キリマンジャロ
コースタイム
- 山行
- 3:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 3:00
3日目 ホロンボハット08:00−12:00キボハット12:50ー18:00ウフルピークー20:20キボハット
4日目 キボハット07:00ー14:00マラングゲート帰着、16:00ホテル!
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2015年07月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
飛行機
|
コース状況/ 危険箇所等 |
高所登山!という以外には、危険個所はありません。 |
その他周辺情報 | 基点となるMoshiの町は、田舎町で、見るべきものはありません。 Internet Cafeがあったので、帰り便のWeb Check Inができました。 |
写真
装備
共同装備 |
現地でのツアー参加
共同装備は殆どありません。
|
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備考 | Moshiの町では、Docomo携帯がローミングでき、使えた。ゲートルを持参せずに、少し心配していたが、なくてもOKだった。 |
感想
私のキリマンジャロ登山は、もっとも一般的な、マラングルートでした。
2015年6月に、64才で定年退職をして、早速 7月に単身出発したのですが、フライトはTukish Air, 現地ツアーは10社以上調べて、一番安かった
Kili-Cribmer's & Safari社でした。 結局は、高い安いは現地代理店が、どの程度、口銭を取るかの違いだけで、実質的なサービスは同じ(問題なかった)と思います。 ツアー客は私だけ、スタッフは、ガイド、料理人、ポーターが各一名の合計4名の最小チームでした。
当初「マラングルート5日間」のツアーでしたが、3日目の昼に最後のキボハットに到着した段階で、体調が良かったので、ガイドに頼んで、その日
のうちに登頂しました。 標高差、約2,200mを一気に登ったことになります。現地ツアーだったからこそ可能になった変更でした。 結果的に行程が、1日短縮でき、スタッフも喜んでいました。
以下、当時のメモを清書するような形での、登頂記録です。
また、何かご質問などあれば、[email protected]へどうぞ。
【登頂記録】
7月8日(水)早朝01:00にTK675便で、キリマンジャロ空港に到着。
思ったよりも寒い。タンザニアのVisaは到着時に申請もできるが、私は
日本で取得していたこともあり、全乗客中、ほぼトップで空港から出て、
ツアー会社からの出迎えの車に乗り込む。Moshiの町まで約40分、街灯
のない暗い舗装路を進む。運転手は片言の英語ができるので、ツアー
会社の社長(Jasper氏)に、当初の予定を一日早めて、今日(8日)の
午後出発へ変更したい旨、連絡を入れてもらった。
宿は、ツアー会社協定の「Keys Hotel」。中心街からは歩くには離れて
いるが、簡素ながらこざっぱりしたホテルだった。 シャワーを浴び、
午後からの出発に備えて、荷物を3分割したあと4:00に就寝。
同じく8日、8:30起床、朝食。 メールを読んだり、Docomoで、
日本と連絡をする。 10:00 ツアー会社のJasper氏が打ち合わせに
来る。この会社はほぼワンマン会社で、彼以外は、すべてスタッフの
ようであった。 帰国便の前倒しを相談するが、結局 予約をした日本
のTurkish Airでしかできないことが分かり、日本の家内へ依頼する。
11時過ぎ、ホテルを出発し、マラングゲートへ。 途中 試しにATMで
現地通貨10,000シリング(約5ドル)を引き出してみる。 今回は
Visaカードに現地通貨の引き出し機能を付けて来たので便利であるが、
引き出した段階で、現地通貨―ドル―円などの交換レートが不明なので
一抹の不安もあり。
突然、一日早めてもらったためもあるのか、段どりが整わず、ゲート前で
3時間近くも足止めをくらった。
その間、山を下りて、登頂証明書を待っていた人たちと話す。
一人は韓国人の30才代の女性。
彼女は、米国NY在住の教師で、一人で7-8月の休暇を利用してアフリカを
旅行中とのこと。余裕で登頂したような口ぶりだったが、あとでガイドに聞いたところ、高山病で、よれよれになりながら登頂だけは果たしたものの、下りは「救急一輪車」だったとのこと。
これは、登山中にも何台か見ましたが、大きな一輪車の上に担架を設置し
前後4〜5名で、急病人を山からおろすクルマでした。ごつごつと衝撃が
ありそうですが、これが最も早くて、安上がりな救急車のようです。
ちなみに無料だそうです。
あと、日本人の4人組の60代の方たちのお話しも聞けました。皆さん登頂をしていました。装備もバリっとして経験も豊富なご様子で「東北の山の会で、日本山岳会所属」だそうです。 ただ全員お疲れで「今までで一番しんどい山だった」とのコメントもありました。 特に最終日の火口までの登頂がきつかったようです。
結局、準備ができて、マラングゲートを出たのが、15:00頃。ポーターと
料理人は、すでに出発しており、ガイドのTumaini君(略称ツマ、27才)
と二人のノンビリしたトレッキングでした。
彼は、現在独身で、ポーターを1年やったあと、ガイド免許を取って3年目
です(ガイド免許保持者は約100名)。
あと1年ほどガイドでお金を貯めたら、土地を買って農業をやりたいそう
ですが、予算を訊いたら、数字があいまいでした。タンザニアでは新卒
の給料は約US$200と言いますが、ここらも含めて、算数をまともに
勉強していないようでした。
最初のキャンプであるマンダラハットには18:00前に到着、ここで
部屋を割り当てられ、19:00から夕食。メニューは、キュウリのクリームスープ、硬い魚フライ、ジャガイモ、アボガドサラダ、そこそこおいしく食べられた。山小屋はキレイな2人部屋でしたが、私の相方は、陽気な豪州人のCollins. 彼は私の2倍くらいの料金を別のツアー会社に払っていた。
・・・・・この日は寝不足なので、速攻で就寝!
9日(木)7:00タライのお湯で洗面7:30朝食、8:00出発。この日は朝から快晴。
2,770mから3,700mまで、約5時間強をかけて、ゆっくり高度を上げる。
出発20分後には、森林限界を過ぎて、低木帯の中の整備された道を気楽に歩く。
しばらくして、遠くに少しだけ雪を被ったキリマンジャロの本峰が見えて来て、気分が高まる。 何とかして半日〜1日を短縮できないかと考えるも、キャンプ地が限られているため妙案なし、まずは「無理せず、登頂を目指す」ことに。
この日は、例の担架一輪車で下っていく人に2台遭った。 かなりのスピードで降りて行くので、振動がひどそうですが、早く降ろすことを最優先の様子。
13:15、この日の目的地のホロンボハットへ到着。ここからはMoshiの町が見えるらしいが、あいにくと雲海の中。
洗顔、先髪をして汗を流し、出されたポットからのコーヒーを飲みながら、ここまでの旅程のメモを書いてノンビリ過ごす。 高度は3,700mなので、日射しは強いが、日陰に入ると寒い。
17:45 昨夜に続いて、たったひとりの夕食。鶏肉も魚も固いが、コーンスープは何とか飲める。
今日の2人部屋の同宿者はデンマーク人のMartin。彼は、ここまで一日早く登って来て、ホロンボで一日過ごして高度馴化をしていた10人ほどの団体ツアーの参加者のひとり。
寝袋やハードシェルなどが新品で、ういういしい感じ。
夜は冷えることを想定して、完全装備で寝袋に入った。すなわち上は、Heat Tech+モンベルのジオラインの重ね着、下はタイツと防寒ズボン。
暖かく、良く眠れた。
10日(金)8:00ホロンボハットを出発。ガイドの助言により、できるだけ防寒具を着こんで歩き始めた。高度よりも吹きさらしの風が寒い。逆に風のない場所では暑いくらいで、防寒ズボンをひざまで降ろして、タイツに風を当てながら歩いた!!(ヘンなスタイル)
この日の行程は、当初5時間と言われていたが、休憩なしで快調に歩き、約4時間で、4,720mのキボハットに12:00到着。
ここで、歩きながら考えていた「今日、このまま登頂!」の案をTumainiに話すと、一瞬のためらいの後でOKが出た。 彼も私の体調を見ていて、これなら行けそうだと判断をしてくれたようだ。何と水や防寒具などの装備は、全て彼が持ってくれると言い、私は全くの空身で、12:50出発。 全てのツアーは「深夜(早朝)キボハット出発、頂上でご来光」と
なっているため、この時間に出かける人はいない。 私はご来光には全く興味がなく、暖かくて、明るくて、景色が見える昼間の登山の愛好者ですが、問題は高度と疲労度! うまく体力が持ってくれるかどうか!?
登り始めてすぐに急な砂地の道となり、足もとが滑るため、とっても登りにくい。ジグザグの道を、とにかく、ひたすらガイドのあとを追う。しばらくしてガイドのペースに付いて行けなくなり「30ステップ、1ブレス」に変えてもらう。 これは高地歩行のために私が考えたリズムで、30ステップでも苦しければ、25や20ステップに短縮します。とにかく運動を単調化して、体を自然に動かすようにし、気が付いたら登っていた!というやり方です。それでも、高度が上がるにつれ、ドンドン苦しさは増し、いつ終わるともしれない無限の時が流れます・・・・・。 気が付くと、上から降りて来る、2組と出会った。
2組とも昨夜の登頂組のようだが、客がバテて動きが鈍く、ガイドが肩を貸して引きずるように降りて来ます、ほとんど介護状態!!
さらに、機械的に歩を進めます。 ガイドのTumaini君は、時おり上を見上げる私に対し、「Don’t look up, look step!」と、しごくもっともなアドバイス。実際、火口の縁は見えるものの、なかなか近づかず、嫌になるほど単調な苦しい時が流れます。
しばらくして、ギルマンズポイントとおぼしき、小さな十字架が見え始めるが、そこからさらに無限の時が流れ、そしてついに、火口の縁に到達! ここで正直言って、もう殆どエネルギーはゼロ! そして右手のはるかかなたに、大きな氷河の壁があり、あれを越えるのは絶対無理!と観念したら、ガイドからは「あれはICE=氷河だ、頂上ではない、Uhuru Peakは左の峰だ」と言われ、再度、気を引き締めてピークを目指す。お鉢めぐりは、今までと比べ、格段に歩きやすいが、それでも少し登りになると、とたんに呼吸が苦しくなる。ただそんな中でも足だけは無意識に動いてくれるのが救いだ。体力の限界も感じたが、ここまで来たら、帰りのことは一旦忘れて、頂上に行くしかない。そして彼方に、写真で何度も見たUhuru Peakの看板が見え、一歩づつ近づき、ついに17:57 キリマンジャロに登頂!
広漠とした山頂は、ガイドと私のふたりきりで、世界遺産、キリマンジャロを貸し切り状態でした。
記念写真もそこそこに下山開始。 ギルマンズポイントを経て、急な壁を下り始めるころから本格的な闇となり、持参したダウンを着こんで、ヘッドランプを点けた。
ガイドは、暗闇でも道を熟知しているようで、まるでフォークダンスを踊るかのように、二人で肩を組みながら、砂地を快適に滑り下り、2時間もかからずに、無事 ギボハットに帰着した。 登頂、それも(64才にして)2,200mを一気に登れたことの満足感に満たされながら、夜食を食べて、寝床に入りました。。
11日(土)簡単な朝食後、07:00キボハットを出発、ただただひたすらマラングゲートを目指して下った。
体調も天気も良く、何より登頂後の満足感に満たされながらの快適な下りで、途中、ランチ弁当を食べ、14:00見覚えのあるマラングゲートへ戻りついた。
ゲートで「登頂証明書」を出してもらい、その後、16:00にホテルに帰着し、私のキリマンジャロ登山は、成功裏に終わりました。
翌日、早めることができたフライトに乗り込み、イスタンブールに向かったのですが、私の山旅は、これで終わらず、イスタンブールから、さらにロシアのコーカサスに飛び「エルブルース山」へ向かいます。 (完)
今頃気がつきました。オリサバではお世話になりました。
遅ればせながら、登頂おめでとうございます。
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