がんちゃん落とし、家形山・兵子 往年の名ルート 5
- GPS
- --:--
- 距離
- 19.5km
- 登り
- 1,363m
- 下り
- 1,465m
コースタイム
霧と風の天候。ときどき雨が降りかかり、私にとって5度めのこの山行で、初めてポンチョを使用した。
高湯から滑川温泉までのルートは初めてたどる道だった。天気も悪く、前後に誰もいない。当初は、賽の河原の分岐から一切経山に登り、家形山へ縦走する予定だった。けれどこの日の天候では、ガスが心配だったので目印が少ないこのコースをあきらめ、家形山へ向かうルートをとった。
小雨のなかを家形ヒュッテに着く。ヒュッテは1階部分が壊れかかり、入り口の戸板もなく、黒い毛布を垂らしていた。中へ入るのをためらうほど、さびしい小屋だった。
ガンチャン落としの急坂を登り切って、五色沼のへりに出、ガスの中を家形山へ。途中、強い風がガスをはらって、真っ青な五色沼が姿を現した。一切経山が大きい。
家形山の山頂に立つ。中学生のころから話に聞いたこの山に、ようやく登ることができた。ここから、前回、途中で引き返した霧ノ平へ、尾根を下降することも考えたが、姥湯へ下降する初体験のルートにひかれ、兵子への稜線をたどった。稜線の道は樹林の中で、ぬかるみ、暗かった。
兵子は小さな岩場のピークで、ガスがなければ展望がいいところ。ここから根曲がり竹の刈り分け道を下る。
三階滝の手前、尾根の下降点付近には、朽ちかけた小さな小屋があった。テントが張れる平地があり、水芭蕉が生息する湿地もある。水質は不安だが、水を得ることもできた。
ここから岩場がある急な尾根を下る。針葉樹の根も手がかりや足場にして、鎖に頼ったりして下降するのは、気が抜けない。風が吹き抜ける。対岸に樹木の枝を透かして、岩場を落ちる滝が見え隠れする。
降り立った場所は、大崩壊地帯の真ん中で、背後は屏風のように灰色の岩場に囲まれている。ザレにつけられた踏み跡をたどって下降する。源泉の湧き出しが、途中のザレの斜面にあり、近寄ると木の樋を一気に満たすほどの湯量があふれでていた。黄白色のきれいな硫黄分が、樋にびっしり着いている。
楽しみにしてきた姥湯だった。が、露天風呂は登山道のすぐ脇にあり、このときは敬遠してしまった。宿は小さな民家ほどの大きさで、内湯が設けられていた。沢を木製の細い橋で渡って、踏み跡を300メートルほどもたどると、林道に出た。
ときにスイッチバックもある林道を下り、滑川温泉、萱峠をへて、夕暮れの峠駅に下り立った。
アクセス |
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写真
感想
高校2年の秋の山行。
この山行で下山に使った兵子(ヒョッコ)から三階滝をへて姥湯へのルートは、少なくとも1980年ごろまでは、ごく一般的な登山道として使われてきた。しかし、姥湯から三階滝にかけての区間は土砂崩壊や崖状の地形で危険なルートになっており、現在はどこまで登山道として使われているか、現況は不明。
私は、このルートは、下降で2度、登りで1度しか使ったことがない。ルートは、上から大まかに3つの部分に分けることができる。
主稜線の兵子からの尾根の下降は、傾斜がきつく、根曲がり竹が密生していて、6月ごろはタケノコがさぞや、と思われるところ。
その下は、三階滝を対岸に見ながらの、岩の尾根の下降。針葉樹林の中で、石楠花の枝を手がかりにする。ところどころ、ワイヤーやチェーンが懸けてあった。
最後は、姥湯を見下ろしながらの、崩壊地形の沢沿いの下降。急なザレ地を降りる。源泉の湧き出しが周囲に何箇所かあり、湯の音と湯煙、硫黄の臭いに包まれて、姥湯の露天風呂をめざす。
もともと姥湯は、昔は湯治客だけでなく、山から登り降りする登山者に、よく使われていた秘湯だった。露天風呂も、昔のものは沢沿いの直径4メートルほどの岩風呂で、透明な湯が木の樋から流れ落ちてきた。岩、石を積んだ小さな風呂があるだけで何もない、まさしく露天だった。
稜線に直接、上がる登山道を歩く登山者が減った現在では、延びた車道を上がってくる湯治客だけが、この温泉の客になっているのではないだろうか。露天風呂も、80年代に、現在ある男女別、脱衣所つきの大きな二つの風呂が設けられた。
なお、林道を姥湯へ上がる手前で左へ折れて、兵子の東そばの稜線へ直接、登る登山道(堀田林道)が以前からある。これは現在も使われているようだ。三階滝のルートにくらべれば、変化も景色もいま一つだろう。
(2001年1月31日 記)
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