深大寺の秘仏「元三大師像」の特別開帳



- GPS
- 04:00
- 距離
- 7.1km
- 登り
- 3m
- 下り
- 12m
コースタイム
- 山行
- 3:12
- 休憩
- 0:48
- 合計
- 4:00
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2025年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
感想
深大寺の秘仏「元三大師像」が50年に一度の大開帳が開催された。(期間は4月26日~6月2日)
またとない機会なので、友達と一緒に神代植物公園を散策した後、参拝してきました。
元三大師像は、像高約2 mの日本最大の肖像彫刻。
参拝の順番が来たら、僧侶から「大師の目を見て祈願しなさい」と言われたので、その通りにしました。
大師の目は大きく、眼光は鋭く、左右の目はまるで生きているかのように光っていました。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★
元三大師とは、平安中期に天台宗の高僧であった良源のこと。
正月3日に入滅したことから、元三大師と言われている。
幼い頃から霊童だったそうで、その並々ならぬ法力の強さから異彩を放つ逸話を多く残している。
▶︎角大師
良源が73歳の時、夜更けに瞑想をしていたところ、何かの気配を感じたので尋ねると、それは疫病神だった。
「今、天下に疫病が流行している。貴方の身体も侵しに来た」と言うので、良源は逃れられないと感じ、左の小指を差し出した。
すると、高熱を発症し、尋常でない苦痛を感じたので、良源は法力を使って身体に入った疫病神を弾き出し、快復したという。
そこで良源は、全身の映る鏡を弟子達に用意させ、その前に座って瞑想した。
すると、鏡に映った良源の姿は次第に変化していった。それを見た弟子達はあまりの恐ろしさにひれ伏したが、1人だけ気丈な弟子が変身した良源の姿を描き留めた。
それは、頭から角を生やし、骨が浮き出た夜叉のような姿であった。
その絵を見て満足した良源は、すぐに版木を掘らせ、できた御札に加持を施し、麓の家々に配り、門戸に貼るように教えたところ、御札を貼った家だけは疫病を逃れたという。
▶︎豆大師(魔滅大師)
33体の大師像を描いた紙。
大師は、観音様の化身であることから、33の姿に化身して衆生を救う姿を表したもの。
こんな逸話がある。
寛永年間、大阪の百姓が比叡山に参詣して元三大師に豊作を祈願した。
すると、大雨が降り始めたので、百姓は自分の田んぼの様子が気になり、その心中を寺僧に明かした。
寺僧は、せっかく豊作祈願に来たのだから、一途に大師に祈るよう、助言した。百姓は、この助言に従い、元三大師を信じて熱心に祈った。
その後、百姓は、急いで帰ると、村に近づくにつれて大雨の被害を目の当たりにする。
これではもう自分の田んぼはダメだろうと半ば諦めてかけていたが、なんと、周辺は荒れ果てているのに自分の田んぼだけは無事だった。
不思議に思い、近くの村人に尋ねてみると「30人あまりの若い衆が来てに手際よく水を汲み出していた」と言うてはないか。
なんと、その時刻は自分が大師に祈っていた時刻と一致していた。
そこで、百姓が再び比叡山に参詣して寺僧に この出来事を報告した。
寺僧は、「大師は観音様の化身であるから、33人の童子に姿を変えてお救いくださったのだろう」と答えた。
これにより、33体の大師を描いた豆大師の御札が貼られるようになった。
▶︎鬼大師
大師は若い頃、容姿端麗だったため、宮中の女官に人気があった。
ある日、女官から無理やり酒宴の席に引っ張り込まれた。
困った良源は、「得意の百面相をお見せする」と言って、女官が目を伏せているうちに恐ろしい鬼の姿に変身し、女官を驚かせ、その場を逃れたという。
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する