ゴールデンウイーク新緑ライトアップ 東寺・・・羅生門、西寺跡、綜芸種智院跡


- GPS
- 02:40
- 距離
- 7.6km
- 登り
- 5m
- 下り
- 5m
コースタイム
過去天気図(気象庁) | 2025年05月の天気図 |
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アクセス |
利用交通機関:
バス
|
写真
境内から出るようにと言われました
ライトアップは18時からなのですが
それまでの時間を境内を回り時間を有意義に使おうと思ったのに(-_-;)
18時からのライトアップの準備のためだとか(-_-;)
大急ぎで見て回る
都七福神(毘沙門天)
七福神の信仰は京都が発祥といわれ、いくつも七福神まいりのコースがある。
中でも都七福神まいりは親しまれており、新春に巡る参拝者が多く、また毎月7日も縁日として巡られている。
(京都検定テキスト)
観智院
本尊 五大虚空蔵菩薩
東寺の子院。
延文四年(一三五九)頃に呆宝が造営を始めた。
東寺の教学研究の中心として十五ある子院の中でも随一で、江戸時代には新言宗の勧学院であった。
慶長十年(一六〇五)に地震などで荒廃していたのを再建した。
典籍や仏画、仏像などを集めた「金剛蔵聖教」(重要文化財)は質・量ともにわが国の最高峰とされる。
本尊の五大虚空蔵菩薩像(重要文化財)は入唐八家の一人である恵運の請来仏で唐時代の作。
「東宝記」(国宝)は呆宝と二世の賢宝が編集した東寺の寺誌である。
また、客殿(国宝)には宮本武蔵筆と伝える床の間の「鷲の図」や襖絵の「竹林図」がある。
↓国宝建築203頁
(京都検定テキスト)
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金堂(国宝)が慶長八年(一六〇三)、豊臣秀頼の造営で、創建時の規模を踏襲した大型の仏堂である。
本尊の薬師三尊像(重要文化財)を祀っている。
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室町時代に再建された講堂(重要文化財)には、立体曼茶羅と称される、密教の教えを視覚的に表わした磨曼茶羅の世界が二十一体の仏像によって展開されている。
五智如来像五躯(いずれも重要文化財)、五大明王像五躯、五大菩薩像五躯、梵天・帝釈天像、四天王像四躯(いずれも国宝)で構成されている。
その曼荼羅を、よりリアルに伝えるために、弘法大師空海は具現化することを構想しました。それが羯磨曼荼羅かつままんだら。一般的に立体曼荼羅として知られているものです。
(東寺のHPから)
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五重塔(国宝)は寛永二十一年(一六四四)の再建で徳川家光による造営。
焼亡再建を繰り返し、現在は五代目にあたる。
基壇礎石上から最高部の相輪頂まで総高約五十五メートルは現存する木造塔として最高の高さ。
今まででいちばん感動した
この空間に!
拝観と境内の散策が自由自在
金堂も講堂も入口と出口が共有
どちらから入っても出ても良い
誰にも束縛されないで・・・。
そして何度でも入れる
実際は2回づつしか入りませんでしたが・・・。
感想
お友達からライトアップの招待券を頂いた♫
基本的にライトアップは好きではない(-_-;)のだが・・・。
自然に対する冒涜?雑踏
人はそれほど多くなく落ち着いて見られる環境だった
講堂の立体曼荼羅には興味があったが本などで読んでも良くわからない
でも実際に拝観するとわかったような気になる
この空間が素晴らしかった
贅沢な時間でした
東寺(教王護国寺)(南区九条町)
◆本尊 薬師如来
東寺真言宗総本山。
山号は八幡山。
正式には教王護国寺。
世界遺産(文化遺産)。
延暦十三年(七九四)の平安遷都ののちに羅城門の東に開創して、西の西寺(現在は廃寺)(↓31頁)とともに平安京の二大官寺の一つとされた。
弘仁十四年(八二三)に嵯峨天皇が空海(弘法大師)に下賜し、真言密教の道場となった。
天長二年(八二五)には空海が講堂を築造した。
翌三年には五重塔の造営に着手した。
同五年、綜芸種智院(学校)を建立。
承和二年(八三五)に空海が宮中で後七日御修法を修し、王城鎮護の寺として朝野の信仰を集めた。
空海没後、一時荒廃したが、高雄の文覚が後白河法皇の意を得て再興に着手、源頼朝の援助などで復興、以後数々の盛衰を繰り返し現在に至る。
徳治三年(一三〇八)に後宇多法皇が伝法灌頂を受け、東寺の教学の充実を図り、併せて所領を寄進、後宇多法皇の伝法会、勧学会の確立はのちにすぐれた学僧を輩出することとなった。
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境内の主要な建造物としては、金堂(国宝)が慶長八年(一六〇三)、豊臣秀頼の造営で、創建時の規模を踏襲した大型の仏堂である。
本尊の薬師三尊像(重要文化財)を祀っている。
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室町時代に再建された講堂(重要文化財)には、立体曼茶羅と称される、密教の教えを視覚的に表わした磨曼茶羅の世界が二十一体の仏像によって展開されている。
五智如来像五躯(いずれも重要文化財)、五大明王像五躯、五大菩薩像五躯、梵天・帝釈天像、四天王像四躯(いずれも国宝)で構成されている。
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五重塔(国宝)は寛永二十一年(一六四四)の再建で徳川家光による造営。
焼亡再建を繰り返し、現在は五代目にあたる。
基壇礎石上から最高部の相輪頂まで総高約五十五メートルは現存する木造塔として最高の高さ。
御影堂(大師堂・国宝)は康暦二年(一三八O)から明徳元年(一三九〇)の建立である。
もとは弘法大師の住房とされ、弘法大師坐像(国宝)などを安置する前堂と秘仏の不動明王坐像(国宝)を安置する後堂および中門からなる。
寝殿造の面影を伝える数少ない遺構として知られる。他に平安時代の宝蔵(重要文化財)や、門では蓮花門(国宝)・慶賀門・東大門・北大門(いずれも重要文化財)が鎌倉時代前期、北総門(重要文化財)が鎌倉時代後期、南大門(重要文化財)が桃山時代の遺構として知られている。
また灌頂院(重要文化財)が江戸時代前期、その北門・東門(ともに重要文化財)
がともに鎌倉時代前期の建築である。
他に、もと平安京の羅城門楼上に安置されていたと伝える兜跋(トバツ)毘沙門天像(国宝)や、神像彫刻の最古の作例の一つとされる八幡三神像(国宝)などの寺宝がある。
絵画にも特筆すべきものが多く、西院曼茶羅の異名を持つ「両界曼茶羅図(伝新言院曼茶羅)」、「真言七祖像」、「五大尊像」をはじめ、十二天が屏風の一扇ごとに描かれた「十二天屏風」(いずれも国宝)など、まさに密教美術の宝庫といえる。
境内は国の史跡に指定されている。
境内の毘沙門堂は都七福神まいりの札所で、食堂に祀られている十一面観音は洛陽三十三所観音霊場(→117頁)第二十三番札所の本尊となっている。
↓世界遺産47頁、都七福神79頁、国宝建築203頁、真言七祖像・伝真言院曼茶羅・五大尊像(京都の絵画)239頁、東寺講堂諸尊・兜跋(トバツ)毘沙門天像(京都の彫刻)239・242
頁、密教法具(京都の工芸)244頁、初弘法309頁、終い弘法321頁、どら焼343頁、弘法さんが晴れやったら天神さんは雨や357頁
(京都検定テキスト)
東寺のホームページ
https://toji.or.jp/ten/
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