前回の続き川崎宿の途中から出発
2
1/29 9:11
前回の続き川崎宿の途中から出発
問屋場跡は、この看板だけ
1
1/29 9:15
問屋場跡は、この看板だけ
立派な道標が作られています。
1
1/29 9:15
立派な道標が作られています。
稲毛神社に寄り道します。境内には、芭蕉や子規の句碑や御神木の樹齢1000年を超えると言われる大銀杏がありました。
1
1/29 9:27
稲毛神社に寄り道します。境内には、芭蕉や子規の句碑や御神木の樹齢1000年を超えると言われる大銀杏がありました。
戦火で幹が空洞化したので、上部を切り落としたそうです。枯れると心配されましたが、強い生命力で残され樹皮から新たな枝が伸びて来たそうです。銀杏の根元に十二支の神柱があり、十二支巡りをすると願いが叶うらしい。
3
1/29 9:24
戦火で幹が空洞化したので、上部を切り落としたそうです。枯れると心配されましたが、強い生命力で残され樹皮から新たな枝が伸びて来たそうです。銀杏の根元に十二支の神柱があり、十二支巡りをすると願いが叶うらしい。
稲毛神社本社。
2
1/29 9:25
稲毛神社本社。
幸福寺の馬頭観音。競馬場があるので、最近は競馬場関係者のお参りが多いそうです。
1
1/29 9:32
幸福寺の馬頭観音。競馬場があるので、最近は競馬場関係者のお参りが多いそうです。
宗三寺
1
1/29 9:37
宗三寺
平成の三四郎、古賀稔彦さんの墓参りして行きます。
2
1/29 9:39
平成の三四郎、古賀稔彦さんの墓参りして行きます。
特に説明板など無いので探してやっと見つけた遊女供養塔
1
1/29 9:40
特に説明板など無いので探してやっと見つけた遊女供養塔
裏から入ったので正面の説明板。東海道かわさき宿交流館に向かいます。
1
1/29 9:44
裏から入ったので正面の説明板。東海道かわさき宿交流館に向かいます。
東海道かわさき交流館。川崎宿のジオラマやディスプレイによる各種解説、川崎の歴史など各種資料があり興味深々です。
2
東海道かわさき交流館。川崎宿のジオラマやディスプレイによる各種解説、川崎の歴史など各種資料があり興味深々です。
六郷の渡し付近の模型。見附と万年屋があります。
1
1/29 9:47
六郷の渡し付近の模型。見附と万年屋があります。
当時の茶屋の風景や籠などのミニチュア模型もあります。ディスプレイでの解説を見ていたらキリがないので、出発します。
2
当時の茶屋の風景や籠などのミニチュア模型もあります。ディスプレイでの解説を見ていたらキリがないので、出発します。
すぐ助郷会所跡。近隣の農民は、ただで働かされたんだ。士農工商の悪制度は、よく明治まで続いていたもんだね。
1
1/29 10:34
すぐ助郷会所跡。近隣の農民は、ただで働かされたんだ。士農工商の悪制度は、よく明治まで続いていたもんだね。
田中本陣跡。パネルだけです。
1
1/29 10:37
田中本陣跡。パネルだけです。
かわさき交流館にあった街道模型にあった田中本陣
2
1/29 10:23
かわさき交流館にあった街道模型にあった田中本陣
川崎宿の街灯
1
1/29 10:37
川崎宿の街灯
多摩川に近くなって来ました。川崎宿は、制度が出来てから最後の頃に出来た宿場なので新宿と呼ばれていたようです。
1
1/29 10:42
多摩川に近くなって来ました。川崎宿は、制度が出来てから最後の頃に出来た宿場なので新宿と呼ばれていたようです。
六郷の渡しと旅籠街。六郷の渡しを下りると旅籠や茶屋が並んでいたようです。江戸見附もこの辺りにあったようです。先程見たジオラマで知りました。
1
1/29 10:44
六郷の渡しと旅籠街。六郷の渡しを下りると旅籠や茶屋が並んでいたようです。江戸見附もこの辺りにあったようです。先程見たジオラマで知りました。
六郷橋にきました。かつて東海道「六郷の渡し」があった場所に建てられた「明治天皇六郷渡御碑」。明治天皇東幸の際には23隻による舟橋が架けられたそうです。
2
1/29 10:48
六郷橋にきました。かつて東海道「六郷の渡し」があった場所に建てられた「明治天皇六郷渡御碑」。明治天皇東幸の際には23隻による舟橋が架けられたそうです。
その後ろには、長十郎梨のふるさとの碑。長十郎梨は、川崎で生まれたんだ。
1
1/29 10:48
その後ろには、長十郎梨のふるさとの碑。長十郎梨は、川崎で生まれたんだ。
万年屋跡の碑がないの戻って辺りを探しましたがありません。その代わり大師道の道標がありました。さっきの説明パネルの所が万年屋の跡なのかな。
2
万年屋跡の碑がないの戻って辺りを探しましたがありません。その代わり大師道の道標がありました。さっきの説明パネルの所が万年屋の跡なのかな。
川崎宿はここまで。それでは、六郷橋を渡ります。
1
1/29 10:57
川崎宿はここまで。それでは、六郷橋を渡ります。
橋から見た下流方面の多摩川。大師方向です
2
1/29 10:57
橋から見た下流方面の多摩川。大師方向です
六郷橋を渡り少し上流に行くと北野神社。8代将軍吉宗の落馬を止めたと伝えられていて、止め天神の別名も。落馬止めなので合格祈願の絵馬が沢山ありました。
2
1/29 11:05
六郷橋を渡り少し上流に行くと北野神社。8代将軍吉宗の落馬を止めたと伝えられていて、止め天神の別名も。落馬止めなので合格祈願の絵馬が沢山ありました。
境内に江戸側の渡し跡のパネル。
2
1/29 11:07
境内に江戸側の渡し跡のパネル。
源頼義、源(八幡太郎)義家父子が、この地の大杉の梢高くに源氏の白旗をかかげて軍勢をつのり、石清水八幡宮に武運長久を祈願。勝利を収めて創建された六郷神社。
2
1/29 11:18
源頼義、源(八幡太郎)義家父子が、この地の大杉の梢高くに源氏の白旗をかかげて軍勢をつのり、石清水八幡宮に武運長久を祈願。勝利を収めて創建された六郷神社。
頼朝も欧州征定の祈願したという。このとき頼朝が奉献した浄水石。
2
1/29 11:21
頼朝も欧州征定の祈願したという。このとき頼朝が奉献した浄水石。
社殿。横に幼稚園があるので、ママチャリ軍団がすごかった。
1
1/29 11:22
社殿。横に幼稚園があるので、ママチャリ軍団がすごかった。
第一京浜を歩き続けます。雑色駅を通過。
1
1/29 11:33
第一京浜を歩き続けます。雑色駅を通過。
久しぶりのキロポスト。15kmになった。
1
1/29 12:10
久しぶりのキロポスト。15kmになった。
蒲田梅屋敷跡。江戸時代に和名散という道中常備薬を商う山本久三郎がこの地に梅の名木を集め、茶屋を開き、蒲田梅屋敷としてにぎわったとある。今は、公園になっている
2
1/29 12:12
蒲田梅屋敷跡。江戸時代に和名散という道中常備薬を商う山本久三郎がこの地に梅の名木を集め、茶屋を開き、蒲田梅屋敷としてにぎわったとある。今は、公園になっている
復元された梅屋敷山本家の門の横にあった自然石の里程標の石碑
1
1/29 12:13
復元された梅屋敷山本家の門の横にあった自然石の里程標の石碑
今も梅ノ木が沢山あり、花が咲いていました。
3
1/29 12:17
今も梅ノ木が沢山あり、花が咲いていました。
こっちは、満開
3
1/29 12:18
こっちは、満開
明治天皇は、何度も来られたとの事。
2
1/29 12:20
明治天皇は、何度も来られたとの事。
江戸時代後期東海道筋に通行人の目印として、大森を中心に富士講の人々によって建てられた常夜灯。現在は、大森西図書館前に再現されている。探すのにウロウロ。
2
1/29 12:47
江戸時代後期東海道筋に通行人の目印として、大森を中心に富士講の人々によって建てられた常夜灯。現在は、大森西図書館前に再現されている。探すのにウロウロ。
第一京浜から細い道に入ると、また旧東海道の道標が出てくる。
1
1/29 13:04
第一京浜から細い道に入ると、また旧東海道の道標が出てくる。
美原通りのパネル
1
1/29 13:06
美原通りのパネル
川崎宿と品川宿の中間にあるこの辺りは、間の宿としてにぎわったそうだ。商店街も、旧東海道の雰囲気を演出している。
1
1/29 13:07
川崎宿と品川宿の中間にあるこの辺りは、間の宿としてにぎわったそうだ。商店街も、旧東海道の雰囲気を演出している。
石のベンチ?には、いろいろな石板が張ってある。これは、大森ののり。
1
1/29 13:15
石のベンチ?には、いろいろな石板が張ってある。これは、大森ののり。
江戸時代には、海苔の養殖がおこなわれ、大きな産地として発展。いまも問屋が残っているが、海苔は東北から持ってきているそうです。
2
1/29 13:15
江戸時代には、海苔の養殖がおこなわれ、大きな産地として発展。いまも問屋が残っているが、海苔は東北から持ってきているそうです。
第一京浜に合流すると、磐井神社。
2
1/29 13:25
第一京浜に合流すると、磐井神社。
東海道往来の旅人に利用された磐井井戸。現在は、磐井神社前の歩道にある。
1
1/29 13:28
東海道往来の旅人に利用された磐井井戸。現在は、磐井神社前の歩道にある。
日本橋から12kmになった
1
1/29 13:33
日本橋から12kmになった
第一京浜との分岐にある鈴ヶ森刑場跡
2
1/29 13:39
第一京浜との分岐にある鈴ヶ森刑場跡
火炙り台跡。丸穴に建てられた鉄柱に縛られ立ったまま火炙りにされたそうです。八百屋のお七も火炙りされたようです。
1
1/29 13:43
火炙り台跡。丸穴に建てられた鉄柱に縛られ立ったまま火炙りにされたそうです。八百屋のお七も火炙りされたようです。
磔台跡。磔用の木柱を立てた四角い穴が開いています。
1
1/29 13:43
磔台跡。磔用の木柱を立てた四角い穴が開いています。
首洗いの井戸。先に進みます。
1
1/29 13:44
首洗いの井戸。先に進みます。
浜川橋(なみだ橋)を渡ります。
2
1/29 13:56
浜川橋(なみだ橋)を渡ります。
旧街道の様子
1
1/29 13:57
旧街道の様子
品川宿になっている。上方見附は、どこにあったのかな。
1
1/29 14:27
品川宿になっている。上方見附は、どこにあったのかな。
荒神様として昔から信仰されている、海雲寺。火伏せの神様。
2
1/29 14:30
荒神様として昔から信仰されている、海雲寺。火伏せの神様。
門を入ってすぐ平蔵地蔵。江戸末期の頃、鈴ケ森処刑場で番人をしていた乞食の中に正直な乞食がいて、大金を拾い、落とし主を探して届けました。そのために仲間の乞食から、山分けをすれば乞食も廃業ができたのにと、小屋を追い出されて凍死してしまいました。これを聞いた落し主が手厚く葬り、地蔵尊を立て供養しました。「ぼろは着てても心は錦」お参りの人が絶えません。・・寺のHPより
2
1/29 14:31
門を入ってすぐ平蔵地蔵。江戸末期の頃、鈴ケ森処刑場で番人をしていた乞食の中に正直な乞食がいて、大金を拾い、落とし主を探して届けました。そのために仲間の乞食から、山分けをすれば乞食も廃業ができたのにと、小屋を追い出されて凍死してしまいました。これを聞いた落し主が手厚く葬り、地蔵尊を立て供養しました。「ぼろは着てても心は錦」お参りの人が絶えません。・・寺のHPより
品川寺。品川で一番古い寺。江戸六地蔵一番が門前にあります
1
1/29 14:33
品川寺。品川で一番古い寺。江戸六地蔵一番が門前にあります
城南小学校。洒落た校門だね
1
1/29 14:42
城南小学校。洒落た校門だね
「南品川のおえんまさま」として信仰される閻魔堂のある長徳寺。
1
1/29 14:44
「南品川のおえんまさま」として信仰される閻魔堂のある長徳寺。
常行寺の山門。本堂は、江戸中期に建立
1
1/29 14:47
常行寺の山門。本堂は、江戸中期に建立
旧東海道品川宿には東海道53次の宿場のうち、7つの宿場から寄贈された街道松が植樹されているそうです。この松は、浜松宿から寄贈された松。
1
1/29 14:54
旧東海道品川宿には東海道53次の宿場のうち、7つの宿場から寄贈された街道松が植樹されているそうです。この松は、浜松宿から寄贈された松。
品川橋
1
1/29 14:56
品川橋
南品川宿河岸跡。ここで昔は、荷揚げしてたんだ。
2
1/29 14:56
南品川宿河岸跡。ここで昔は、荷揚げしてたんだ。
品川橋から荏原神社の鎮守橋方向
1
1/29 14:57
品川橋から荏原神社の鎮守橋方向
荏原神社
1
1/29 14:58
荏原神社
鎮守橋から見た荏原神社の新緑が品川百景となっていたので、撮ってみた。
1
1/29 14:59
鎮守橋から見た荏原神社の新緑が品川百景となっていたので、撮ってみた。
品川宿交流館に寄りました。江戸名所図会の品川のところの詳しく説明してくれました。1Fは駄菓子を売っていました。
2
1/29 15:22
品川宿交流館に寄りました。江戸名所図会の品川のところの詳しく説明してくれました。1Fは駄菓子を売っていました。
品川宿本宿跡。現在は、聖蹟公園になっている
1
1/29 15:25
品川宿本宿跡。現在は、聖蹟公園になっている
寺院作りには珍しい土蔵造りの善福寺
2
1/29 15:34
寺院作りには珍しい土蔵造りの善福寺
伊豆の長八の漆喰細工の昇り竜、降り竜?
1
1/29 15:35
伊豆の長八の漆喰細工の昇り竜、降り竜?
土蔵相模跡。旧東海道に面した飯売旅籠屋「相模屋」は、外装が海鼠(なまこ)塀の土蔵造りだったことで、通称「土蔵相模」と呼ばれていました。高杉晋作、伊藤博文ら幕末の志士たちが密儀を行った場所だそうです
2
1/29 15:39
土蔵相模跡。旧東海道に面した飯売旅籠屋「相模屋」は、外装が海鼠(なまこ)塀の土蔵造りだったことで、通称「土蔵相模」と呼ばれていました。高杉晋作、伊藤博文ら幕末の志士たちが密儀を行った場所だそうです
問答河岸。三代将軍徳川家光が東海寺に訪れた際、沢庵和尚がこの辺りまで出迎えて禅問答をしたという事でついた船着場の名前。実際は、もっと南にあったそうです。
2
1/29 15:40
問答河岸。三代将軍徳川家光が東海寺に訪れた際、沢庵和尚がこの辺りまで出迎えて禅問答をしたという事でついた船着場の名前。実際は、もっと南にあったそうです。
京急の踏切を越えて、JR品川駅に。
2
1/29 15:43
京急の踏切を越えて、JR品川駅に。
八ッ山橋。ゴジラ初上陸の地。今日は、品川駅でおしまいです。
4
1/29 15:46
八ッ山橋。ゴジラ初上陸の地。今日は、品川駅でおしまいです。
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する