記録ID: 7794601
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ハイキング
奥多摩・高尾
八王子城を歩く 太鼓曲輪尾根・心源院尾根・清瀧不動みちなど
2025年02月15日(土) [日帰り]


- GPS
- --:--
- 距離
- 15.0km
- 登り
- 974m
- 下り
- 971m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 5:35
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 5:35
12:15
日影林道口駐車スペース
天候 | 快晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2025年02月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
24時間利用可能の八王子城臨時駐車スペースからスタートする予定でしたが、たどり着くと開門は午前9時から。駐車予定地と予定ルートの変更を余儀なくされました。24時間開放廃止に至った理由は想像できますが、ウェブサイト管理者には、間違った情報をすみやかに削除していただければありがたいと思います。 https://www.city.hachioji.tokyo.jp/kankobunka/003/005/p005205_d/fil/Rinji_park_New.pdf |
コース状況/ 危険箇所等 |
一般道は良く整備されていましたのでコメント省略。非一般道のみコメントします。 太鼓曲輪尾根 : 太鼓曲輪ノ頭から八王子城管理事務所に出るまで、一般道と同様の整備具合でした。ありがとうございます。 心源院尾根 : 至れり尽くせりの標識。整備されている方の山愛が感じられました。 清瀧不動から八王子城へのみち : 標識無し。カラーテープも限定的。写真でコメントしましたが、八王子城側からは立入禁止になっていましたので、お薦めは致しません。 富士見台から小下沢林道への矢倉沢ルート : 標識はありませんが、カラーテープの頻度は高いです。足元が悪いので歩行ご注意下さい。 |
写真
清瀧不動の先、涸れ沢を右岸から左岸に渡渉(水はありませんが)。5分ほど進むとケルン。右上に登る道が見えますが、直進。が、すぐに行き止まり。引き返し、右上の急坂をしばらく登ります。植林地の作業道として整備されているためでしょうか、所々で足元が悪い個所がありますが、道は明瞭。
感想
1569年、川中島の戦いが収束した武田信玄は2万の軍勢を率いて後北条氏三代目の北条氏康の小田原城へ。城を包囲したものの、難攻不落の小田原城を落とせず、甲斐に撤退しました。
当時、八王子方面の守りの要となっていたのが滝山城。その防衛の限界を感じた北条氏照(氏康の三男)は本拠を八王子城に移しました。
時は移り、1590年。
豊臣秀吉の小田原征伐の前哨戦として、秀吉勢の上杉景勝、前田利家、真田昌幸らの部隊15,000人が八王子城を攻撃。城主の氏照以下家臣は小田原本城に駆けつけており、領内から動員した領民中心の3,000人が防衛。
堅城なるも、多勢に無勢。東正面の大手口(現在の管理事務所のある正面入口)と北側の搦め手(北浅川沿いの松竹(まつたけ)集落方面)の2方向からの力攻めに屈し、総崩れ。一日で陥落しました。
第二次大戦後、国の史跡に指定され、復元作業が行われてきていますが、広大な山城、かつ難路も多いことから、一般路はその一部に限定されています。
今回は、当時の八王子城を偲び、周辺を歩いてみました。
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コメント
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ケルンの右上の坂道は、直江兼続が通った間道です。
(ケルンが勝手に積み上がっているような気が・・)
詰の城の北尾根は石垣総崩れ跡の防御線で、下に2本の軍道(一部欠損、悪路)が通っています。
興味があったらご案内しますよw
ありがとうございます。そうだったのですか、ためになりました
また、運営されている「風雲!八王子城」も拝見しました。詳細図を見て、納得。
2月22日の道普請者募集: お手が足りないようであれば、お声かけください。あまり肉体労働をしていないので、猫の手くらいにしかならないかもしれませんが。
「猫の手」有り難うございます。メールさせて戴きます。
一昨年から東京都などから精密地形データ(陰陽図、赤色立体地図)が公開されていて、古道の痕跡が地図上で追えるようになりました。
宿題(楽しみ)が増えるばかりですが、整備はおろか、遺構調査にすら責任を持つはずの行政が動かないのがガンです。
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