前回の続きで遊行寺橋から出発。
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1/14 8:43
前回の続きで遊行寺橋から出発。
橋を渡るとふじさわ宿交流館。時間が早いのか開いていませんでした。
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1/14 8:44
橋を渡るとふじさわ宿交流館。時間が早いのか開いていませんでした。
交流館のある付近が藤沢(大鋸)広小路と呼ばれていて、日本三大広小路と言われていたらしい。ちなみに日本三大広小路とは、上野広小路、名古屋広小路、藤沢広小路なのだそうだ。
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1/14 8:46
交流館のある付近が藤沢(大鋸)広小路と呼ばれていて、日本三大広小路と言われていたらしい。ちなみに日本三大広小路とは、上野広小路、名古屋広小路、藤沢広小路なのだそうだ。
まっすぐ進むとすぐ遊行寺です。藤沢山無量光院清浄光寺が正式名称らしいです。
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1/14 8:47
まっすぐ進むとすぐ遊行寺です。藤沢山無量光院清浄光寺が正式名称らしいです。
惣門をくぐってすぐ左に板割浅太郎の墓があります。その横にある説明文。凄まじい人生を送ったのですね。今度本を読んでみよう。
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1/14 8:48
惣門をくぐってすぐ左に板割浅太郎の墓があります。その横にある説明文。凄まじい人生を送ったのですね。今度本を読んでみよう。
これが板割浅太郎の墓。参道48階段(いろは坂)を登ると
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1/14 8:48
これが板割浅太郎の墓。参道48階段(いろは坂)を登ると
樹齢700年と言われている大銀杏が見えて来ました。
イチョウの説明文によると、昭和57年の台風で約3/1が折れたそうですが、現在は元気な姿を見せています。
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1/14 8:52
樹齢700年と言われている大銀杏が見えて来ました。
イチョウの説明文によると、昭和57年の台風で約3/1が折れたそうですが、現在は元気な姿を見せています。
本堂に来ました。
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1/14 8:55
本堂に来ました。
本堂前右手の高台に時宗の宗祖、一遍上人銅像
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1/14 8:55
本堂前右手の高台に時宗の宗祖、一遍上人銅像
手水舎(登録有形文化財)立派な竜が居た。
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1/14 8:57
手水舎(登録有形文化財)立派な竜が居た。
照手姫由来の小栗堂。歌舞伎などで演じられる小栗判官ですが、内容を知らないので、調べて解ったつもりになりました。
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1/14 9:01
照手姫由来の小栗堂。歌舞伎などで演じられる小栗判官ですが、内容を知らないので、調べて解ったつもりになりました。
小栗判官と11人の従者のお墓
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1/14 9:03
小栗判官と11人の従者のお墓
照手姫のお墓。照手は髪を落とし長生尼と名のり、小栗判官と家臣11人の墓を守り、余生を長生院(小栗堂)で過ごしたとされています
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1/14 9:03
照手姫のお墓。照手は髪を落とし長生尼と名のり、小栗判官と家臣11人の墓を守り、余生を長生院(小栗堂)で過ごしたとされています
歴代上人御廟所。その名の通り歴代上人の墓塔が並んでいます。ただし、一遍上人の御廟所は神戸市真光寺にあるそうです。
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1/14 9:07
歴代上人御廟所。その名の通り歴代上人の墓塔が並んでいます。ただし、一遍上人の御廟所は神戸市真光寺にあるそうです。
おや、富士山が綺麗に見えますよ。煙突が邪魔だけど。
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1/14 9:10
おや、富士山が綺麗に見えますよ。煙突が邪魔だけど。
鐘楼にある梵鐘は、1300年代に作られ戦国時代には、小田原城に持ち去られ、北条氏の陣鐘として使われたそうだ。江戸時代に入り、檀家が新しく鐘を作り交換して取り戻したとの事。戦争の時、よく供出させられなかったね。
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1/14 9:15
鐘楼にある梵鐘は、1300年代に作られ戦国時代には、小田原城に持ち去られ、北条氏の陣鐘として使われたそうだ。江戸時代に入り、檀家が新しく鐘を作り交換して取り戻したとの事。戦争の時、よく供出させられなかったね。
中雀門。安政六年(1859)に建立された、遊行寺境内で最も古い建造物。大震災の時倒れたが、引き起こして修復したものとの事。菊の御紋が目立つ
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1/14 9:15
中雀門。安政六年(1859)に建立された、遊行寺境内で最も古い建造物。大震災の時倒れたが、引き起こして修復したものとの事。菊の御紋が目立つ
明治天皇はたびたび遊行寺にお泊まりになったことがあり、その時使った井戸。あちこち明治天皇の休まれた碑とかありますが、そんなに何しに行っていたのだろうか。
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1/14 9:17
明治天皇はたびたび遊行寺にお泊まりになったことがあり、その時使った井戸。あちこち明治天皇の休まれた碑とかありますが、そんなに何しに行っていたのだろうか。
この日は、どんど焼きがあるようで準備していました。
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1/14 9:17
この日は、どんど焼きがあるようで準備していました。
東門の手前に立派な小栗判官墓地入口の石碑がありました。
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1/14 9:18
東門の手前に立派な小栗判官墓地入口の石碑がありました。
反対側に敵御方供養塔(国指定重要史跡)。禅秀の乱によって両方に死傷者が多く出たので、一山の僧と近在の人々と共に敵味方両軍の傷ついた人たちを収容して治療を行うとともに、戦没者を葬り敵味方の区別なく平等に供養し、その霊を弔うため供養塔を建立(1418年)したそうです。
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1/14 9:19
反対側に敵御方供養塔(国指定重要史跡)。禅秀の乱によって両方に死傷者が多く出たので、一山の僧と近在の人々と共に敵味方両軍の傷ついた人たちを収容して治療を行うとともに、戦没者を葬り敵味方の区別なく平等に供養し、その霊を弔うため供養塔を建立(1418年)したそうです。
東門を出ると江戸見附跡の説明板。藤沢宿を出ました。
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1/14 9:20
東門を出ると江戸見附跡の説明板。藤沢宿を出ました。
すぐ1里塚跡。この説明文以外は面影なし。この現在の道は、掘削されて作られたもので、旧街道はもっと急な坂だったのだろう。
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1/14 9:24
すぐ1里塚跡。この説明文以外は面影なし。この現在の道は、掘削されて作られたもので、旧街道はもっと急な坂だったのだろう。
道路の反対側にも、おそらく一里塚跡の説明板だと思われるものが見える。実際の一里塚は、この上の丘にあったのか
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1/14 9:27
道路の反対側にも、おそらく一里塚跡の説明板だと思われるものが見える。実際の一里塚は、この上の丘にあったのか
坂を上がると木の間から富士山が見える。
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1/14 9:38
坂を上がると木の間から富士山が見える。
俣野別邸(元は住友家の私邸)庭園に寄道していきます。
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1/14 9:49
俣野別邸(元は住友家の私邸)庭園に寄道していきます。
高台になっているので、富士山が見えます。
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1/14 9:53
高台になっているので、富士山が見えます。
広い庭園です。いろいろな花が楽しめるようです。
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1/14 10:01
広い庭園です。いろいろな花が楽しめるようです。
駐車場から富士山が一番良く見えました。
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1/14 10:06
駐車場から富士山が一番良く見えました。
丹沢の山並みも見えてます。東海道に戻ります。
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1/14 10:08
丹沢の山並みも見えてます。東海道に戻ります。
右手に諏訪神社。樹齢何年だろうか、巨木が目を引く。
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1/14 10:20
右手に諏訪神社。樹齢何年だろうか、巨木が目を引く。
富士山が見えるぞ。
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1/14 10:22
富士山が見えるぞ。
鎌倉道と交差する所に影取立場跡
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1/14 10:30
鎌倉道と交差する所に影取立場跡
久しぶりに見たキロポスト
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1/14 10:33
久しぶりに見たキロポスト
原宿には、少し昔を偲ぶ面影も
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1/14 10:34
原宿には、少し昔を偲ぶ面影も
昔は、高い建造物がなかったので、きっと富士山はずっと見えていたのだろうな
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1/14 10:51
昔は、高い建造物がなかったので、きっと富士山はずっと見えていたのだろうな
浅間神社入口
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1/14 11:01
浅間神社入口
参道の坂を上っていきます。
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1/14 11:02
参道の坂を上っていきます。
浅間神社到着。
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1/14 11:04
浅間神社到着。
富士山が見えます。
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1/14 11:05
富士山が見えます。
道路を挟んで原宿一里塚跡があります。この辺りは、横浜環状線の工事をやっていて騒がしいです。
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1/14 11:10
道路を挟んで原宿一里塚跡があります。この辺りは、横浜環状線の工事をやっていて騒がしいです。
歩道橋からは、富士山の綺麗な姿が見えます。
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1/14 11:17
歩道橋からは、富士山の綺麗な姿が見えます。
更に丹沢方面も綺麗。昔は、長閑な風景だったのだろうな。
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1/14 11:17
更に丹沢方面も綺麗。昔は、長閑な風景だったのだろうな。
再びキロポスト。2km進んだぞ。
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1/14 11:33
再びキロポスト。2km進んだぞ。
20年位前は、原宿のこの辺りはまだ松並木だったと思うが今は、切れ払われてこのありさまに。
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1/14 11:34
20年位前は、原宿のこの辺りはまだ松並木だったと思うが今は、切れ払われてこのありさまに。
歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」にちなんで建てられた、お軽勘平戸塚山中道行の場の石碑。
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1/14 11:35
歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」にちなんで建てられた、お軽勘平戸塚山中道行の場の石碑。
大坂の石碑
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1/14 11:49
大坂の石碑
第六天神社
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1/14 11:53
第六天神社
上方見附跡。コンビニの入口にあった。ここから戸塚宿
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1/14 11:55
上方見附跡。コンビニの入口にあった。ここから戸塚宿
道の反対側にも。こちらは、横浜市が建てたようだ。
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1/14 11:56
道の反対側にも。こちらは、横浜市が建てたようだ。
戸塚宿に入ってすぐ富塚八幡宮
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1/14 11:59
戸塚宿に入ってすぐ富塚八幡宮
社殿の裏は、富属彦命(とつぎひこのみこ)の古墳になっていて、富塚と呼ばれていた。これが戸塚の地名の発祥らしい。
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1/14 11:59
社殿の裏は、富属彦命(とつぎひこのみこ)の古墳になっていて、富塚と呼ばれていた。これが戸塚の地名の発祥らしい。
階段を上がって本社に行くと、ここでも台湾リスに出合いました。このところ鎌倉・三浦地域を歩くと毎回リスを見ているぞ、ほんとに大繁殖しているようだ。
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1/14 12:03
階段を上がって本社に行くと、ここでも台湾リスに出合いました。このところ鎌倉・三浦地域を歩くと毎回リスを見ているぞ、ほんとに大繁殖しているようだ。
芭蕉の句碑。「鎌倉をいきて出でけむ はつ松魚(かつお)」
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1/14 12:05
芭蕉の句碑。「鎌倉をいきて出でけむ はつ松魚(かつお)」
次は戸塚八坂神社です。ここは、お札まきが残っているそうです。男子十数人が姉さんかぶりに襷がけの女装をして踊り、踊り終わると「正一位八坂神社御守護」と刷られた神札を撒き散らします。人々は争ってこれを拾って帰り、家の戸口や神棚に貼ります。説明板より
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1/14 12:11
次は戸塚八坂神社です。ここは、お札まきが残っているそうです。男子十数人が姉さんかぶりに襷がけの女装をして踊り、踊り終わると「正一位八坂神社御守護」と刷られた神札を撒き散らします。人々は争ってこれを拾って帰り、家の戸口や神棚に貼ります。説明板より
ここには水準点もありました。
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1/14 12:13
ここには水準点もありました。
八坂神社を出て東海道に。
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1/14 12:13
八坂神社を出て東海道に。
しばらく行くと澤邊本陣跡。
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1/14 12:17
しばらく行くと澤邊本陣跡。
戸塚駅の前まで来ました。この辺りは、もう昔の面影もなくすっかり近代化されてます。
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1/14 12:26
戸塚駅の前まで来ました。この辺りは、もう昔の面影もなくすっかり近代化されてます。
清源院の本堂。最近新しくなったようだ。三つ葉葵の紋が入っている。家康の寵愛をうけた於万の方が開基となり、寺号は於万の方の法号清源院より取名したものである。以来三葉葵の紋を用い、江戸期には寺前に下馬礼を立てていたという。於万の方は3人いたようですが、この於万の方は知らなかったな。子供がいなかったから、世に出てこないのかな
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1/14 12:28
清源院の本堂。最近新しくなったようだ。三つ葉葵の紋が入っている。家康の寵愛をうけた於万の方が開基となり、寺号は於万の方の法号清源院より取名したものである。以来三葉葵の紋を用い、江戸期には寺前に下馬礼を立てていたという。於万の方は3人いたようですが、この於万の方は知らなかったな。子供がいなかったから、世に出てこないのかな
芭蕉句碑。「世の人の 見つけぬ花や 軒のくり」
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1/14 12:29
芭蕉句碑。「世の人の 見つけぬ花や 軒のくり」
心中句碑。「井にうかぶ 番ひの果てや 秋の蝶」
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1/14 12:30
心中句碑。「井にうかぶ 番ひの果てや 秋の蝶」
墓地の最上部には、於万の方の火葬の跡の碑。お骨は高野山に納めたそうです。では東海道に戻り、東海道線を越えます。戸塚の駅前随分変わりましたね。
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1/14 12:33
墓地の最上部には、於万の方の火葬の跡の碑。お骨は高野山に納めたそうです。では東海道に戻り、東海道線を越えます。戸塚の駅前随分変わりましたね。
2014年大踏切デッキが出来たので人は待って踏切を渡らなくてよくなりました。2015年アンダーパスが完成したので、踏切はなくなりました。
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1/14 12:43
2014年大踏切デッキが出来たので人は待って踏切を渡らなくてよくなりました。2015年アンダーパスが完成したので、踏切はなくなりました。
戸塚駅前の変遷がパネルになっていました。
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1/14 12:45
戸塚駅前の変遷がパネルになっていました。
吉田大橋のたもとにある広重の大橋付近の図。
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1/14 13:01
吉田大橋のたもとにある広重の大橋付近の図。
吉田一里塚跡
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1/14 13:05
吉田一里塚跡
妙秀寺に寄り道
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1/14 13:07
妙秀寺に寄り道
本堂
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1/14 13:08
本堂
本堂の前には、吉田橋にあった道しるべ。広重の絵にあるかまくら道の道しるべをここで保管している。
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1/14 13:09
本堂の前には、吉田橋にあった道しるべ。広重の絵にあるかまくら道の道しるべをここで保管している。
江戸方見附跡。戸塚宿を過ぎました。
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1/14 13:16
江戸方見附跡。戸塚宿を過ぎました。
分かり易い道案内があるので助かります。
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1/14 13:51
分かり易い道案内があるので助かります。
道路の反対側に大山道への入口
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1/14 14:08
道路の反対側に大山道への入口
提灯立場跡
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1/14 14:21
提灯立場跡
こんな道案内もあり分かり易い。坂を上っています。
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1/14 14:48
こんな道案内もあり分かり易い。坂を上っています。
品濃坂。環状2号線に掛かる品濃坂歩道橋を渡ります
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1/14 14:49
品濃坂。環状2号線に掛かる品濃坂歩道橋を渡ります
渡り終わると品濃坂の石碑がありました。
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1/14 14:50
渡り終わると品濃坂の石碑がありました。
品濃坂の説明板
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1/14 14:52
品濃坂の説明板
振り返ると富士山や丹沢が見えます。
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1/14 14:53
振り返ると富士山や丹沢が見えます。
品濃一里塚。ここは左右の塚が残っています。
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1/14 15:01
品濃一里塚。ここは左右の塚が残っています。
反対側には説明文も
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1/14 15:01
反対側には説明文も
塚の上に登ってみました。公園になっています。
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1/14 15:05
塚の上に登ってみました。公園になっています。
塚の上にも石碑があります。
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1/14 15:06
塚の上にも石碑があります。
一里塚を越えると下りに入ります。
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1/14 15:07
一里塚を越えると下りに入ります。
焼餅坂のパネル
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1/14 15:12
焼餅坂のパネル
焼餅坂の別のパネルもありました。
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1/14 15:14
焼餅坂の別のパネルもありました。
境木跡。武蔵と相模の国の国境になるそうです
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1/14 15:16
境木跡。武蔵と相模の国の国境になるそうです
説明文
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1/14 15:17
説明文
境木地蔵
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1/14 15:18
境木地蔵
境木地蔵の謂れ
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1/14 15:19
境木地蔵の謂れ
地蔵の前は、境木立場跡があります。江戸からは、権田坂、上方から品濃坂・焼餅坂を登り切った所なので、皆休んで行ったのでしょう。
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1/14 15:21
地蔵の前は、境木立場跡があります。江戸からは、権田坂、上方から品濃坂・焼餅坂を登り切った所なので、皆休んで行ったのでしょう。
権田坂を少し外れた所に投げ込み塚跡がひっそりとありました。当時権太坂は難所で行き倒れた人や、馬や牛などを投げ込んだ井戸があったという。今は、住宅街になっている。
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1/14 15:28
権田坂を少し外れた所に投げ込み塚跡がひっそりとありました。当時権太坂は難所で行き倒れた人や、馬や牛などを投げ込んだ井戸があったという。今は、住宅街になっている。
権太坂の途中からも富士山や大山が見えてます。
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1/14 15:37
権太坂の途中からも富士山や大山が見えてます。
こんなパネルもあります。
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1/14 15:40
こんなパネルもあります。
保土ヶ谷バイパスの上を渡ります。当時この辺は、のっぱらだったのかな
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1/14 15:45
保土ヶ谷バイパスの上を渡ります。当時この辺は、のっぱらだったのかな
権太坂改収記念碑
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1/14 15:47
権太坂改収記念碑
国道1号線に出ます。
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1/14 16:05
国道1号線に出ます。
松並木の復興事業で植えられている松の木
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1/14 16:06
松並木の復興事業で植えられている松の木
一里塚跡・上方見附台跡
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一里塚跡・上方見附台跡
一里塚はこんな感じなのかな。保土ヶ谷宿に入りました。
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一里塚はこんな感じなのかな。保土ヶ谷宿に入りました。
旅籠屋跡。旅籠屋の表のイメージです
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旅籠屋跡。旅籠屋の表のイメージです
脇本陣跡、パネルだけ
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脇本陣跡、パネルだけ
本陣跡。朽ちた通用門が残っている
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本陣跡。朽ちた通用門が残っている
金沢横町道標
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金沢横町道標
道標4基の説明文
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道標4基の説明文
高札場跡
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高札場跡
問屋場跡
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問屋場跡
今日は、保土ヶ谷駅までとします。お疲れ様でした。
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今日は、保土ヶ谷駅までとします。お疲れ様でした。
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