長野遠征:五島慶太未来創造館~大法寺~日吉神社~慶太塾~殿戸峠~別所温泉


- GPS
- 04:40
- 距離
- 10.6km
- 登り
- 353m
- 下り
- 285m
コースタイム
天候 | 晴れ ほぼ無風 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2025年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
新幹線 東京6:28-7:50上田(はくたか551) 千曲バス 上田7:59-8:31工業団地前 300円 帰り: 別所線 別所温泉15:35-16:06上田 新幹線 上田16:32-17:52東京(あさま628) |
写真
感想
五島慶太氏は、東急グループの創始者。
長野県の青木村殿戸の出身。
私は、最寄りの交通機関が東急電鉄、自宅マンションの管理会社が東急コミュニティなので、いつも東急グループのお世話になって生活しています。
五島慶太氏に関心を持ったのは、二子玉川にある「五島美術館」を訪れてからです。あまりのセンスの良さと彼の信仰心に心を打たれました。
「慶太のことをもっと知りたい」とそう思った時、長野県の青木村に「五島慶太未来創造館」という施設があることを知りました。
青木村では、慶太が好きだったという、大法寺の三重塔や日吉神社などを見学し、帰りは、殿戸峠を経由して別所温泉に向かう「湯道」を歩いてみました。
▶︎五島慶太未来創造館
ここでは、慶太の家族や経歴、実業家としての歩みを知ることができます。
【中学への進学】
慶太の時代、平民の子は小学校を出たら働くのが普通の世の中。
慶太の家は決して裕福ではなかったため、両親を説得しての進学でした。
まず驚いたのは、慶太が中学に通うのに毎日片道12キロの距離を歩いて登校したことです。しかもそれを3年間、一度も休まずに続けたとか。
何事にも負けない不屈の精神は、この時から培われていたようです。
【試練の連続】
慶太の姓は本来、小林で、1912年、30歳のとき、結婚してから五島の姓を名乗ります。
実業家となってからも決して順風満帆な人生ではありませんでした。
ほぼ10年ごとに、家庭でも、事業においても試練が訪れています。
1912年、結婚
1922年、4人の子供を残して愛妻が逝去。
1923年、目黒蒲田電鉄の開通初日、関東大震災により、できたばかりの路線が崩壊
1930-31年、日本が深刻な不況に陥ったため、社員の給料も払えず、お金の工面に走り回る
1933年、次女が病死
1943年、次男が戦死
【生家が落雷で全焼】
実は一番驚いたのがこれでした。
2018年8月14日、慶太の死後、生家は、落雷により、全焼します。
なんとその日は、慶太の60回忌の命日でした。
落雷後、生家は建て直され、「東急グループ慶太塾」となり、慶太の事業哲学を体得する研修センターとなっています。
命日でしょ。
落雷でしょ。
これはもう、東急グループの幹部や社員を思う天国からの慶太の愛のメッセージとしか思えません。
東急よ、永遠あれと…
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