記録ID: 8192457
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ハイキング
紀泉高原
城ノ山(土丸城跡、日本遺産) 岩盤コース 2025年05月21日(水)
2025年05月21日(水) [日帰り]


- GPS
- 03:04
- 距離
- 2.9km
- 登り
- 261m
- 下り
- 261m
コースタイム
天候 | 晴れ のち 曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2025年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
今日は友人と二人で 土丸春日神社隣りに駐車 スタート 高速下を渡りすぐに岩盤コースへ 鉄塔をすぎ正高の木を目指す 尾根筋にでると眺めは特に良い すずしい風も吹いている 正高の木を過ぎ丸太輪切りの椅子へ 少し進み土丸山を目指す 山頂に至る 石の鳥居、石碑などがある 神殿にお参り 長椅子で軽食 ハイキングコースで土丸春日神社方面に下山 コースには枯れ葉が積み重なっていて滑りやすい 春日神社にお参り 無事に終わりました |
写真
城ノ山山頂 土丸城跡 石の鳥居 石碑 そして神殿(女神) ここには説明の鉄の板があったが、今は枯れ葉に覆われている
1347年北朝方(足利尊氏方)の日根野盛治(もりはる)はここの守備を命じられた 盛治は南朝方の橋本正高と戦うが追い払われた 鉄の板に説明が書かれていたが、古くなり、枯れ葉に埋もれてしまったようです
1347年北朝方(足利尊氏方)の日根野盛治(もりはる)はここの守備を命じられた 盛治は南朝方の橋本正高と戦うが追い払われた 鉄の板に説明が書かれていたが、古くなり、枯れ葉に埋もれてしまったようです
このような説明の板が枯れ葉の下にありました
南北朝時代(1336〜1353年)、南朝方の橋本正高は土丸城の戦いで日根野氏から城を奪い、正高は尾根沿いに縄張りを広げ大規模な城郭を造営 それが雨山城であると
南北朝時代(1336〜1353年)、南朝方の橋本正高は土丸城の戦いで日根野氏から城を奪い、正高は尾根沿いに縄張りを広げ大規模な城郭を造営 それが雨山城であると
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