焼山寺でおかわり(最後まで残った空海の道の一部)


- GPS
- 01:18
- 距離
- 3.7km
- 登り
- 271m
- 下り
- 271m
コースタイム
天候 | 青空気持ちいい |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2025年06月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
トイレあり。広い。 近くの家に無人販売の梅干し(300円)おいしい。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
一宮遍路道 最後まで残った空海の道とは↓↓↓大変興味深い。 https://www.awanavi.jp/wp-content/uploads/2023/04/5239.pdf |
写真
(以下看板引用)
「伊豫の国 浮穴郡荏原の荘の長者衛門三郎は財宝倉にみち勢近国に稀な豪族であった。それでいて強欲非道な鬼畜のようなこの長者は貧しい者を虐げ召使共を牛馬の如くこき使って栄華の夢に酔いしれていた。雪模様の寒いある日その門前に一人の旅僧が訪れた。乞食のようなみすぼらしい旅僧は一椀の食物を乞うた 下僕の知らせに衛門三郎はうるさげに「乞食にやるものはない追い払え」と言い捨てた。そのあくる日も次の日も訪れた。衛門三郎は怒気満面いきなり旅僧の棒ける鉄鉢を引っ摑むや大地に叩きつけたと見るや鉄鉢は八つの花弁の如く四辺に飛び散った。啞然と息を呑み棒立ちとなった衛門三郎がふと我に返った時には旅僧は煙の如く消え失せていた。
長者には八人の子供があった。其翌日長男が風に散る木の葉の如くことされた。其の翌日は次子が亡くなり八日の間に八人の子供が亡くなった。鬼神も恐れぬ衛門三郎も恩愛の情に悲観にくれ初めてこれはおのが悪業の報いかと身に迫る思いを感じた。空海上人とか申されるお方が四国八十八ヶ所をお開きになる為此の島を遍歴なされているとか 我が無礼を働いたあの御坊こそその上人と思われる。過ぎし日の御無礼をお詫び申さねば相すまぬと発心しざんげの長者は財宝を金に換え妻に別れ 住みなれた館を後に野に山に寝 四国八十八ヶ所の霊場を大師を尋ねて遍路の旅をつづけた。春風秋雨行けど廻れど大師の御すがたに会うことが出来なかった。遂に霊場を巡ること二十度会えぬ大師を慕いつづけた。二十一度逆の途を取って此の所までたどりついた。疲れた足をよろぼいつつ木陰に立ち寄り背に負うた黄金の袋を下して見ると何んとした事ぞ一塊の石となっていた。いよいよ驚き今一歩も立ち上がる気力もなく打ち倒れている折しも大師のお姿が現れ給い やさしく「やよ 旅の巡礼 そなたは過ぎし日わが鉄鉢を打ち砕いた長者にあらずや」との御声「われは空海いつぞやの旅僧なり」「ああ上人さまお許しなされまし」と伏し拝みざんげの涙はらはらと手を合わせ大悲にすがる長者は今こそ悪行深さ無明の闇から光明世界へ還らんとする姿であった。「そなたの悪心すでに消え善心に立ち還った。この世の果報はすでに尽きたり来世の果報は望みに叶うであろう」と仰せられ 衛門三郎は大慈大悲の掌に救われ来世は一国の国司に生まれたい と願った。大師は其心を憐み 小石を其左手に握らせ 必ず一国の主に生れよと願い給い 衛門三郎はにっこりと微笑みを残し敢え無くなった。
其の日は天長八年十月二十日と伝えられる。大師は衛門三郎のなきがらを埋め彼の形見の遍路の杉の杖を建て墓標とされた。其の杖より葉を生し大杉となった 故に此の庵を杖杉庵と呼ばれ今尚大師の遺跡として残っている。
此杉は享保年間焼失した。その頃京都御室から「光明院四行八蓮大居士」の戒名が贈られ 四国遍路の元祖として今も此の地にまつられている。」
杖杉庵の納経印は焼山寺で書いてもらえるようです▶︎興味深いポイント▶︎以前の杖杉庵の納経印は弘法大師と衛門三郎が向かい合う絵が描かれた珍しいものだったそうです。今はもうありません。。。見てみたかった!
装備
個人装備 |
長袖シャツ
ズボン
靴下
グローブ
日よけ帽子
靴
ザック
行動食
飲料
笛
GPS
ファーストエイドキット
常備薬
日焼け止め
サングラス
タオル
虫よけ
iPhone
接眼レンズ
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感想
〇今回の山行目的
・川井峠から近くてもうちょっとおかわりできるところで探しました。
・川井峠の4座をご一緒したウンパールンパーさんが焼山寺の遍路転がしのことを教えてくれ、調べると「最後まで残った空海の道」と出てきました。ぐっと興味が沸いて、どんなものかと一部歩くことに。
〇天気
昼もずっといい天気
〇アクセス
杖杉庵の無料駐車場に駐車。
公衆トイレもあります。
横の民家の無人販売のうめぼしがおいしいです(300円)
〇ルート
「最後まで残った空海の道」として知られています。
今回は「遍路転がし」と言われている「焼山寺道」とは反対の「一宮道」しか歩いていません。
〇すれ違い
(1)遍路道沿い、歩き遍路のお兄さんと2度お会いしました。藤井寺のほうからの登り、焼山寺からの下り、双方ともにきつかったと。
2度目は私がタフ子で貞光へおりるところでしたので、お接待させていただきました👐私とは正反対の、煩悩のなさそうな笑顔が透き通った方でした。
(2)境内には4組ほどの参拝者がいらっしゃいました。境内でお話はしていません。
〇感想
・四国遍路発祥の地を見られてよかったです。衛門三郎さんの悲痛な顔とは対照的な弘法大師様の優しいお顔が印象的でした。
・衛門三郎さんの生涯が波乱万丈で面白い。こんな自己中心的な人います?自分の子供なのに、態度ひどくないですか。そんな人がどん底に落ちてからの回生ぶりがにわかに信じられません。。。(という疑っちゃう私も病んでいますね💦)
・機会を改めて藤井寺のほうから歩いてみたいです。
〇失敗
・杖杉庵についたときに、川井峠にトレッキングポールを忘れてしまったことに気づいていながら、先におまいり!と歩き始めました。おまいりをしながら頭の中はトレッキングポールのことが気になって集中できませんでした。
〇最後まで残った空海の道はPDFでWEBに公開されています↓↓↓
file:///E:/山/2025/0604焼山寺-最後まで残った空海の道/最後まで残った空海の道.pdf
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