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ハイキング
近畿
熊野古道(紀伊路・中辺路)を歩く 13(滝尻王子〜継桜王子)
2025年02月12日(水) [日帰り]


体力度
4
1泊以上が適当
- GPS
- 08:13
- 距離
- 18.4km
- 登り
- 1,305m
- 下り
- 957m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 7:38
- 休憩
- 0:58
- 合計
- 8:36
距離 18.4km
登り 1,305m
下り 957m
8:52
8分
スタート地点
17:28
ゴール地点
天候 | 曇り-小雨−曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2025年02月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
バス
|
写真
乳岩
「奥州平泉の藤原秀衡が本宮に参る途中、妻が滝尻で出産。熊野権現のお告げにより、乳岩に赤子を残して旅を続けた。子は、岩から滴り落ちる乳を飲んで、両親が帰ってくるまで無事に育っていた。」という伝説がある
「奥州平泉の藤原秀衡が本宮に参る途中、妻が滝尻で出産。熊野権現のお告げにより、乳岩に赤子を残して旅を続けた。子は、岩から滴り落ちる乳を飲んで、両親が帰ってくるまで無事に育っていた。」という伝説がある
カーバイトランプは、昔、祭に出る夜店の照明に使われており独特の匂いがして、子供の頃は夜店の匂いと思っていた
宇江敏勝著「山びとの記」には造林小屋でカーバイトランプを使っていたとあった
宇江敏勝著「山びとの記」には造林小屋でカーバイトランプを使っていたとあった
大門王子から緩い下り坂、雪道を軽装の女性が行く
滝尻王子から抜きつ抜かれつと何度かすれ違う。単独行の中国の方らしいが、他に2名単独行の中国人女性を見かける。中国からの旅行者は団体から個人旅行に変わったことを実感する
滝尻王子から抜きつ抜かれつと何度かすれ違う。単独行の中国の方らしいが、他に2名単独行の中国人女性を見かける。中国からの旅行者は団体から個人旅行に変わったことを実感する
小判地蔵
嘉永7年(1854)熊野から紀三井寺に向かう途中、飢えと疲労で小判を口にくわえて行き倒れになった豊後の旅人を地元の人が祀ったもの、行路死亡人を祀ったものは他にも多数ある様だ
嘉永7年(1854)熊野から紀三井寺に向かう途中、飢えと疲労で小判を口にくわえて行き倒れになった豊後の旅人を地元の人が祀ったもの、行路死亡人を祀ったものは他にも多数ある様だ
近露王子
南方熊楠は当時、神社合祀による杉の巨木を乱伐から守るためしばしば訪れたが伐られ神社は廃絶された
近野村には六社の王子社(近露王子、野中王子、比曽原王子、中川王子、湯川王子、小広王子)があったが、新しく作った金刀比羅神社(現、近野神社)にすべて合祀されて、すべて廃社となった。
「近露王子之跡」と刻まれた碑は大本教主出口王仁三郎の筆跡
南方熊楠は当時、神社合祀による杉の巨木を乱伐から守るためしばしば訪れたが伐られ神社は廃絶された
近野村には六社の王子社(近露王子、野中王子、比曽原王子、中川王子、湯川王子、小広王子)があったが、新しく作った金刀比羅神社(現、近野神社)にすべて合祀されて、すべて廃社となった。
「近露王子之跡」と刻まれた碑は大本教主出口王仁三郎の筆跡
感想
滝尻から継桜まで18km8時間ほど歩いた。滝尻王子から神域で本格的な山道、標識がしっかりしているのに道迷いを数回してしまった。
途中、白人カップル2組、東洋系カップル2組、東洋系単独女性3人とすれ違いましたが、日本人とは一人も出会いませんでした。 春節も終わりましたが、東洋系の外国人はおそらく皆中国の方です。中国人と言えば今まで団体旅行が主と思っていましたが、個人旅行に移行してきたようです。 少しばかり話した人は道迷いもせず、英語も堪能で単語しか解らない当方としては恥ずかしいかぎり。
いずれも若者で日本の「るるぶ旅」(見る・食べる・遊ぶ:古いか!)を楽しんで良いところを故国に伝えてほしいと思う。
宿泊した民宿は予約が取れない宿と言われていましたが。幸か不幸か、今年からオーナ−も年を取り外国人相手が大変になって窓口を絞ったので予約することができた。
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