだろう。その迂回路はこの道だ。この道は近畿自然歩道にもなっている。
https://www.google.com/maps/d/u/0/viewer?mid=1j1ugujZiNj6JbqDCuhWIPog3UE4&femb=1&ll=34.398626536492614%2C135.69694760347508&z=17
https://www.google.com/maps/d/u/0/viewer?mid=1j1ugujZiNj6JbqDCuhWIPog3UE4&femb=1&ll=34.398626536492614%2C135.69694760347508&z=17
中央のオレンジ線が小和道
右上のオレンジ線が迂回路
左側オレンジ線が天ヶ滝新道
中央の赤線が前回の探索道
https://www.google.com/maps/d/u/0/viewer?mid=1j1ugujZiNj6JbqDCuhWIPog3UE4&femb=1&ll=34.398626536492614%2C135.69694760347508&z=17
右上のオレンジ線が迂回路
左側オレンジ線が天ヶ滝新道
中央の赤線が前回の探索道
https://www.google.com/maps/d/u/0/viewer?mid=1j1ugujZiNj6JbqDCuhWIPog3UE4&femb=1&ll=34.398626536492614%2C135.69694760347508&z=17
ここは四つ辻になっていて、作業車が通るくらいの道ができていた。(1枚め写真)、(2枚め写真)。
農作業の専用道路で通行禁止だ。
昨年9月に探索したときに、柿畑が通過できそうと思ったのは、この柿畑だったか。
農作業の専用道路で通行禁止だ。
昨年9月に探索したときに、柿畑が通過できそうと思ったのは、この柿畑だったか。
おお!きれいに刈り払われている。昨年9月には蔓性の植物が繁茂していて、何度もアタックしたあげく、ここで撤退したのだ。
行政的に言えば、この辺りに、御所市−五條市の市境が走っている。今までが御所市西佐味、ここからが五條市小和町というところだ。ちょうど市境ゆえに、「ここの草刈りはどないすんねん」と遠慮しあったか?県のほうも、天ヶ滝新道を作ったくらいだから、イマイチ小和道の整備には力が入らないのか?そんなことで由緒正しき小和道を壊してもらっては困るけど。
行政的に言えば、この辺りに、御所市−五條市の市境が走っている。今までが御所市西佐味、ここからが五條市小和町というところだ。ちょうど市境ゆえに、「ここの草刈りはどないすんねん」と遠慮しあったか?県のほうも、天ヶ滝新道を作ったくらいだから、イマイチ小和道の整備には力が入らないのか?そんなことで由緒正しき小和道を壊してもらっては困るけど。
ブッシュを刈り払った市境エリアから、竹薮の中に入るが道はしっかりしている。しかし、伐採されたタケがわざとらしく近畿自然歩道にほったらかしになっているのであまりめでたくもない。
ここの道は、豚舎の香しさを除けばすばらしい道だ。右手のヒノキ林も間伐があった感じがする(15:15)。
ここの道は、豚舎の香しさを除けばすばらしい道だ。右手のヒノキ林も間伐があった感じがする(15:15)。
15:17、小和道の実態も良く分かったし、昨年撤退したポイントも通過できたし、懐かしい場所にも来たのでホッとして、ここで昼飯(3回め)にした。残りの弁当をゆっくり食べた。写真は小和道の真上で陽が強すぎるので日陰に行って20分の休憩。
是より四十八町(寛政八年銘)
小和道町石が鳳凰寺基準なら、四町石がこのあたりにあるはずなんだけど、よくわからない。下記サイト1)には道端に転がった写真が載っている。なお、二町石も山麓線交差点から少し入った人家の石垣にはめ込まれている様子が写真にあるが、これもボクは見つけられていない。
1) http://www.enyatotto.com/mountain/kongouzan/owa/owa.htm
2) http://www.kongozan.com/kongo/tyouisi/owamiti.html
小和道町石が鳳凰寺基準なら、四町石がこのあたりにあるはずなんだけど、よくわからない。下記サイト1)には道端に転がった写真が載っている。なお、二町石も山麓線交差点から少し入った人家の石垣にはめ込まれている様子が写真にあるが、これもボクは見つけられていない。
1) http://www.enyatotto.com/mountain/kongouzan/owa/owa.htm
2) http://www.kongozan.com/kongo/tyouisi/owamiti.html
16:07、藤岡家住宅前の近内道標
右 かうや
左 かんがう山
それはそうと、道標根元にある背の低い石柱は何や?曲とか雷とか彫ってあるようだが、何を意味しているのか?方向指示なのか?新しい疑問が次々と出てくる。
右 かうや
左 かんがう山
それはそうと、道標根元にある背の低い石柱は何や?曲とか雷とか彫ってあるようだが、何を意味しているのか?方向指示なのか?新しい疑問が次々と出てくる。
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金剛山(百ヶ辻〜念仏坂〜細尾谷入口〜馬の背〜山頂広場〜大屋根広場〜伏見道〜船路〜北宇智)
利用交通機関:
電車・バス
技術レベル
2/5
体力レベル
3/5
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