日光鋼索鉄道(ケーブルカー)跡の大冒険


- GPS
- 05:54
- 距離
- 8.8km
- 登り
- 722m
- 下り
- 644m
コースタイム
- 山行
- 5:25
- 休憩
- 0:56
- 合計
- 6:21
過去天気図(気象庁) | 2025年06月の天気図 |
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アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
感想
6月5日、山友さんと、いろは坂近く、昔動いていたケーブルカー跡をたどって明智平展望台まで行く 大冒険山行。
風が、強かったので明智平ロープウェイは、運行中止で、展望台二人じめでした。明智平強風でしたが、ベンチがある場所は、大きなブナの木があって、ゆっくりランチ食べるられるそよ風。
最後、もう安心と思ったら・・・
渡渉や、登り返し、プチ道迷いと、終わってみればそれも楽しい思い出に。
冒険山行終わったあと、戦場ヶ原駐車場近く裏手のズミの花を鑑賞しました。
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ケーブルカーは、38年間活躍してくれたそうです。
以下は、看板の文字起こし内容です。
日光鋼索鉄道(ケーブルカー)の遺構について
Remains of the Nikko Cable Railway
この展望台の眼下に見える階段状の遺構は、かつてこの地を走っていた日光鋼索鉄道(ケーブルカー)の跡地です。
日光鋼索鉄道は、馬返と明智平を結ぶ全長1.2kmのケーブルカーとして、1932年(昭和7年)8月に開業しました。当時、馬返から華厳の滝や中禅寺湖といった奥日光へ至る道は、現在の第一いろは坂しか存在しませんでした。この道は時間帯によって上り下りを切り替える一方通行規制が行われていたため、ケーブルカーの開通は奥日光への交通の利便性を大きく向上させました。
このケーブルカーは、東京の浅草駅から東武日光駅への鉄道、東武日光駅から馬返までの路面電車(日光軌道線)、そして1933年(昭和8年)11月に開業した明智平と展望台を結ぶロープウェイ、さらにはいろは坂を通るバス路線と共に、東京から奥日光までを結ぶ一貫した輸送ネットワークの一翼を担っていました。
しかし、1965年(昭和40年)に第二いろは坂が開通すると、マイカーや観光バスなど自動車による奥日光へのアクセスが格段に向上し、観光の主流は自動車へと移り変わりました。その結果、日光鋼索鉄道は利用者が減少し、1970年(昭和45年)3月、開業から約38年の歴史に幕を下ろしました。
コメント
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以前からたまに目にするたびに、何時かはと思ってました。
6枚目のトンネル出口(入口)の扉が開かないということはないのでしょうか。
あと、トンネル内の落盤の可能性とかはどうでしょうか。
自己責任範疇の行動なので、聞いても詮無きこととは思いますが、ついついお聞きしたくなっちゃいました。
>6枚目のトンネル出口(入口)の扉が開かないということはないのでしょうか。
今回2人とも、体が細身だったので、まだ余裕がありました。
当分は、大丈夫と思います。
>トンネル内の落盤の可能性とかはどうでしょうか。
ないとは、言えないですね。
万が一事故が起きれば、完全通行止めになりますね。
一番最後に、多少落盤したあとを、のせました。
ヘルメットを被れば、万が一の時、リスクが軽減できますね。次回はヘルメットを持っていきます。紅葉の時にいきます。
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